ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
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ロ的基礎付けを重要視する理論が発展した。この学派の代表的なフレームワークの一つが、RBC(Real Business Cycle:実物的景気循環)モデルである。RBCモデルにおいては、民間の個別経済主体は合理的に期待形成を行い、それに従って経済行動を決定すると考える。このモデルにおいては、政府が財政支出を増加させた際に、民間経済主体が「政府債務を償還するための将来の増税」を予測することで、負の所得効果が生じて、消費を減少させてしまう可能性がある。同時に負の所得効果により余暇も減少することで、労働は増えて生産量は増加することも想定されるが、総じて乗数効果は1よりも小さくなるとされる*2。しかし、このモデルは市場の不完全性を一切含まないなどの前提に基づいている。市場の不完全性を考慮した、より現実的なモデルでは、乗数効果は経済環境によって大きく変わってしまうと考えられている。この点について、次節で先行研究をサーベイしながら説明しよう。3.財政乗数についての諸議論3.1.乗数の値について乗数の値がどの程度なのかについては多くの研究者が推定を行っている*3。Ramey(2011)は先行研究のサーベイを行い、アメリカにおける財政乗数は0.8~1.5程度だと結論付けている。日本でも、Kuttner and Posen(2002)、加藤(2003)、渡辺他(2008)等、乗数効果の分析は数多く存在するが、乗数の値についての一致した見解は得られていない*4。次項以降、経済環境によって財政政策の効果がどのように異なるのかについて確認する。具体的には、(1)好況と不況、(2)ゼロ金利、(3)政府債務残高、(4)国際経済環境(為替制度など)、に注目する。3.2.好況と不況Auerbach and Gorodnichenko(2012a,b)は、それぞれアメリカ、OECD諸国のデータを用いて、好況*2) Woodford(2011)等。*3) 推定手法の一つとして、Blanchard and Perotti(2002)の手法が挙げられる。Blanchard and Perotti(2002)は四半期のデータを用いることで、同時性の問題を克服しており、これ以降多くの研究者がこの手法を用いて推定を行っている。同時性の問題を克服する他の方法としては、軍事費を外生的支出ショックと考えて推定する方法が挙げられる。(例えば、Nakamura and Steinsson(2014)等)*4) 日本の乗数についての他の先行研究に関しては、田中(2004)、近藤(2018)等を参考にされたい。と不況の間で財政政策の効果が異なるかについて分析している。レジーム・スイッチングモデルを用いて、不況期では好況期よりも乗数効果が高いという推定結果を示した。また、Auerbach and Gorodnichenko(2017)は、1960年~2012年の日本のデータを用いて、日本においても不況期の方が好況期よりも乗数効果が大きいとの推定結果を示した。ただし、留意点として、日本は1990年代に長期の低成長時代を経験しているため、好況期や不況期を示す指標の作成が難しいこと、直近の時期の分析だけでは分析結果が不明瞭で乗数が不安定であることを指摘している。一方で、不況の際の財政政策の効果がないという指摘もある。Ramey and Zubairy(2018)は、1889年から2015年までのアメリカのデータを用いて、失業率を不況の指標として、不況の時や低金利の時に乗数はどのような値となるのかを調べた。local projection method(Jordà, 2005)を用いた推定結果では、不況期と好況期で乗数の値の違いは見られず、不況期の乗数は1を下回るとの結果が得られた。Auerbach and Gorodnichenko(2012a)と違う結果となった理由は、推定モデルの違いにあるとしている。このように、不況期における財政乗数が好況期よりも大きいのかどうかについて、一貫した実証結果は得られていない。他方で、この差異に関してシミュレーションを用いた理論分析も多く行われてきた。Canzoneri et al.(2016)は金融仲介コスト(bank intermediation costs)に着目をして、乗数は好況期に1を下回るが、不況期には1を超えることを理論モデルを使って説明した。ここでは、預金利率(deposit rate)と貸出利率(loan rate)との差の景気循環的な変化が鍵となる。不況期は預金利率と貸出利率の差が大きく、貸出が抑制される。この時、財政面からの景気刺激を行うことで経済が活性化して差が縮まると、貸出利率の低下に伴って、消費、生産が増加する。これによって、さらに経済活性化が加速する。この繰り返しは好況期でも存在するが、好況期は当初の預金利率と貸出利率の差が小さいため、不況期よりも60 ファイナンス 2018 Jul.連 載 ■ 日本経済を考える

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