ファイナンス 2017年10月号 Vol.53 No.7
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本書の編者であり、山田方谷の血と知を受け継ぐ野島透氏は昭和60年大蔵省入省の我が同期であり、山田方谷の研究家である。本書は野島君が方谷研究家の同士を集めて教えを分かりやすく世に伝えたいという気持ちが表れた好著だ。文中「方谷さん」と呼び、野島君らしく読者とともにあたかも方谷さんの前に座って教えを学ぶという謙虚さと温かさがある雰囲気が醸し出されている。第一部では山田方谷の生涯を辿る。方谷さんは見事な男だ。端的に言えば近代日本の礎を築いた幕末の群像の中で、現在につながる明確な国家像を描いていた数少ない傑出した人物であり、その政策や交友には近代日本の幕開けを理解するにあたり重要な鍵があることが分かる。まず政策面では、幕末の備中松山藩財政の立て直しをしたことで知られる方谷さん、立て直しができた具体的施策は広範に及んでいて、その複眼的思考は現代の諸問題を考えるにあたっても重要な視点を提供する。その具体的施策を本書では七大政策と呼んでおり、私なりに現代の言葉に引き直して、歳出歳入改革、IRによるデットマネジメント、地場産業・流通振興、包摂的金融の推進、政治参加の拡大、教育改革、軍備強化ということと理解した。地場産業の振興の中では、日本にしかない便利な鍬だなとかねがね思っていた三本歯の「備中鍬」や「松山たばこ」のブランド化に始まり、地場産品の流通拡大のためのアメリカ製の輸送船の購入等、点・線から面へ、ミクロからマクロへという視点が縦横に展開された人物だということが分かる。交友あるいは人的なつながりは、佐藤一斎塾で佐久間象山と並び佐門の二傑といわれたように学問の修業での交流に加え、藩主であり筆頭老中だった板倉勝静公を支える中で拡がりをみせた。外圧のもとで軍備の充実を図る「文久の改革」をはじめ幕府の改革に邁進し、またその後結果として朝敵となった備中松山藩を無血開城・藩主の隠居・勤王派に導き領民を守ったことなど、板倉公をはじめ岩倉具視、大久保利通、河井継之助等当時のトップクラスの人物が信を置いたのは、方谷さんのその時々の「判断の確かさ」であり、それはある分野のエキスパートだからではなく、人間としての底力がにじみ出るものという確信であろう。第二部では、方谷さんの人間としての底力がにじむ言葉が厳選されている。その数50。2015年にノーベル賞を受賞した大村智氏は正月にはお気に入りの言葉を色紙に揮毫し額に入れて研究室に掲げることにしており、奇しくもノーベル賞を受賞した年の言葉が、野島君に言わせれば方谷精神そのものと位置付ける「至誠惻そく怛だつ」だったという逸話は、レベルの高いシンクロニシティとして印象深い。果たして、「真心といたみ悲しむ心を表す至誠惻怛の精神を心の中心に、万物一体となった仁の考えを全身に刻んで上司に仕えれば忠孝の、また、部下に接するなら慈愛の実現となる」ことができているか、自らに問う時間を持つこともこの秋の楽しみだ。山田方谷研究家として野島さんが方谷さんを誇りとするだけでなく、方谷さんに追いつき追い越せと自分を高めていることに同期として敬意を表したい。評者田中 琢二方谷さんに 学ぶ会 著致知出版社 2017年6月 定価1,200円(税抜)『運命をひらく 山田方谷の言葉50』22ファイナンス 2017.10ファイナンスライブラリーFINANCE LIBRARYファイナンスライブラリーライブラリー

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