ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
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大臣官房総合政策課 片野 幹/山下 裕介1はじめに「闇夜にお手てをつないでいこう」(太田, 1975)春季労使交渉*2の発案者である太田薫は、各個別企業単位で労使交渉をするのではなく、産業別に各企業が結束して労使交渉を行う産業別統一闘争をこのように表現した。厳密に説明するのであれば、春季労使交渉とは、毎年2~3月に、次の会計年度の賃上げや労働条件の改善についての一連の労使間協議を意味する*3。近年の日本においては、さらなる経済の好循環を実現し、長引くデフレからの脱却を確実なものとするために、賃金の上昇や雇用の拡大等が喫緊の課題であった。そのため、2013年以降、政府を含む労使協議の場として、「経済の好循環実現に向けた政労使会議(以下、「政労使会議」)」が立ち上げられた。詳しくは後述するが、実際に高い賃上げ水準の流れが実現していることを鑑みると、こうした動きは、企業が収益の改善を賃金に反映する後押しとなったという点で積極的に評価できると言われている(山田, 2017)。本稿では、第2章で、春季労使交渉の歴史を辿りながら、労使交渉の社会的役割がどのように変遷してきたのかについて概観する。そして、続く第3章で、これまでの賃上げ率推移についての分析を通して、政府がどのように労使協議に関わり、その結果、春季労使交渉の在り方がどう変化したのかを示す。最後に、第4章及び第5章で、2018年の春季労使交渉が、そうした変遷の延長線上でどのような特色を持つものなのかについて詳らかにしていくことを目指す。*1) 本稿の意見に係る部分は著者の個人的見解であり、筆者の所属する組織の見解を表すものではない。ありうべき誤りは全て筆者個人に帰する。また本稿は、本稿で紹介する論文の正確性について何ら保証するものではない。 本稿につき、コメントをくださった多くの方々に、この場を借りて感謝申し上げる。*2) 本稿では、「(春季)労使交渉」及び「春闘」の意味する内容を峻別せず、全く同じ機能を持つ表現であると定義する。他方、「春闘」は労働組合側から労使間の協議を指す呼称であり、政府の刊行物として公平性を図るという観点から、特に必要な場合を除き、「(春季)労使交渉」という呼称を用いる。*3) 一般的に、春季労使交渉の1年間の流れは、前年9月~11月にかけて企業別・産別レベルでの話し合いが行われてから、12月に連合や金属労協が交渉方針を決定、1月に経団連が春季労使交渉における経営側の指針である「経営労働政策特別委員会報告」を公表し、3月の各企業からの労使交渉集中回答を経て、7月に連合の最終集計が公表されるまでとなる。2労使交渉の歴史本章ではまず、2018年春季労使交渉を理解するため、現在に至る労使交渉の歴史について4つの段階に分けて概観する。ここでは、小島(1975)、岩崎(2015)、岩崎・降旗(2018)などを初めとした先行研究を参考にしつつ、春季労使交渉の成立から、現在の労使交渉に連なる基本的な交渉システムの発生、ナショナルセンターとしての連合の誕生、そして現在の政労使による協力体制が生まれた背景までを描く。2-1.8単産共闘―春季労使交渉の黎明1945年、GHQによる五大改革指令の一つとして、労働組合の結成が促進された。そして、労働三法(労働組合法、労働関係調整法、労働基準法)の制定等を契機として、1950年代以降、労働組合及びその構成員は増加した(図表1)。時を同じくして、政府は、戦後インフレを抑制するために、総需要抑制政策等を盛り込んだドッジ・ラインを実施したが、逆に急激なデフレによる「ドッジ不況」が日本経済を襲った。その後、朝鮮戦争の勃発による朝鮮特需で景気が瞬間的に回復したが、休戦後すぐにリストラや賃下げなどが多発した。こうした1950年前後の激動の経済状況を背景として、多くの企業が経営不振に喘いでいたこともあり、労働組合は企業別での賃上げ交渉に次々と失敗。各組合は、当時一般的であった企業別闘争の難しさを痛感した。こうした中、1955年には、炭労、私鉄労連、合化労連、紙パ労連、電産、全国金属、化学同盟、電気労春季労使交渉―その社会的役割の変遷と2018年労使交渉の歴史的意義に関する検証―*1 ファイナンス 2018 Jul.43
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