ファイナンス 2018年6月号 Vol.54 No.3
43/96

チャツカにたどり着いた経緯、彼の衣装や髪型、彼がヘビースモーカーであること、彼が饒舌でロシア語も充分話せるが会話のためには彼の発音に馴れる必要があること、彼の質素さが気に入ったこと、彼に頼んで日本の小判、一分銀、銅銭を見せてもらったことなどが書かれている。この大黒屋光太夫は、その後、オホーツクにいたスウェーデン系フィンランド人キリル・ラクスマンに連れられサンクトペテルブルグまで行って女帝エカチェリーナ2世と謁見し、帰国を許される。そして、キリル・ラクスマンの次男アダムは、光太夫を日本に送還し、かつ、通商交渉を求めるため1792年に根室に来航する。翌年、松前藩は、幕府の指示を受け、光太夫ほか1名を引き取り、通商交渉を求めたラクスマンに長崎への入港許可証を与え長崎に行くよう促したが、ラクスマンは長崎へは行かず、オホーツクに帰っている。続いて、1804年秋に再びロシアのニコライ・レザノフが特使として来日。彼は、半年間待たされた上、翌1805年4月に長崎奉行遠山景晋から通商交渉の拒否を伝えられ長崎を去っている。この時の経緯の一部は、その際長崎出島のオランダ商館に居たオランダ人が、当時仏領であったモーリシャスに寄った際に、喜望峰以東仏領総督(仏領インド総督)であったシャルル=マテュー・イジドール=ドゥカンの求めに応じて1806年1月に作成した短い報告の中で述べられている*5。彼は、長崎奉行がロシア船に遣わした日本側責任者及びオランダ商館長ドゥーフとともに通訳としてロシア船に赴き、レザノフが日本と同盟・友好・通商条約を結びたい意向であることを知る。また、彼はロシア側に武器弾薬の類を置いてくるよう助言するもレザノフは体面を保つため帯剣及び12丁の銃を携えて来ることを主張し、長崎奉行は受け入れたが、翌日になるとロシア側が敵意を見せた場合に下船することを阻止すべく驚くべき数の軍船と野営する2万人の武士が現れたという話も述べている。さらに、ロシア皇帝からの信任状は江戸に届けられることになったが、レザノフは下船上陸がほと*5) アンリ・コルディエ著「フランスの日本との最初の条約」(1912年)(《Le Premier traité de la France avec le Japon》 par Henri Cordier)6~9頁。*6) このとき、オランダ共和国総督だったオラニエ公ウィレム5世は一家でイギリスに亡命している。*7) 前掲アンリ・コルディエ著「フランスの日本との最初の条約」11頁には、アメリカ船エリザ号の船長スチュアート自身も直接長崎での取引を望んだが、日本側に拒否されたとある。んど許されず、病気になった時に一時間だけ無人島への上陸が許された、といったことも述べられている。このオランダ人は、1804年11月9日に長崎を去ったため、日本側の通商交渉の拒否のところまでは述べていないが、この報告は、フランス人が、ロシアとの通商に対する厳しい日本の態度について知る最初の機会になったと思われる。ところで、ここまで「オランダ商館」について、あたかもオランダが完全な独立国であるかのように述べてきたが、1789年のフランス革命からしばらくして、フランス革命軍がオランダ地域を占領し、1795年にはフランスの衛星国であるバタヴィア共和国が樹立され、オランダ共和国は事実上消滅していた*6。しかしながら、長崎出島のオランダ商館では、オランダ国旗を掲げ、あたかもオランダが存続しているかのように装い、日本との関係を続けていた。実は、1797年、初のアメリカ船エリザ号が長崎に寄港しているが、これはバタヴィア共和国がイギリスと戦闘状態にあり、船舶を送れなくなった中、ジャワ島バタヴィア(ジャカルタ)のオランダ東インド会社が、アメリカ船の同号と傭船契約を結んだものである*7。こうしたところにも1789年のフランス革命とそれに続くフランス革命戦争の影響が見て取れるが、この時期、欧州全土で戦闘が続いていたことから、フランスやそれに敵対するイギリスをはじめとして、しばらくの間、欧州諸国の目は極東の地から遠ざかっていたのではないかと思われる。しかしながら、1808年、フランス革命戦争に引き続いて発生したナポレオン戦争の影響がついに日本に現れる。イギリス海軍フリゲート艦フェートン号が、敵対するフランスの実質支配下にあるオランダ船の襲撃を目的として、オランダ国旗を掲げて長崎に入港、オランダ船だと思って近づいたオランダ商館員が人質に取られ、人質と引き換えに薪水や食料を要求し、要求が容れられなければ長崎港内の船を焼き払うと通告してきたのである。しかし、当時、長崎警備の担当だった佐賀鍋島藩は守備兵力を規定の人数から相当数減らしていたため全く対応できず、結局、フェートン ファイナンス 2018 Jun.39

元のページ  ../index.html#43

このブックを見る