ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
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れることを基本としていました。前に述べましたが、ASEAN出身のスタッフは組織に長く帰属する意識がなく、職場を渡り歩きながら自分の経歴を築いていく、という意識を持っています。現在のアメリカ人のプロフェッショナルの職業観にむしろ近いかもしれません。2016年になり民間法人だった頃から数えて約5年が経過すると、給与や処遇の面では他の国際機関に負けないようにしていても、家庭の事情などで任期満了を機に職場を離れたいと申し出るスタッフが出てきました*8。自分として嬉しかったのは、退職の理由が、母国に帰って、インドネシアなりカンボジアなりの公的セクターに再度就職し直し、その国の発展に尽くしたいというものだったことです。一般に東アジアの公的セクターは、中央政府にしろ、中央銀行にしろ、シンガポールの水準に比べれば給与などは安く、首都といっても、衛生、治安状況、子女の教育環境も劣ります。そうした不都合は承知の上で、AMROで学んだことを生かして、母国における自国通貨の利用の促進なり、銀行の健全性基準の作成なりに取り組みたいという話でした。振り返って見ると、これらの国の中銀総裁や財務大臣は自分(所長)の顔を見る度に、「○○君は元気ですか」と話題にしていました。自分からも「○○君は元気ですよ、指導すればするだけ伸びるので、将来が楽しみです」と答えると、「一切手加減せずに日本人スタッフだと思って(先方発言のママ)厳しく鍛えてください」というやりとりがありました。どうもすれ違いのやりとりをしていたようです。当方はAMROの基幹職員として育つことへの期待を述べていたのに対し、先方はAMROを職員の実践的養成機関と見てくれていた、ということでした*9。シンガポールは外国金融機関の進出が盛んです。ある国の言語が話せてその国の当局に知り合いも多く、かつマクロや金融の知識のある者については、喉から手が出るほど欲しいはずです。うちのスタッフの中でも数倍の給料とボーナスを提示されて、投資銀行などから声が掛かった者がいましたが、自分のいる間は実際の転職は1名だけに留まりました。自分としては、東アジア諸国の経済発展のためには公的機関に意識の高い人材が確保されていることが何よりも重要なことの一つと考えています。個人的な利益よりも国全体のことを優先して考える人を育てるのに、結果的にですが役立ったことについては大きな満足感を覚えました。(注)本稿は、AMRO創設の過程で自分がどう考えたか、アジアの人とどう付き合ってきたかを中心に、言わば見聞録風にまとめるものです。在職時に加盟当局から受け取った情報に関してはその職を離れた後も守秘義務がかかっているため、個別の経済・金融情勢の機微にわたる部分などについては触れることはできず、また記述の中に一部省略などがあることへの理解をお願いします。どこの国が話を進めたとかを評価するのが目的ではないため、日本以外はなるべく匿名(A国など)で記すことにします。本稿の記述は、AMROまたは財務総合政策研究所の見解を表すものではありません。(前 財務総合政策研究所所長)家族を職場に迎えてのAMROのクリスマス・パーティー(2015年12月)写真提供AMRO*8) 各国から採用したプロフェッショナルな職員は、最初は一律に3年契約とし、契約満了の際に概ね5年契約を交わしました(従って自分が務めた5年のうちには、二度目の契約更改は迎えませんでした)。プロフェッショナルな職員は全員任期満了まではその職を全うしてくれました。 これに対し、シンガポール基準で採用したシンガポール人は、シンガポールの労働慣行に従い、契約上の任期に関係なく、一月前の通告で退職していました(逆に雇用者側からの解雇もできるのですが、その行使は経験しないで済みました)。これには最初当惑しましたし、また業務の継続性の観点から困難を感じました。こちらに通告した後、即日休暇の消化を申し出る者もいたためです(これは雇用者側から断ることもできて、有給休暇の買取りで対処することもありましたが、30日以内に辞職することが分かっているとお互いに仕事に身が入りません)。 この全く異なる二つのグループを一つの就業規則で規定するというのも、オフィスの人事管理上の難題の一つでした。 自分としてはAMROという組織に固有の組織文化を築きたいと考えていましたし、仕事の進め方なり内部規律なりは、いくら規則を定めても紙だけで伝わるものではなく、人によって伝えられていくものと考えていました。将来の基幹職員として期待できる者については、職場の人間関係や担当などに関する不満であればできる限り聞き取って、引留めを図ったのですが、両親の病気や配偶者の海外転勤などの場合はあきらめざるを得ませんでした。*9) 背景として、本国の当局者に対しては、AMROのスタッフについて、例えどんな不満があったとしても、自分としてはできるだけ良い点だけを口にしていたことがあります。スタッフが元の安定的な職場(中央銀行など)を辞めて、将来的にどうなるかも分からないAMROという国際機関のスタートアップに参画してくれたことについての自分としての感謝の気持ちからでした。その意味で無意識の面ではスタッフの本国への復職を予期していたとも言えるのですが、時期的に早かったのに驚きました。58 ファイナンス 2018 Jul.国際機関を作るはなしASEAN+3マクロ経済リサーチ・オフィス(AMRO)創設見聞録連 載 ■ 国際機関を作るはなし
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