ファイナンス 2018年5月号 Vol.54 No.2
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戦場に散った英霊に報いるために継戦が必要であり、それが日本人の精神だとなおも懇願する。しかし米内は、国際政治に精神論は通用せんと撥ねつける。しかし鶴田浩二演ずる大西次長は、(あの独特の哀しげな声、悲しげな表情で)「今、聖上が和平をお選びになるとしたら、戦没将兵の魂に対して裏切りをなさるということになるんです。あなた方は陛下に誤った道をお勧めしようとしているのです」と退かない。そして、「貴様は、1億国民の滅亡を望んでいるのか」と叱りつける米内に、「自分は国家の責任ということを申し上げているのです。生きている者も大切でしょうが、死んだ者の魂のことも考えてやらねば、国家の責任は果たされません。特攻隊の霊にすまんと思われんのですか」と迫る。これに池部良演ずる米内は、「無礼なことを言うな」と一喝し、「国政に参与する海軍大臣に個人の感情はない」と厳しく言い放つのである。鶴田浩二と池部良の迫真の演技は見応えがあった。台詞もよく練られていた。この映画のもう一つの見せ場は、最後の御前会議の前に、憔悴しきった大西が、迫水内閣書記官長を相手に涙声で語る「泣き」の場面だ。聖旨を体してポツダム宣言受諾に大勢が決した後も、大西は「せめてあと一ヶ月何とか持ちこたえられませんか」「一ヶ月持ちこたえられれば、いい知恵も浮かぶ(そして必勝の策を上奏して陛下のご再考を願うこともできる)と思うんです」と軍令部総長や閣僚に懇願するが、相手にされない。折からの敵艦載機来襲の報に皆が退避する中で、一人残る大西を気遣う内閣書記官長に、大西は涙声で訴えるのだ。「国民は好きで(この戦争を)始めたんじゃないんです。国家の戦争なんです。国と国の戦いということは国家の元首の戦いということなんです。日本はそこまで死力を尽くして戦ってきたのですか。負けるということはですよ、陛下御自らが戦場にお立ちになり、至尊も閣僚も我々幕僚も全員米軍に体当たりして倒れてこそ、初めて負けたと言えるんじゃないですか。和平か否かは残った国民が決めることです。私はそうなることを信じて特攻隊を飛ばしたんです…」。歌舞伎調というか仁侠映画風というか、いかにも日本映画的な泣き語りであるが、結構シビれる聴きどころである。映画としてはここで終わってもよかった。菅原文太演ずる小園安名大佐の厚木航空隊の叛乱や大西の自決の場面はなくてもよかった。とはいえ、観終えた後、私は前述の二つの見せ場を頭の中で何度も反芻し、なぜかため息を漏らしたのであった。映画を観終えて、ぼんやりしているともう夕方である。そろそろ夕食の支度にかからなくてはいけない。朝の買い物時には、晩のおかずは魚醬とにんにくとライムを利かせた東南アジア風の肉野菜炒めにしようと思っていたのだが、ちょっと気分が違う。あっさりしたいわけではないのだが、もう少し日本風なものがいいなあ。先刻の映画の中で、フィリピンの海軍航空隊の基地の場面、粗末な建物の一室、大西と幕僚や隷下航空隊の幹部等がカレーライスを食べていたのが想起された。今晩は、カレーにしよう。少しだけフィリピン的な感じも出したいところだ。フィリピン料理というと、実は私は全く詳しくないのだが、印象的には豚肉主体でそれも内臓まで使うような気がする。冷蔵庫に先日知り合いの人にいただいた豚もつの真空パックがあったな。あれを、野菜炒め用に買った豚の極薄スライス肉と一緒に使おう。冷蔵庫の豚もつは、煮込みや焼肉用の醤油味がついているものだけれども、カレーなら少々下味がついていても、かえって隠し味になっていいかもしれない…。キャベツと人参のコールスローサラダと、らっきょうを添えて、豚もつ入りカレーを食す。カレーだからどう作ってもうまいに決まっているのだが、結構おいしくできた。煮込んで半分溶けてしまった豚肉と玉ねぎの中に、豚もつと茸が浮かぶ食感。カレー粉と生姜のえも言われぬ風味。洋風のコンソメと和風の麺つゆと各種具材と各種調味料の醸し出す、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味が一体となった味わい。醍醐味である。予想されたことではあるが、私は欲望のままにご飯とカレーを二度もおかわりし、家内から厳しく説諭された。私は鶴田浩二ばりの、哀愁を帯びた声ともの悲しげな表情で言い訳をしたつもりだったが、一顧だにされなかった。今や鶴田浩二の時代ではないらしい。 ファイナンス 2018 May47新々 私の週末料理日記 その21連 載 ■ 私の週末料理日記

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