ファイナンス 2017年12月号 Vol.53 No.9
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連 載|海外ウォッチャーれ、皆さんは途上国、同僚は、誰でも知っている先進国への赴任を内示されたとしましょう。その晩、皆さんは、何を考えながら帰るのでしょうか?私の思うことです。第一に、1982年にyoung金井君が大蔵省に入省、今こうしてold金井さんになるまでの35年の間だけでも、世界は大きく変わっています。アジア開発銀行の統計によれば、世界経済に占めるアジアの比率、2015年には39%ですが、2030年には、これが48%になると予想されています。今、途上国には日本との間の仕事が溢れています。一方、誰でも知っている先進国は、日本との関係が意外に成熟していて、余り新しい仕事がないかもしれません。第二に、途上国に行けば、日本から来ている人の数が少ないですから、若いなりに日本代表です。私がアフリカ開銀に赴任したのは、31歳の時ですが、自分一人の存在がすごく重いなと感じました。現在も、アジア各国に仕事で行く時は、必ず財務省から行っている皆さんを訪ねるのですが、皆さん元気溌剌、若い感性に溢れる最高の現地情報を勉強させてくれます。第三に、途上国は不自由、だったのは昔の話です。インターネットは当たり前ですが、NHKはもちろん、海賊放送で他の日本のテレビも見られますし、マニラには日本のトンカツ屋さんもラーメン屋さんもあります。皆さんは海外赴任前ですから、海外のことについてほぼ素人。そもそも「行きたくない国」かどうか分からないはずなんですよ。先輩達、皆3年経つとたくましくなって帰って来ますよね。皆さんの赴任先には、どこにも夢と冒険が待ってますよ!5.パートナーのキャリアこの原稿を書くにあたって、この章は本当に考えました。私は長い間ずっと、海外赴任の二大チャレンジは、若い時の子供の教育、歳を取ってからの親の介護、だと思っていましたが、今やパートナーのキャリアがそれにとって代わったと思います。そして、これから書く私の意見も、何とかパートナーのキャリアと両立させようと頑張るよりも、パラダイムを転換、そもそも単身赴任を前提にその高付加価値化を図っては、ということです。私が男性なので、男性の海外勤務で稿を進めますが、女性の海外勤務の場合は、ケースを入れ替えて読んでみてください。まずは、従来型、何とかパートナーのキャリアと両立を頑張る、我々家族の経験です。アフリカ開発銀行に赴任したのは1991年、二人目である長男が生まれ、家内はちょうど育児のため最初の職場を退職したところでした。小さな子供二人を抱えてのアフリカ赴任、それに四半世紀前の話ですから、毎日を生きるのが精一杯で、正直家内のキャリアまで考えた記憶はありません。それでも、当時一番仲良くしていた同い年のIFCの日本人職員の奥様は、現地の女性の装飾品African Bijouxに造詣を深められ、その後広く日本に紹介されていました。新しい赴任先には、何か新しいビジネスの入口が必ずある、と教えてもらいました。1993年に帰国して、4年後の1997年、今度はワシントンのIMFに勤務する機会をいただきます。この時点で家内の新しいキャリア探しは、いまだ模索中で特に進展はなかったのですが、先にアメリカに赴任していた同期夫婦がヒントをくれました。この同期の奥様は、日本で学んだ経済学をさらに深めるべく、新しい赴任地の大学院で勉学に励んでいました。これはいけるかもしれない、ただ、ハードルがありました。同期の奥様の場合は経済学士が金融論修士、家内の場合は経済学士が全く違う分野のrehabilitation counsellingという修士に出願です。我が家の場合、何時も真剣とユーモアが隣合わせで生活しているようなところがあるのですが、この時採ったのが、「physically exist作戦。」一年目、まず聴講生として志望のコースに出席を始め、教授に顔を覚えてもらって、二年目に無事、修士に入れていただきました。さて、私が現在勤務するアジア開発銀行でも、このパートナーのキャリアが最大の課題の一つ、私がマニラに行った2008年当時は、パートナーのアジア開発銀行への就職を認めていなかったのですが、現在は認められようになりました。それ34ファイナンス 2017.12

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