ファイナンス 2018年4月号 Vol.54 No.1
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一方、西宮は「灘の生一本」で知られる「灘五郷*2」の一画に位置し、国内の大手日本酒メーカーの本社、酒蔵が点在します。毎年2月から3月にかけて西宮市内の6つの蔵元が蔵開きを行い、できたての新酒を味わったり、酒蔵を見学したりと多くの観光客で賑わいます。●尼崎城(尼崎市)江戸幕府が元和3年(1617年)に当時の藩主戸田氏鉄に命じて築城させたのが尼崎城で、今年は築城400年にあたります。明治6年(1873年)の明治政府による廃城令により、尼崎城は取り壊されましたが、現在、尼崎を創業の地とする大手家電量販店の創業者が10億円の私財を投じて当時の本丸の4分の1のスケールで尼崎城を再建しています。完成後は尼崎市に寄付され、尼崎市も「尼崎城プロジェクト」と銘打ち、市の歴史的シンボルとしてシビックブライトの醸成に繋がるように様々な取組みを行っています。尼崎城の再建場所は元の本丸からは北西約300メートルに位置し、当支署からは歩いてすぐの場所です。平成30年中の完成を目指しており、支署職員は毎日完成途上の尼崎城を眺めながら出勤しています。*2) 灘五郷とは、日本を代表する酒どころの一つで、西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津豪の総称で、神戸市灘区、東灘区、西宮市に亘る地域を指します。●近松門左衛門ゆかりの広済寺(尼崎市)広済寺江戸時代に活躍した浄瑠璃・歌舞伎作家、近松門左衛門。「東洋のシェークスピア」とも呼ばれ、江戸文禄文化においては井原西鶴や松尾芭蕉と並び称されています。代表作は「曾根崎心中」。その近松門左衛門の墓所が広済寺にあります。荒廃していた広済寺の再興に関わる協力者の一人が近松門左衛門だと言われており、本堂裏には「近松部屋」と呼ばれた小屋まで建てられたそうです。お寺に隣接して「近松記念館」があり、彼の文机や掛け軸などゆかりの品が展示されています。●尼ロック(尼崎市)正式名称は「尼崎閘こう門もん」。閘門とは水位の異なる水面で前後の2つの水門を交互に開閉することにより、潮位の高い海水が運河内に流れることを防ぎながら船が航行できるようにした水門のことです。尼ロックのしくみ海側閘室内の水位が海側の水位と同じになり、船は安全に通航できる。船が閘室に入ったら後ろの扉を閉め、後ろの扉が完全に閉まったら、前の扉を開ける。まち側・・船が近づいて来たら後ろの扉をあけて閘室内の水位をまち側と同じにする。・・通常は海側の方が水位が高くなっている。こうしつ閘室ぜんぴ前扉こうひ後扉尼崎城完成予想図近松門左衛門の墓所蔵開きの様子 ファイナンス 2018 Apr.63連 載 ■ 各地の話題

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