ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
34/100
の禁教のために実施されていた踏絵を廃止すべき旨の規定が盛り込まれていたようであるが、日本側からは、踏絵の習慣は既になくなっている以上、条約において廃止を求めるのは無意味との見解を示し、条約上、踏絵(仏文ではキリスト教に対する冒瀆的な慣行)はすでに廃止された旨が盛り込まれることになった。また、日本側は、フランス人墓地を日本の墓地の中に設けたいと求めたが、何の決定もなされなかったとされている。また、日本側からは、それ以外の教会や宗教的建造物に関しては、外国人居留地の中にのみ建設できることを特に規定してほしいとの求めもあり、これは条約の第4条に反映されている*34。協議は午後5時に終了し、翌日9月30日は新将軍が前将軍の死去後初めて外出し江戸から離れた寺院で儀式を行うとの理由で、次回の日程は、一日飛んで10月1日からとされた。(6)条約交渉会議第4回協議(10月1日)第4回目の協議は、10月1日の午後1時から開始された。フランスの外交官から日本政府への連絡のための言語を定める条約案第21条は問題なかったが、条約の正文の言語を定める第22条で長い議論となる。日本側が修正してきた条約案文は、和文のみを正文とすると書かれており、グロ男爵は、これを受け入れ難いとしつつ、むしろ自分はフランス政府から仏文を正文とせよという訓令を受けており、直前に締結した清との天津条約では仏文を正文としたが*35、自分に全権があることに鑑みて日本との条約では同じことを求めるべきとは考えていない*36と述べる。そして、グロ男爵は、続けて、唯一できるのは、和文、仏文とも正文としたうえで、異議ある場合はフランス外交官と日本政府が友好的に困難を解決するものとし、その際はアメリカやイギリスが正文と認めている日米条約や日英条約の蘭文に拠るしかない、と提案している。これに対して、日本側は、フランス側が日本語に堪能な通訳(メルメ=カション神父)が居て和文をチェックできるのに対して、日本側には仏文をチェッ*34) 同上57頁。*35) 1858年6月27日にフランスと清との間で締結された天津条約第3条は、中国語文と仏文の間で解釈の不一致がある場合には、仏文が優先されると規定している。*36) ただし、江戸会議第4回協議議事録(前掲アンリ・コルディエ著「フランスの日本との最初の条約」58頁)によると、グロ男爵は、「仏文が正文であることは、規定はしないものの実際にはそうであることを条件とした上で」とも付け加えている。*37) 江戸会議第4回協議議事録(前掲アンリ・コルディエ著「フランスの日本との最初の条約」58~60頁)。*38) 同上60頁。クする手段がないので、フランス側全権委員と日本側全権委員は不平等な状態に置かれている、そこで、日本側通訳の森山栄之助に和文を逐語で出来る限り正確に蘭文に訳させ、それをもって解釈の不一致時の正文としようと提案する。グロ男爵は、フランス側にオランダ語を使える人間がいないため今度はフランス側に蘭文をチェックする手段がないと主張し、日仏条約が日英条約とほぼ同内容であることを踏まえ、日仏条約の和文と仏文の間の解釈不一致の場合には日英条約の蘭文を参照することを提案する。日本側は、日英条約の蘭文はフランスのために作られたわけではなく条番号の順序も異なるので受け入れられないと反論、グロ男爵はそれでは困難を避けるためにこの正文の条項は何も書かないでおこうと提案するも、日本側は正文の規定がない条約は完全な条約ではない、と発言する。結局、この問題については合意に達せず、第5回協議に持ち越しとなった*37。条約案本文について一通り協議が済んだため、引き続いて、条約に付される貿易章程の審査に入った。日本側はこの技術的な条文についても警戒心と猜疑心で臨もうとしたので、グロ男爵は、税関規則、船の出入港、差押・没収については日英条約の貿易章程の和文を文字通りに採用しようと提案し、新たな無駄な議論を避けようとする。日本側は少し躊躇したものの、グロ男爵の提案に同意する*38。グロ男爵は続いて、関税率についても米英と日本の間で採用した関税率(従価税)を受け入れるが、その例外として、フランスのワインを、実質的輸入禁止を意味する致酔性リキュールへの35%の高率関税に服させないよう求める。グロ男爵は、イギリス、アメリカ、ロシアが日本との条約においてワインについて触れなかったのは、これら各国がワインを全く生産していないからである一方、フランスは優れたワインの生産国であり他の国に供給をしている上に、致酔性リキュールは健康を害するアルコール類をいうのであって、ワインは大量に飲用しない限りこれに当たらな30 ファイナンス 2018 Jul.
元のページ
../index.html#34