ファイナンス 2018年4月号 Vol.54 No.1
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際クルーズ拠点港」に清水港が選定されたことを受け、現在、清水港を管理する静岡県と香港に拠点を置くクルーズ船運航会社「ゲンティン香港」社とが連携し、旅客ターミナルビルの改修・整備計画が進行中です。清水港へのクルーズ船の入港数は、年々増加しており、富士山が世界文化遺産に登録された2015年が13回、2016年が18回、そして昨年2017年は38回と大幅に増加しました。現在、静岡県は2020年には年間90回、2030年には175回までに引き上げることを計画中です。静岡県、静岡市、港湾関係団体などは、清水港と周辺地域の街づくりを推進するため、平成30年4月に「清水みなとまちづくり公民連携協議会」を設立し、国際クルーズ船の寄港数が増加している清水港の更なる開発を目指すこととしており、今後、清水港周辺地域の更なる発展が期待されます。清水港へ入港するクルーズ船静岡名産品の販売コーナー4管内の名所○清水次郎長生家清水と言えば、清水の次郎長です。その生家がその名も「次郎長通り」という商店街にあり、次郎長や大政・小政の写真、次郎長が使った道具類、資料などが展示されています。居間なども当時のまま保存されています。ちなみに、次郎長の本名は山本長五郎です。山本次郎八の養子で、次郎八の息子の長五郎なので、「次郎長」と呼ばれていることはご存知でしたか?○梅蔭禅寺開山は足利時代と伝わる名刹です。境内には、1893年(明治26年)に亡くなった清水次郎長、子分の大政・小政や女房お蝶のお墓があります。境内には次郎長の銅像が建てられ、その向かいには愛用の着物や煙官、小政の木刀などを展示する次郎長資料館があります。○清見寺約1300年前の白鳳時代、東北の蝦夷に備えて設けられた関所「清見関」が始まりと言われています。室町時代には足利尊氏公も崇教し、官寺と定め全国十刹の中に置かれ保護されました。江戸時代には徳川氏の庇護を受け、東海道沿いにあることから、朝鮮通信使の接待が行われました。寺には朝鮮通信使が書いた漢詩や絵画など残されています。風光明媚な高台にあり、雪舟や夏目漱石など多くの文人が訪れたとされています。○興おき津つ坐ざ漁ぎょ荘そう明治から昭和にかけて活躍した元老・西園寺公望が、70歳になった大正8年(1919年)に、風光明媚な清見潟に臨む清見寺に老後の静養の家として建てられた別邸を忠実に復元したものです。(別邸そのものは、老朽化のため、現在、愛知県の明治村に移転され、国の重要文化財として公開されています。)のんびりと釣りでもして過ごすという意味を込めて「坐漁 ファイナンス 2018 Apr.59連 載 ■ 各地の話題

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