ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
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連の8つの産業別単一労働組合(以下、「単産」)が共同で闘争を行う「8単産共闘」が行われ、産業別レベルで要求や闘争スケジュールを統一し、企業に対して賃金交渉を行うという動きが生まれた(濱口, 2014)。翌年、日本労働組合総評議会(以下、「総評」)が組織した産業別統一闘争の実現により、名実ともに春季労使交渉は確立した。また、岩崎・降旗(2018)によれば、同年、それまで予算編成期の秋に賃上げ闘争を行っていた官公庁関連労組が、民間労組と足踏みを揃えるべく、闘争時期を国会の予算審議が行われる春に移したことで、マスコミなどにより「春闘」という言葉が使われ、その後一般的にこの呼称が定着したとされる。2-2. 池田・太田会談、JC春闘―労使交渉方式の確立1964年の私鉄総連と公共企業体等労働組合協議会の統一ストライキ「4・17スト」前日、当時の池田勇人総理大臣と太田薫総評議長による「池田・太田会談」が実現し、政府が公共企業体等労働委員会の決定を尊重することや、公共企業体等職員並びに公務員の賃金等について「民間準拠方式」が採用されるなどの革新的な決定が行われるに至った(岩崎・降旗, 2018)。また、これに伴い、春季労使交渉は日本の経済システムのなかで政府公認の制度となった(高木, 2014)。同年、日本はIMF8条国移行とOECD加盟が認められたことで、開放経済体制への転換を果たした。その直後、鉄鋼、造船、電機、自動車などの開放経済体制に対応した産業が結集して、IMF・JC(International Metalworkers’ Federation-Japan Councilの略、日本語正式名は「国際金属労働組合連盟日本協議会」、後の「金属産業労働組合協議会(金属労協)」)を結成した。IMF・JC結成の意義は、春闘相場のパターンセッターとして、主要企業各社が一斉に労働組合への要求に応える「集中回答日」を指定することで、現在の春闘の賃金波及パターンを確立したことである。より具体的には、IMF・JCに所属するような開放経済体制に対応した産業が1番手として春闘相場を作り、インフラ産業などの国内向け産業や公益産業等のその他産業が2番手、3番手となり、最終的に公務員関係の賃金が決定する、といった流れが出来上がった(岩崎・降旗, 2018)。2-3.連合春闘―労働組合の連衡労働組合は戦前期からイデオロギーの対立によって分裂を繰り返していたが、1960年代後半からは、労働組合自体の組織率の低下(図表1)もあり、徐々に統一への機運が高まっていった。1982年、総評、全日本労働総同盟(同盟)、中立労働組合連絡会議(中立労連)、全国産業別労働組合連合(新産別)の労働4団体を中心に、全日本民間労働組合協議会(全民労協)が発足。1987年には、全日本民間労働組合連合会(全民労連)として各団体が連合体へと移行。1989年に、日本官公庁労働組合協議会(官公労)が全民労連に加盟したことで、日本労働組合総連合会(以下、「連合」)が誕生した。図表1:労働組合員数・推定組織率の推移051015202530354001,0002,0003,0004,0005,0006,0007,0008,00019535761656973778185899397200105091317(出典)厚生労働省『労使関係総合調査(労働組合基礎調査)』より筆者作成(万人)(%)雇用者数雇用者数労働組合員数労働組合員数労働組合員数推定組織率(右軸)(年)44 ファイナンス 2018 Jul.
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