ファイナンス2017年11月号 Vol.53 No.8
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説で「サツマ」といえばタバコだが、江戸時代「ミノ」といえば障子紙を意味した。楮こうぞという和紙の原料が豊富だったことに加え、紙の白さを出すために楮の白皮を清らかな流れに晒す必要があったこと、また、長良川の水運を活用できたことが、当地で発展した理由らしい。今やユネスコ無形文化遺産に指定されている。(4)鵜飼鵜飼は全国各地で行われているが、宮内庁式部職鵜匠として鵜飼をするのは長良川鵜飼と小瀬鵜飼だけである。長良川の一定区間を禁漁区としており(鮎にしてみれば関係なく泳ぎ回るだろうが)、そこで年に数回御料鵜飼が行われ、獲れた鮎は宮内庁に納められるという。友人の鵜匠さんの家を見せていただいたが、小さなプールのようなところで鵜を20羽程度飼うとともに、鵜飼で使う蓑や縄を自分でなっている。さらに、シーズン中であれば、毎晩鵜飼がある。そうした多忙さに加え、何より、男子が世襲で鵜匠職を継ぐという伝統があり、鵜飼を次代に伝えていくのは大変なことのようだ。鵜匠さんに聞いたトリビア①。鵜は、鮎だけでなく、手当り次第に魚を捕まえて飲み込む。ウナギをくわえると、鵜のくちばしに巻き付いて鵜が難儀する。そこから「ウナギ」という名前になったという。トリビア②。宮内庁式部職は名誉なことだが、御料鵜飼をするときの手当しか出ないそう。名古屋駅からJRで20分。ふと岐阜駅に降り立ったならば、岐阜バスに乗り換え、長良川まで15分。そこで乗合船のチケット(3400円)を買えば、その日の鵜飼を見ることができる。夏の日暮れ、船に乗って川面を吹く風に頬をなぶられながらビールを飲むのは、想像以上の快楽である。なお、鵜飼の開催期間は毎年5月11日から10月15日まで。(5)バーベキュー岐阜市内だけでなく、美濃市や関市の川原は、夏の週末はBBQをする家族連れ、若者で混雑する。県内だけでなく、県外からも多くの人が訪れる。日差しがキツイため、日陰を求めて、橋のたもとが人気スポットである。北海道では何かイベントがあると必ずジンギスカンをする、という話を聞いたことがあるが、同様に、岐阜県では必ずBBQを行う。その証拠に、大阪では一家に一台タコ焼き器があるが、岐阜では一家に一台BBQセットがある(岐阜県庁内調べ)。4歴史にまつわるエトセトラ奈良の正倉院には、日本最古の戸籍が残されている。それは大宝2年(702年)の「半はにゅう布里り戸籍」と言われるものであり、現在の岐阜県富加町に当たる。このように岐阜県は非常に古い歴史を有し、見るべき史跡も多い。しかし今回は、近年大河ドラマや映画で話題となっている関ヶ原について記したい。関ヶ原は、畿内と東国をつなぐ隘路と言える。北からは伊吹山がせまり、南には養老山地がある。どうしてもここを通らなければ東国から都に行けない、また、美濃・尾張にある肥沃な濃尾平野がたくさんの農民(兵士)を養い得た、という事情から、歴史上、数々の事件の舞台となった(と思う。)。古くは壬申の乱。当時の都は近江京であったが、不破関(岐阜県関ヶ原町)と美濃の地をどちらが先におさえるかが戦を決した。先に不破関をおさえ、美濃・尾張の兵を配下においた大海人皇子(天武天皇)の勝利に終わった。織田信長も、美濃を攻略して「天下布武」の朱印を使用し始め、天下統一への野心を明らかにした。足利義昭を奉じて京都に入っただけでなく、その後も、将軍が攻められると、直ちに駆けつけている(駆けつけられる位置に岐阜城はあった)。「美濃を制する者は天下を制す」という言葉が生まれた所以である(司馬遼太郎の造語とも言われるが)。そして関ヶ原の戦いであるが、これは様々な偶14ファイナンス 2017.11SPOT

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