ファイナンス 2018年5月号 Vol.54 No.2
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巻頭言語りかけてくる 歴史・小説作家諸田 玲子皆さまは歴史小説、時代小説がお好きでしょうか。私は新聞・週刊誌・月刊誌などで連載小説を書いていますが、70数冊の拙著の中で明治・大正・昭和を舞台にしたものは5冊だけ、それ以外は平安、戦国、江戸、幕末の歴史・時代小説です。若い頃は歴史が大の苦手でしたから、自分でも不思議というほかありません。私は静岡市で生まれました。父は銀行員で母は専業主婦。小さいながらも当時は珍しかった洋風の家で育ち、日曜には近所の教会へ通い、テレビは海外ドラマ、本は海外ミステリー、キャリアウーマンに憧れて英文科へ進学、外資系企業へ勤めて……と、小説家になるとは夢にも思いませんでした。それが40を目前にして突然、天啓のように書きたくなったのです。リストラをされ離婚もして何もかも失ってしまったからでしょうか。長い歳月、色褪せることなく記憶に刻まれていながら、そのときまで思い出そうともしなかった光景がなぜか浮かんできました。それは小学校へ入る前、母に連れられて母方の祖母の実家を訪ねたときの光景です。黒光りのする階段を上り、迷路のような廊下をめぐって、広い座敷へ出ました。そこには床の間を背にして、明るい光の射しこむ座布団の上に、着物姿の老女が背筋をシャンと伸ばして座っていました。小柄なのに辺りを払う威風に気圧されて縮こまっていた私は、母に脇をつつかれてお辞儀をしたのを覚えています。この老女が、清水の次郎長の姪で養女になった女の娘で、母の祖母だということも、あの家がかつて次郎長が4円で買い与えた千畳楼という遊郭だったことも、後年になって知りました。講談や時代劇の次郎長は切った張ったの親分ですが、晩年の次郎長は、新聞の連載小説『波止場浪漫』で書いたとおり、山岡鉄舟の知己を得て、波止場の船宿で海軍士官たちと親交し、蒸気船の建造に意欲を燃やしたり、清水港で初の英語塾を開いたり、はたまた西洋医を招いたり……と、地元の名士として慕われました。イカサマ博打に喧嘩三昧の顔も次郎長なら、浮浪者を見れば自分は褌ひとつになって着ぐるみをあげてしまう、近所の子供たちに配るためにいつも山ほど飴玉を袂に入れていた好々爺も、また次郎長の偽らざる姿です。大政や小政、森の石松やおちょうの小説を書いたのは、時代の波に乗りきれずに落ちこぼれてしまった男女の、愚かしくも切実な人生が愛しく思えたからです。家康の正室の築山殿も、信長の正室の帰蝶も、井伊直弼の愛人の村山たか女も、将軍綱吉から柳沢吉保に下賜された染子も……悪女ばかりですねと言われながら書きつづけてきたのは、人間をひとつの型にはめてしまう既成概念に憤り、血の通った男女として私なりに描き直したかったからです。人には数多の顔があり、時代と共に、あるいは相手によって、めまぐるしく変貌してゆきます。人物だけではありません。歴史そのものも見方によって変わります。水面に小石を投げれば水の輪が広がってゆくように、そしてそれが幾重にも絡み合い影響しあって連綿とつづいてゆくように、時代や見る者の目によって万華鏡のように変化してゆきます。歴史小説の面白さとは変貌自在なところ……無駄に見える些末なことから思わぬ事実が見えてきたり、寄り道をしているうちに絡んだ糸がほぐれてゆくところにあるような気がします。今は何事も効率が第一、無駄や寄り道は眉をひそめられます。グローバルなコミュニケーションばかりに重きが置かれて、歴史も小説も疎かにされているような気がしてなりません。若い頃の私もそうでしたが外にばかり目を向けていても、コミュニケーションやスキルの上達に邁進するだけなら、やがてAIにとって代わられる日が来るでしょう。大切なのは、何を考え何を話すかという頭の中身と情緒や思いやりといった心の中身――無駄や寄り道が教えてくれる人間ならではの豊かさではないでしょうか。小説は微力ですが、その力は侮れないと私は信じています。ファイナンス 2018 May1財務省広報誌「ファイナンス」はこちらからご覧いただけます。

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