ファイナンス 2018年4月号 Vol.54 No.1
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2014年10月の設立協定の文言を確定させる署名式の後、2015年に入り各国の議会などによる協定承認手続きが進められました。課題によっては任期中に前進が見られず(2014年冬~2016年春)前々回、前回述べましたように、(ア)経済サーベイランスの質を上げることと、(イ)CMIM(通貨危機対応・防止メカニズム)への関与の制度化の2つについては、延長された任期2年のうちに何とか形をつけることができました。自分の任期中には前進が見られなかった課題も多くありました。最も大きな課題としてはAMROの知名度の向上がありました*1。そのためには、経済レポートを公表する、(東アジア以外での地域での)講演や会議に参加する、メディアとの関係を構築するなどが必要なことは理解していました。しかしながら、制度的な制約や微妙な国際政治環境などの要因が関係し、前進することができませんでした。経済レポートの公表については、民間組織であるAMRO(カンパニー)の設立契約は、外部に向けて報告を公表したり、所長が対外的に意見を表明するに当たって、代理(財務次官・副総裁級)会議から明示的に了解を取ることと規定していました*2。実際にその手続きに従って2回ほど経済レポートを公表しようと試みたのですが、13か国の財務省と中央銀行によってIMFのレポートに対するのと同じ厳密な確認が行われた結果、内容が大きく薄まっただけではなく、1年近くの時間を要しました*3。立ち上げ期の少ない人員の中では続けることは困難でした。こうした制約がAMRO(カンパニー)の設立契約上のものであることは知られていませんでした。折角東アジアのサーベイランス組織としてAMRO(カンパニー)を創設したのに、知名度が向上しないし、AMRO所長は知名度向上に前向きでないとの声も耳にしました。まるで猿ぐつわを嵌められているのに「声が小さい」と言われているようで、割り切れない思いをすることがありました*4。2012年に国際機関設立協定の素案作成の指示を受けた時には、国際機関移行後はこうした猿ぐつわを嵌められた状況が続かないようにしたいと考えました。そのため、AMROの業務の一つとして、「予め承認を受けた文書公表規則に従い報告を公表する」ことを2012年秋に提案しました*5。各国間で議論の末、国際機関設立協定第5条「業務」の一項目として認められました。AMROの業務に対する信頼感の向上が背景にあります。メディアとの関係構築はより一層困難でした。自分の在任中も何回か取り組もうとしました。問題は、日本のみならずアジアのメディアの関心は、日本と中国の東アジアでの覇権争いがAMROの運営にどのような弊害をもたらしているか、に集中的に向けられていることでした。情報発信してみると自分の発言が日中対立の文脈で間違って用いられることが何回も起こりました。メディア側の人が日中対立があるはずだという色眼鏡で見ているため、その部分を切り出して報道されます。「次回会議は事務方の会議なので、○○の問題について対外発表されることはありません」と事実関係を説明しただけなのに、「日中の深刻な対立のため、○○の問題について次回会議では結論が発表されないだろうとの悲観的な見通しを□□通信の取材に対しAMRO所長は明らかにした」という調子です。報道後多くの場合関係当局から問い合わせが入ります。発言全体を説明して納得してもらいましたが、専属のスタッフもいない中、何よりも各国議会における国際機関を作るはなしASEAN+3マクロ経済 リサーチ・オフィス(AMRO)創設見聞録その14、各国議会による国際機関設立協定の承認と国際機関発足(3)(2014年冬~2015年夏)根本 洋一50 ファイナンス 2018 Apr.連 載 ■ 国際機関を作るはなし

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