ファイナンス 2017年5月号 Vol.53 No.2
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を訪問し、幹部と話してみると、「うちにも国際機関の設立条約を書くことができる弁護士はカナダ人が一人しかいないが、ちょうど退職するところ。人材紹介会社を使って後任を探している。ADB側でも業務が停滞し始めているからAMROの手伝いに出すのは当面ありえない。」とのことでした。文字通りの八方ふさがりに意気消沈してシンガポールに戻りました。翌朝ふと思いついて、前日のアジア開発銀行の幹部に、前任のカナダ人の弁護士は何で辞めるのか聞いてみると、「お嬢さんの教育のためカナダに帰るらしい。そもそもアジア開発銀行の法律業務に疲れたと口にしていた」とのこと。一縷の望みを託して連絡先を聞き、そのカナダ人(キッド氏と言います)にメールを送ってみると、電話で話すことの了解は取れました。話してみると、ADBでの法律家の仕事が、貸付契約の費用追加を巡る揉め事であったり、職員の不服申し立て関係だったりで、後ろ向きのものが多く、丁度お嬢さんがカナダの高校へ入学のタイミングで帰国の準備をしているところ、ということでした。当方より、「国際機関の設立条約を書くというのは、法律家の仕事の中でも前向きの仕事中の前向きの仕事と考えられないか、自慢にも何もならないが、今なら100%白紙から書くことができる」と必死で説得しました。話しているうちに、先方から「自分も国際法の法律家を職業と決めた若いころには、法律実務の経験を積み重ねたら、いずれAMROのような国際機関の設立協定を一度書くのが夢だったことを思い出してきた」との発言がありました。電話の終わりには、先方より、「自分の署名入りの守秘義務契約を送るから、受け取ったら必要な資料を直ぐ送って欲しい、自分としてたたき台を書いてみるから2週間時間が欲しい、そちらで検討が終わったら直ぐにシンガポールへ出張して打合せたい」とこちらが驚くほど前向きになっていました。早速コンサルタント契約を結び、先行国際機関、具体的には、①業務の類似性から国際通貨基金(IMF)、②アジアの金融関係機関としてアジア開発銀行(ADB)、③地域版の国際金融機関として2012年には創設中の欧州安定メカニズム(ESM)の3国際機関、の研究も直ぐにはじめてもらうこととしました。その後のキッド氏の働きぶりについて触れておきます。長らくアジア開発銀行で法律局の幹部を務めた人物だけのことはあって、国際機関を設立するに当たり筋を通すべき原則はきちんと貫徹しつつも、各国の意見を踏まえての書き振りに関しての引出しは驚くほど豊富かつ柔軟でした。振り返ってみて、キッド氏の退職の理由を問い合わせてみようと思い付かなかったら、また藁にも縋る気持ちでキッド氏に電話していなかったら、と考えると、とびきり優秀な人をギリギリのタイミングで獲得できたことはつくづく幸運だったと思います。その電話の僅か4週間後に事態が急展開します。(注)本稿は、AMRO創設の過程で自分がどう考えたか、アジアの人とどう付き合ってきたかを中心に、言わば見聞録風にまとめるものです。在職時に加盟当局から受け取った情報に関してはその職を離れた後も守秘義務がかかっているため、個別の経済・金融情勢の機微にわたる部分などについては触れることはできず、また記述の中に一部省略などがあることへの理解をお願いします。どこの国が話を進めたとかを評価するのが目的ではないため、日本と中国とホスト国であるシンガポール以外はなるべく匿名(A国など)で記すことにします。本稿の記述は、AMROまたは財務総合政策研究所の見解を表すものではありません。(財務総合政策研究所所長)*9 アジア開発銀行は1966年創設の開発金融機関で、途上国の経済発展に役立つ融資が主要業務であることもあり、法律実務、会計制度、人事規則などについて長年の蓄積があります。アジアの実情を踏まえた先例が確立していることに加え、黒田前総裁、中尾現総裁から事務方に対して指示があり、親切な助言を受けることができました。規則の中には、文言の裏にある考慮や経緯を理解して初めて正しく運用できるものがあります。ここは足元が滑り易いとか、大雨の時はこの道は使えませんとか、のような実践的な知恵を分けてもらえた、ということです。ファイナンス 2017.553国際機関を作るはなし ASEAN+3マクロ経済リサーチ・オフィス(AMRO)創設見聞録 連 載|国際機関を作るはなし

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