ファイナンス2017年11月号 Vol.53 No.8
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仮に。仮にである。「ランボー? なんすか、それ? 映画すか。」などという腑抜けた質問をしてくる部下が職場にいたとしたら、およそ1年間一緒に仕事をすることは不可能である。19世紀フランスの中二病詩人や「山口さんちのツトム君」*1を想像するようなセンスの男も、また然り。「ランボー」。もはや説明は不要。その音に内在することになってしまった問答無用の説得力。無敵の求心力。第一作では、ベトナム帰還兵の苦悩を、そして映画冒頭で崖から飛び降り、腕の切り傷を自ら縫うという度肝を抜くアクションでグリーンベレーの驚異的な能力を余すところなく見せつけた。そのリアリズム路線から一転、純粋アクション映画として昇華した本作。ストーリーは当時問題化していたベトナム領内の戦争捕虜(POW)の捜査を政治的に「したことにする」ために写真だけ撮ってこいというミッションを与えられたジョン・ランボーが、命令に背いて捕虜の一人を救出しようとしたために作戦本部(マードック司令官)から見捨てられ、怒りに任せて敵兵を倒しまくり、挙句の果てに捕虜を全員救出して勝手にヘリで帰還してしまう、という、文字に起こすだけで胸がすく爽快な物語である。そもそも見るからに高スペックな筋骨隆々のスタローンをして「いいか、写真を撮るだけだぞ」とベトナムに送る米軍の判断が、すでに「押すなよ、押すなよ」の熱湯風呂の世界観。敵の船の奇襲を受けたら、「聞いてないよ~」とばかりに偶然近くにあったロケットランチャー*2をぶっ放して破壊する。秒速で回収されるお約束の数々に、観客の胸は熱くなり続ける。1985年。同じく東南アジアの戦場に赴いたはいいが、色々あった挙句、あろうことかインコを肩に乗せて竪琴を弾く僧侶になってしまうような、ぬるい戦争映画を日本が作っていたこの年に、僕らはこのぶっ放し系の映画にのめり込んでいった。『ランボー』(1982年)と本作、そしてこれ以降、『ランボー3怒りのアフガン』(1988年)、「ランボー最後の戦場」(2008年)へと続くランボーシリーズ*3の中でも、本作が最高傑作であることは間違いない。しかし本作が単なる娯楽作品ではないのは、このシーン。捕虜を一人連れ出そうとしたためにランボーを見捨てた司令官マードック。ランボーの育ての親であるトラウトマン大佐に激しく責められ、言い返す。「これは国家の問題だ。ベトナムへの賠償金は45億ドル。米国人の捕虜は人質。身代金を米国が払えば敵の懐を肥やすだけ。あるいはやつれた捕虜が9時のニュースに出てみろ、皆が復讐を叫び、また戦争のやり直しだ。議会が過去の亡霊のために数十億の予算を出すと思うのか。」あれれ? 子供の頃、腐った官僚野郎にしか見えなかったマードック。今こうして観ると、1/100くらいは言い分も分かる気がするから不思議だ。しかし、財政あっての国家ではない。国家あっての財政であり、国家のために命を懸けた者たちへの敬意と処遇がなければ、そもそも国の屋台骨が揺らぐのではないか。そういったジレンマを財務官僚に考えさせるところも本作の大きな魅力であり、若手官僚のための教則作品として扱うべきものである。そして迎えるフィナーレ。捕虜を全員救出し終え、一人静かに去るランボーにトラウトマン大佐が声をかける。「何が望みだ?」「たった一つだけ」ランボーが続ける。「俺たちが国を愛したように、国も俺たちを愛してほしい。」やられた。これこそ日本の財務官僚の心の叫びをスタローンが代弁したもの…でないことは言うまでもない。文章:かつお監督:ジョージ・P・コスマトス脚本:シルヴェスター・スタローン、ジェームズ・キャメロン主演:シルヴェスター・スタローン『ランボー怒りの脱出 (原題:Rambo:First Blood Part Ⅱ)1985年』*1)作詞家みなみらんぼう氏の娘婿は、元WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平。*2)DVD表紙画像参照*3)1987年に公開された『ランボー 地獄の季節』(イタリア/フランス)。これをランボーシリーズの一つだと思い単館シアターに足を運んだ意識高いアクション映画ファンが、詩人アルチュール・ランボーの眠たい伝記映画だと分かり、暴動を起こしたことは記憶に新しい。ファイナンス 2017.1139わが愛すべき80年代映画論わが愛すべき80年代映画論(第四回)連 載|わが愛すべき80年代映画論

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