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還流する地下資金―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―6 背後にひそむ真の人物を探る

IMF法務局 上級顧問  野田  恒平

図.本章の範囲

要旨
■官民のバーデン・シェアリングの具体的な在り方に関し、「水際措置」における、取引に係る法人・自然人の把握という地下資金対策の根幹についての基礎的な制度インフラの整備は、政府の責任において、国際的な取組みとして担われるべき。
■法人の実質的支配者(BO)を把握することは、悪意を持った者が法人を隠れ蓑にすることを防ぐ為に、非常に重要。現段階での国際枠組は、最終的な理想形からは程遠いもの。今後、国際社会として実効的な検証メカニズムを構築していく必要あり。
■投資誘致策としての黄金パスポート・ビザ制度は、多くの国によって採用されているが、汚職や運用の不透明性から、地下資金対策上も大きなリスク要因。主権事項に関わるため、より広い国際的な取組みで適正化が図られなければならない。

前章において、地下資金対策がある側面において、官民に亘る共働、即ち事務と責任のバーデン・シェアリングの体系であることを見て来た。FATF基準を軸とした地下資金対策の枠組みは、各国での制度の構築・実施を促すという側面においては、実質的な強制力を持つものであるが、他方で未だ所期の成果を上げられていないという厳しい分析も存在する。そして、その現状の責任は、しばしば須らく民の理解不足や義務の不履行に転嫁されがちであるが、そもそもの制度設計・実施の不全について、官のサイドでの自省も行うべきであるとの指摘は、真摯に受け止めなければならない*1。本章では、地下資金対策を巡る、あるべき官民のバーデン・シェアリングという観点から、現状制度の問題点を検討して行きたい。
この点が特に問題となるのは、地下資金対策の第二段階に当たる「水際措置」に関連してである(図表1 地下資金対策の各段階(再掲))。第一段階・第三段階については、各アクターがなすべきことは比較的明瞭であり、従って、官民どちらの負担によるべきかといった議論は、本質的に生じにくい。一方、第二段階の水際措置については、そもそもここが措置の中核的な部分であることに反比例して、何をどこまで官と民が負担し合うのか、という議論は、明確に整理された形では行われて来なかったものと思われる。本章において焦点を当てるのも、正にこの段階の措置に係る、官民のあるべき負担論である。

写真:マルタのジャーナリスト、ダフネ・カルーアナ・ガリジア。パナマ文書について、実質的支配関係を通じた同国政府高官の汚職、また「黄金パスポート」問題との関連性を調査していたが2017年に暗殺され、その真相の全容は未だ明らかになっていない。(出典:Continentaleurope, CC BY-SA 4.0)

1.総論~ワクチンと仮面舞踏会
地下資金対策は、ある意味において、感染症対策と似た部分がある。感染症対策において、手洗い・うがいといった予防措置を社会全体として実施することは、社会全体の防衛策でもあるが、まずもって言うまでもなく個々人の健康のためである。地下資金対策の分野は、ともすると社会における犯罪やテロの抑止という公的な要請の面ばかりが強調されがちであるが、個別の事業者にとって地下資金は、不本意な悪事への加担で市場の信用を毀損し、損害が生じ得るという意味で、他の様々なリスクと並ぶビジネス・リスクの一つである。事業者サイドにおいては、地下資金対策を押し付けられた外在的なものと捉えず、真に「我が事」として捉える発想が求められるし、それこそが「リスクベース・アプローチ」の原点とも言える。
その上で、個々の段階での官民間の具体的なバーデン・シェアリングにおいては、官の側も制度的インフラの整備という責任を、きちんと果たさなければならない。この点、感染症対策において、手洗い・うがいは個々人ができても、ワクチン接種体制は政府が責任を持って整えるべきであるのと同じである。では水際措置の段階で、具体的に特に「インフラ整備」が必要となる部分は、どの部分についてだろうか。
出発点に遡って考えてみれば、本人確認・顧客管理、そして金融制裁の実施に至るまで、全ての措置の基本となるのは、言うまでもなく「取引の相手方が何者なのか」の特定である。この特定は、単に窓口で名前を名乗らせ、真正な書類で形式的に確認を取れば、それでおしまいというものではない。個人であれ法人であれ、後述の通り、形式的な名義の背後に実態を隠匿することは、実はそれ程難しいことではない。読者の想像力に訴えかける意味でアナロジーを持ち出せば、現在の地下資金対策に係る水際措置は、入口からして、素顔が見えない仮面舞踏会の出席確認のようなものである。
銘記しておくべきは、背後の実態が暴けないままの形式的な水際措置は、その意義が減殺されるのみならず、悪意ある者の目線から言えば、自らの悪事にお墨付きをもらえる、有難いサポートとなってしまうという可能性があるということである。よって、この点の的確性を高めて行くことは、地下資金対策全体の実効性を確保する上において、決定的に重要である。官民の共働・分担という側面から争点となり得るイシューは多くある中で、本稿において特にこの、取引の相手方が「何者なのか」の特定を可能にするためのインフラ整備を問題として取り上げるのは、このような理解に基づくものである。これは本質的に困難な政策課題であって、国際社会全体が進むべき道を模索し、悪戦苦闘している。我が国のFATF基準に沿った制度整備は急務であるが、課題は本来それに留まるものではなく、日本としても将来的には国際標準自体の底上げを、むしろ牽引していかなければならない立場にある。

2.ペーパー・カンパニーの支配者
まずは、法人を株式保有その他の形態で背後からコントロールする、実質的支配者(BO:Beneficial Owners)の論点である*2。この言葉自体になじみがなくとも、今や世界のあらゆる場所で、例えば違法行為や脱税・節税の隠れ蓑としてペーパー・カンパニーが使われており、また、複雑かつ重層的な支配関係の背後で、名前が表に出ない人物がその恩恵を被っているというのは、良く知られた事実であろう。BOの問題を抜きにしては、有効な地下資金対策は不可能と言って過言ではない程に、BOへの対策は中心的な問題の一つである。FATFとエグモント・グループ*3が公表している実例の一つとして、ロシアにおいて政治家が横領した公金を複数の企業を通じて横流し・隠匿していたケースがある(図表2 ロシアの汚職事件に係る法人の支配構造。政治家の妻を起点として、カネの移転及びそこからの不動産取引に関与した多国籍の会社が、設立や持ち株関係を通じ有機的に関連している。(FATF, 2018))*4。ここでは、当該政治家の妻が設立し、また実質的支配者となっている複数の、そして多国籍に跨る企業がそのカネの流れに介在しており、このような支配構造の解明なくしては、事件の全容は決して明らかにならなかったと言える。
他方でBOの問題は、技術論に没入し過ぎるが余り、ともすれば物事の本質が見失われがちな地下資金対策を巡る現状を、象徴するような存在でもある*5。BOを巡る取組みは国際的にも国内的にも鋭意進められているが、残念ながらその対象が余りに難題であるため、後述する通り、現在のFATF基準もそれに依拠した各国の施策もBOの実態把握という本丸には迫れておらず、当座の対応として外堀を埋める作業が果てしなく続けられているというのが、端的な現状の描写である。勿論、外堀を少しずつ埋めることも重要なのだが、その間に、最終的に目指す本丸の位置を忘れては元も子もない。議論の細論化はやむを得ないにせよ、折に触れ常に原点に立ち戻り、現状を全体の地図上に投影することも、意識的に継続していかなければならないだろう。
さて、かかる本丸の所在を指摘する前に、まずは前提の確認である。BOの定義はFATFの用語集(Glossary)に記載されているが、要点は(1)最終的に自然人まで遡ること、(2)それが株式保有等の形式要件ではなく、究極的・実質的に当該法人をコントロールしていること(ultimate effective control)の2つであり、FATF基準においては勧告24・有効性指標5、及び関連ガイダンス*6を中心にカバーされている。FATF基準を踏まえた日本の法令に則して具体的に言えば、最も典型的である資本多数決法人について、まず第一段階としては議決権の保有関係で判断がなされる(図表3 我が国の犯収法における、資本多数決法人に係る実質的支配者の判断フロー。網掛けの部分の実質判断は、実務上、特に困難を伴う。(白井・芳賀・渡邊(2018)*7をベースに、筆者作成))。ここでは直接の議決権保有のみならず、間接保有関係までも解明する必要があり、この段階で既に相当の困難が伴う。
しかし、そこから更に難しいのは、それらに当てはまる自然人がいない場合に、「出資、融資、取引その他の関係を通じて事業活動に支配的な影響を有する自然人がいるか」という、広範な実質判断が求められる点である(図表中、網掛けの部分)。これは、議決権保有と違い、手間さえ惜しまず書類を確認していけば、最終的には確認が取れる、といったものですらない。議決権を全く持っていなくても該当する者が存在し得るし、形式的な肩書も関係ない。
そのような実質判断を含むBOを確認するに当たっては、FATF基準もそれを受けた我が国の法令も、公開情報等の一般的情報源に加えて、主に、金融機関等の特定事業者を以って、BO情報のハブ機能を果たさせる、という発想に依拠している。つまり、これらの事業者が顧客管理の一環として取引相手方たる法人のBO情報を把握し、必要があれば、当局からの照会に応じられるようにする、というものである。この仕組みの大枠自体は合理的なものだが、問題は、提出された情報の正確性を本当の意味で調査・検証するという仕組みが、現状では我が国で存在しないばかりか、FATF基準においても求められていないことである。
この点、必ずしも定型的な書類で裏付けが取れない実質判断は、あくまで法人の自己申告ベースによるしかないが、言うまでもなく、法人の形を悪用してマネロンを行おうとする者が、正面から自身がBOと分かるような支配形態を取ったり、また、それを正直に申告する確証はない。情報の提出を受ける金融機関に、取引先に乗り込んで行って調査する権限は当然なく、提出情報の正確性は保証されない*8。現行のBOに係る制度設計は、調査に入られる惧れのない申告納税制度のようなものなのであり、これでは偽りの情報を暴くことも、また申告者に正しい情報を提出させる牽制効果も究極的には期待できない。
目下、官の側の関与として、登記所や公証人へのBO情報の届出・認証とその過程での情報集積の仕組みが、日本も含めた複数の国で導入されて来ている*9。また、欧州ではより効果的な情報の集約を図るべくBO情報をデータベース化し、それをタイムリーに更新するとともに、国をまたいだ情報交換を可能にするという制度強化に広域的に取り組んでいる*10。しかし、形式要件を離れた支配関係についてはどこまで行っても自己申告に頼らざるをない一方で、どこの国であれ登記所や公証人も通常、当該法人まで赴いての調査権限を有する機関ではない以上、情報の正確性という一番の根幹は依然危ういままである。よって、これらの制度は実態把握の取っ掛かりとはなっても、本質的な対応策とは言えない。情報の正確性を担保したければ、自己申告をベースとしつつも、正確性に疑義がある情報に関しては官が調査できるメカニズムをビルトインすることが、究極的には不可欠なのである。
真の意味での検証を、官が担って実施する場合の必要条件は、以下の2つである。まず、(A)当然のことながら、何れかの機関が検証に係る法令上の調査権を付与されねばならない。この調査権には、実質的支配関係を解明すべく、法人の意思決定に関わる内部文書の提出や、取締役・従業員等への質問を行う権限が含まれている必要がある。次に、(B)実務上の要請として、そのような調査権の行使が効果的に行われるよう、調査対象先の選定を効率的に行うメカニズムが備えられなければならない。膨大な数の法人全てを調査することは不可能である中、どのように可及的に精度あるリスク判定を行うかは、他の法執行分野と同様の課題となって来よう。これらの点の具体的検討については、後続の章に論を譲りたいが、ここでひとまず認識しておかなければならないのは、地下資金対策の中のBOを巡る国際的な制度設計は、本来の理想形を山の頂とすれば、まだその裾野くらいにしか到達できていないという事実である。逆に言えば、BOの実態把握とはそれ程までに困難な課題な訳であるが、更に不都合な真実は、正にその最も困難な課題が、地下資金対策全体の基礎を構成する要素であるという点であろう。日本は今回の相互審査で、現行国際基準に照らし事業者のBO把握実施が不十分である旨指摘を受けたが、より大きな問題は、その国際標準自体が、未だ不十分なレベルまでしか形成されていないということなのである。
もっとも、まがりなりにもBOについては、地下資金対策の文脈においても問題であることが国際的に認知され、上述の通りFATF基準の中にも広範に取り込まれており、その点では議論の基盤は既に確保されているとも言える。それに引き換え、次節で取り上げる自然人の国籍・居住地の偽装問題に対しては、そもそものスタートラインにおいて、未だに国際社会としての危機感のレベル自体が低いように思われる。

3.黄金パスポートと国籍ロンダリング
地中海、シチリアの南方に位置するマルタ共和国は、人口40万人程度の島国である。小国とは言えEU加盟国に名を連ねるこのマルタが、ここ10年の間にEUの中で非難の矢面に立たされ、2020年には法的措置を取るとの警告を受ける事態が生じた。その理由は、同国が採用していた「個人投資家プログラム(Individual Investors Programme)」という投資誘致制度にある。これは、「経済的市民権(Economic Citizenship)」という穏便な名称の他、より比喩的(揶揄的)に「黄金パスポート(Golden Passport)」などとも呼ばれるが*11、上述のBOが法人の実態が隠匿される問題である一方、この黄金パスポートは、自然人の属性を隠匿するために悪用され得るメカニズムだ。これは、マルタへの一定額以上の投資等を条件として、本人及びその家族に容易な国籍取得を認めるものである*12。具体的には、一定の条件を満たす形で、不動産や株・債券等を合計して百万ユーロ前後の投資を行えば、実質的には居住実態がなくとも同国の国籍を取得することができる。この制度は、国に対して地理的にも血縁上も紐帯がない者にまで、便宜的な国籍取得を可能にするものとして、導入当初から国内外で批判を浴びていた。法的には国籍付与の資格審査として犯歴等のバックグラウンド・チェックが要件になるが、問題は、そのようなチェックが実際はザルであったり、場合によっては賄賂によってお目こぼしを受けていたりといった可能性が指摘されていた点である。現実問題としてマルタでは、他国において詐欺や脱税、そしてそれに絡むマネロンで捜査・訴追の対象となっている個人が、審査をかいくぐって国籍を取得したことが明らかになっている*13。パナマ文書と同国政府の汚職について調査していた最中に暗殺された同国ジャーナリスト、ダフネ・カルーアナ・ガリジア氏が、存命中にもう一つ追っていた対象が、他でもない、この黄金パスポート制度と政府の収賄を巡る闇であった。
この問題で批判されたEU加盟国としては、マルタ以外にもキプロス*14及びブルガリアがある。これら2か国については、ある一面においてこの問題が更に深刻と思われるが、それは両国が国籍申請の審査に当たり、北朝鮮・イランといった特定の要注意国の国民について、類型的に排除していないと見られるところにある*15。つまり、明確に国連制裁リストに名前が個別に掲載されている人物でない限りは、このような国の国民も自由にキプロス・ブルガリア国籍が取得できてしまう訳である。このように、黄金パスポート制度は、悪くすれば「国籍ロンダリング」とでも呼ぶべき行為を容認することになりかねない。悪意ある者は、表面的な属性により金融機関等のチェックをかいくぐることが容易になり、地下資金対策の観点からは大きな問題である。なお、マルタはシェンゲン協定に加盟しており、同国のパスポートがあれば欧州の多くの国には制約なく移動できる。加えて、これら3か国は日本との関係では全て短期査証(ビザ)免除対象国であり、6ヵ月以内であれば日本での滞在は基本的にかなり容易である。こうなると、問題は地下資金対策の文脈に留まらず、広く国境管理上の抜け穴と言うべきであろう。
因みに、キプロスの黄金パスポート制度にまつわる不透明な実態については、中東の主要メディア・アルジャジーラが2020年以降、継続的に調査を行っており、そこでは同国が他国犯罪者への不法な国籍供与の温床になっている旨が報告されている*16。またアルジャジーラの記者が、有罪判決を受け国外逃亡中の中国人金満家、という架空の国籍申請者の代理人を装って実地で行った、政府高官や国会議員を含む対象への潜入取材の映像は、大手動画サイトでも無料公開されている(タイトル『The Cyprus Papers Undercover - Al Jazeera Investigations』)。
幸いにして、EU内部での圧力、また、FATF及びIMFによりその問題点が強く指摘されたことが奏功し*17、マルタ・キプロスの2か国については、現在、少なくとも従来型の黄金パスポート制度は実質的に運用が停止されている状態にある。他方で、ブルガリアについては未だにこの制度が維持されており、また、世界全体で見ると、国籍にまで至らない居住権の付与(こちらは「黄金ビザ(Golden Visa)」制度とも呼ばれる)までを合わせれば、先進国も含め実に50以上もの国・地域において類似の制度が取られているともされる*18。この点、国によって審査に係る条件の厳しさ等はまちまちであり、全ての国においてこの制度が問題視されている訳ではない。しかし、現在国際的に、この制度に関するミニマム・スタンダードは存在せず、また、複数の国においてその運用の不透明性が指摘されていることは、既に述べた通りである。取得者については、おしなべて中国人及びロシア人が多くを占め、中には実際にイランのような制裁対象国も含まれる(図表4 国籍・居住権付与者の出身国。ほとんどの国において、中国・ロシア出身者が上位を占める。なおキプロスについても、2017~2019年の累計で両国が上位2位までを占めており、加えて、イラン等の懸念国も含まれていることが分かっている*21。(Transparency International(2018)))。また、世の中には、このような黄金パスポート・ビザの取得を目指す人々のためのマニュアル的なものも多く出回っているが、その一つでは、申請者の立場から見た取得のし易さや取得後の利便性といった観点からの評価で、ドミニカ、グレナダといったカリブ海諸国が上位に並んでいる*19。この地域が、税制や地下資金対策の取組みにおいて特に問題がある国が多いとされる地域であることは、周知の通りである。これらの国の中には、10万米ドル程度の投資で、90日程で4人までの家族にパスポートが発行されるところもあり、この内の一か国については、米国財務省から、金融犯罪に悪用されているとして警告が発出された経緯もある*20。
黄金パスポート・ビザの問題に対処するに当たり、取り得るアプローチには、以下の三段階がある。まずは、現行のFATF基準の下、事業者のリスクベース・アプローチの中で、そのような国籍等の付与を行っている国からの顧客については高リスクとして、より厳格な顧客管理の対象とする、というものである*22。これは、現行制度を変えるコストを払うことなく、即ち民側にバーデン・シェアリングを負わせたまま、運用で解決しようというものであるが、対処療法に過ぎず当然ながら本質的な解決策ではない。現実問題としても、今後更に国籍等の付与を行う国が増えて来た場合、実務上も回らなくなる可能性があるだろう。
第二段階のアプローチとして考えられるのは、FATF基準の中に、このような国籍等の野放図な付与を許容する投資誘致策を制限・適正化する勧告・有効性指標を設け、それを各国政府において実施することである。これは、黄金パスポート・ビザ問題をまずは官の側でアドレスすべき問題として、正面から認識することを意味する。しかし、これは従来のFATF基準の射程を大きく拡大するものであり、そのような制度の当事国を中心として、当然反発も予想される。
そこで、更に第三段階としてそのようなFATF基準への取込みをバックアップするための、ハイレベルでの政治的コミットメントが必要となる。2021年6月、G7首脳は各国の法人税の最低税率を15%以上とするという歴史的合意を達成し、これは、同年10月にOECDにおいてより広範な国々をカバーする共通基準として敷衍された。黄金パスポート・ビザ問題は、国際的租税回避の問題とも一部重なるものであり*23、正にこのように強力なリーダーシップによって推進されるべき、次なる政策課題の一つと言えよう。日本は、このような経済的インセンティブに基づく国籍や居住権の付与を行っておらず、これらの制度を世界的に規制することにつき、純粋な正の動機を持つ国である。FATF、OECD、G7といった先進国主体の枠組みでは勿論、ASEAN+3や東アジア共同体等*24、日本が主導的立場を持つ地域的な政策協調の場においても、この点に関する議論を提起・牽引していくことが真摯に検討されても良いと思われる。
この黄金パスポート・ビザ問題は、それ自体として国際的な取組みが急務である課題であると同時に、地下資金対策の文脈において、興味深い観点を提示している。それは、この地下資金対策の分野が、伝統的な「マネロン規制」として想定されていたより遥かに広範で、かつ根深い問題を内包しているという点である。当然ながら、社会的実態の伴わない国籍・市民権付与が横行することは、付与する当事国は言うまでもなく、第三国にとっても国境管理上の問題を生じ、それは、安全保障・治安維持の観点からの懸念に直結する。そもそも、マネロンの文脈で収まる話ではない。他方で、国籍や市民権の付与は国家の基本的な権能の一つであり、国際的な調和化や規制といった観念からは最も縁遠いものである。しかし、現在の地下資金対策の要請は、そのような旧来の常識に再考を迫っている。それは、不正な資金の流れを捕捉しようとした時に、カネの流れをヒトと結び付ける必要性が出てくることの、当然の帰結とも言える。麻薬や銃器といったモノとは異なり、カネはそれ自体としては無色透明な存在である。それが合法か違法かを決するのは、ひとえにそのカネが渡っていくヒト、及びその彼らが有する意図に依拠している。犯罪者だけを追っていても成果が上がらない組織犯罪対策の中で、マネロン規制が開始された時の掛け声は「カネを追え(follow the money)!」であった。しかし、そのアプローチを完遂しようとした時、事は一周回って、結局カネの背後に隠れるヒトを暴くことが要求されることになるのである。
本章で取り上げたBO、黄金パスポート・ビザ何れの問題についても、何度か「汚職」というキーワードが登場した。前章まででも述べた通り、見方によっては地下資金を生み出す最大の担い手は、実は国家・政府自身である。次章以降において、この地下資金対策の分野において最もコアな(しかし、余り正面からは語られない)テーマにつき、取り上げて行くこととする。

写真:地中海に浮かぶマルタ共和国の港(出典:Bengt Nyman, CC BY 3.0)

※本稿に記した見解は筆者個人のものであり、所属する機関(財務省及びIMF)を代表するものではありません。

*1)Ronald F. Pol, Anti-money laundering:The world’s least effective policy experiment? Together, we can fix it, Routledge Taylor & Francis Group, February 2020
*2)この点、実質的支配者の問題は法人以外の法的取極(信託等)についても存在し、現にFATF基準の内、勧告25は正にこの法的取極に係るものであるほか、有効性指標5においても法的取極が明示的に言及されているが、本稿においては、最も中心的である法人形態に限って論ずることとする。
*3)Egmont Group - 世界の金融情報機関(FIU)の情報交換組織。
*4)Concealment of Beneficial Ownership, FATF, July 2018
*5)BOの議論は、信託等の法的取極についてもパラレルに存在するが(FATF勧告25)、本稿では簡明性を追求し、法人に限った形で記述する。
*6)Transparency and Beneficial Ownership, FATF Guidance, October 2014
*7)白井真人・芳賀恒人・渡邊雅之『マネー・ローンダリング 反社会的勢力 対策 ガイドブック~2018年金融庁ガイドラインへの実務対応』第一法規、2018年8月、P.158
*8)山崎千春・鈴木仁史・中雄大輔『マネー・ローンダリング規制の新展開』金融財政事情研究会、2016年8月、P.41-45
*9)我が国においては、これらに関連して「公証人法施行規則の一部を改正する省令」が2018年11月に、「商業登記所における実質的支配者情報一覧の保管等に関する規則」が2021年9月に公布された。なお、公証人による認証制度については、FATFから優良事例として紹介されている(Best Practices on Beneficial Ownership for Legal Persons, FATF, October 2019)
*10)Directive (EU) 2015/849 on preventing the use of the financial system for money laundering or terrorist financing (4th anti-money laundering Directive), 5th anti-money laundering Directive (Directive (EU) 2018/843)
*11)Francisca Fernando, Jonathan Pampolina & Robin Sykes, Citizenship for Sale, Finance and Development, June 2021
*12)Maltese Citizenship Act, Individual Investor Programme of the Republic of Malta, Regulations, Legal Notice 47 of 2014 (LN 47/2014)
*13)Europe’s Golden Doors, Lack of Progress in Stopping the Criminal and Corrupt Accessing Europe via Golden Passport and Visas, Global Witness, March 2020
*14)キプロスは南部をギリシャ系のキプロス共和国、北部をトルコ系の「北キプロス・トルコ共和国」が実効支配しているが、日本は後者を国家承認していないため、本稿でも単に「キプロス」と言えば前者のキプロス共和国を指すこととする。
*15)Report from the Commissions to the European Parliament, the Council, the European Economic and Social Committee and the Committee of the Regions - Investor Citizenship and Residence Schemes in the European Union, European Commission, January 2019
      Free Guide to Citizenship by Investment, CBI Citizen, March 2020
*16)James Kleinfeld and Al Jazeera Investigative Unit, Cyprus’s Dirty Secrets, August 26, 2020
*17)Xin Xu, Ahmed El-Ashram & Judith Gold, Too Much of a Good Thing? - Prudent Management of Inflows under Economic Citizenship Programs, IMF Working Paper, May 2015
      Cyprus - Staff Report for the 2017 Article IV Consultation, IMF, November 2017
      Malta - Staff Report for the 2020 Article IV Consultation, IMF, April 2020
*18)Andres Knobel, Frederik Heitmüller, Citizenship and Residency by Investment Schemes:Potential to Avoid the Common Reporting Standard for Automatic Exchange of Information, Tax Justice Network, March 2018
      European Getaway - Inside the Murky World of Golden Visas, Transparency International & Global Witness, 2018
*19)A Guide to Global Citizenship - The 2021 CBI Index, CS Global Partners, August 2021
*20)Transparency International, op.cit.
      Abuse of the Citizenship-by-Investment Program Sponsored by the Federation of St. Kitts and Nevis:Passports Obtained Through St. Kitts and Nevis Citizenship-by-Investment Program Used to Facilitate Financial Crime, Advisory by US Department of the Treasury, Financial Crimes Enforcement Network (FinCEN), May 20, 2014
*21)アルジャジーラの2020年調査による(https://interactive.aljazeera.com/aje/2020/cyprus-papers/index.html)。
*22)Due Diligence in Investment Migration - Current Applications and Trends & Best Approach and Minimum Standard Recommendations, Oxford Analytica, January 2020
*23)Preventing Abuse of Residence by Investment Schemes to Circumvent the CRS, OECD Consultation Document, February 2018
*24)前者はASEAN10か国プラス日中韓3か国、後者は、これに更にインド、豪州、ニュージーランドを加えた枠組み。