ファイナンス2017年11月号 Vol.53 No.8
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に、その水は澄んでいる。それを維持するためには、豊かな森づくりからはじまり、どれだけたくさんの人々の努力が積み重ねられているか。その努力を自覚しているからこそ、岐阜の人々は清流に誇りを持っている。家族で長良川の自然を守るNPOに参加しているが、参加者はそれぞれサラリーマンであったり、教師であったり、主婦であったりする。このように仕事は様々であっても、清流を守る、という一点については皆強い気持ちを持っていることはヒシヒシと感じるところである。とはいえ、そんなに堅苦しく考えることはない。夏中、川では、子どもたちが泳ぎ、飛び込み、魚を追いかけ、歓声が途切れることはない。そうしたことができる環境を次代に残していきたい、そのために自分たちができることをできる範囲でする、という人々の集まりがあちこちに存在している。私は現在、岐阜城のある金華山のふもと、長良川の近くに住んでいる。川の清掃活動にも参加しつつ、夏には何度も長良川で泳いだり、小魚を獲ったり、カヌーで下ったりした。この楽しさ、気持ちよさは、ずっと引き継がれていってほしいと強く思っている。3清流にまつわるエトセトラ「岐阜県のいいところって、どんなところ?」と聞かれることがある。「豊かな自然」という答えが想定されるが、そんなことを言えば、シベリアでもどこでも同じである。(繰り返すが、シベリアに他意はない)私としては、「地域のコミュニティの元気さと強靭さ、そして人の良さ」と答えたい。長良川流域の各地でも、飛騨の小さな山村でも、豊かな自然・清流があるのは当然として、それを守る人々、また、ヨソモノにもその良さを伝えていこうとするコミュニティの積極性、その背景におそらくある、自らの歴史・伝統への強い自信・自負と暮らしの豊かさ、これらがすべて相俟って、岐阜の良さを作り出しているのではないだろうか。だからヨソモノが来たとしても、頭から排除されることはなく、「こんなに素晴らしいものがあるから、是非体験していって。食べていって。」という対応になるのだと思われる。岐阜県に移住してくる若い世代が増えているということも、その表れではないだろうか。(1)長良川源流の大日ヶ岳大日ヶ岳(1709m)の裾野には、高鷲スノーパークとダイナランドという大規模なスキー場が2つあり、そこのリフトに乗れば1500m付近まで容易く到達できる(登山届もリフト券売り場で出すことができる)ため、天候が安定し、雪も締まっている春季は比較的登頂が容易である(ただし、ある程度の積雪期登山の経験は必須。また、2万5千分1地形図は必ず携行すること。)。私は3月に家族でスノーシューを履いて登ったが、気温が高く汗だくになった。山頂からは北アルプスや白山連峰、乗鞍岳、御嶽山など360度の眺望…のはずだったが、あいにく雲が多く、白山がちょっと見えただけだった。下山はソリ(100円ショップで買った)や尻セードで快適に下った。(2)蛍清き流れに蛍は棲む。大阪、東京といったところで過ごしてきた私にとっては、蛍というのは普段目にすることがない生き物であった。岐阜に来て蛍が見たいと思い、郡上市和良町まで出かけた。そこでは概ね20時を過ぎると、川沿いに大量の蛍のウェーブが見られ、まるで地上の天の川のようであった。その感激を岐阜市の人にすると、「蛍なんて市内でも見られるのに、なんでわざわざ。」という素っ気ない反応。確かに、岐阜市のHPでも蛍鑑賞スポットが載っているし、岐阜の人には、あまり有り難みがないようだ。(3)美濃和紙美濃市の長良川沿いで製紙が発展した。古代から製紙は行われていたものの、ようやく室町時代ぐらいから盛んになったらしい。池波正太郎の小ファイナンス 2017.1113「清流の国ぎふ」からSPOT

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