ファイナンス 2018年6月号 Vol.54 No.3
86/96

私の週末料理日記その225月△日 連休新々いわゆる黄金週間ではあるが、旅行の計画の検討に取り掛かるのが遅れたので、結局どこにも出かけないことになった。スポーツジムに行けばいいのだが、最近年齢のせいか、ジムに行くと翌々日から二日ぐらい筋肉痛がひどい上に、夜中に足がつってしまう。無理はするまい。そうなると、ネット配信の映画を観るか、昔買ったまま読まずに積んである本を書棚から引っ張り出して寝転んで読むかである。昨日は、B級のアクション映画と刑事ドラマとやくざ映画で一日つぶしてしまった。今日は朝早く目が覚めたので、寝床で「上海1930年」(尾崎秀ほつき樹著、岩波新書)を読む。ご案内のように尾崎秀樹は、ゾルゲ事件で死刑に処せられた尾崎秀ほつみ美の異母弟で、文芸評論家として大衆文学評論を中心に幅広く活躍し、日本ペンクラブ会長、日本文芸家協会理事も歴任した。ゾルゲ事件に関しては、兄尾崎秀美を裏切ったのは、伊藤律であるとの見解を取っている。伊藤律は、元日本共産党員で中国に密航したが、党内の路線対立で共産党を除名され、中国で25年以上監禁され、1979年に帰国した。現在では、伊藤律は警察のスパイではなかったとの説が有力である。さて、同書によれば、尾崎秀樹は1928年に朝日新聞上海支局に赴任した。そして1932年上海事変の最中、社命により帰国する。この間尾崎秀美は、「目覚めつつある中国の現実」に触れつつ、北京で内山書店を営み日中の文化人の交流の核となっていた内山完造、魯迅、米国出身の女流国際ジャーナリストでコミンテルンに近かったアグネス・スメドレーなどと知り合う。魯迅は、左翼作家連盟に重鎮として参加しており、尾崎も夏衍等左翼系の作家たちと交流し、雑誌に寄稿したりしている。そしてスメドレーを介して、30年に上海入りしたリヒアルト・ゾルゲを知るのだ。ゾルゲは赤軍第四本部から派遣されていた。ゾルゲと尾崎は、満州事変後日本が世界共産主義の支柱であるソ連の脅威となることを憂慮し、親交を深め、尾崎はゾルゲの協力者となる。(筆者注:やがて近衛文麿の側近となった尾崎は、ゾルゲの活動に協力し、ゾルゲ諜報国に参加して、機密情報を入手し提供するようになる。支那事変が勃発すると、蒋介石の国民政府との講和や不拡大方針に反対する論陣を張り、日本と蒋介石を徹底的に戦わせて、両者が講和してソ連に矛先が向かわないようにさせたのである。)当時の上海は、本書の中で、後にゾルゲ事件に連座して十年の刑をうけた河合貞吉が語るとおり、数十階のビルディングが立ち並び、洋風のレストランやキャバレーやダンスホールが軒を連ねる「全く西洋の町」であり、その帝国主義の牙城に「中国共産党が拳銃に火を吐かせながら肉薄」しつつあって、「革命前夜の様相」であったろう。しかし本書の筆致は、あくまでも情緒を抑えた坦々としたものであり、足掛け4年間の上海の日々が流れるように記されている。「1930年前後の上海での尾崎秀美の行動を探ってみたい」、「虚構や類推でなく、…原資料に基づき、マテリアルなものに語らせることで時代を再現したかった」という著者の長年の思いや、登場する人物の多くが知識人ということによるのだろう。スリリングな感じはないが、読後感は悪くなかった。特に魯迅をめぐる章はよかった。いずれにせよ、本の帯の「“魔都”を舞台に描く青春群像」という表現はやや的外れであろう。…。と、勝手なことをぶつぶつ言っているうちに目覚ましが鳴った。休日とはいえ、10時になったらベッドから起きるべきだと、一大決心をして立ち上がる。居間におりてパソコンを相手にラジオ体操。第一と第二と両方やると結構疲れる。身支度をしたら、散歩がて82 ファイナンス 2018 Jun.連 載 ■ 私の週末料理日記

元のページ  ../index.html#86

このブックを見る