ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
37/100

グロ男爵は、1793年2月8日パリ郊外のエソンヌ県エヴリ生まれで、対スペイン・中南米外交を中心に外交官としてのキャリアを歩み、1857年に中国に特命全権委員として派遣され、1858年、アロー号戦争の後に清と天津条約を結んだ後、日仏条約交渉のために来日し、中国に戻った後は天津条約の批准を拒んだ清との間で再度戦火を交え、1860年に改めて清と北京条約を結んでいる。その後、1862年から63年にかけ在イギリスのフランス大使となっている。また、まさに日本に滞在していた1858年9月20日に元老院(上院)議員に就任している。さらに、彼は銀板写真(ダゲレオタイプ)撮影の大家でもあった。彼は、1870年8月17日、パリで死去したが、パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたとの文献*45があったため同墓地の管理事務所に確認したところ、彼の墓はないとのことであった。その後、筆者はナポレオン治世記念物保存協会(ACMN)の2014年の季刊誌にグロ男爵の墓の保存についてパリ近郊のサン=ジェルマン=アン=レイ市に陳情が行われた記録を見つけたので、同市の旧墓地*46を2度探索したが見つからない。最後の望みをかけて、同協会のイヴリヌ県代表委員のアラン・アンデルセン氏*47に連絡をとったところ、同氏の案内で、同旧墓地のほぼ中央、墓地内を区切る擁壁を背に南東を向いたグロ男爵の墓をやっと発見することができた。彼の墓は近年、募銘碑のプレートが落下して破壊されてしまったために、一見して彼のものとは分からない状態になっていたのであるが、高さ2メートルを超える格式のある墓である。アンデルセン氏が持ってきてくれた落下前のプレートの写真を見ると、プレートには、「ジャン=バティスト=ルイ・グロ男爵 ここに眠る 元老院議員 元在中国及び在英フランス大使 レジオンドヌール勲章大十字位 スペインのイザベル・ラ・カトリカ勲章 ギリシャの救世主勲章 等々を有し 1793年2月8日エヴリ=シュル=セヌに生まれ 1870年8月17日パリに死す*48」と刻まれていた。ちなみに、同じ墓地内には、それぞれ別の場所に、グロ男爵の父親のジョゼフ=アントワヌ・グロと母親のアデライド=ヴィクトワール・グロの墓もある。アンデルセン氏が、グロ男爵はオルレアン公と縁戚だと教えてくれたので調べてみると、○オルレアン公ルイ=フィリップ1世の子は、フランス王ルイ=フィリップ1世(1830年の七月革命で王位につく)の父親「オルレアン公ルイ=フィリップ2世」と、アデライド=ヴィクトワール・グロの母親「ブルボン公妃ルイズ=マリ=テレズ=バティルド・ドルレアン」であり、したがってグロ男爵の母親は1830年以降、フランス王の従妹になったこと○グロ男爵の母親のアデライド=ヴィクトワール・グロはブルボン公妃の私生児で、彼女の持ち物だったエリゼ宮(現在のフランス大統領官邸)で秘かに育てられたこと○グロ男爵の父親ジョゼフ=アントワヌは妻の母でもあるブルボン公妃の書記を、フランス革命を挟んで40年間勤め上げたことなども分かり、アンデルセン氏は、グロ男爵が若いうちから外交官としてのキャリアを歩めたのは、本人の能力に加え、こうした親族関係の影響もあると言っていた。墓地を案内頂き、貴重な示唆も頂いたアンデルセン氏にはこの場を借りて深く御礼申し上げたい。(コラム)グロ男爵の墓地探し*45) 西堀昭著「フランス外交使節ジャン・バチスト・ルイ・グロ(1793-1870)について(2)」81頁。*46) Ancien cimetière de Saint-Germain-en-Laye.*47) M. Alain ANDERSEN, délégué régional pour les Yvelines de l’Association pour la Conservation des Monuments Napoléoniens.*48) 仏文ではICI REPOSE LE BARON GROS JEAN BAPTISTE LOUIS SÉNATEUR ANCIEN AMBASSADEUR DE FRANCE EN CHINE ET EN ANGLETERRE GRAND CROIX DE LA LÉGION D’HONNEUR D’ISABELLE LA CATHOLIQUE D’ESPAGNE DE SAUVEUR DE GRÈCE ETC., ETC., ETC. NÉ À ÉVRY SUR SEINE LE 8 FÉVRIER 1793 DÉCÉDÉ À PARIS LE 17 AOÛT 1870と刻まれていた。*49) アンデルセン氏提供の写真。グロ男爵の墓往時のグロ男爵の墓銘碑*49(注) 文中意見にわたる部分は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織の見解ではありません。なお、文中の日付は旧暦は用いず、すべて太陽暦を用いています。 ファイナンス 2018 Jul.33

元のページ  ../index.html#37

このブックを見る