ファイナンス 2017年12月号 Vol.53 No.9
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連 載|海外ウォッチャーでとことん相談して、昭和生まれの我々夫婦が全く思いつかないような新しい両立を見つけて楽しんでください。6.子供の教育最も古典的な海外勤務者のチャレンジは、子供の教育です。我々の経験からの結論を先に書くと、海外での子供の教育には、その時々必死で考えて対応する。親というのは子供のためなら信じられない力が出るもの、家族一丸頑張って本当に強い絆が出来るということです。1991年にアフリカ開発銀行に赴任した時、本当にお世話になった商社の皆さん、赴任形態が単身赴任の所長さんと、小学校低学年までのお子さん連れのご夫婦しかいらっしゃらなかったのを見て、日本の国際化を妨げているのは子供の教育問題だなあとつくづく思った記憶があります。任地で子供の外国語適応・日本語維持、中学受験・大学受験、の順で書いてみようと思います。まず、任地で子供の外国語適応です。我が家には、ワシントンに赴任して1年後の1998年、家内が昼休み時に小学校のそばを車で通りかかると長男一人ポツンと校庭にいて、おもわず涙した、という話が残っています。確かに、世の中で言われているように、子供は言葉を覚えるのが早いから、現地の学校に入れて放っておけば自然に覚えるということは迷信だと思います。ただし、アメリカ、あるいは各国のInternational Schoolでは、毎年多くの子供達を英語に適応させており、そのためのプログラムが素晴らしく発達していました。今はきっと更に進歩していると思います。一方外国語適応の逆、日本語維持というのもあります。長く外国に駐在して、しっかりしたご家庭ほど、家庭内では日本語というルールを守っていらっしゃいました。ワシントン時代の我が家はというと、家の中で子供と英語で話していました。子供が英語で話しかけて来る時にいちいち換えるのが面倒くさい、という父親の怠慢からで、要反省です。帰国後子供達はすぐ普通に日本語に戻りましたから、まあ家庭内で英語でも大丈夫という実証例でしょうか。ただし、上の二人には、日本の県名を全部言えないのではという疑いがあり、我が家では聞かないことになっています。次に、中学受験・大学受験。これを頭の片隅において海外赴任するのも大変ですが、時間が経てば子供はその年齢に達するので、早目に準備するのがいいと思います。1997年当時のワシントンにも日本の進学塾があり、中学の幾つかはとても寛容な帰国子女枠を提供していました。残念ながら、子供が大きくなって、私達家族には最新の情報がないのですが、海外在住者への講習、帰国子女枠とも近年飛躍的に進歩を遂げています、しっかり調べて安心して赴任してください。親も子供も笑顔で七転び八起きの、海外での子供の教育ですが、大きくなった子供達を見ると、彼等の一番の財産は、世界のいろいろな人々への尊敬が身体の一部になっていることだと思います。親のdiversityは後天的に身に着けたものなので、時々マニラの居酒屋で完全な日本人に戻ってから気合を入れ直さないと維持できません。さて、本当に色々あった我が家の海外での子育て、一番の忘れられない話を一つ。ワシントン時代の話ですが、アメリカには幼児を家で一人にしてはいけないという法律があります。当然それは分かってはいたのですが、暴風雨のある日、家内がどうしても長男を医者に連れていく必要が生じ、4歳の次男を家に置いて外出しました。タイミングの悪いことにその時に宅配便のおじさんがベルをリン。とても愛想のいい次男はにこにこしてドアを開け、宅配便のおじさんは警察へ通報。我々夫婦は、自治体の面接に召喚され、そこでの対応が悪ければ次男の養育権剥奪、という事態になりました。さらに悪いことに、次男には大きな蒙古斑があったのですが、当時、アメリカ人にはない蒙古斑は、幼児虐待の印と誤解されるという噂がまことにしやかに言われており、必死になって蒙古斑の英語の説明を探した記憶があります。面接は夫婦直立不動で、「私達は一生懸命子育てする両親です」と申し立ててことなきを得ました。7.親の介護子供の教育と並ぶ海外勤務者のチャレンジは、36ファイナンス 2017.12

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