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還流する地下資金―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―

5.官民のバーデン・シェアリング
IMF法務局 上級顧問  野田  恒平

図表.本章の範囲

要旨
■地下資金対策の各国内の実施体制は、官民のバーデン・シェアリングによる、壮大な共働の体系。これは、膨大なカネの流れから地下資金を発見するという困難なミッションを実現するため、民に事務負担のみならず責任も重く課す、独特のもの。
■そしてそのスコープは、官民双方において時代とともに拡大して来ている。それらは、時系列に沿った「垂直的」拡大と、主に対象業種に係る「水平的」拡大の2つの方向性があり、どちらも、今後更に発展・高度化していく可能性を有する。
■日本の法体系も、かかるバーデン・シェアリングの観点、及びそれに対応するFATF勧告に関連付けた形で整理することが可能。もっとも、その体系は成立経緯を反映し過度に錯雑化しているところ、将来的には見直しを検討する余地がある。

前章までで、地下資金対策に係るグローバル・アーキテクチャーが非常に独特な形成史と、それに基づく態様・作用を持つものであることを見て来たが、それが各国内で実施されるに当たっての在り方も、また極めてユニークなものである。それは、官民の壮大なバーデン・シェアリングの構想とでも言うべきものであり、特に民の側が、これだけ広範かつ重い負担を強いられている例は、他に類を見ない。その原型は、70年代の米国に遡る。ニクソン大統領は、ベトナム戦争中のヒッピー文化に伴う麻薬蔓延に対し強硬姿勢を取り、直接的な取締りのために麻薬取締局(DEA:Drug Enforcement Agency)を設置するとともに、資金面からの対策として銀行記録・外国取引法を成立させ、金融機関にゲートキーパー機能を付与した。これこそが、政府と、金融機関を中心とする民間セクターの共働という、現在に繋がる地下資金対策の中核部分の出発点である。この官民共働のメカニズムは、現在ではFATFというプラットフォームを通じ、全世界において標準化されている。他方、DEAは日本の麻薬取締局にあたる機関ではあるが、今日、68か国に91の拠点を有する国際的ネットワークを誇っており、日本のそれとは規模において比較にならない*1。正に、米国における地下資金対策の国内外の基盤が、この時代に生み出されたと言えよう。
本章のテーマは、このゲートキーパー機能ないしは官民の共働関係が、どのような形で拡大を見たかである。そこには、大きく二つの方向性がある。第一は、当初は機械的な記録・報告だけであった義務が、オペレーションの時系列に沿って広がって行く垂直的拡大、第二は、義務を課せられる事業者が、金融機関だけであった当初から他の業種へと広がっていく、いわば水平的拡大である。
今や、地下資金対策のために民間事業者が負わされる負担は、非常に重いものとなっている。それは、日々のコンプライアンス業務の事務負担というだけに留まらず、それに不備があった時の制裁というリスクにも及ぶ。最近の事例では、2017~18年に架けて発覚したデンマークに本拠を置くダンスケ銀行が、そのエストニア支店を経由し、過去数年間に亘りロシア顧客に係る26兆円余りのマネロンに加担していたとして、米国を含めた司法当局の介入を招いた。この事件により、ダンスケ銀行はエストニア支店の閉鎖を命じられ、CEOは辞任に追い込まれると同時に、財務責任者は刑事訴追を受けた。各国当局の捜査は未だ終結していないが、巨額の制裁金が課される可能性も予想されており、株価の大幅な減額を伴うレピュテーションの毀損も併せれば、経済的損失は計り知れない*2。犯罪に不注意で加担してしまっただけでも、一民間事業者であれ途方もない制裁を受けかねないのが、地下資金対策におけるバーデン・シェアリングの厳しさである。

出典:SPC 5 James Cavalier, US Military, Public domain 「麻薬戦争」を強力に推進したニクソン大統領時代の米国で銀行記録・外国取引法が成立し、官民の共働という地下資金対策の中核となるメカニズムが形成された。

写真:米国第37代大統領、リチャード・ニクソン
写真:デンマーク・コペンハーゲンに本拠を置くダンスケ銀行は、世界に衝撃を与える大規模なマネロン疑惑の震源地となった。

1.日本の法体系と官民間シェアリング
本稿の射程は、日本の制度に留まるものではなく、FATF基準を中心とした地下資金対策の在り方一般を対象にしているが、議論の便宜上、ここでは我が国の法体系を前提に話を進めたい。FATF基準を中核とした重層的な国際的枠組については既に見た通りであるが、これを国内法化した我が国の法体系も、また一筋縄では行かない複雑な構造となっている。大前提として、「地下資金対策法」といった名前の法律は存在せず、関連する諸法律及びその下位法令の束が、実質的意味での地下資金対策法を構成していると言える。その中でも、特に重要な法律は(1)麻薬特例法、(2)組織的犯罪処罰法、(3)テロ資金提供処罰法、(4)外為法、(5)国際テロリスト財産凍結法、(6)犯罪収益移転防止法、の6つである*3。そしてこれらは、以下の順番で理解すると分かり易い。
第一に、(1)~(3)は何れも刑法の特則に当たり、マネロン及びテロ資金供与を犯罪構成要件化し、また、一定の犯罪類型について重罰化を定めるものである。理論的に言えば、これらを犯罪として規定することが地下資金対策の第一歩である。正に、地下資金対策という家屋の、礎石部分と言える。なお、これらの法律が3つに泣き別れしているのは、歴史的経緯によるものである。即ち、マネロンの犯罪化が先駆けて行われたのは麻薬犯罪に関してであり、従って既に存在した麻薬特例法が先陣を切って、関連規定を置くことになった。その後、前提犯罪が拡大されるに伴って、新設された組織的犯罪処罰法が麻薬犯罪以外の前提犯罪についてもマネロン規定を設け、更に、国際的枠組においてテロ資金供与の犯罪化が求められるようになったことに対応し、テロ資金提供処罰法が定められることとなった、という流れである。
第二に、地下資金対策の中でも、指定されたテロリスト等に対する資産凍結といった金融制裁に関するものが、(4)・(5)である。これらも地下資金対策の礎石であることには変わりないが、金融制裁という、いわば増築部分の土台である。これらの法律についても、本来理屈の上では一つに収まっていても良かったものが、歴史的経緯によって二法に分かれて規定されている。つまり、クロスボーダーの取引に係る金融制裁が、まず既存の法律である外為法に押し込まれ、その後、FATFからの指摘も受け国内取引についてカバーする必要が生じるに至り、これはどう見ても外為法の枠組みを越えてしまうものであるため、新法を制定するより他なかった、という経緯である。
そして第三に、(6)犯罪収益移転防止法(犯収法と略され、マネロン法と呼称されることもある)は、主に予防措置等に係る民間事業者の義務を規定するものであり、事業者の立場からは最もなじみが深い。この原型は、金融機関に対する義務を定めた本人確認法*4であるが、対象事業者等が拡大されるに伴い、2008年以降、犯収法へと発展的に形を変え、今に至っている。また、図表1(地下資金対策に係る日本の法体系とFATF勧告との対応)からも分かる通り、FATF基準との関係でも多くの勧告に関わるものである。その意味では、第一・第二で説明した法令の礎石に立った、地下資金対策の屋台骨を成す法律とも言え、本章のテーマである官民間シェアリングの主要部分を規定するものである*5。
なお、このように法令自体が複雑な構成になってしまっていることは、経緯上やむを得ない部分があるとは言え、一覧性の確保という観点からはやはり望ましいものではない。また、どの法律にも元来の制度がある中で、新たな要素を詰め込んで行くと、当該法律の趣旨目的に照らしいずれは無理が出て来ることもある。今後、関連する法令において法理的・実務的に支障を来たすような事態が生ずれば、どこかの段階である程度の収斂化や再構成を図っていく必要はあろう。

2.「ウタトリ」という非凡な義務
さて、FATF基準に準拠し、我が国においては犯収法で定められた民間事業者の主要な義務の一つとして、「疑わしい取引の届出」の提出があるが、これは、地下資金対策における官民間シェアリングの特異な在り方を象徴する存在と言って良い。そもそもこの言葉を初めて聞いて、自然な日本語だと思う人は皆無であろう。それも当然で、これはSuspicious Transaction Reportの訳語である。若干長いため、「ウタトリ」と略して使うことが多い。「マネロン」という言葉同様、この「ウタトリ」もだいぶ市民権を得て来たようであるが、ここでも、4文字の語呂の良さからその制度を所与のものと捉えてしまうと、それが持つある種の特殊性は見えて来ない。
この制度は、要すれば金融機関をはじめとした事業者に、「マネロン等の疑いがある取引に接した時は、その詳細を当局に報告しなさい」という義務を課すものである。金融機関であれその他の事業者であれ、顧客の属性や態様、取引金額等から判断して、通常の取引ではないと疑われるものに出くわすことがある。その際に、「疑わしい取引」であるとして提出された報告は、最終的に警察庁の犯罪収益移転防止対策室(JAFIC:Japan Financial Intelligence Center)に集約される。JAFICは、日本国内及び他国の同種インテリジェンス機関の多くがそうであるように、オペレーションの内容はおろか、組織態様・所在等に至るまで詳細は非公開である。ここで、提出されたウタトリは、他の様々な情報との突合・分析が行われ、マネロン等の端緒検知に活用されている。なお、JAFIC及び各業界の所管官庁は、このウタトリに係る様式や参考事例集を作成し、公表している*6。
さて、一歩引いて考えると、これは尋常ならざる制度である。民間事業者が、法律によって様々な義務を課されること自体は、特に珍しいことではない。しかし、それは例えば運輸業者が事故を防止するための、又は食品業者が食中毒を防止するための各種の安全確保義務、といったように、基本的には当該事業者自身の業務に伴って、社会の福利厚生を害することがないように課されるものである。決して、サービスを提供する対象、つまりお客様の側に何かネガティブな事情があって、ということを想定したものではない。敢えてそのような例を挙げれば、現在の時節柄にも則しているが、感染症法には、医師が感染症を診察した場合、最寄りの保健所長を通じて知事に届け出る義務が課されている*7。しかし、これは医師という職業の特殊性、そして、感染症予防という公衆衛生の観点から定められている、かなり限定的なものであろう。また、近頃社会的に大きな問題となっている児童虐待に関連し、法は「(虐待を)発見した者は…」として、いわば全国民に、市町村等への通告義務を課している*8。ただ、これには罰則規定はなく、実質的な運用面を考えても、現実には努力規定に近いものと考えられる。
他方ウタトリの提出は、客の側の行動態様に依拠し、しかもその違反に対しては、まずは所管官庁による是正措置命令が出され、それにも従わない場合には、2年以下の懲役・300万円以下の罰金、またはその両方、という相当に重い罰則が待っているという、正真正銘の義務である。加えて、これだけ重たい義務を課しておきながら、その対象たるや、マネロン等の「疑いがある」という、極めて茫漠としたものだ。確実にマネロン等を行っていることが分かっている必要はない。そして、「疑わしさ」の判定については、当局の側から、何か具体的な閾値が示されている訳ではない。むしろ、「リスクベース・アプローチ(RBA:Risk-Based Approach)」の名の下で、自分たちできちんとリスク判定して判断しなさい、というのが近年の国際的な方向性である。更に言えば、仮に怪しい取引をしていようが、曲がりなりにも相手はお客様である。「疑わしい」というだけで当局に報告させるとは、相当にインパクトのある制度と言えよう。
言うまでもなく、このような怪しさ(anomaly)を検知して、犯罪の端緒を掴むというのは、本来、警察等の捜査当局の仕事である。夜中に奇異な恰好で徘徊している人に職務質問をすることで、ポケットから覚醒剤を発見する、といったような具合だ。もちろん、職務質問した人の全てから、事件に繋がる訳ではない。むしろ、何も問題が無い場合が大半であろう。行き交う大勢の人々の中から犯罪に至る端緒を発見するのは、河原で一つの石を探すのに例えられる。しかし、膨大なマネーの濁流の中から犯罪収益等に関わる違法な資金を検知する、というのは、それよりも更に難しい作業だ。カネは時に無体的な電磁記録に過ぎず、また、常に有体物への変換と再度の換金を繰り返し、その態様を変えながら流れていく。しかも、国境をまたいで移動する場合、一瞬で世界を駆け回ることのできるカネは、有体的な人やモノ以上に止めることが難しい。とてもではないが、官だけの手には負える対象ではないのである。
従って、その対策における官民の協調は、必然的な選択肢となる。そこでの官民協調は、通常その言葉が使われる時のような「緊密に連携していきましょう」という程度の、生易しいものではない。疑わしい取引の届出は、その実施の規模においても、要求されている義務の重さという意味でも、業法規制の一環として各業界に課されている他の義務等と、並列に論じることはできない。その本質は、シェアリングという言葉のイメージすら越えて、民間事業者への、当局の法執行活動の部分的な委任(デリゲーション)とも呼び得るものであるが、そのような制度は他に類を見ない。このように、日々、世界を還流する地下資金との闘いという困難な政策課題に対し、人類社会は、既存制度の延長からは俄かに概念化することすら難しい程の、思い切った投網の掛け方をすることで対抗しようとしているのである。
図表2:「疑わしい取引」の報告とその活用

3.シェアリングの垂直的拡大:
義務の範囲
さて議論の便宜上、ウタトリから話を始めたが、官民のバーデン・シェアリングは、時系列を辿ればこの届出に至る前の段階から生起している。当初、機械的な記録・報告だけであったゲートキーパーとしての義務は、今やオペレーションの多段階に及び、かつ、それら一つ一つとして見ても、深化・実質化の一途を辿り、事業者側の負担は重くなって来ている。
まず、第一のベースラインの備えとして、事業者は自らを取り巻く地下資金対策上のリスク分析を行い、どのような取引や顧客に対して特に注意の目を向けるのかを、書面化して定めておかなければならない。これが、ここまでも繰り返し言及しているリスクベース・アプローチの肝とも言うべき部分である。即ち、従来のように、定められた規則に機械的に従う(ルールベース・アプローチ)のではなく、能動的に自らの取組みに濃淡を付け、効率的な資源配分を行うことが、その眼目である。その前提として、政府は国全体としてのリスク分析を行うことが求められており、日本においてその中心となるのは、国家公安委員会が毎年作成する、「犯罪収益移転危険度調査書」である*9。
それを前提として、第二の段階は、いわば水際での対応である。これに関しては、顧客等との取引時確認義務、その確認記録の作成・保存義務、取引時確認を最新に保つ義務(継続的顧客管理)、そして、それらを十分にできるような社内研修や規程作成、責任者の選定等も、努力義務ながら定められている。取引時確認の内容も様々あるが、大きくは(1)目の前にいる人間が確かに本人であること、(2)取引目的がマネロン等ではないこと、の2つが柱である。要すれば、「自分のお客さんについては、それが本人であることや取引が怪しい目的でないことをきちんと確認し、その記録を残して保存しなさい。一度確認したら良いというものではなく、継続的に確認するように、そして、それができるような体制整備にも努めなさい」ということだ。これは、CDD(Customer Due Diligence)、KYC(Know Your Customer)といった言葉で表現されることもある。もっとも、ありとあらゆる取引にそれが要求される訳ではなく、マネロン等のおそれが高いものとして、性質や金額によって類型化されたものに限定されてはいるが、それでも、これらの負担は相当に重いものである。加えて、この第二段階にはテロ資金・拡散金融に絡む制裁、即ち、資産凍結の実施が含まれる。あなたの資産が凍結された、という言葉の意味を具体的に言えば、例えばあなたの銀行口座について、既存の預金が引き出せなくなり、また、新たな送金が受けられなくなるということである。当該口座を管理している銀行は、外為法及び国際テロリスト財産凍結法に基づき、それらの取引を実質的に拒否するという形で、資産凍結という措置の担い手となる訳だ。このように、特にこの水際のステージは民間事業者の負担が大きい部分になるが、他方で官の側は、事業者がそのような措置を円滑に実施できるよう、法令等に係る「インフラ」の整備を行い、また、適切に監督を行う義務を負っていると解される。
最後の第三段階は、地下資金対策上、問題となり得る取引が行われてしまった後の、事後対応のフェーズである。民側のウタトリの提出義務については、既に前節で説明した。それを受けた官は、その情報を適切に活用し、必要とあらば適切に捜査・訴追を行わなければならない。また、当局間の協力によって、国際的に犯罪者を追い詰めるための枠組み作りとその執行も、この中に含まれる。更に、提出されたウタトリがどのように活用され、実際の摘発に活用されたのかといったフィードバックを適時に行うことも、爾後の届出の確度向上の観点から、官に要請される責務である。
このように、官民のバーデン・シェアリングは、現在では時間軸に沿ってかなり伸長した体系となっている。今後も、国際的な対策の発展・高度化の要請に従い、更にこの傾向が拡大していく可能性はあるだろう。
図表3:地下資金対策の各段階(再掲)

4.シェアリングの水平的拡大:
義務を負う業種
次に、そのような義務が、銀行を起点としつつも、それだけには留まらず多くの業態に拡大されていった、水平的拡大の観点から犯収法を眺めてみよう。具体的には、義務が課される対象業種は犯収法上「特定事業者」として列挙されているが、これは2003年の第3次FATF勧告により拡大がなされ、これが我が国においても反映されたものである。
この点、伝統的には特定事業者を金融機関と非金融機関に分けることが一般的であり、前者はFI(Financial Institutions)、後者はDNFBP(Designated Non-Financial Business and Professions)なとど呼ばれる。これは、マネロン対策がまずは金融機関から始まった経緯や、現在においても金融機関が特定業者の大半を占めることと軌を一にするものだ。他方で、現行制度の把握という意味では、むしろ、それらがマネロン等に果たす役割に着目し、まずはそれぞれを、(A)実際にマネロンに絡むカネの通り道となる「チャンネル」機能、(B)マネロン行為・それに繋がる特殊詐欺等に悪用され得る「メッセンジャー」機能、(C)法的手続等のサービス提供を通じ、マネロンに手を貸してしまう可能性のある「エキスパート」機能、に関わる業種として捉えることが、理解に資する。
(A)の類型が、特定事業者の中で最も大きな割合を占める。ここには、金融機関の他、不動産業者、貴金属商・宝石商等が含まれる。何れの業者も、マネロンに絡むカネが通過していく可能性のある業態である。具体的には、第一章でも説明した通り、例えば汚れたカネをこれらの資産に一度転換し、再度換金することによって、元々のカネの出所を隠匿することが可能になる。(B)の類型は、郵便物受取サービス業者、電話受付代行業者、電話転送サービス事業者からなる。これらは、犯罪者が実際の居所等を公開することなく、郵便物や電話の接受が可能となるものである。特に郵便物受取サービス業者は、日本においては振込詐欺事犯での現金の送付先として利用されたり、海外においてはペーパー・カンパニーの設立に用いられた事例がある。(C)は弁護士、公認会計士等のいわゆる「士(サムライ)業」である。これらの業種も、地下資金対策の観点は重要な位置付けにあるが、顧客との特別な信頼関係に鑑み、ウタトリの提出義務が課されていないことをはじめとした、特殊な扱いを受けている。
さてこのように、それぞれの業種がいかなる機能の故を以って、犯収法上の義務が課されているのかを理解した上で、従来的な金融機関・非金融機関の分類に立ち戻ってみよう。すると、ここでは以下の二つのことが言える。まず第一に、法的に見て、犯収法上の規則が全て掛かって来るのは金融機関であり、非金融機関は、その業種の性質に伴って、課せられる義務に限定が付いているということだ。特に、士業における限定は上述の通りであり、各国ともに、地下資金対策上の要請と、これらの業態への配慮との間で、バランスを取ることに苦慮している。第二に、より実態面からの記述として、金融機関はこのような広範な義務に服してはいるものの、一早くマネロン規制の対象となり、経験値が集積されているため、非金融機関に比べると圧倒的に業界としての規制の理解や、遵守の度合いが高い。逆に言えば、非金融機関は一般に今後も地道な底上げが必要な業種が多く、この点は、今般の相互審査でも指摘を受けた。筆者が多くの業界と接する中でも、やはり非金融機関は、更に細かい業種別・個社別の差異を捨象して概括すれば、事業者及びその監督官庁の双方につき、金融業種と比較すれば圧倒的に理解が不足していると感じた。一例として、上述の疑わしい取引に関して言えば、直近の2020年における同取引の届出数432,202件の内、約93%に当たる402,868件は金融機関等のものであり、銀行等だけに限っても、この数字は319,812件(約74%)に上る*10。各業態を取り巻くリスクの差を踏まえてなお、その取組みの実態にはまだまだ格差が大きいと言えよう。もっとも、ここについても程度差こそあれ、世界おしなべて同様の状況が見られるところである。
なお、特定事業者のリストを見て特に、チャンネル機能を有するものとして指定された業種が、これだけの非金融機関にまで及ぶことには驚きを感じる向きもあるだろう。しかし、序章の設例で示した通り、およそある程度ロットの大きなカネが何かに化体する場所であれば、全てマネロンの経路になり得るため、これはむしろ自然なことである。もっとも、業種ごとのリスクの高低は、国によって異なる。例えば、我が国において宝石や貴金属店は、一部の羨ましい富裕層や投資家を別とすれば、人生でそう何度も足を踏み入れる場所ではない。他方、一定の国や地域においては、これらはずっと身近な存在であり、実体経済において大きな位置付けを占めている。当然、このような場所においてはマネロンの観点からも、これらの業種は高リスク・セクターとされ、注視すべき対象となる。特定業種に係るマネロン・リスクや事例については、国内の対応監督官庁・業界団体のHPと並び、FATFの関連文書も参考となる*11。
我が国の直近の動きとして、暗号資産交換業者、また、IR実施法*12の施行に伴いカジノ業者が加えられる等、特定事業者のリストは、今も拡大の途上にある。他方、国際的なレベルにおいて、今後義務の拡大対象として俎上にのぼって来る可能性がある業種の一つとしては、美術商が挙げられる*13。絵画等の美術品は、不動産と同様の高額取引対象でありながら、(1)運搬の容易性、(2)売買の匿名性、(3)価格の主観性、といった性質を兼ね備え、悪用しようとする者にとっては、地下資金を動かす上で格好の媒体となり得る。また、そもそも取引対象の美術品がカネの媒体であるのみならず、それ自体盗品であったりと、犯罪行為に直結していることも大いに想定される。EUはその危険性にいち早く着目し、2018年のマネロン指令第5次改訂*14において、10,000ユーロ以上の美術品取引を規制の対象とした。更に米国財務省は、2020年10月に勧告を発出し*15、市場価格10万ドル以上の高額美術品取引について、地下資金対策の観点から特に注意するよう促している。そして、同勧告で挙げられている具体的な事例は、正に犯罪収益・テロ資金・拡散金融という地下資金の還流を結節するノードとして、美術品市場が悪用されている現状を雄弁に物語っている。まずは、ヒズボラの資金提供者として2019年に米国の制裁対象となった、ナゼム・サイド・アーメド(Nazem Said Ahmad)氏である*16。同氏は、ダイヤモンド取引を稼業としつつ、美術品コレクターとしても知られ、レバノン・ベイルートの居所にはピカソやウォホールの高額絵画等を蓄蔵している。米国財務省によれば、この人物は紛争地に絡むダイヤモンド(いわゆるブラッド・ダイヤモンド)の密輸に手を染め、その収益等を絵画取引の名目でロンダリングし、更にその資金を制裁の網をかいくぐってテロ組織に提供し続けている。加えて同勧告は、国連安保理制裁委員会の専門家パネル報告を引用する形で、制裁対象となっている北朝鮮の万寿台(マンスデ)創作社が制作した品が、中国本土や香港のギャラリーに出展されている事実を指摘している。その上で、このような取引を通じ、核開発等に係る制裁決議に違反しての外貨獲得が行われている可能性があるとして、注意喚起を行っている。我が国単体で見た場合、幸いにして現在までのところ、美術商が主要なリスクに晒されているとは認識されておらず、今次の対日審査においてもこの点の指摘はなかった。しかし、今後国際的に同業態に対するリスク認識が高まった場合、もしくはそれを待たずとも、日本国内で何かしら美術品を悪用した地下資金の流れが関知された場合、この業種を特定事業者に含める政策的要請が出て来る可能性はあるだろう。そして、美術商は、このような拡大対象となり得る業種の一つに過ぎない。規制を逃れて地下資金を動かそうとする者がいる限り、既存の業種も常にその悪用の餌食となり得るし、また、暗号資産然り、新たな業態が生まれる際には、それに付随するリスクも当然発生する。官民共働の担い手の水平的拡大は、時系列に沿った垂直的拡大と同様か、もしくはそれ以上に、どこまでも続いていく宿命にあると言えそうである。
以上、現行の地下資金対策における官民のバーデン・シェアリングの在り方と、その発展の経緯について概観した。しかし、縷々述べて来た通り、地下資金対策は今もって「未完の構想」である。現状の規制の下で民間事業者のコンプライアンスを促すだけでは足らず、各国政府の連携により、国際社会が制度的枠組として解決すべき課題も、その構想の根幹には多く残されている。次章では、正に「部屋の中の象(elephant in the room)」と呼ぶべきそれらの課題の一部につき、検討して行きたい。

写真:バーレーンの街中の、宝石・貴金属店。同国のFATF審査においては、この業種が高リスク・セクターの一つとして名指しされている。
写真:米国の制裁対象者であるナゼム・サイド・アーメド氏は、美術品の取引を通じマネロン及びテロ資金供与を継続しているとされる。

図表4:犯収法上の特定事業者
図表5:地下資金の還流(概念図・再掲)

※本稿に記した見解は筆者個人のものであり、所属する機関(財務省及びIMF)を代表するものではありません。

*1)米国麻薬取締局ウェブサイト https://www.dea.gov/foreign-offices
*2)Frances Schwartzkopff, Danske Faces Long Road Back as Fine From Probes Seen Hitting  Billion, Bloomberg, March 18, 2021
*3)それぞれの正式名称は、(1)犯罪による収益の移転防止に関する法律(平成19年法律第22号)、(2)組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(平成11年法律第136号)、(3)国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律(平成3年法律第94号)、(4)公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金等の提供等の処罰に関する法律(平成14年法律第67号)、(5)外国為替及び外国貿易法(昭和24年法律第228号)、(6)国際連合安全保障理事会決議第千二百六十七号等を踏まえ我が国が実施する国際テロリストの財産の凍結等に関する特別措置法(平成26年法律第124号)
*4)正式名称は「金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律」。後に「金融機関等による顧客等の本人確認等及び預金口座等の不正な利用の防止に関する法律」と改称。
*5)なお、正確には犯収法の他、業界ごとの関連業法やガイドライン等、また、金融制裁の部分については外為法及び国際テロリスト財産凍結法も直接・間接に事業者の義務を規律している。
*6)https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jafic/index_g.htm
     https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jafic/todoke/gyosei.htm
*7)感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律・第12条
*8)児童虐待の防止等に関する法律・第6条
*9)令和2年度版については、以下に掲載。
     https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jafic/nenzihokoku/risk/risk021105.pdf
*10)前掲・犯罪収益移転防止に関する年次報告書(令和2年度版)、警察庁
*11)Money Laundering / Terrorist Financing Risks and Vulnerabilities Associated with Gold, FATF & Asia Pacific Group, July 2015
      Money Laundering and Terrorist Financing through Trade in Diamonds, FATF & Egmont Group, October 2013
      Money Laundering and Terrorist Financing through the Real Estate Sector, FATF, June 2007
*12)正式名称は「特定複合観光施設区域整備法」
*13)則竹幹子『米財務省による「高額な美術品取引から生じる潜在的な制裁リスクに関する勧告と指針」』CISTEC Journal, 2021年1月
*14)DIRECTIVE(EU)2018/843 OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL of 30 May 2018 amending Directive(EU)2015/849 on the prevention of the use of the financial system for the purposes of money laundering or terrorist financing, and amending Directives 2009/138/EC and 2013/36/EU
*15)Advisory and Guidance on Potential Sanctions Risks Arising from Dealings in High-Value Artwork, US Department of the Treasury, October 30, 2020
*16)Press Release:Treasury Designates Prominent Lebanon and DRC-Based Hizballah Money Launderers, US Department of the Treasury, December 13, 2019
      Elizabeth A. Harris, U.S. Places Sanctions on Art Collector Said to Finance Hezbollah, New York Times, December 16, 2019