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各地の話題/「ファイナンス」令和4年1月号

隠岐 世界ジオパークへようこそ
神戸税関境税関支署西郷監視署 監視署長 日野  和彦

1.はじめに
神戸税関境税関支署西郷監視署は、島根半島の北方約50kmの日本海に浮かぶ隠岐諸島に所在しています。隠岐諸島は、住民の住む4つの大きな島と他の約180の小島からなっており、人口は約1万9千人です。
4つの大きな島はそれぞれ、中ノ島、西ノ島、知夫里島及び島後で、前3島は併せて「島前(どうぜん)」、もう一つの島は「島後(どうご)」と呼ばれています。この島前(どうぜん)、島後(どうご)の呼び名については、古来の山陰道(本土側)から見て、手前を道前、後ろ側を道後としたのが語源といわれています。
隠岐諸島は、火山活動により形作られて以降、波の浸食等により特徴的な岸壁、岩等が生み出されるなど風光明媚なところが多く、島全体が大山隠岐国立公園に指定されているほか、2013年には「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されました。
隠岐は対馬海流が近くを流れるなど海流の関係から魚種も多く絶好の釣りスポットであり、島外からも多くの釣り人が訪れます。隠岐を訪れるにはフェリー又は高速船を利用する方が多いですが、隠岐唯一の空港である隠岐空港も利用できます。近年、空港には愛称が付けられることがあり、山陰でいえば、出雲縁結び空港(出雲空港)や鳥取砂丘コナン空港(鳥取空港)、米子鬼太郎空港(米子空港)などがありますが、隠岐空港も例外ではなく、2015年にその名も「隠岐世界ジオパーク空港」という愛称が付けられました。

2.西郷監視署
隠岐諸島における税関官署は、明治32年(1899年)設置の「西郷税関監視署」が始まりです。その後、出張所への昇格、廃止、再開そして二度目の廃止を経て、平成19年(2007年)7月に「境税関支署西郷監視署」として再び設置され、現在に至ります。
西郷監視署は、隠岐諸島全域を管轄としており、拳銃や覚醒剤などの社会悪物品の密輸阻止を目的として、日々漁港や海岸線を巡回するとともに、警察署や海上保安署などの取締関係機関及び町役場などの関係先と連携強化、情報共有を図っています。

3.隠岐諸島について
(1)隠岐諸島の成り立ち
隠岐を造り出したのは、約600万年前から約550万年続いた二つの大きな火山活動でした。その後、氷河期における海面低下(日本列島と陸続きに)、地球温暖化による海面上昇を経て、約1万年前に隠岐は現在のような離島になったといわれています。
隠岐はその成り立ちから、北海道で見られる植物と沖縄で見られる植物が同じ場所で生育しているなど不思議な生態系をもっています。また、離島という環境から、本土では一般的な熊や鹿などが生息しておらず、オキノウサギやオキサンショウウオなど隠岐固有の種が多く生息しています。

写真:オキノウサギ

(2)遠流の地としての隠岐
隠岐は鎌倉時代に幕府に敗れた後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流されたことで有名ですが、隠岐が遠流の地に選ばれた(始まりは奈良時代)のは、都から遠く離れているということだけではなく、流された貴人が飢えたり生活に危険を覚えたりするような場所ではなく、作物豊かな土地であったことが理由であるといわれています。約3,000人余りの人が流されましたが、流人のほとんどが牢獄に入ることなく、島の人々と共に暮らしてきたと伝えられています。このため、方言の一部に関西弁が混じっていると言われています。
1221年の「承久の乱」で鎌倉幕府に敗れた後鳥羽上皇は、現在の海士町(中ノ島)に流されて、その後亡くなるまでの19年間を隠岐で過ごしました。今も残る伝統文化「牛突き(うしつき)」は、後鳥羽上皇を慰めるために島の人々が始めたとされており、亡くなってから780年が過ぎた今でも、島の人々は後鳥羽上皇に親しみを込めて「ごとばんさん」と呼んでいるそうです。

(3)島で生まれた文化
イ 牛突き
一般的には「闘牛」と呼ばれているもので、牛が角を突き合わせることから隠岐では「牛突き」といわれています。牛だけで闘わせる他県の闘牛とは異なり、隠岐の牛突きは「綱取り」が手綱を握り牛と呼吸を合わせて闘います。体重1トン近い巨体の雄牛がぶつかる音は迫力満点です。前述のとおり始まりは後鳥羽上皇を慰めるために始まったとされています。春から秋の観光シーズンにおいては観光客向けに牛突きが開催されていますが、地元民は「八朔牛突き大会」など本場所大会を楽しみにしています。なお、観光客向けの牛付きは最後まで勝負をつけず引き分けで終わらせますが、本場所における横綱戦は勝負がつくまで終わりません。勝負は一方の牛が戦意を無くして逃げることで決着がつくため、1戦が10分以上かかることもあります。

写真:牛突きの様子

ロ 古典相撲
島では地域をあげてのお祝い事(大型公共工事の竣工など)があると、それを記念して「古典相撲」が行われます。特徴としては、
・2日がかりで夜を徹して行われる(夕方から翌日の昼頃まで)
・取組みが300番近く行われる
・力士の最上位は大関で、関脇、小結の三役が役力士
・役力士のうち、大関及び関脇には土俵の柱が贈られ、小結には柱をつなぐ貫(ぬき)が贈られる
という点が挙げられますが、ユニークなのは取組みが必ず2番勝負で行われることで、1番目の勝者は2番目には相手に勝ちを譲って必ず1勝1敗にします。これは「人情相撲」と呼ばれ、勝った負けたで後々に遺恨を残さないようにするためのものであり、人間関係を大切にする島の人々の気持ちが感じられます。

写真:古典相撲の様子

(4)景勝地
イ ローソク島
高さ約20mの奇岩で、まっすぐ一本そびえており、島の先端に夕日が重なると巨大なろうそくに灯がともったように見えます。

写真:ローソク島

ロ 国賀海岸
西ノ島の西岸に約13kmにわたって断崖絶壁や洞窟などが続いています。その中でも特に目を引くのは、海面から257mの断崖絶壁である摩天崖です。これらの豪快な大断崖、奇岩が連なる一方、絶壁の上の草原には牛馬が放牧されてのんびりした雰囲気になっており、そのコントラストから隠岐を代表する観光スポットになっています。

写真:摩天崖からの景色

ハ トカゲ岩
岸壁の崩落によりできたもので、遠くから見るとトカゲが崖を登っているように見えることからこの名前が付きました。

写真:トカゲ岩

4.おわりに
今回ご紹介させていただいたのは、ほんの極一部です。隠岐にはまだまだ魅力のある観光スポットや今回ご紹介できなかった美味しい食べ物が沢山あります。
雄大な景観美を誇る隠岐ですが、街には品揃えの良いスーパーや大手の家電量販店、ドラッグストアなどが進出し生活面も充実しています。また、隠岐の人は人情に溢れ、私を含め島外から来た人々をとても温かく迎え入れてくれます。
訪れて良し、住んで良し。皆様も是非一度隠岐に足を運んでみてはいかがでしょうか。
写真協力 隠岐の島町、西ノ島町観光協会

周南市「港は宝」 徳山下松港開港100周年 周南市
徳山税関支署 管理課長 新屋  政男

1.はじめに
徳山税関支署は、明治32年4月に長崎税関徳山監視署として設置され、門司税関徳山監視署を経て大正11年2月10日の徳山港開港に併せて徳山税関支署となりました。
また、当支署の出張所として、昭和22年9月に下松出張所、同29年8月に防府出張所、同38年4月に光出張所、同44年4月に平生出張所がそれぞれ設置されましたが、下松出張所は平成15年7月に廃止され、また、光出張所は同26年4月に非常駐化となった後、同28年7月に廃止されたことから、現在は支署管内に防府出張所及び平生出張所の2つの出張所を有し、山口県のうち防府市、周南市、下松市、光市、熊毛郡の4市1郡を管轄しています。
タイトルのとおり、令和4年2月10日には徳山下松港開港と支署設置からちょうど100周年を迎えることになります。
税関も本年11月28日に税関と呼称統一されてから150周年を迎えることから、今年は記念すべき年となります。

2.管内の経済・港湾事情
当支署が所在する周南市は、山口県の南東部に位置し、平成15年4月にそれまでの徳山市、新南陽市、熊毛町、鹿野町の2市2町が合併して誕生しました。市内には、国道2号線、山陽自動車道、JR山陽本線及び山陽新幹線、さらには、九州大分へのフェリー航路を持つなど、広域交通網が整備された人口約14万人の工業都市です。
また、徳山下松港は、周南市、下松市、光市の3市を包含する広い港域を持ち、周囲を笠戸島及び大津島等に囲まれた天然の良港であるとともに、その背後には、昭和30年代から石油、鉄鋼及び化学工業等の企業立地が進み、西日本における代表的な臨海工業地帯となっているのが特徴です。
徳山下松港は、戦後の昭和23年に開港(徳山港は、大正11年開港、昭和13年閉港)となり、同32年に旧海軍燃料廠(海軍練炭製造所を改称)跡地に石油大手企業が進出したことに伴い、その関連大手企業が相次いで進出し、全国屈指の石油コンビナートが誕生したことに始まり、同40年に特定重要港湾の指定を受けたことで、臨海企業の急速な発展と旧徳山市を中心とする地域経済圏が確立・拡大していったことにより急速な進展を遂げ、現在に至っているものです。
平成3年には徳山コンテナタ-ミナルの供用が開始され、これに伴い、定期コンテナ航路の開設が相次ぎ、現在では、東南アジア航路1路線で月間4便、韓国航路5路線で同28便、中国航路3路線で同12便の計9路線で同44便が就航しています。
港湾整備状況では、徳山・新南陽港区において公共岸壁及びコンテナヤードの整備拡充が進められており、同12年には晴海埠頭に石炭等バラ積船用のマイナス14m岸壁(バルク公共埠頭としては中国地方随一の深さ)及び同20年には新南陽埠頭マイナス12mが完成し、供用が開始されました。
なお、同20年8月には全国初の「臨海部産業エリア形成促進港」の指定を受けて、晴海埠頭-14m岸壁とその背後地を活用した石炭などのバルク貨物を蔵置するため、株式会社トクヤマを中心に周南バルクターミナル株式会社が設立され、同22年には一部が供用開始、同24年4月には全面供用開始となりました。
また、同23年5月には、国が石炭、鉄鉱石、穀物を扱う国内の大型港湾の中から国際競争力のある港を集中整備する「国際バルク戦略港湾」として、宇部港と共に石炭取扱港に選ばれています。さらに、地元の自治体や企業から国際競争力強化や地域経済の発展を期待する声が上がっている中、同29年6月には、発電所や生産工場で発電燃料として消費される石炭の需要増加や企業間連携による大型石炭船を活用した共同輸送の進展に対応するため、「徳山下松港国際物流ターミナル整備事業」が着工され、現在も整備中です。
【下松地区】
下松港は、昭和23年に徳山港に編入され、徳山下松港として開港に指定されました。
下松地区は、鉄鋼・機械の原材料搬入・製品搬出などが主ですが、新幹線をはじめとする鉄道車両も、ここから船積みされ各地に運ばれています。また、周辺の発電所向けの石炭を取り扱うパンタドーム型の巨大な石炭中継基地も作られているのが特徴です。
【光地区】
光港は、光海軍工廠の専用港として戦時中に建設され、昭和39年2月に港湾法に基づく港湾管理区域として徳山下松港に編入、その後、昭和41年4月に開港となりました。
光地区は、鉄鋼メーカーによる原材料搬入・製品搬出が主となっています。

3.管内の名所・話題
【鹿苑山 漢陽寺(ろくおんざん かんようじ)】
漢陽寺は周防・長門などの守護大名だった大内盛見が1374年(応安7年)に創建した臨済宗の禅寺です。
「昭和の雪舟」とも称される重森三玲(しげもりみれい)の作庭による平安・鎌倉・室町時代の様式を組み合わせた「曲水の庭」を含む、6つの優雅な庭があることでも知られていますが、令和3年6月に国の登録記念物に正式登録されています。
【徳山ふぐ・ふぐ延縄漁の発祥地「粭島」】
「ふぐ」と言えば冬の味覚の代表格であり、下関市が全国的にも有名ですが、ふぐの延縄(はえなわ)漁そのものは、周南市にある周囲わずか4kmほどの小さな島・粭島(すくもじま)で始まりました。
明治の末期、漁師の高松伊予作さんが釣り針の改良を重ね、現在の「粭島型」を考案。さらに幹糸がふぐの鋭い歯で噛み切られるのを防ぐため、部分的に銅線を使用するなどの様々な工夫を凝らしましたが、その後も改良を重ねて現在まで継承されています。
シーズンは9月下旬から3月中旬です。周南市内にはふぐの料理店も数多くありますので、周南市の沖で獲れた贅沢な冬の味覚をフルコースでご堪能ください。
また、5月から9月にかけては「鱧」のシーズンですので、一年を通して海の幸をご堪能いただけます。
【地元のお酒】
山口県内には全国でも有名な日本酒が多く存在しますが、周南市にも代表的な酒蔵が3つあり、原料には山口県の水と米を使用しています。海外での評価も高く、中には全米日本酒勧評会でグランプリを受賞したものもあります。
お土産にちょうど良いサイズも販売されていますので、出張などでお越しの際には、ぜひお手に取って頂ければと思います。
【周南工場夜景】
周南市の沿岸部に広がる工場群は、全国有数の工場夜景の一つに数えられており、中でも晴海親水公園から臨む夜景は日本夜景遺産にも認定されています。市街地からも近く、徒歩で気軽に向かえるビュースポットがいくつかありますし、工場夜景観賞ツアーやホテルの客室から夜景を楽しむ宿泊プランなど、さまざまなスタイルで美しい夜景を楽しめることも周南工場夜景の魅力となっています。
なお、令和4年2月(2月23日は工場夜景の日)には「全国工場夜景サミット」が徳山開港100周年を記念して周南市で開催されることになっていますので、ぜひ夕暮れから完全に陽が落ちるまでの「ゴールデンタイム」に工場夜景をご堪能いただければと思います。
【人間魚雷「回天」記念館(発射場跡)「大津島」】
周南市の徳山港から南西10kmに浮かぶ大津島(定期船により約20分で訪れることができます)に残っている人間魚雷「回天」の訓練基地跡は、全国にあった4カ所の基地のうち最初に開設され、かつ、当時の施設が現在も残っている唯一のものです。
また、訓練基地跡のほかにも、小高い場所にある回天記念館には、実物大の「回天」やその搭乗員の遺品・遺書など、「回天」に関する多くの資料が展示されており、まるで当時にタイムスリップしたような感覚になりながら亡き若者たちを偲ぶとともに、平和の尊さを感じることができます。
【東京と共通する徳山の地名】
周南市あるあるの一つに、市街地の地名がよく取り上げられます。港湾地区における「晴海ふ頭」をはじめ、「代々木公園」や市街地では「銀座」はもちろん、「新宿」、「原宿」、「青山」、「千代田」、「有楽町」など東京都と同じような地名が各所に存在します。これは元々実際にあった地名もあるのですが、空襲により焦土と化した市街地の戦後における区画整備時に、元の地名を分割した際などに似通った地名となったものや、地元の方々が戦後の復興と発展を願って東京の地名にあやかって名付けたという説があります。

4.おわりに
冒頭でも述べましたが、今年は徳山下松港開港、徳山税関支署開設から100周年を迎える記念すべき年です。周南市、下松市、光市の3市では共同でこの記念すべき年をお祝いするために、「徳山下松港100周年記念行事プロジェクト」を立ち上げ、各種記念行事等を企画しているところです。
徳山税関支署も実行委員として参加しており、地方自治体と協力しながら、この記念すべき年を盛り上げていきますが、同時に「税関150周年」でもありますので、税関の認知度向上を図るために150周年記念行事についてもあわせてPRしていきます。
今回ご紹介させていただいた周南市周辺は、自然と工業地帯がうまく融合した非常に豊かな表情を持つ地域です。ほかにも支署管内各地には、ここではご紹介しきれなかった魅力あふれる観光スポット、地元グルメなどがたくさんありますので、どうぞ、お近くにお越しの際にはご堪能いただければと思います。
資料提供:山口県周南港湾管理事務所
周南市地域振興部観光交流課