ファイナンス 2017年12月号 Vol.53 No.9
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連 載|海外ウォッチャーというのは、今日本にいるyoung金井君、オープンマインドで(というか、やや能天気で)、日本人としては英語も上手く、日本にいる外国人とも仲良くやっているとします。この好青年young金井君がdiversityに順応するかどうかは、本当に放り込んでみないと分からないのです。アメリカでは、月曜の朝、子供のいる親達は、土日子供のために何マイル(1マイルは1.6キロ)運転したか自慢し合います。ほとんどすべての家庭が共稼ぎで、月曜から金曜まで子供の相手をする時間がないので、土日は全ての時間を子供に使って、お稽古ごとから、友達の誕生会、ショッピングまで、ひたすら子供のために運転手を続けるのです。さて、皆さん、これを読んでどう思いましたか? 日本の基準に従って、あれこれ言おうと思ったら、diversity黄信号です。私の経験では、「理由はないけど、アメリカではこうなってるんだ」と現地のやり方を素直に受け入れられるとdiversityを楽しめそうな気がします。もちろん、今は前者の場合も、訓練可能ですが、「日本の基準に従って」判断するのをやめられるか、がポイントだと思います。さて、young金井君、生粋の日本野球少年ですから、diversityとはおよそ縁のない育ちです。この稿を書きながら考えてみると、無意識にやっていた二つのことがdiversity訓練だったと思います。一つ目、どこに赴任しても、現地の人の生活をそっくりそのままコピーして実行してみました。アメリカの土日運転ももちろんやりましたが、何100マイルも運転していると、多分、同じ雰囲気がするようになったのでしょう、アメリカ人の親達が仲間と認めて向こうから話しかけて来るようになりました。二つ目、相手の意見がどんなに耳障りでも、とりあえずは、聞いてみました。違うものへの本能的な拒否反応のハードルを越えられれば、相手の言い分は結構理解できることが多いのですが、このハードル、軽そうで重く、重そうで軽い、というのが実感です。Diversityの最後に、是非皆さんにシェアしたい経験があります。時は、1997年9月、IMFの新人研修。カムドゥッシュ専務理事が来られて、何を聞いてもいいというコーナーがありました。Diversityの稿にお笑いですが、こういう時に誰も手を上げないのは、世界の伝統ある官僚制は何処も一緒。質問したのは、大学の先生あがりのトルコの女性とyoung金井君だけで、彼女とは、大親友になりました。私の質問「IMFでは、夜、皆で飲んで懇親するという習慣がほとんどありませんが、もっとやるべきだと思いませんか?」カムドゥッシュ専務理事「私は、月曜から金曜まで日中一生懸命働いてくれるスタッフが、夜何をしているか知りたいとも思わないし、知るべきだとも思わない。」young金井君のdiversityのドアを開けてくれた一言でした。Diversityの世界、そこは、時間がかかる時もあるし、面倒くさいと思うこともあります。それでも、日本の58.6倍の考え方に触れて、その中で議論して、合意して、前へ進んでいくのは、慣れると本当に楽しいですよ。日本での疑似体験は不可能、まずは体験してみませんか?3.自分のキャリアは?さて、皆さんには、old金井さんという、会ったことのない人の原稿を読んで、よく考えずに前に進んでいただく訳には行きません。今度は、海外勤務と皆さんのキャリアの関係を、冷静に考えてみましょう。キャリア設計、日本に忘れられないか、の順で進めますが、その前に、私自身の経験から。1981年に大蔵省に内定した時には、漠然と国内の財政の仕事をやるんだろうなあと思っており、国際仕事なんて夢にも考えていませんでした。そもそも初めてパスポートを取ったのは、大学4年の秋、野球部の台湾遠征のためでした。英国留学の機会をいただいても覚醒の気配なし。普通に課長補佐の一ポスト目を務めている時に、ある日人事担当者に呼ばれます。晴天の霹靂の「アフリカ開銀」の内示…固い決意で断ろうと二回目まで頑張ったのですが、人事担当者が恐くて(その後お仕えし、大変尊敬する先輩です)、三回目に笑顔で握手(財務省が代理人交渉を認めるのは何時の日でしょうか)。ここで何かが変わりました。1991年当時のア32ファイナンス 2017.12

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