ファイナンス 2018年4月号 Vol.54 No.1
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私の週末料理日記その203月△日土曜日新々今日は、家の連中は何やらいう韓流男性俳優のファンの集いだかコンサートだかに出かけるとかで、朝から異常にハイテンションである。それに巻き込まれるとろくなことがないので、寝室に逃げ込んで、テレビをつけてみたものの、どの局も鬱々となるような報道である。早々にテレビを消して、私が書斎と称している、二畳ばかりの隙間に潜り込もうとすると、いつの間にか子供のスキー板とか旅行鞄とか小学生の時の服やらが雑然と押し込まれていて、足の踏み場もない。整頓しようとしたら、積み上げていた本が崩れて頭の上から落ちてきた。やり場のない怒りに顔をゆがめながら、不自由な姿勢で散らばった本を何とか収拾するうちに、埃にまみれた懐かしい本を見つけた。山本健吉著「大伴家持」(筑摩書房日本詩人選5)。裏表紙には私の下手な字で購入の日付が書いてある。大学に入学する年の3月である。18歳の頃はこんな本を読んでいたのかと驚く。山本は言うまでもなく折口信夫門下の文芸評論家であり、古典詩歌に精通する一方、現代文学も幅広く論じた。戦後日本芸術院会員、日本文藝家協会理事長、会長などを務めたが、戦前は、改造社に籍をおき、プロレタリア文学関係者とも交流したという。偶然発掘した本を手にベッドに寝転んで、ぱらぱらめくるうちに、当時一生懸命読んだ跡はあるが、それから四十余年を経て私の頭には何一つ残っていないことがわかった。それはそれとして、折り目のついたページを開けると、有名な三首があった。春の憂いを歌った家持の絶唱といわれる三首である。春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも我が屋戸のいささ群竹ふく風の音のかそけきこの夕へかもうらうらに照れる春はる日ひにひばりあがり情こころ悲しも独りし思へばそして、三首目の歌について家持が漢文で日記に付した解説には、「春日遅々として鶬そう鶊こう正に啼く。悽せい惆ちゅうの意、歌に非ざれば撥ひ難きのみ。すなはちこの歌を作り、式もちて締てい緒しょを展のぶ」とある。鶬鶊(そうこう)とは鶯のことだろう。自分の傷み悲しい心情は、歌によらなければ払いのけることが困難であるから、この歌を作り、絡まった気持ちを晴らすことにしたというような意味ではなかろうか。山本は、「家持は、春の風物に人をして物を思わしめる要件を見た。…(万物生成の春は)…歓楽の季節の頂点であり、…かえって凋落の底辺を思わせるのである。」としている。そして山本は、歌によらなければ払い除けることの出来ない家持の悲しみを、当時家持が置かれていた外的条件(大和朝廷以来の名族である大伴氏は、当時藤原仲麻呂や種継等藤原氏に次第に圧倒されつつあった。)に求める説を否定し、彼の心事の欝いぶせ悒さの根源は、彼が深く人間存在の悲しみを体したところに発していると説く。父大伴旅人の「よのなかはむなしきものとしるときし いよよますますかなしかりけり」という歌に籠められた思いを継承するものだったとする。山本ほどの碩学が説くのであるから、勿論そうであろうと思うものの、うららかな春の風景を見て、悽惆の意、払い除けることができない悲しみに包まれるというのは、やはり尋常ではないのであって、なにか具体的な心痛の種があったのだろうと考えてしまう。しかし、具体的な心痛に伴う痛みと、山本の指摘するところの、家持の「うらがなし」とか「こころかなし」という心情とは少々異なるような気もする。家持は、愛する人との死別、一族の凋落、政変に巻き込まれた朋友の悲運など世俗の様々な悲しみを経た。そして、春の日がうらうらとし雲雀が舞い上がる季節には、ど56 ファイナンス 2018 Apr.連 載 ■ 私の週末料理日記

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