ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
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要ではない国際組織」との解釈を取っていたということでしょうか。6月の議会では提出されたものの採決はされませんでした。8月の末には中国の全人代の承認がありました。それまではD国の説明ぶりを追いかけていたのはAMRO(カンパニー)だけでしたが、8月末以降D国の議会の承認だけが最後の関門となると、全加盟国の注目が俄然集まります。D国の対応は相変わらずで、「実は9月には議会は開かれない。ただAMRO設立協定は既に議会に提出されており、10月から12月に開催される議会においてできる限り早期に審議されるはずだから心配無用である」というものでした。ここまで待たされると、国際機関移行を祝う式典の関係で、AMROとしてものんびりしていられなくなりました。国際機関移行を祝う式典を秋にマレーシアで開催される代理級会議(財務次官・中銀副総裁級)の翌日にシンガポールで開催しようということを、前年の11月に決めていたためです*1。丁度その時期(9月)開催される事務方の会議の議題として式典の日程が取り上げられることとなりました(自分は出席していないので以下は伝聞に基づきます)。各国からは、D国の準備が完了するのはいつなのか、12月の式典の日までにB国の議会を通過していない危険性はないのかとの質問が殺到したそうで、議会のことでもあり当然明確な答えはなかったそうです。会議では、「D国の説明は理解したが、国際機関への移行日すら確定していない可能性があるのに式典は開催できない(D国議会の承認を待って改めて日程を調整する)」という結論になりました*2。D国にはそれまでの国際機関化の検討の過程で強力に議論を主導してもらった恩義もあり、議会情勢が困難なことも十分理解できるため、他の国の尻馬に乗るのは慎みました。D国の幹部には、AMROの設立協定がAIIBの設立協定より先に審議できれば望ましいが、何があっても同時には審議して欲しいとだけお願いしておきました。あまりピンと来ていないようだったこともあり、D国の議会情勢を当方から説明したところ、「なるほどよく分かった、ありがとう」とのことです。自分の経験から言っても国際交渉と議会対策の調整は仕組みから考えておよそ不可能なことが多いとしても、事務方としては両方に目配りだけはしておいて欲しいところでした。各国が危惧した通り、D国の議会審議はその後も進まず、ようやく11月末に与野党間の合意が成立して、AMROの設立協定もAIIBの設立協定も議会を通過しました。中国に続いて、D国においても、AIIBの設立がその年(2015年)末と予定されていたことの影響を大きく受けたことになります。D国は議会の遅れを取り戻そうと必死だったのか、超特急で国内手続きを進め、12月11日には寄託者であるASEAN事務局に批准書を提出し、手続きを完了します。従って、設立協定に従い、その60日後の2016年2月9日が国際機関発足の日となります。大至急なのは有難かったのですが、あいにく国際機*1) その年の代理級会議の日程は12月2日と3日と内定していましたから、10月5日までに、D国議会でAMRO設立協定が承認され、ASEAN事務局に寄託されていなければ、国際機関に移行していない中で国際機関移行を祝うという対外的には説明困難な事態になります。 事務的準備としても、祝典を開く会場の予約(または予約取り消し)、各国当局者はともかくとして来賓(国際機関の代表などから祝辞をもらうことにしていました)の招待状の発出(またはメールで日程確保は依頼していたので取りやめの連絡)などを決めねばなりませんでした。*2) 自分がツテを伝って聞いたD国の事情は以下のようなものでした。 当時D国では与野党の勢力が伯仲していて、予算可決の票集めのために与党は野党と話合いをしていました。野党側は、自分たちの求める予算項目などが認められないなら、予算も通さないばかりか、いくつかの条約の議決にも応じないと主張していたとのことです。AIIBとかAMROとかの国際機関の設立協定の議決を止めれば、政権側は外国に対して面子を失うので、強力なテコになるだろう、という考え方です。AMROオフィス(2015年12月移転直後、スタッフの小林さんの発案により立ったまま会議をできるスペースを設置しています)写真提供AMRO ファイナンス 2018 Jul.55国際機関を作るはなしASEAN+3マクロ経済リサーチ・オフィス(AMRO)創設見聞録連 載 ■ 国際機関を作るはなし
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