ファイナンス 2017年9月号 Vol.53 No.6
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巻頭言オオカミ少年2010年から今年の3月まで財政制度等審議会の会長を務めた。審議会では毎回熱心な議論が続いたが、委員の共通認識は1つ。日本の財政赤字は深刻な状態にあり、したがって消費税を予定どおり上げる一方で、歳出の伸びはしかるべく抑制していかなければならない。このことを財審は愚直に訴えてきた。財政再建への努力は、言うまでもなく、今始まったわけではない。30年以上前、大蔵省を訪れた私は、トイレの水道の蛇口の前にはられたステッカー「財政再建は一滴の水から」を見て苦笑したことを覚えている。やがてバブルのピーク時には財政がほとんど均衡したのも束の間、1990年代初頭に日本経済が「長いトンネル」に入って以来、財政赤字は単調に拡大してきた。財政構造改革を訴えた橋本内閣の時代に、公債の対GDP比率は100%を超えた。EUは、マーストリヒト条約により、この比率が60%以下となるよう加盟国に求めている。それから20年、今や公債/GDP比率は200%となった。この比率の上昇を止め、下げていくためには、基礎的財政収支(PB)を黒字化しなければならない。7月に公表された内閣府の中長期試算では、政府が公約している2020年にPBを黒字化できなくても、成長率が十分に高ければ公債/GDP比は下がっていくことになっている。しかしこれは、高い成長率と並んで日銀による長期金利ゼロ・ペッグがもたらす一時的なボーナスにすぎない。公債/GDP比が下がるなら、PB黒字化は先送りしてもいいじゃないかと考えるとしたら、とんでもない心得違いである。PB黒字化(フローの目標)は、公債/GDP比(ストックの目標)を着実に下げていくために達成しなければならない「中間目標」なのである。内閣府の試算では、成長率が実質2%、名目3%と高く、19年10月に消費税が10%へ引き上げられても、なお20年のPBは8.2兆円赤字が残ることになっている。財政規律は大切、PB黒字化を、と訴えると、財政赤字が大変だ、大変だ、といつも言うが、金利はゼロで一向に上昇する気配もない、それこそ「オオカミ少年」だと言われる始末である。誰もが知るオオカミ少年の話、実は2つの結末があるのをご存じだろうか。「オオカミが来る!」と何回も嘘をついて騒ぎを起こす少年。そのたびに村人たちは武器をもって出動するが、空振りに終わる。しかし、ある日本当にオオカミがやって来た。少年は「オオカミが来た!」と叫ぶのだが、村人は誰も来ない。その結果……。明治6年につくられた文部省の『小学読本』では、少年がオオカミに噛み殺されてしまう。嘘を戒める教訓話である。しかし、この話はもともと「イソップ物語」にあるもので、そこではオオカミに食われてしまうのは少年ではなく、村人が大切にしている羊たちなのだ。ここはやはり、文部省がつくった教訓話ではなく、古代ギリシャのイソップ原版でいきたい。穏やかな海を見て「津波が来る!」と言う人を嘘つき呼ばわりする愚は明らかであろう。津波と同じく、財政破綻は大きなリスクである。違いは、財政破綻は人災であるということだ。人の手で防ぎうる。そのためにはオオカミ少年の声に耳を傾けなければならない。立正大学経済学部 教授吉川 洋ファイナンス 2017.91財務省広報誌「ファイナンス」はこちらからご覧いただけます。

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