ファイナンス 2018年7月号 Vol.54 No.4
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一方で、第1回目の協議そのものは険悪な雰囲気で始まる。まず議題になったのは、条約の内容そのものではなく、条約締結までの期間、フランス使節団一行が宿舎の真福寺から外出できるかどうかの点であった。この点は、実は前日に日本側の6人の奉行がフランス使節団を訪問した際も議論されていたのだが、第1回目の協議でも、日本側の一番目の全権委員(水野筑後守忠徳と思われる)がこの話を持ち出し、グロ男爵は、むっとして、○使節団一行が囚人のように扱われるのは我慢できない○このような条件を飲むくらいなら江戸を去り何が起きたかをフランス政府に報告する方が一千倍良い○もし日本側が条約締結を望まないのなら、そのように言うべきであって、すでに日本側の要求に何度も譲歩したフランス代表の好意に対して不快かつ侮辱的なやり方で返すべきではない○アメリカのハリス、ロシアのプチャーチン、イギリスのエルギン卿は江戸到着初日から自由に外出できたのに、なぜフランスだけ扱いが違うのかと反論している。日本側は将軍の死去に関する喪の最中というのが唯一の理由と伝えるが、グロ男爵は納得せず、まだ36日も続くではないかと反論する。日本側は、前日、外出しないよう求めた時にグロ男爵がそれを容認したにもかかわらずその直後に随員や士官が予告なく町に繰り出したと答えたため、グロ男爵は、友人たる国民のところに最も好意的な関係を構築しようとして信頼感を持ってやってきた外国人に対し、接触を疑われた人々のように外出を禁じ住居に閉じ込めるような考えを自分は毛頭持ったことがないし、仮にそうしたやり方が日本人に対してなされたらその日本人にとっては侮辱に当たり、そうしたやり方を受け入れないであろう、と反論する。日本側はそうした意図は全くなく、江戸が将軍の死に引き続いて異例の時期にありすべてが例外となっているのだと説明するが、グロ男爵は、フランス代表が江戸に友好的に条約交渉に来ていることも異例かつ例外的ではないかと答え、さらに、喪に服している期間*19) 同48~51頁。この議事録全体の中で、この条約締結前の外出権の問題が最も場所を占めるテーマとなっており、フランス側には、本件についての日本側の執拗なこだわりが相当印象に残ったのではないかと思われる。なお、外出を認めるに当たり、最後に日本側がフランス側に求めた「過大な人数で繰り出さない、別々になって行動しない」等の条件を見ると、6月号掲載分の2(10)で述べた通り、戊午の密勅事件に代表されるように、この時期に国内での攘夷の機運が盛り上がり始めていたため、外国人と日本人との間で無用な事件が発生するのを幕府が恐れていたのではないかと思われる。は日本人も外出しないのかと日本側に尋ねる。日本側は「外出する」と答えたので、グロ男爵は「そうだろう、それなら、なぜ根拠もなくこのような執拗さで我々に反対するのか。また、日本側が我々と条約交渉したくないのなら、その権利はもちろんあるがそう率直に言うべきであり、もう自分は(宿舎から撤収して)軍艦に戻る」と啖呵を切る。それから、グロ男爵は、フランスの日本に対する状態は友好的かつ平和的であること、フランスを侮辱した清に対して強制したような砲艦外交で条約を強制しに来たわけではないことを説明し、日本政府がこの状況とフランス政府の誠実さを理解しないなら、日本を去ると伝える。これに対して第一の奉行(水野筑後守忠徳)は反論して声を荒げるが、第二の奉行(永井玄蕃頭尚志)は「グロ男爵は前夜までに日本側に予告すればいつでも外出可、随員・士官は条約締結以降でなければ外出不可だが好奇心からではなく用務があれば外出可」とのメモをグロ男爵に渡す。当然、グロ男爵はこのメモに不満で、このメモが将軍の目にすぐに触れるよう自分の見解を添えて宰相(井伊大老)に自分からすぐ届けると予告する。この予告に対し、外出を認めるかどうかについてその場において奉行間で議論がなされ、奉行間でも議論が分かれたようだが、グロ男爵は、日本は極東で最も教養がある国で、フランス人は日本人に対して多くの敬意と共感を有しており、そうした敬意があるゆえに、皇帝ナポレオンは日本と平和友好条約を結ぼうとしているが、(外出に関して)こうした取扱いをするならそうした日本人への共感は大きく変わるだろうしフランス側の好意の感情は消し去られるだろう、と畳み掛ける。結局、日本側は譲歩し、過大な人数で繰り出さない、別々になって行動しない等の条件を求めるのみで、すべての外出を容認したので、フランス側は満足する*19。そして、ここで、遅刻した第六の奉行(駒井左京頭朝温又は野々山鉦藏)が到着し、やっと本題の条約交渉に入る。 ファイナンス 2018 Jul.27

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