ファイナンス 2018年5月号 Vol.54 No.2
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評者廣光 俊昭*1植原 亮 著自然主義入門知識・道徳・人間本性をめぐる 現代哲学ツアー勁草書房 2017年 定価2,800円(税抜)「神の道徳論的証明」:「人間が…〔道徳的〕法則のもとにおいて、自分の究極目的を設定し得るための主観的条件は、幸福である。それだから世界における最高の自然的善、即ち我々〔人間〕に関する限り究極目的として促進されるところの善は、取りも直さず幸福44である。そしてかかる意味での最高の善〔幸福〕は、人間が道徳的法則と合致するための客観的条件―換言すれば、幸福に値するという条件のもとに摂せられるのである。しかし道徳的法則によって我々に課せられた究極目的のかかる二通りの要求が、単なる自然原因によって結4合せられ4444しかもこの究極目的の理念に適合すると考えることは、我々の有するすべての認識能力にかんがみてまったく不可能である。…それだから道徳的法則に適うような究極目的を設定するためには、是非とも道徳的世界原因(世界創造者)を想定せざるをえないのである」(カント『判断力批判』(1790年)、篠田英雄訳)カントによる神の道徳論的証明といわれるものである。1)個人の目的が幸福であること、2)人は道徳法則に則って行為することで、はじめて「幸福に値する」ものとなること、この二つの条件が自然に結合することは不可能であるから、きっと神が存在するに違いない、というわけである。このくだりを読んで読者はどのような思いを抱くだろうか。評者にはカントが無謀な企てにからだを張っているように感じられ、カントひいては我々人間がとても哀れなものに思えてきたことがある。この二つの条件が自然に結合することは、いまとなってはよく知られていることである。「進化」のことを考えさえすれば、利己的な個人が同時に利他性を持つことは理解可能である。淘汰の過程では利他性が有利に働くからである。なにか超越的なものを持ち出すまでもなく、自然が謎を説明するのである。自然主義とはなにか:『自然主義入門』は、哲学や脳神経科学の研究者である、関西大学の植原亮准教授による著作である。著者によると、自然主義とは「この世界は自然的世界であり、そこには自然を超えるものは何も含まれていないし、人間も、したがって人間の心もまた、それを構成している部分にほかならない」という考えである。「第一哲学」という言葉が表すように、哲学は万学の基礎学として真理への特権的アクセスを持つと標榜してきたものだが、この自然主義に立つ哲学者においては、哲学を科学と緊密に結びつけようとする。『入門』は、様々な論者の間を渡り歩くこと(ツアー)を通じ、この自然主義の骨格を要領よく描き出している。例えば、道徳の由来について、道徳に特化した生まれつきの要素の存在を肯定する論(道徳生得説)と、道徳はあくまでも経験的に形成されるものとする論(経験論)とが対照されている。道徳的判断は直観的に下されることが多い。世界を見渡すと、道徳に含まれている内容はかなり普遍的である。道徳のこれらの性格を説明する上では生得説に利点があり、生得説は学界の趨勢でもあるという。生得説を展開させていく先には、「モジュール集合体仮説」という説があらわれる。人間の心には、様々な課題への対応の型を織り込んだ「モジュール」が組み込まれており、人間の心はそのモジュールの集合体からなるという説である。『入門』は、生得説の展開を跡付けるにとどまらず、経験論の立場から生得説を批判的に吟味することを通じ、問題の多面的理解に資するよう配慮している。数や論理といった抽象概念は、我々が生得的、アプリオリに持っている概念であると思いがちだが、生まれてからの経験、特に母語の習得が、これら基礎的概念の獲得に大きな役割を果たしているという考えに触れている。そして、生得説と経験論を統合する見地から、我々が直観、熟慮という二種の心のシステムを持つとする、「二重プロセス理論」へと論を進めている。超越から隔てられた人間とその希望:ここでいう経験論とは人間の心の能力を自然的世界からの経験により*1) 財務総合政策研究所客員研究員36 ファイナンス 2018 MayFINANCE LIBRARYファイナンスライブラリーライブラリー

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