ファイナンス 2017年5月号 Vol.53 No.2
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の組織を軌道に乗せるのに全力を注入したかったからです。その時点でのエコノミストが9人しかおらず、対象となる国・地域の数の14(香港を含む)よりも少ない訳で、1人のエコノミストが2~3の国を担当しているのも当たり前の状況でした。さらに将来の通貨危機に備えるには、各国の経済・金融状況の分析が大前提になります。市場分析や銀行の不良債権などの専門家も含め、予算の許す限りエコノミスト等を採用し、また分析のための経済データや解析ソフトを購入したいところでした。誕生して1年足らず、人間で言えばようやくよちよち歩きを始めたくらいの赤ん坊に、ランドセルを背負って学校へ行く準備を始めろと言うのか、が率直な感想で、この点はどの国に対しても説明していました。国際機関の早期設立に消極的な理由の第二点目は、組織の目的や業務について国際機関設立協定の中で十分に書き込めないことを懸念したためです。別の言い方をすれば、当オフィスに期待されている業務についての考え方が各国間で十分に収斂していない段階では、国際機関化を急ぐべきではないと判断していました。2012年の時点で、多くの国がAMROはマクロ経済調査のための組織であり、それ以上の仕事を担わせるべきではない、との見解でした。別の対極の考え方としては、AMROを作る以上、「アジア版IMF(国際通貨基金)」を目指すべきというものでした。この点に気付かされたのは、その数か月前(2011年12月)に開催されたAMROにとって最初の財務次官・中央銀行副総裁級(代理級)の会議(前々回参照)の時の経験からでした。議長のト書きを会議前に確認していると、危機時の対応を想定してその枠組みや段取りを議論するセッション(CMIMのセッション)について、「AMROの退席を求めること」となっているのを発見しました。慌てて、「決して発言はしないから、魏所長だけには退席は求めず議論だけは聞かせて欲しい」と共同議長に頼みに行ったことがありました。「名は体を表す」と言いますが、“ASEAN+3 マクロ経済リサーチ・オフィス(AMRO)”という組織の名称自体、前者の考え方を反映している面があります。マクロ経済の「調査のオフィス」であって、それ以上の業務拡大は認めないとの含意があるとも読めます。米国の学者の中には、この名称を根拠に、アジアの金融協力は、調査止まり、と論じる者すらありましたが*3、鋭い洞察と認めざるを得ませんでした。*1 2011年にシンガポールの民間法人としてAMRO(カンパニー)を立ち上げたのは、2008年のリーマン危機の際の経験から、東アジア独自に各国の経済、金融情勢を監視する第三者機関が早急に必要であるとのASEANと日中韓の財務大臣の共通認識からです(ASEAN+3(日中韓)財務大臣会議共同声明(2009年2月22日、於タイ・プーケット)参照)。組織の在り方としては大きく分けて二通りの考え方がありました。一つは国際機関を作るというもの。もう一つは民間法人として立ち上げるというものです。国際機関設立には時間と手間がかかることが予想されたため、民間法人が選ばれました。国際通貨基金やアジア開発銀行の例でも、交渉開始から業務開始までは3~4年かかりました(資料2参照)。1976年に設立されたASEAN事務局が2008年に各国から国際機関として認められたという極端な例もあります。リーマン危機直後の経済・金融情勢の不透明さから、一刻でも早く経済監視を開始するため、とりあえず民間法人として立ち上げようということになったものです。*2 民間法人から国際機関に移行すると、組織の機能が法律面から強化されることが期待されていました。例えば、言論の自由が必ずしも保障されていない国においてスタッフの逮捕や文書の押収などの当該国政府からの干渉から法律的に保護されること、各国政府に対してIMFと同じ情報をAMROにも提供する義務を法律的に課すこと、危機の際にIMFとの間で守秘義務を共有すること、などです。勿論保護の程度や加盟国の義務の内容については、協定の規定振りにより変わってきます。*3 Eichengreen, Barry (2012), Regional Financial Arrangements and the International Monetary Fund, ADBI Working Paper Series, No. 394.ファイナンス 2017.549国際機関を作るはなし ASEAN+3マクロ経済リサーチ・オフィス(AMRO)創設見聞録 連 載|国際機関を作るはなし

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