ファイナンス 2017年8月号 Vol.53 No.5
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く分かる英語でじゃんじゃん質問してくるので、うれしいですよ。この人達を伸ばしてやる責務が私たちにはあると思います。私は秋田の農村部で生まれ、旧制秋田中学に行きましたが、外国人には大学2年生になるまで会ったことがありませんでした。東大で文化人類学をボールスという優れた先生について学びました。最初の講義はGood morningとGood byeしかわからなかったのですけれども、1年経ったら80%ぐらい分かるようになりました。私や同じく田舎出身で外務次官、国連大使をやり、国際司法裁判所の判事をやっている小和田氏も、本から覚えた英語なものですから、彼や私の英語はぶきっちょでやや堅苦しい。文法的にはほぼ正しい英語ですが、あまり流暢じゃないのです。先ほど相手に対する配慮と言いましたけれど、例えば、カンボジアの選挙の後に反乱がおきるのではないかという恐れさえあったときに、人民党が第二党に終わったフン・センと色々交渉しました。後でフン・センから聞いたのですが、私からフン・セン宛の手紙に「あなたの役割に期待している」という一言があったので、自分は心を打たれたと言っていました。そういうふとした手紙であっても相手に対する最小限の敬意を失わないことも必要です。しかし、旧ユーゴスラビアでカラジッチに出した手紙の中にexcellencyという言葉を一言入れた時は、私の行動に反対の国連職員から、オルブライト国連大使にそれが伝わり、彼女から、カラジッチのような悪者にこういう言葉を使うとは何たることだと、ものすごい反発がありました。私はカンボジアでのフン・センとの記憶もあって、悪いグループの頭目に対しても、交渉する上で使った方がいいと思われる言葉を使おうとしたわけです。言葉というのは人を殺すこともできるものだと思います。だから、交渉では、言葉に流暢じゃなくても、言葉の恐ろしさを考えながらやらなくてはいけないのです。忖度という言葉の問題をはじめとして、今の日本では言葉がちょっと軽くなりがちです。時には婉曲に言うことも必要でしょうし、武器を使う代わりに、言葉を使った方がいいこともあるでしょう。そういう言葉の恐ろしさを我々は念頭に置くべきだと思います。他方、日本人の決定的な弱点は、英語力はある程度あるのに、それを使いたがらないことです。これは日本人の完璧主義、それからシャイであることに原因があります。交渉にも、また議論にも参加できる英語力があるのにと思うのです。外国の人はそれらを平気で使うわけですが、日本人は同じ力があっても使わないところは残念だと思います。▶神田 この関連で国際機関における日本人職員の低プレゼンス問題です。私は日本人押込み側の財務省人事当局や、採用側の世銀人事担当でもあったので、一所懸命、日本人を増やした自負はありますが、日本人候補者、特に男性の弱さも感じました。語学力や専門知識以前の問題として、基礎的知力、教養やハングリー精神の欠如が散見されました。しかし、明石さんも指摘されるように、客観的な能率・能力・誠実の確保と、政治的な地理的配分原則との調和が求められる中、私は、日本の国益を超えて、文化、思考、価値観の多様性の包摂が正統性と思考の豊かさを保証するし、予算分担額への配慮は、支持の持続可能性の条件であり、世界の利益にもなると考えます。最近の統計では、国連事務局の日本人は81人と望ましい職員数186-252(中位点219)を大きく下回るものの漸増していますし、内、女性が51人と日本人女性の逞しさが伺われます。我々の国際金融機関の世界でも、この10年間に日本人が、世銀グループで94人(全体の2.1%)から173人(2.9%)に、IMFで36人(1.8%)から55人(2.5%)に増加しています。しかし、OECDはこの5年間に62人(5.0%)から72人(4.6%)にシェアが低下していますし、これら三機関の深刻な問題として、幹部候補生のパイプラインが枯渇しています。我々の強い働きかけにもかかわらずプロパー採用日本人がなかなか昇進できず、財務省・金融庁・日銀の時限出向でないと幹部がとれないし、それも公募の競争で苦労する不味い状況に陥っています。しかも我々も人繰りが厳しいので、そんなに出せるわけではありません。国連でファイナンス 2017.839超有識者場外ヒアリング65連 載|超有識者場外ヒアリング

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