ファイナンス 2017年7月号 Vol.53 No.4
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を一切示すものではない。1グローバル化の功罪を巡る論理―『より良い生活のためのより良い政策(Better Policies for Better Lives)』(標語その1)OECD本部の建物に入ると、白い壁に青と緑に縁どられた「Better Policies For Better Lives」という標語を多く目にする。「より良い生活」という言葉には、指標化に馴染む物質的豊かさだけではなく、人生の各段階における自己実現こそを豊かさ(well-being)の本質ととらえ、そのための人間一人ひとりの能力開発とそれを可能にする環境整備に力点を置くOECDの基本姿勢が集約されている。「Life」ではなく「Lives」、と可算名詞の複数形を用いて、多様な個人を析出してみせた造語者の真意を汲めば、「より良い生活」よりもむしろ「より良い人生」の訳語の方がしっくりくる。グローバル化を巡る基本的論理にも、この哲学が貫かれている。「グローバル化」は、福音か、諸悪の根源か?グローバル化という現象は、本質的に事象が多岐に亘り、各々の相関関係が複雑で、定義すらはっきりとしない。それに加え、最近は、諸悪の根源のように言われ、余りにも政治化されているがゆえに、誰もが尻込みしがちな主題だ。しかし、OECDがそれを敢えて選んだ背景には、それを実証的に論じることが出来る有資格者は他にない、との自負心と切迫感がある。加盟国でも、昨今の国内選挙の一大争点は、有権者が深刻に感じている「格差」の問題である。グローバル化やデジタル化といった現象が、本当に我々の不満の元凶なのか、という巷間に渦巻く生々しい問いかけが、本年の会合の通奏低音をなしていた。グローバル化を巡る基本的論理6月は、パリの印刷業者のかき入れ時だ。会合の成果文書や年次報告の類い、全会一致が得られるまで改訂を繰り返す草案が、輪転機を回し続けるからだ。閣僚声明や「エコノミック・アウトルック」を筆頭に、今回公表された各種文書は、OECDのホームページ上で閲覧できる(www.oecd.org/mcm)。積み上げれば電話帳2冊分にもなる分量を言い訳に、筆者自身、すべては読んでないことを告白しよう。ただし、この中に、その年のテーマに関する論理を凝縮したような、キラリと光る図表がある。ゴッホやセザンヌの代表作に争いがあるように、たった一枚を選ぶのは容易ではないが、今年の 「この一枚」はどれか。きっと、製造業における失業の要因として、貿易(Trade)、技術(Technology)及び消費者の嗜好(Taste)を比較し、貿易よりも後二者の割合が大きいことを推定する、OECD経済総局の図表(別掲図)に多くの「いいね!」が集まるのではないだろうか。これは、横軸に米、日本、英、仏等の主要国を並べ、1990年から2008年における各国の国内雇用全体に占める製造業における雇用の割合の変化を縦軸にとる。製造業分野における失業の主な要因を、①「貿易」自由化による競争激化、②人工知能のような「技術」進歩による仕事の簒奪、③所得上昇に伴う財からサービスへの消費者の「嗜好(需要)」の移動、に求めた場合、各国とも軒並み、Tradeよりも残りの2つのTが、より大きな助長要因であることを示す。この図表の作者は、選挙戦で喧伝される、失業の「貿易主犯説」に乾坤一擲の反証を試みているわけだ。なお、リカード主義的な貿易収支均衡論に基づく保護主義的措置が、翻って自らを窒息させる結果につながる側面を痛烈に指摘する次点作も捨てがたい。これは、貿易を輸出入総額ではなく付加価値をベースに算出するTiVA(Trade in Value-Added)という独自の手法を用い、中国が輸出する製品の価値の実に4割は他国で付加された価値が占めることや、米国がメキシコから輸入する製品の価値の15%は米国に由来することを描くOECD貿易農業局の会心作だ。これらの図表は、決して雄弁でも多弁でもなく、むしろ訥弁ですらある。しかし、このご時世、物事を思い切って単純化して説明することも、知性主義復権の第一歩であってみれば、OECD内の専門家による渾身の「この一枚」の数々が紡ぎ出した論理を平易にまとめると、およそ次のとおりとなる。(丸囲み数字は便宜的に筆者が付した。)①政府がグローバル化の福音を繰り返しても、ファイナンス 2017.7252017年閣僚理事会の概要と意義(前編) 〈戦略的岐路に立つOECD、グローバリズムの苦悩と挑戦〉SPOT

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