ファイナンス 2017年8月号 Vol.53 No.5
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和を維持する自己矛盾を犯すことだ言っていました。それはPKOが本来目的とするところではなかったので、現地に派遣された我々は手を変え、品を変えて停戦協定を作り、また、困窮した市民に対して、医療と人道支援物資を送り続けましたが、それ以上のことはとてもできませんでした。私は94年初めから95年10月末まで現地にいましたが、国連事務総長ブトロス・ガリ氏と協議し、彼の賛同の下にNATOの空軍力を導入し、大きな空爆をやるという結果になって国連側の主力は撤退しました。90年代は希望と共に出発したけれども、その後、色々な困難に遭遇したわけです。2000年には有名なブラヒミ・レポートが発表されましたが、国連には珍しい率直な、問題意識が生々しく出ているものでした。国連のPKOは本来何ができて、何ができないのか、国連にはできることとできないことがあることを我々は正直に見つめるべきだし、PKOを派遣するならば、安保理も国連全体もある覚悟をしなくてはいけない。予算や人員をきちんと提供する必要があるだろうし、その覚悟で臨まなくてはいけないということが書かれています。国連には「PKO三原則」があります。紛争に関係した諸党派がすべて停戦に賛成することがその一つですが、諸党派が全部参加することは、数も多いし、不可能であるし、東ティモールの場合は、二つの党派の一つであるはずのインドネシア軍がいなくなってしまうという新しい状況が生じて、停戦が成り立つ条件自体が変わったため、第一の原則を修正しました。また国連は中立性を守る、諸党派と等距離に対応すべきだという第二の原則を旧ユーゴスラビアでは守っていたわけですけれども、ブラヒミは、国連はいつでも中立を守るべきではない、善と悪の間の中立に居ることは道徳的に許されないと言いだし、国連が目指すべきものは不偏性であって、中立性ではないとし、これも修正になりました。第三の原則は、武力の行使はこれを最小限に留め、自衛のため必要な場合にのみそれを行使するというものでした。しかしこれも、無垢の市民を守るためには、必要とあればより大きな武力の使用も許されてしかるべきではないかという新しい問題が提起され、90年代後半はそういった国連PKOの在来型に対して修正を加え、21世紀に入って、いわゆる「強力な(robust) PKO」が特にアフリカでは必要ではないかと言われるようになりました。破綻国家になりつつあるところでは、PKOも在来型と違うものになって当然だろうということです。スーダンのダルフール地域やコンゴ民主共和国、マリ、シエラレオネ、コートジボワールといったところで次々に実験が行われ、最も新しい例が、南スーダンです。我が自衛隊が5年あまり行っていたわけですけれども、この5月で撤収せざるを得ないことになりました。このようなことも、国連として新しい局面に直面していることを示しています。▶神田 21世紀になってからの最大の変化は、新興国の台頭と、先進国の相対的地位の低下です。G7は25年前、世界GDPの三分の二を占めていましたが、今は半分以下であり、他方、BRICSは四分の一程度まで拡大しています。経済力向上は、G20サミット創設・加盟、世銀・IMFでの投票権といった政治力の強化にもつながっています。経済成長を遂げながらも、なお、途上国の立場に安住し、経済力に応じた国際公共財への貢献をせずにフリーライドを続けたり、国際ルールに則った言動をしない問題が続く一方、気候変動のパリ協定のように、責任ある行動への一定の改善がみられるところもあります。私はG20交渉にも携わっていますが、昨年の議長国である中国の担当幹部の殆どは世銀経験のある国際派で、かなりソフィステケートされた議長ぶりでした。また、以前、TICADⅣ等を担当した時に感じたのですが、アフリカの最貧国でさえ、貧困の罠から抜け出すべく、援助漬けではなく、持続的成長を生む投資を求めるように思考が進化しています。明石さんは南北対立激化の頃から国連におられたわけですが、途上国の状況について、どのようにみておられますか。ファイナンス 2017.831超有識者場外ヒアリング65連 載|超有識者場外ヒアリング

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