ファイナンス 2018年5月号 Vol.54 No.2
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(出生力転換)に要した期間は、フランスでは100年以上、スウェーデンでは約80年、ドイツでも50年強ですが、わが国ではわずか11年という短期間でした。これが、その後のわが国における急激な人口の高齢化、つまり総人口に占める65歳以上の老年人口の割合の急激な増加を招きました。その後、1960年から1970年代半ばまでTFRは2.0~2.1とほぼ置換水準で推移しましたが、1975年にTFRが2.0を割り込んで以降、わが国の出生率は置換水準を大きく下回る「少子化」の時代が続いています。1980年代には、TFRは約1.7~1.8、1990年代には1.4~1.5、そして2000年代にはTFRは約1.3という超低水準にまで低下し「超少子化」の時代となりました。しかし、2010年代に入るとTFRは若干持ち直して約1.4で推移しており、超少子化は一段落しているように思えます。付け加えますと、TFRが長期にわたり1.5を割り込んだ国で、その後TFRが1.5を大きく超えて順調に回復したという例は今までのところありません(カナダは唯一の例外です)。この理由については様々な説がありますが、よく知られているのが「低出生率の罠仮説(Low Fertility Trap Hypothesis)」です。これは、簡略に言うと、出生率が長期間非常に低い水準に落ち込み続けた社会では、それに合わせて人々の意識やライフスタイルが変わってしまい、そこから抜け出すことが困難になるというものです。1970年代の第二次ベビーブーム以降、わが国では出生率と出生数の目立った増加は起きていません。大まかに言うと、出生率が置換水準以下の時代に生まれた女性が、置換水準以下でしか子どもを生まなかったとき、人口は減少を始めます。したがって、1970年代半ば以降の少子化のもとで生まれた女性が非常に低い水準でしか子どもを生んでいないわが国では、そのスピードやスケールについて確言はできませんが、人口は今後相当期間にわたり減り続けると予想されます。少子化と人口減少に対応するための政策的努力は続けられているものの、わが国の社会システムは人口が減り続けることを想定して設計・構築されていません。この意味で、わが国の社会制度は難しい状況に直面していると言えます。図2には、日本の年齢別出生率の1947年から2015年の推移が示されています。TFRは年齢別出生率の合計ですので、言い換えれば、この図の各年度の線の内側の面積がTFRにあたります。この面積の大きさと年齢パターンの変化にご注目ください。1947年から1960年にかけて、年齢別出生率により囲まれる面積は大きく縮小しています。これは主に15~24歳の女性の結婚が減少したことによると考えられます。一方、1960年と1975年は面積がほぼ同じであるだけでなく、年齢パターンも似通っており、1947年と比べて30歳代以上の出生率の低下が顕著になっており、これは結婚している女性が出生力を意図的に抑制した結果と考えられます。つまり、1947年には一人目の子どもを生んだ後、二人目、三人目…と続けて生んでいたところ、1960年から1975年には二人目で生むのを意図的に止めるようになったことを示唆しています。2000年代に入ると年齢別出生率で囲まれる面積はさらに小さくなり、2010年代には20歳代後半より図1 合計特殊出生率(TFR)と出生数の推移:1947年-2015年0.00.51.01.52.02.53.03.54.04.55.005010015020025030019471952195719621967197219771982198719921997200220072012(万人)TFR図2 年齢別出生率の推移:1947年-2015年05010015020025030015-1920-2425-2930-3435-3940-4445-49(Rate per 1,000)194719601975200020102015 ファイナンス 2018 May51シリーズ 日本経済を考える 77連 載 ■ 日本経済を考える

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