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ファイナンスライブラリー

評者 渡部 晶
東畑 開人 著

心はどこへ消えた?/文藝春秋 2021年9月 定価 本体1,500円+税

週刊文春に2020年5月から2021年4月にかけて連載された「心はつらいよ」をまとめたものが本書である。著者は、1983年生れで、臨床心理士・公認心理師。2010年に京都大学大学院教育学研究科博士課程を修了し、博士(教育学)。沖縄の精神科クリニックを経て、2014年より十文字学園女子大学に勤務し、現在准教授である。また、2017年に白銀高輪カウンセリングルームを開業している。
評者は、本年1月30日、著者の「心の安全とはなにか~家庭と社会をつなぐもの~」という講演会に参加する機会を得た。著者は本書を引き、学校に行きたい気持ちと行きたくない気持ちがあることを例に、「心は複数である」(「心が一つ存在するために、心は二つ存在する」)ことなどを精力的に語り、評者は多くの気付きを得た。
週刊誌での連載の題名からは、著者の「居るのはつらいよ~ケアとセラピーについての覚書」(2019年 医学書院)が想起される。第19回大仏次郎論壇賞などを受賞した傑作である。沖縄の精神科デイケア施設での経験談を通じて、最近のEBPMの興隆(「会計の声」)が、ケアの根底である「ただ、いる、だけ」をつらくしていると断じ、真の「アウトカム」を目指しているはずの財務省関係者にはなんともやりきれない現状の分析がなされていた。
本書は、書き下ろしの「ちょっと長めの序文」として「心はどこに消えた?―大きすぎる物語と小さすぎる物語」ではじまり、春、夏、秋、冬、また春、あとがき、との構成。
序文では、著者が連載を書き進める「裏舞台の裏事情」について語っている。「心理学には本当にたくさんの論文や本があって、理論や知識はあふれている。それなのに、どのテーマも現代の読者たちに響くようには到底思えなかった。この時代に切実な心の話とはなんなのか。まるでわからなかったのだ」といい、当初「心を探し続ける日が続いた」という。そして、「冬の訪れとともに、わかってきたのは、大きすぎる物語によって、心がかき消されてしまっていることだった。そしてそれが、決してコロナのせいではなく、この20年一貫して進行してきたことに気が付いた」のだ。「マーケットが、資本が、そして人類を等しい存在として扱う生物学が、つまりローカルな文化を破壊して、グローバルに流通する力が、身も蓋もない大きすぎる物語を突き付けるようになった」のだ。いまの時代、「心は今や小さすぎる物語になって、ひどく脆弱になっている」という。そして、心がそれでも存在する「エピソード」を語ることが必要だという。
本書は、まさに「エピソード」に満ちている。すべてを紹介できないが、例えば、「夏」にある「補欠の品格」「補欠の人格」では、「心理士と補欠は魂の底の部分でつながっている」という「仮説」が出てくる、大学院時代の研修旅行の思い出話が軽妙で面白い。タヌキに似た指導教授は、「(著者らが経験した補欠が)世界を外から見ているのは、世界を恐れているから」といった。東畑氏は「この仕事は、臆病で脆弱な魂が恐る恐る世界と交わることを助ける仕事なのだ。私たちの魂には補欠の痕跡があって、それを使って補欠的な魂を癒す仕事をしていたのだ」と考察する。また、「ネズミのドラクエ」では、休養が必要と診断された30代男性の企業戦士が、仕事を忘れるために始めたドラクエにはまる中で、それまで知らなかった「ホイミ」(ドラクエの回復の呪文)を知り、そのうちに時間も再び動きだす。「メンタルヘルスの最終奥義」は、「無理に時間を動かすのではなく、時間の方が動くことを待つこと」ではないか、との指摘にもはっとさせられる。
週刊文春での連載に並行して公表された論文「平成のありふれた心理療法~社会論的転回序説」(「治療は文化である」(2020年8月 臨床心理学増刊第12号)掲載)では、日本の臨床心理学史をたどりながら、「心理療法そのものを社会の側から再考すること、そしてその視座から支援を構想していくこと、それこそが複数の心理療法がモザイク状に配置される多元的臨床心理学の現代的課題であると私は考える」としている。エッセイ中に、この著者の、現在めざしている学問の方向が色濃く反映されていると思う。
財務省も、著者の言葉でいえば「大きな物語」が支配的な空間となっている場所である。しかし、そこで働く1人1人の「エピソード」もたいへん大切なものだ。本書を読むことでそのことをあらためて噛みしめた。ぜひ一読をお勧めしたい。
新感覚の“読むセラピー”とする新刊「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」(新潮社)も注目される。