7 汚職対策とマネロン規制の深い関係
IMF法務局 上級顧問 野田 恒平
図表.本章の範囲
要旨
■世界の反汚職法制の源流は、自国企業から外国政府への贈賄を禁止する米国国内法令が国際化されたものであり、競争政策の色彩が強かった。その後、冷戦構造の崩壊等を受けて、途上国の汚職の削減が開発政策の観点からも重要視されるようになり、現在に至る。
■これらの流れを受けた反汚職法制が本格的に地下資金対策の分野とリンクされるのは、2000年代に入り、関連2条約が署名されて以降。FATF基準では、資産回復及びPEPの規定が特に関係。後者については、多くの国で国内PEP対応が不備という課題が残る。
■昨今、米国の体制間競争の中に反汚職が位置付けられ、かつ、その中でマネロンとの関係性も強調されている。我が国としては、汚職とマネロンの政策担当者のより緊密な連携を図るとともに、かかる米国の世界戦略も含めた汚職対策の潮流を理解しておく必要。
地下資金対策は、多くの場合国家対その敵対勢力(=犯罪組織・テロ組織)という図式で捉えられる。麻薬カルテルとの闘いという地下資金対策の出自を考えれば、その理解は失当とは言えない。しかし今日においては、この図式で描写できるのは地下資金対策の中の半面だけであり、現実には、地下資金の相当部分がある意味において国家自身によって生み出されているという、逆説のホラー・ストーリーが存在する。この点、FATFの枠組みに最も新しく追加された柱である、核兵器等の開発を巡る拡散金融については、その定義上、現在であれば北朝鮮とイランが関与する地下資金を対象としており、国家的アクターの関与はむしろ当然である。しかし同時に、実はマネロン及びテロ資金規制においても、国家、ないしはそれを体現する中枢にいる人物達が生み出す地下資金は、FATFを始めとする国際枠組が対象とする主要なターゲットの一つなのである。
テロ資金については後続の章に譲るとして、本章の射程は、地下資金対策の中でも最も伝統的なマネロンである。国家が生み出す、マネロンの対象となる犯罪収益とは、即ち汚職により収奪された国富のことである。そして、地下資金対策と汚職の連関性を正しく理解するには、反汚職法制の側から、それがどのように展開してきたかを俯瞰することが有益だ。実は、世界的な汚職への取組みは一本道で発展してきた訳ではなく、歴史的に見れば、全く異なる政策分野からの水脈が一つまた一つと合流し、徐々に形作られてきたものと言える(図表1 反汚職法制の展開(概念図)(筆者作成))。以下では時系列に従い、その形成の歴史と、それが現在の地下資金対策とどのように関連付けられるかについて、議論を進めていく。
写真:昭和を代表する政治家の一人、田中角栄元総理が関わったとされるロッキード事件は、米国における外国汚職防止法制定の契機ともなった。(出典:首相官邸ホームページ, CC BY 4.0)
1.米国・反汚職法制の世界的展開
反汚職法制の発祥の地は、またしても70年代の米国である。時期的には地下資金対策の基盤が形成されていった頃であるが(第2章参照)、この時はまだ地下資金対策とのリンケージはさほど意識されていない。さて、この時代の米国で反汚職法制が生まれ、更にそれが世界的に敷衍されていった原動力は、米国市民の高いモラルにより、米国内の政治家・公務員の廉潔性への要請が高まったから…ではない。1977年に世界初の本格的反汚職法と呼ぶべき外国汚職防止法(FCPA:Foreign Corrupt Practices Act)が制定され、それは1997年にOECD外国公務員贈賄防止条約として国際規範化されることとなるが、この過程で注意すべきは、(1)FCPAが、米国ではなく外国の公務員に対する贈賄を対象としたものであり、更に(2)OECD条約の制定は、倫理的観点ではなく専ら経済的利益、具体的には米国企業の海外競争力強化を目的としたものである、という点である。直接の契機となったのは、1972年のウォーターゲート、1976年のロッキードという、現代米国史に残る2つの大事件である*1。
ウォーターゲート事件は、麻薬戦争を推進し地下資金対策の基礎を形成した、他でもない共和党ニクソン大統領(第5章参照)によって引き起こされた。その概要は、同大統領が対立陣営の盗聴をしていたという政治スキャンダルであるが、この事件は思わぬ余波をももたらすことになる。それは、事件後の調査の過程で、400を超える企業が外国政府への賄賂として、合計3億ドルを超える不法支出を行っていた事実が明らかになったことだ。これにより、米国企業が海外とのビジネス活動に当たって多額の贈賄を外国政府に行っていた実態が、白日の下に晒された。このような悪しき慣行の存在を更に決定的に印象付けたのが、その4年後に起きたロッキード事件である。ロッキード・エアクラフト社は、自社航空機の売込みのため諸外国要人への贈賄工作を行っていたが、この中に我が国も含まれていたのは、周知の事実である。なお、ニクソン大統領が文字通り正負両面において、現在につながる地下資金対策の礎石を築いたという事実は、この分野のアクター達がしばしば善悪二分論で割り切れないことを象徴するかのようだ。
写真:米議会上院に設置された、ウォーターゲート事件調査委員会の様子。この調査の中から、米企業の外国政府に対する贈賄の実態が明らかになった。(出典:Official Senate photographer, a government employee, CC BY-SA 3.0)
さて、一連の事態を受けて米国政府はFCPAを成立させ、自国企業による外国政府への贈賄を禁止したが、これは、米国企業に思わぬ不利益を招来した。即ち、各国の企業がクロスボーダーで貿易投資を行う中で、実質的に米国企業のみが外国政府への贈賄を禁じられたことにより、規制の緩い他国と比べ、現地での取引において比較劣位に置かれることとなったのである。そこで、米国レベルの贈賄禁止規制を各国共通に課し、以って各国企業の競争条件の均一化を図るべく、米国の強い働き掛けによりOECD条約が締結されることになった。その規定は、FCPAに概ね類似した内容になっている。米国は社会経済的な国益実現のため、およそ20年を掛けて自国の反汚職法制を世界化したのである。この一連の過程は、地下資金対策の枠組みが形成されるプロセスと、全くと言って良い程パラレルなものと言える。
なお我が国も同条約に加盟するとともに、主に不正競争防止法に関連規定を盛り込むことによって国内法対応を行った。現在、経済産業省がその国内的実施を担っており、関連する啓発活動も行っている*2。また、この条約の下で参加各国には数年に一度、相互審査メカニズムにより評価が行われているが、これは「実質的にはFATFの手続きの模倣」とも評価されるものであり*3、この制度の導入時辺りから、反汚職とマネロンは近接性を持つ分野として意識され始めたものと見ることができる。なお、この相互審査メカニズムの下、日本に対する直近の審査は2019年に、更にそのフォローアップが2021年に実施され、それらの結果はレポートとして公表されている*4。
2.開発政策からのアプローチ
反汚職法制に係るもう一つの流れは、開発政策学の領域に水源を発する。前節で説明した、OECD条約に結実する米国発の反汚職法制の流れが、途上国への投資活動に着目した、言うなれば先進国目線のものであったのに対し、こちらは途上国自身の目線に立った発想である。より具体的には、1990年代初頭から推進されたグッド・ガバナンス(良き統治)の議論であるが、ここにおいて、交通インフラや教育・医療制度といったハード・ソフト双方のインフラに加え、ガバナンスが開発途上国における経済発展の鍵を握る重要な要素の一つとして、認識されるに至る。その背景には、メディアやネットの普及による情報化とそれに伴う市民活動の高まりや、アジア金融危機等を契機に、これらの国・地域での汚職の問題がフォーカスされたこと等があるとされる。
しかし、それにも増して大きいのが冷戦構造の崩壊である。冷戦下では途上国の共産化を防ぐために、これらの国々の汚職の問題は、西側諸国から戦略的に敢えて見逃されてきた。冷戦の終焉は、そのような「お目こぼし」の必要性を消滅させ、逆に、旧東側途上国の市場化に伴って、これらのビジネス・パートナーとしての規律を高めることこそが、要請されるようになったのである*5。このような潮流に伴い、世銀・OECDを始めとした国際機関、日本を含むバイラテラルのドナー、NGO等が大規模に反汚職の取組みを展開し、これに呼応するように、アカデミアにおいても汚職の問題を包括的・学際的に分析の対象とする動きが活発化する*6。各国の汚職度を指標化する試みも数多く行われたが、その代表的なものが国際的NGO・Transparency Internationalが毎年公表しているCorruption Perception Indexである(図表2 世界各国の最新汚職度インデックス。廉潔性上位には、北欧諸国やシンガポール・スイス等が並び、日本は19位。下位の国は、ソマリア・南スーダン・シリア等の内戦国が中心。(Transparency International))。
汚職の蔓延は、一国の成長・分配と逆相関の関係に立つとされる。計量的アプローチからこの点を示した先行研究については、正に枚挙にいとまがないといったところであるが*7、汚職が広まることが、資源の非効率な配分・投資の抑制等を通じて一国の経済に悪影響を及ぼすという事実については、経験則的にも多くの人にとって、直感として無理なく受け容れられるものであろう。かく言う筆者も、在フィリピン日本大使館勤務を通じ、ODA業務や日系企業のビジネス環境改善に取り組む中で、社会に蔓延する汚職の弊害を実地で感じた一人である*8。国は違うが、ベトナムにおいては、我が国のODA事業に絡んで、大手コンサルタント会社のパシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル(PCI)が、現地政府高官に2003年・2006年に計約9,000万円相当の賄賂を渡したという大規模な事件も後に発覚している*9。
そして、この開発政策としての反汚職という発想も、後述の通り地下資金対策の中にも取り込まれていくことになる訳であるが、その表出とも言える制度がアセット・リカバリーと呼ばれるものである*10。アセット・リカバリーは、和訳すると「資産回復」ということになるが、以下のように特定された意味を持つものであり、一般的な語感とは必ずしもなじまない。この言葉のFATFによる定義は、「ある国の犯罪収益が国外にある場合に、当該収益を(国境をまたいで)返還すること」である*11。FATF基準は、マネロンやその前提犯罪に係る犯罪収益が遺漏なく没収されることを求めている。これは、犯罪に基づく収益が、犯罪活動に再投資されることを防止することという、組織犯罪対策としてのマネロン規制の出発点となる発想に基づくものである。それに加えて更にFATF基準は、その犯罪収益が国外から来たものである場合、例えば、日本で行われた犯罪の収益が外国の銀行口座に移され、その地の当局によって没収された場合は、出元である日本に返してあげなさい、ということを要求しているのである(勧告4・38、有効性指標8*12)。
これだけを聞いて、この制度に違和感を感じる人は少ないと思うが、実はその理解はそれ程簡単ではない。なぜなら、組織的な犯罪収益の中核は元々は薬物犯罪であり、これはその性質上、いわゆる「被害者なき犯罪」だからである。詐欺のような財産犯であれば、本国の被害者救済の要請から、収益返還の必要性は腑に落ちるが、マネロン規制の一丁目一番地である薬物犯罪の対価として支払われた金銭は、買い手が対価として認識を以って支払いを行っている以上、その返還の政策的要請は必ずしも存在しない。またそもそも、犯罪の抑止という刑事政策的な目的だけであれば、犯罪収益が没収されることそのものが重要なのであり、それが事後的にどう扱われるかは、主要な関心の対象ではない。実は、アセット・リカバリーは反汚職の枠組みが形成されていく中で、創出された概念である。その趣旨は、汚職によって収奪された金銭とは、本来はその国の発展に寄与すべき国富であり、外国当局がそれを没収したなら、本国にきちんと返還すべきである、という発想に立脚している。アセット・リカバリーは、開発政策が反汚職法制の発展史に合流してきた経緯の、歴史的証左である。
もっとも、現在の枠組みにおいてこの制度は汚職以外の前提犯罪にも敷衍されている。そして現在では、マネロンの前提犯罪は薬物犯罪から拡大され、「被害者がいる」一般的な財産罪もその射程に入っていることから、アセット・リカバリーは、被害者の救済という民事的観点からも、結果として制度的合理性を有するものとなっている。我が国では、今日に至るまでで最大のマネロン事犯と言える、山口組系の暴力団・五稜会による闇金融事件で、正にこのスキームが活用された。同会は、法定利息を遥かに超える違法利息で上げた暴利を、スイス所在のクレディスイス銀行本店無記名口座に送金する等して隠匿していた。この約58億円に上る犯罪収益はその後、スイス当局によって没収されたが、日本政府はその返還を求めた。2008年4月、日本・スイス政府は没収された収益の半分に当たる約29億円の返還で合意し、この対象財産は、被害者の救済に当てられることとなったのである*13。
3.地下資金対策とのリンケージ
写真:メキシコ・ユカタン州の州都、メリダにあるコロニアル様式の州庁舎。この街で、国連腐敗防止条約が署名された。
(出典:Travel4Brews, CC BY 2.0)
アセット・リカバリーについて前節で先取りして説明してしまったが、今一度俯瞰的な解説に立ち戻ると、反汚職が地下資金対策と明確に関連付けられたのは、2000年代に入ってから相次いで締結された、「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」及び「腐敗の防止に関する国際連合条約」の、2つの条約によってである。これら条約は、それぞれの署名地を取ってパレルモ条約及びメリダ条約とも呼ばれ、2000年及び2003年に署名された。パレルモ条約は、国際社会としての組織犯罪への取組みを包括的に定めたものであるが、この中で、加盟国は汚職をマネロンの前提犯罪に含むこととされた*14。この条約により、マネロン・汚職リンケージの先鞭が付けられた訳である。
そしてこれに続くメリダ条約は「腐敗防止条約」という名の通り、世界的な反汚職の取組みの集大成とも言うべきものである。前述の外国公務員贈賄防止条約が、先進国クラブであるOECDの下での枠組みであったのに対し、このメリダ条約は国連が主導したものであり、加盟国は国連加盟国の内189か国に上る。この一事を以っても、二つの条約におけるスコープの大きさの違いは明らかであろう。そして本条約の中では、汚職対策を効果的に進めるためのツールの一つとして、マネロンに関する包括的な規定が設けられた*15。これは、OECD条約が限定的な形でしかマネロンを取り上げていなかったことからの、大きな進歩である*16。こうして、組織犯罪対策と反汚職という出自の異なる潮流が、マネロン規制という結節点を介して交わることとなった。そしてこのような反汚職とマネロンの関係性は、2000年代以降、折しも立ち上げられたG20サミットの枠組みにおいても、繰返し言及されるようになる*17。なおこれらの条約について、日本においては国内担保法(組織的犯罪処罰法の改正)が長らく整備されなかったため、条約の国会承認から批准まで、それぞれ実に10年以上もの歳月を要した*18。
さて、汚職を組織犯罪、そしてマネロンの文脈に位置付けることには、以下の3つの具体的合理性がある。
まず第一に、直接的な意味において、汚職は世界的に犯罪収益の主要な源泉の一つである。賄賂を始めとした国富の横領によって蓄えられる金銭の額や、その実施の規模・反復継続性を考えれば、国情よっては、汚職を「最大の組織犯罪」と評することができる国も存在するであろう。そして、そのような不正な蓄財が、発覚を恐れて国境をまたいだマネロンの対象にしばしばなることも、また想像に難くない。
第二に、組織犯罪が跋扈する背景には、多くの場合、汚職によるガバナンスの弱さがあるということだ。コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルは、大物政治家から末端官吏に至るまでを買収し、当初はまともに捜査・訴追の対象にすらならなかった。米国への移送を逃れることと引き換えに収監された後も、カネに物を言わせて本来は禁止されている物品を邸宅のような特設の「刑務所」に持ち込み、犯罪ビジネスの指揮を含め、外界にいるのとほぼ変わらない生活を享受した挙句、最終的には堂々と脱獄を果たした。また、後の章でも取り上げるが、組織犯罪の新たな類型として昨今注目されているのが、野生動物の違法取引である。これは、対象の動物を殺した上でその身体の一部を調度品や漢方薬として売るもの、また、生きたまま捕獲しペット用等として取引するものなど様々あるが、何れにせよ、密猟・違法な捕獲からその輸送に至る過程の各段階で、汚職による取締りの機能不全が存在すると言われる。そして、贈賄と収賄はコインの表裏である。買収のために貢がれた金銭は、体制側の腐敗した輩の懐に蓄えられ、やがてマネロンの対象となる。そのように考えれば、「二つの合理性」として説明したこれらの事象は、国家と犯罪組織の癒着という図式においては、同一の実態を違う角度から説明しただけとも言える。
第三に、技術的な問題として、民間事業者に影響力を行使し得る立場の政府高官等によるマネロンは、その立場を濫用することにより、更に悪質で巧妙なものとなり、かつ、容易に実行されることが多いという実態がある。従って、犯罪組織等の一般的な行為者による場合にも増して、その発生を抑えるための制度的担保が必要となる訳である*19。
現実問題、汚職は多くの場合、結果としてマネロンに結び付く(図表3 FATFに紹介された、国家元首が絡む汚職・マネロンの関連事例。特にこのようなハイレベルの汚職事案では、ほぼ例外なくマネロンが行われる。(FATF, 2012をベースに、筆者作成))。想像に難くない通り、大規模な汚職とそれに伴うマネロンは途上国に頻繁に見られ、また、その類型としては大型公共事業、特に天然資源の採掘、そして軍事兵器の調達に関して発生することが多いと、FATFは警鐘を鳴らしている*20。我が国との関連でも、2010年には、ナイジェリアのボニー島における総額60億ドルに上る天然ガス採掘事業に関連して、日系企業が5,000万ドルの贈賄に関わったとして米国司法当局から調査を受けた(後に和解)*21。また国内では、防衛省の防衛装備品調達を巡って、いわゆる「官製談合」や贈収賄等、度々不正が発覚してきた*22。国を問わず、ロットが大きく、業態の特殊性や取引対象の保秘性が高い分野については、汚職が起こるリスクが一般的に高いと言える。
これに加えて、ここ最近新たなリスク要因として浮上してきたのが、コロナ対策関連の公的支出に係る汚職である。コロナ禍の中で、特に途上国には国際機関等から多額の援助資金が流入しているが、短期間での多額の事業・調達は、汚職の温床となるリスクが高い。FATFは早くからこのことについて他のリスク要因と併せて指摘しており*23、また、筆者が所属するIMFにおいても、近時のサーベイランス等においては必ずと言って良い程、コロナ関連支出の適正性について検討・議論が行われている*24。
さて、汚職に対する地下資金対策の面からの具体的対応として、現行のFATFの枠組み及びそれを受けた我が国の国内法令においては、政治家や政府高官等の重要な公的地位を有する者を「PEP(Politically-Exposed Person)」と名付け、マネロン・リスクが高い顧客として、特に厳重な顧客管理等の対象とすることとしている*25。この略称は、会話中ではそのまま発音され、「ペップ」又は複数形にして「ペップス」として用いられる。このPEPであるが、FATF基準においては本来、国内・国外双方の要人を含むものとされている*26。しかし現実には、国内PEPを自国法制でカバーできているのはごく一部の国に留まり、日米を含む先進国を含め、外国の要人等しか対象とできていない国が大半である。これでは、例えば外国政府高官に自国の金融機関をマネロンに悪用されることは検知できても、足元の自国要人のマネロンには十分に対応できない。この点に関しては、FATF基準が世界全体として実質的には遵守されておらず、理想と現実が大きくかけ離れている領域と言えるだろう*27。
国内PEP対応が世界的に進まない理由は、以下の2つであると考えられる。
まず第一の理由は、前述の通り、そもそもの反汚職規制の源流が外国政府への贈賄規制であることと関係する。つまり、FATFの中核を担う米国を初めとする先進国にとって、歴史的に見れば主要な関心は途上国を中心とした他国政府の汚職であり、それに自国企業が巻き込まれることをいかに防ぐかにあった。他方で、先進国においては相対的に自らの政府に対する信頼は高く、自国内の汚職は、必ずしも切迫した課題とは感じていない。地下資金対策において、本来であれば率先垂範すべき先進国であるが、この分野に関しての政策的動機は高くないのである。第二の理由は、地下資金対策の本質的困難性に関わるものである。つまり、先進国・途上国問わずいかなる国家の官僚機構においても、自分達のトップに立つ高官、更には国家元首を含む政治指導者達を相手にして、「あなた達が汚職をする可能性があるので、厳重なモニタリング対象にします」という法案を政治アジェンダに掲載することは、極めて難しい。それどころか、官僚機構の末端にまで汚職が蔓延しており、自縄自縛となり得る法令の起草など、スタートラインにすら立てない国もあるだろう。正に、国家が生み出す地下資金を国家自身が防圧することの難しさが、ここに象徴的に見て取れる。
4.「体制間競争」としての戦略化
写真:民主主義サミットには正副大統領に加えブリンケン国務長官も出席し、米国としてのコミットメントの強さをアピールした。(出典:U.S. Department of State from United States, Public domain)
さて、このようにして複数の政策分野からのアプローチが合流し、今や大きな世界的潮流となっている反汚職法制であるが、ここに至り、更に新たなる展開を見せている。2021年に就任したバイデン米大統領は、就任から約5か月後の6月に「合衆国の中核的国家安全保障上の関心事項として汚職との闘いを進める」とする政策指針を公表した*28。ここでは、汚職の問題を米国の安全保障(national security)、経済的平等、世界的な貧困撲滅と開発に向けた努力、そして民主主義そのもの(democracy itself)に対する脅威と認識し、それに対抗するための各種施策を取るとともに、副大統領のオフィスを中心に、省庁横断的なレビューを行うとした。そしてこの中には、マネロンとの関わりにも言及がある。汚職を国家安全保障や民主主義と結び付けるとはかなりの大風呂敷のように聞こえ、タイミング的にもやや唐突感のあったこの発表の真意は、それから約半年後の民主主義サミット(Summit for Democracy)の開催に至り、露わになった。
2021年12月に、バイデン大統領の更なる肝煎りで開催された民主主義サミットは、時節柄オンライン形式とはなったものの、日本を含む世界109か国と、台湾を含む2地域からの参加を得た。他方で、中国・ロシアは招待されず、また、北大西洋条約機構(NATO)に加盟しているにも拘らず、トルコとハンガリーも招待対象から外されるなど、参加国の選別に係る米国の恣意性が批判の対象ともなった。同サミットでは、参加国のリーダー達が民主主義と人権を擁護し、専制と抑圧に立ち向かう決意が表明されたが、この中では、反汚職への取組みが大きくフォーカスされた*29。その具体的方策は、開催国の米国が、前述した政策指針のフォローアップとしてサミットにあわせて発表した「反汚職戦略」*30において明らかにされている。ここにおいては、反汚職のツールとして5つの柱が挙げられており、その内の一つがマネロン規制である。方針の詳細として謳われた中には、これまでの章で取り上げた地下資金対策上の重要論点、即ち、実質的支配者(BO)の透明性向上や弁護士・会計士等のサムライ業によるバーデン・シェアリング強化、更には、美術品市場のリスク対応が明示的に盛り込まれている*31。
さて、このような、外交の文脈ではどちらかと言えばマイナーなトピックである反汚職を、これまたテクニカルなマネロン規制とセットにして両手で捧げ持ち、新政権の発足間もないこのタイミングで国際的に強力にプレイアップした米国の意図は明白である。米国は現在、反汚職を民主主義擁護のコロラリーとして捉え、国際社会を統治体制に従って彼我に分かつスローガンとして標榜しようとしている。それは、米国が仕掛けた「体制間競争」とでも呼ぶべき世界戦略であり、その中核には、汚職撲滅のための最重要のツールの一つとしてのマネロン規制があるのである。米国のこのような外交的手法は、当然賛否が分かれるところであろう。しかし何れの見解を取るにせよ、地下資金対策の今後の展開を占うに当たり、米国が反汚職という旗印の下で描く世界戦略について、認識が薄いままでいる訳にはいかないことは確かである。
以上見てきたように、反汚職の潮流は複数の水脈を巻き込みつつ発展し、その過程で汚職対策とマネロン規制は、分かち難く結び付くに至った。実際、筆者が現在勤務するIMFにおいては、地下資金と反汚職は隣接したユニットが担当しており、緊密に情報交換している。他方、多くの国においては汚職とマネロンは縦割りの行政所掌の中で、未だに別分野として扱われてきており*32、日本もその例外ではない。アカデミアにおいても、これらの分野の近接性はこれまで十分に意識されてこなかったものと思われる。マネロンと汚職の浅からぬ関係は、まず以ってそのような画一的な境界線の引き方に、再考を促していると言える。
なお、国家自身が生む地下資金はマネロンには限らない。次章以降で、地下資金対策のもう一つの柱であるテロ資金規制を取り上げるが、ここでも、一部の国家がテロ組織に資金を供与しているという、気が重くなる実態に触れざるを得ない。
※本稿に記した見解は筆者個人のものであり、所属する機関(財務省及びIMF)を代表するものではありません。
IMF法務局 上級顧問 野田 恒平
図表.本章の範囲
要旨
■世界の反汚職法制の源流は、自国企業から外国政府への贈賄を禁止する米国国内法令が国際化されたものであり、競争政策の色彩が強かった。その後、冷戦構造の崩壊等を受けて、途上国の汚職の削減が開発政策の観点からも重要視されるようになり、現在に至る。
■これらの流れを受けた反汚職法制が本格的に地下資金対策の分野とリンクされるのは、2000年代に入り、関連2条約が署名されて以降。FATF基準では、資産回復及びPEPの規定が特に関係。後者については、多くの国で国内PEP対応が不備という課題が残る。
■昨今、米国の体制間競争の中に反汚職が位置付けられ、かつ、その中でマネロンとの関係性も強調されている。我が国としては、汚職とマネロンの政策担当者のより緊密な連携を図るとともに、かかる米国の世界戦略も含めた汚職対策の潮流を理解しておく必要。
地下資金対策は、多くの場合国家対その敵対勢力(=犯罪組織・テロ組織)という図式で捉えられる。麻薬カルテルとの闘いという地下資金対策の出自を考えれば、その理解は失当とは言えない。しかし今日においては、この図式で描写できるのは地下資金対策の中の半面だけであり、現実には、地下資金の相当部分がある意味において国家自身によって生み出されているという、逆説のホラー・ストーリーが存在する。この点、FATFの枠組みに最も新しく追加された柱である、核兵器等の開発を巡る拡散金融については、その定義上、現在であれば北朝鮮とイランが関与する地下資金を対象としており、国家的アクターの関与はむしろ当然である。しかし同時に、実はマネロン及びテロ資金規制においても、国家、ないしはそれを体現する中枢にいる人物達が生み出す地下資金は、FATFを始めとする国際枠組が対象とする主要なターゲットの一つなのである。
テロ資金については後続の章に譲るとして、本章の射程は、地下資金対策の中でも最も伝統的なマネロンである。国家が生み出す、マネロンの対象となる犯罪収益とは、即ち汚職により収奪された国富のことである。そして、地下資金対策と汚職の連関性を正しく理解するには、反汚職法制の側から、それがどのように展開してきたかを俯瞰することが有益だ。実は、世界的な汚職への取組みは一本道で発展してきた訳ではなく、歴史的に見れば、全く異なる政策分野からの水脈が一つまた一つと合流し、徐々に形作られてきたものと言える(図表1 反汚職法制の展開(概念図)(筆者作成))。以下では時系列に従い、その形成の歴史と、それが現在の地下資金対策とどのように関連付けられるかについて、議論を進めていく。
写真:昭和を代表する政治家の一人、田中角栄元総理が関わったとされるロッキード事件は、米国における外国汚職防止法制定の契機ともなった。(出典:首相官邸ホームページ, CC BY 4.0)
1.米国・反汚職法制の世界的展開
反汚職法制の発祥の地は、またしても70年代の米国である。時期的には地下資金対策の基盤が形成されていった頃であるが(第2章参照)、この時はまだ地下資金対策とのリンケージはさほど意識されていない。さて、この時代の米国で反汚職法制が生まれ、更にそれが世界的に敷衍されていった原動力は、米国市民の高いモラルにより、米国内の政治家・公務員の廉潔性への要請が高まったから…ではない。1977年に世界初の本格的反汚職法と呼ぶべき外国汚職防止法(FCPA:Foreign Corrupt Practices Act)が制定され、それは1997年にOECD外国公務員贈賄防止条約として国際規範化されることとなるが、この過程で注意すべきは、(1)FCPAが、米国ではなく外国の公務員に対する贈賄を対象としたものであり、更に(2)OECD条約の制定は、倫理的観点ではなく専ら経済的利益、具体的には米国企業の海外競争力強化を目的としたものである、という点である。直接の契機となったのは、1972年のウォーターゲート、1976年のロッキードという、現代米国史に残る2つの大事件である*1。
ウォーターゲート事件は、麻薬戦争を推進し地下資金対策の基礎を形成した、他でもない共和党ニクソン大統領(第5章参照)によって引き起こされた。その概要は、同大統領が対立陣営の盗聴をしていたという政治スキャンダルであるが、この事件は思わぬ余波をももたらすことになる。それは、事件後の調査の過程で、400を超える企業が外国政府への賄賂として、合計3億ドルを超える不法支出を行っていた事実が明らかになったことだ。これにより、米国企業が海外とのビジネス活動に当たって多額の贈賄を外国政府に行っていた実態が、白日の下に晒された。このような悪しき慣行の存在を更に決定的に印象付けたのが、その4年後に起きたロッキード事件である。ロッキード・エアクラフト社は、自社航空機の売込みのため諸外国要人への贈賄工作を行っていたが、この中に我が国も含まれていたのは、周知の事実である。なお、ニクソン大統領が文字通り正負両面において、現在につながる地下資金対策の礎石を築いたという事実は、この分野のアクター達がしばしば善悪二分論で割り切れないことを象徴するかのようだ。
写真:米議会上院に設置された、ウォーターゲート事件調査委員会の様子。この調査の中から、米企業の外国政府に対する贈賄の実態が明らかになった。(出典:Official Senate photographer, a government employee, CC BY-SA 3.0)
さて、一連の事態を受けて米国政府はFCPAを成立させ、自国企業による外国政府への贈賄を禁止したが、これは、米国企業に思わぬ不利益を招来した。即ち、各国の企業がクロスボーダーで貿易投資を行う中で、実質的に米国企業のみが外国政府への贈賄を禁じられたことにより、規制の緩い他国と比べ、現地での取引において比較劣位に置かれることとなったのである。そこで、米国レベルの贈賄禁止規制を各国共通に課し、以って各国企業の競争条件の均一化を図るべく、米国の強い働き掛けによりOECD条約が締結されることになった。その規定は、FCPAに概ね類似した内容になっている。米国は社会経済的な国益実現のため、およそ20年を掛けて自国の反汚職法制を世界化したのである。この一連の過程は、地下資金対策の枠組みが形成されるプロセスと、全くと言って良い程パラレルなものと言える。
なお我が国も同条約に加盟するとともに、主に不正競争防止法に関連規定を盛り込むことによって国内法対応を行った。現在、経済産業省がその国内的実施を担っており、関連する啓発活動も行っている*2。また、この条約の下で参加各国には数年に一度、相互審査メカニズムにより評価が行われているが、これは「実質的にはFATFの手続きの模倣」とも評価されるものであり*3、この制度の導入時辺りから、反汚職とマネロンは近接性を持つ分野として意識され始めたものと見ることができる。なお、この相互審査メカニズムの下、日本に対する直近の審査は2019年に、更にそのフォローアップが2021年に実施され、それらの結果はレポートとして公表されている*4。
2.開発政策からのアプローチ
反汚職法制に係るもう一つの流れは、開発政策学の領域に水源を発する。前節で説明した、OECD条約に結実する米国発の反汚職法制の流れが、途上国への投資活動に着目した、言うなれば先進国目線のものであったのに対し、こちらは途上国自身の目線に立った発想である。より具体的には、1990年代初頭から推進されたグッド・ガバナンス(良き統治)の議論であるが、ここにおいて、交通インフラや教育・医療制度といったハード・ソフト双方のインフラに加え、ガバナンスが開発途上国における経済発展の鍵を握る重要な要素の一つとして、認識されるに至る。その背景には、メディアやネットの普及による情報化とそれに伴う市民活動の高まりや、アジア金融危機等を契機に、これらの国・地域での汚職の問題がフォーカスされたこと等があるとされる。
しかし、それにも増して大きいのが冷戦構造の崩壊である。冷戦下では途上国の共産化を防ぐために、これらの国々の汚職の問題は、西側諸国から戦略的に敢えて見逃されてきた。冷戦の終焉は、そのような「お目こぼし」の必要性を消滅させ、逆に、旧東側途上国の市場化に伴って、これらのビジネス・パートナーとしての規律を高めることこそが、要請されるようになったのである*5。このような潮流に伴い、世銀・OECDを始めとした国際機関、日本を含むバイラテラルのドナー、NGO等が大規模に反汚職の取組みを展開し、これに呼応するように、アカデミアにおいても汚職の問題を包括的・学際的に分析の対象とする動きが活発化する*6。各国の汚職度を指標化する試みも数多く行われたが、その代表的なものが国際的NGO・Transparency Internationalが毎年公表しているCorruption Perception Indexである(図表2 世界各国の最新汚職度インデックス。廉潔性上位には、北欧諸国やシンガポール・スイス等が並び、日本は19位。下位の国は、ソマリア・南スーダン・シリア等の内戦国が中心。(Transparency International))。
汚職の蔓延は、一国の成長・分配と逆相関の関係に立つとされる。計量的アプローチからこの点を示した先行研究については、正に枚挙にいとまがないといったところであるが*7、汚職が広まることが、資源の非効率な配分・投資の抑制等を通じて一国の経済に悪影響を及ぼすという事実については、経験則的にも多くの人にとって、直感として無理なく受け容れられるものであろう。かく言う筆者も、在フィリピン日本大使館勤務を通じ、ODA業務や日系企業のビジネス環境改善に取り組む中で、社会に蔓延する汚職の弊害を実地で感じた一人である*8。国は違うが、ベトナムにおいては、我が国のODA事業に絡んで、大手コンサルタント会社のパシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル(PCI)が、現地政府高官に2003年・2006年に計約9,000万円相当の賄賂を渡したという大規模な事件も後に発覚している*9。
そして、この開発政策としての反汚職という発想も、後述の通り地下資金対策の中にも取り込まれていくことになる訳であるが、その表出とも言える制度がアセット・リカバリーと呼ばれるものである*10。アセット・リカバリーは、和訳すると「資産回復」ということになるが、以下のように特定された意味を持つものであり、一般的な語感とは必ずしもなじまない。この言葉のFATFによる定義は、「ある国の犯罪収益が国外にある場合に、当該収益を(国境をまたいで)返還すること」である*11。FATF基準は、マネロンやその前提犯罪に係る犯罪収益が遺漏なく没収されることを求めている。これは、犯罪に基づく収益が、犯罪活動に再投資されることを防止することという、組織犯罪対策としてのマネロン規制の出発点となる発想に基づくものである。それに加えて更にFATF基準は、その犯罪収益が国外から来たものである場合、例えば、日本で行われた犯罪の収益が外国の銀行口座に移され、その地の当局によって没収された場合は、出元である日本に返してあげなさい、ということを要求しているのである(勧告4・38、有効性指標8*12)。
これだけを聞いて、この制度に違和感を感じる人は少ないと思うが、実はその理解はそれ程簡単ではない。なぜなら、組織的な犯罪収益の中核は元々は薬物犯罪であり、これはその性質上、いわゆる「被害者なき犯罪」だからである。詐欺のような財産犯であれば、本国の被害者救済の要請から、収益返還の必要性は腑に落ちるが、マネロン規制の一丁目一番地である薬物犯罪の対価として支払われた金銭は、買い手が対価として認識を以って支払いを行っている以上、その返還の政策的要請は必ずしも存在しない。またそもそも、犯罪の抑止という刑事政策的な目的だけであれば、犯罪収益が没収されることそのものが重要なのであり、それが事後的にどう扱われるかは、主要な関心の対象ではない。実は、アセット・リカバリーは反汚職の枠組みが形成されていく中で、創出された概念である。その趣旨は、汚職によって収奪された金銭とは、本来はその国の発展に寄与すべき国富であり、外国当局がそれを没収したなら、本国にきちんと返還すべきである、という発想に立脚している。アセット・リカバリーは、開発政策が反汚職法制の発展史に合流してきた経緯の、歴史的証左である。
もっとも、現在の枠組みにおいてこの制度は汚職以外の前提犯罪にも敷衍されている。そして現在では、マネロンの前提犯罪は薬物犯罪から拡大され、「被害者がいる」一般的な財産罪もその射程に入っていることから、アセット・リカバリーは、被害者の救済という民事的観点からも、結果として制度的合理性を有するものとなっている。我が国では、今日に至るまでで最大のマネロン事犯と言える、山口組系の暴力団・五稜会による闇金融事件で、正にこのスキームが活用された。同会は、法定利息を遥かに超える違法利息で上げた暴利を、スイス所在のクレディスイス銀行本店無記名口座に送金する等して隠匿していた。この約58億円に上る犯罪収益はその後、スイス当局によって没収されたが、日本政府はその返還を求めた。2008年4月、日本・スイス政府は没収された収益の半分に当たる約29億円の返還で合意し、この対象財産は、被害者の救済に当てられることとなったのである*13。
3.地下資金対策とのリンケージ
写真:メキシコ・ユカタン州の州都、メリダにあるコロニアル様式の州庁舎。この街で、国連腐敗防止条約が署名された。
(出典:Travel4Brews, CC BY 2.0)
アセット・リカバリーについて前節で先取りして説明してしまったが、今一度俯瞰的な解説に立ち戻ると、反汚職が地下資金対策と明確に関連付けられたのは、2000年代に入ってから相次いで締結された、「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」及び「腐敗の防止に関する国際連合条約」の、2つの条約によってである。これら条約は、それぞれの署名地を取ってパレルモ条約及びメリダ条約とも呼ばれ、2000年及び2003年に署名された。パレルモ条約は、国際社会としての組織犯罪への取組みを包括的に定めたものであるが、この中で、加盟国は汚職をマネロンの前提犯罪に含むこととされた*14。この条約により、マネロン・汚職リンケージの先鞭が付けられた訳である。
そしてこれに続くメリダ条約は「腐敗防止条約」という名の通り、世界的な反汚職の取組みの集大成とも言うべきものである。前述の外国公務員贈賄防止条約が、先進国クラブであるOECDの下での枠組みであったのに対し、このメリダ条約は国連が主導したものであり、加盟国は国連加盟国の内189か国に上る。この一事を以っても、二つの条約におけるスコープの大きさの違いは明らかであろう。そして本条約の中では、汚職対策を効果的に進めるためのツールの一つとして、マネロンに関する包括的な規定が設けられた*15。これは、OECD条約が限定的な形でしかマネロンを取り上げていなかったことからの、大きな進歩である*16。こうして、組織犯罪対策と反汚職という出自の異なる潮流が、マネロン規制という結節点を介して交わることとなった。そしてこのような反汚職とマネロンの関係性は、2000年代以降、折しも立ち上げられたG20サミットの枠組みにおいても、繰返し言及されるようになる*17。なおこれらの条約について、日本においては国内担保法(組織的犯罪処罰法の改正)が長らく整備されなかったため、条約の国会承認から批准まで、それぞれ実に10年以上もの歳月を要した*18。
さて、汚職を組織犯罪、そしてマネロンの文脈に位置付けることには、以下の3つの具体的合理性がある。
まず第一に、直接的な意味において、汚職は世界的に犯罪収益の主要な源泉の一つである。賄賂を始めとした国富の横領によって蓄えられる金銭の額や、その実施の規模・反復継続性を考えれば、国情よっては、汚職を「最大の組織犯罪」と評することができる国も存在するであろう。そして、そのような不正な蓄財が、発覚を恐れて国境をまたいだマネロンの対象にしばしばなることも、また想像に難くない。
第二に、組織犯罪が跋扈する背景には、多くの場合、汚職によるガバナンスの弱さがあるということだ。コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルは、大物政治家から末端官吏に至るまでを買収し、当初はまともに捜査・訴追の対象にすらならなかった。米国への移送を逃れることと引き換えに収監された後も、カネに物を言わせて本来は禁止されている物品を邸宅のような特設の「刑務所」に持ち込み、犯罪ビジネスの指揮を含め、外界にいるのとほぼ変わらない生活を享受した挙句、最終的には堂々と脱獄を果たした。また、後の章でも取り上げるが、組織犯罪の新たな類型として昨今注目されているのが、野生動物の違法取引である。これは、対象の動物を殺した上でその身体の一部を調度品や漢方薬として売るもの、また、生きたまま捕獲しペット用等として取引するものなど様々あるが、何れにせよ、密猟・違法な捕獲からその輸送に至る過程の各段階で、汚職による取締りの機能不全が存在すると言われる。そして、贈賄と収賄はコインの表裏である。買収のために貢がれた金銭は、体制側の腐敗した輩の懐に蓄えられ、やがてマネロンの対象となる。そのように考えれば、「二つの合理性」として説明したこれらの事象は、国家と犯罪組織の癒着という図式においては、同一の実態を違う角度から説明しただけとも言える。
第三に、技術的な問題として、民間事業者に影響力を行使し得る立場の政府高官等によるマネロンは、その立場を濫用することにより、更に悪質で巧妙なものとなり、かつ、容易に実行されることが多いという実態がある。従って、犯罪組織等の一般的な行為者による場合にも増して、その発生を抑えるための制度的担保が必要となる訳である*19。
現実問題、汚職は多くの場合、結果としてマネロンに結び付く(図表3 FATFに紹介された、国家元首が絡む汚職・マネロンの関連事例。特にこのようなハイレベルの汚職事案では、ほぼ例外なくマネロンが行われる。(FATF, 2012をベースに、筆者作成))。想像に難くない通り、大規模な汚職とそれに伴うマネロンは途上国に頻繁に見られ、また、その類型としては大型公共事業、特に天然資源の採掘、そして軍事兵器の調達に関して発生することが多いと、FATFは警鐘を鳴らしている*20。我が国との関連でも、2010年には、ナイジェリアのボニー島における総額60億ドルに上る天然ガス採掘事業に関連して、日系企業が5,000万ドルの贈賄に関わったとして米国司法当局から調査を受けた(後に和解)*21。また国内では、防衛省の防衛装備品調達を巡って、いわゆる「官製談合」や贈収賄等、度々不正が発覚してきた*22。国を問わず、ロットが大きく、業態の特殊性や取引対象の保秘性が高い分野については、汚職が起こるリスクが一般的に高いと言える。
これに加えて、ここ最近新たなリスク要因として浮上してきたのが、コロナ対策関連の公的支出に係る汚職である。コロナ禍の中で、特に途上国には国際機関等から多額の援助資金が流入しているが、短期間での多額の事業・調達は、汚職の温床となるリスクが高い。FATFは早くからこのことについて他のリスク要因と併せて指摘しており*23、また、筆者が所属するIMFにおいても、近時のサーベイランス等においては必ずと言って良い程、コロナ関連支出の適正性について検討・議論が行われている*24。
さて、汚職に対する地下資金対策の面からの具体的対応として、現行のFATFの枠組み及びそれを受けた我が国の国内法令においては、政治家や政府高官等の重要な公的地位を有する者を「PEP(Politically-Exposed Person)」と名付け、マネロン・リスクが高い顧客として、特に厳重な顧客管理等の対象とすることとしている*25。この略称は、会話中ではそのまま発音され、「ペップ」又は複数形にして「ペップス」として用いられる。このPEPであるが、FATF基準においては本来、国内・国外双方の要人を含むものとされている*26。しかし現実には、国内PEPを自国法制でカバーできているのはごく一部の国に留まり、日米を含む先進国を含め、外国の要人等しか対象とできていない国が大半である。これでは、例えば外国政府高官に自国の金融機関をマネロンに悪用されることは検知できても、足元の自国要人のマネロンには十分に対応できない。この点に関しては、FATF基準が世界全体として実質的には遵守されておらず、理想と現実が大きくかけ離れている領域と言えるだろう*27。
国内PEP対応が世界的に進まない理由は、以下の2つであると考えられる。
まず第一の理由は、前述の通り、そもそもの反汚職規制の源流が外国政府への贈賄規制であることと関係する。つまり、FATFの中核を担う米国を初めとする先進国にとって、歴史的に見れば主要な関心は途上国を中心とした他国政府の汚職であり、それに自国企業が巻き込まれることをいかに防ぐかにあった。他方で、先進国においては相対的に自らの政府に対する信頼は高く、自国内の汚職は、必ずしも切迫した課題とは感じていない。地下資金対策において、本来であれば率先垂範すべき先進国であるが、この分野に関しての政策的動機は高くないのである。第二の理由は、地下資金対策の本質的困難性に関わるものである。つまり、先進国・途上国問わずいかなる国家の官僚機構においても、自分達のトップに立つ高官、更には国家元首を含む政治指導者達を相手にして、「あなた達が汚職をする可能性があるので、厳重なモニタリング対象にします」という法案を政治アジェンダに掲載することは、極めて難しい。それどころか、官僚機構の末端にまで汚職が蔓延しており、自縄自縛となり得る法令の起草など、スタートラインにすら立てない国もあるだろう。正に、国家が生み出す地下資金を国家自身が防圧することの難しさが、ここに象徴的に見て取れる。
4.「体制間競争」としての戦略化
写真:民主主義サミットには正副大統領に加えブリンケン国務長官も出席し、米国としてのコミットメントの強さをアピールした。(出典:U.S. Department of State from United States, Public domain)
さて、このようにして複数の政策分野からのアプローチが合流し、今や大きな世界的潮流となっている反汚職法制であるが、ここに至り、更に新たなる展開を見せている。2021年に就任したバイデン米大統領は、就任から約5か月後の6月に「合衆国の中核的国家安全保障上の関心事項として汚職との闘いを進める」とする政策指針を公表した*28。ここでは、汚職の問題を米国の安全保障(national security)、経済的平等、世界的な貧困撲滅と開発に向けた努力、そして民主主義そのもの(democracy itself)に対する脅威と認識し、それに対抗するための各種施策を取るとともに、副大統領のオフィスを中心に、省庁横断的なレビューを行うとした。そしてこの中には、マネロンとの関わりにも言及がある。汚職を国家安全保障や民主主義と結び付けるとはかなりの大風呂敷のように聞こえ、タイミング的にもやや唐突感のあったこの発表の真意は、それから約半年後の民主主義サミット(Summit for Democracy)の開催に至り、露わになった。
2021年12月に、バイデン大統領の更なる肝煎りで開催された民主主義サミットは、時節柄オンライン形式とはなったものの、日本を含む世界109か国と、台湾を含む2地域からの参加を得た。他方で、中国・ロシアは招待されず、また、北大西洋条約機構(NATO)に加盟しているにも拘らず、トルコとハンガリーも招待対象から外されるなど、参加国の選別に係る米国の恣意性が批判の対象ともなった。同サミットでは、参加国のリーダー達が民主主義と人権を擁護し、専制と抑圧に立ち向かう決意が表明されたが、この中では、反汚職への取組みが大きくフォーカスされた*29。その具体的方策は、開催国の米国が、前述した政策指針のフォローアップとしてサミットにあわせて発表した「反汚職戦略」*30において明らかにされている。ここにおいては、反汚職のツールとして5つの柱が挙げられており、その内の一つがマネロン規制である。方針の詳細として謳われた中には、これまでの章で取り上げた地下資金対策上の重要論点、即ち、実質的支配者(BO)の透明性向上や弁護士・会計士等のサムライ業によるバーデン・シェアリング強化、更には、美術品市場のリスク対応が明示的に盛り込まれている*31。
さて、このような、外交の文脈ではどちらかと言えばマイナーなトピックである反汚職を、これまたテクニカルなマネロン規制とセットにして両手で捧げ持ち、新政権の発足間もないこのタイミングで国際的に強力にプレイアップした米国の意図は明白である。米国は現在、反汚職を民主主義擁護のコロラリーとして捉え、国際社会を統治体制に従って彼我に分かつスローガンとして標榜しようとしている。それは、米国が仕掛けた「体制間競争」とでも呼ぶべき世界戦略であり、その中核には、汚職撲滅のための最重要のツールの一つとしてのマネロン規制があるのである。米国のこのような外交的手法は、当然賛否が分かれるところであろう。しかし何れの見解を取るにせよ、地下資金対策の今後の展開を占うに当たり、米国が反汚職という旗印の下で描く世界戦略について、認識が薄いままでいる訳にはいかないことは確かである。
以上見てきたように、反汚職の潮流は複数の水脈を巻き込みつつ発展し、その過程で汚職対策とマネロン規制は、分かち難く結び付くに至った。実際、筆者が現在勤務するIMFにおいては、地下資金と反汚職は隣接したユニットが担当しており、緊密に情報交換している。他方、多くの国においては汚職とマネロンは縦割りの行政所掌の中で、未だに別分野として扱われてきており*32、日本もその例外ではない。アカデミアにおいても、これらの分野の近接性はこれまで十分に意識されてこなかったものと思われる。マネロンと汚職の浅からぬ関係は、まず以ってそのような画一的な境界線の引き方に、再考を促していると言える。
なお、国家自身が生む地下資金はマネロンには限らない。次章以降で、地下資金対策のもう一つの柱であるテロ資金規制を取り上げるが、ここでも、一部の国家がテロ組織に資金を供与しているという、気が重くなる実態に触れざるを得ない。
※本稿に記した見解は筆者個人のものであり、所属する機関(財務省及びIMF)を代表するものではありません。