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造幣局及び国立印刷局の150年記念式典について

造幣局理事長 山名  規雄/国立印刷局理事長 岸本  浩/理財局国庫課長 西方  建一

1.はじめに
令和3年、独立行政法人造幣局及び独立行政法人国立印刷局は、明治4年に事業を開始してから150年という節目を迎えた。
近代幣制の確立をことほぐため、秋篠宮皇嗣殿下の「おことば」を賜り、また、秋篠宮皇嗣同妃両殿下にオンラインで御高覧いただきながら、造幣局は10月4日に大阪市の造幣局本局において、また、国立印刷局は11月1日に東京工場において、それぞれの150年記念式典を執り行った。
本稿では、造幣局、国立印刷局の150年のあゆみを振り返りながら、両法人が日本経済の発展と国民生活の安定に果たしてきた役割を紹介していくこととしたい。

2.造幣事業150年記念式典
(1)150年のあゆみ
造幣局は、今から150年前の明治4年4月、近代国家としての貨幣制度の確立を図るため、大阪の地で創業した。以来、大阪に本拠を置く唯一の政府機関として現在に至っている。大阪に創設された理由は、当時、大阪遷都論が背景にあったことに加え、王政復古に貢献した大阪財界に対する配慮、東京の治安が確立していなかったことなどが挙げられている*1。
当時としては世界最大規模*2の、西洋の技術を取り入れた近代的な造幣局が誕生し、貨幣の製造が開始された。造幣局の長に井上馨や伊藤博文などの維新に関わる著名人が名を連ねていたことからも、造幣局に対する当時の期待の大きさが窺われる。この時期、日本ではまだ近代工業が発展していなかったため、造幣局は貨幣の製造に必要となる硫酸、石炭ガス等を自ら製造するなどして、日本の近代化に繋がる先駆者の一員として歴史を刻むとともに、我が国の化学工業、銅精錬業や伸銅業の成立にも多大な影響を与えた*3。
以来、造幣局は、貨幣の製造・供給等の使命を全うすることに勤しむ一方、地元の皆様に愛される造幣局を目指して、地域とともにあゆみを進めてきた。例えば大阪本局での「桜の通り抜け」。明治16年、時の造幣局長・遠藤謹助の「局員だけの花見ではもったいない。市民とともに楽しもうではないか」との提案により、造幣局構内の桜並木の一般開放が始まった。現在では多くの皆様に御来場いただく大阪の春の風物詩となっている。
こうしたあゆみの中、造幣局は、経済情勢などの影響により増減を繰り返してきた貨幣需要にも的確に対応し、それぞれの時代において、国民から信頼される純正画一な貨幣を安定的に供給するとの使命を変わることなく果たしてきた。
さらに、貨幣の製造技術や職員の技能を活かし、明治10年には勲章の製造を、昭和4年には貴金属製品の品位証明業務を、昭和50年には貨幣セットの製造・販売を開始した。これらの営みを始めたこと自体がまさにそうであるように、造幣局は、新たな社会的・公共的需要の発生やその変化にも適切に対応しながら、その時々で求められる役割を今日まで全うしてきたところである。
平成15年には財務省の特別の機関から独立行政法人へと大きく変貌を遂げたが、この際に定めた行動指針「信頼と挑戦」は、まさにそれまで貫いてきた造幣局の姿勢を体現するものであり、先人たちの時代といささかも変わることのない理念として、今日も役職員一人一人の中に息づいている。
今後とも、これまでに築いてきた歴史と伝統を守りつつ、本局、さいたま支局、広島支局の三局体制で、引き続きそれぞれの地域の皆様に愛される取組を続けていくとともに、次の時代に向けて守っていくべき「信頼」を守りながら、役職員一丸となって「挑戦」を行い、時代の要請に応えたさらなる進化・発展を目指していく所存である。
写真:(創業当時の造幣局)
(2)記念式典
10月4日、大阪市の本局において、地元自治体、財界、地域の代表者など多数の御列席の下、造幣事業150年記念式典が挙行された*4。
式典では、秋篠宮皇嗣同妃両殿下にウェブ配信による御視聴を賜るとともに、秋篠宮皇嗣殿下からはビデオ・メッセージで「おことば」を賜った。その中で「今から28年前の造幣局訪問の折、工場で一所懸命仕事に励んでおられた方々の姿が深く印象に残っている」、「造幣事業が国民の信頼を得て円滑に運営されているのは、長年にわたる向上心と努力による知識の蓄積と技能の向上、そしてそれらの継承のため後進を育成してきた賜物」との旨の労いのお言葉をいただいた。このことは我々造幣事業に携わる者にとってこの上ない光栄であり、明日への活力の礎として役職員一人一人の胸に刻まれたところである。
また、式典終了後、両殿下には、オンライン・ビジット(インターネット中継)の形式により、我が国最高位の勲章である大勲位菊花章頸飾や文化勲章をはじめとする各種勲章の製造工程、本年11月から発行が開始された新500円貨幣の製造工程及び造幣博物館での各種記念貨幣等の展示の御視察を賜った。
御視察では、職員に直接お声掛けされ熱心に質問を重ねられるなど、両殿下に造幣事業への御理解を深めていただく得難い機会となった。また、長年技術・技能の向上に勤しんできた職員が両殿下からお声掛けを賜ったことは、当該職員のみならず同僚一同にとっても大きな誉であった。
このように、両殿下の御高覧及び「おことば」を賜るとの栄誉の下で、造幣事業150年記念式典を挙行できたことは、役職員一同にとって喜びの極みであり、これもひとえに関係官署の皆様はもとより、地元大阪の皆様、広島の皆様、平成28年9月まで東京支局を見守っていただいた東京の皆様、東京支局の移転先として受け入れていただいた埼玉の皆様をはじめ、多くの関係各位のこれまでの御支援の賜物である。
ここに深く感謝申し上げる次第である。
写真:(記念式典の模様)
写真:(オンラインで造幣局の工場を御視察になる両殿下)

3国立印刷局創立150年記念式典
(1)150年のあゆみ
国立印刷局は、明治4年7月に、大蔵省の一部局である紙幣司として創設された。
この明治4年には、4月に造幣局の創業、5月に新貨条例の布告が行われている。通貨を巡る大きな流れが生まれる中、伊藤博文が大蔵省機構改正案として示した「改制綱領」において、紙幣寮の創設が提案され、まずは紙幣司として孤々の声を上げた後、8月に紙幣寮とされた。
当時の紙幣寮は、令和6年度上期に発行予定の新一万円券の肖像となる渋沢栄一を初代紙幣頭とし、紙幣の発行、交換、国立銀行の認可・育成等、紙幣政策全般を所掌していた。一方、紙幣の製造に関しては、偽造防止等の技術が未熟であったことから、ドイツに製造を委託していた。
その後、紙幣は国内で製造すべきであるとの声が強まったことから、国産化に向けた研究が進められた。明治9年には国の威信をかけて東京大手町に「朝陽閣」と呼ばれる壮麗な印刷工場を建設し、明治10年には国産第一号の銀行券を誕生させ、我が国の近代印刷・製紙のパイオニアとしての第一歩を踏み出した。以来、関東大震災等の困難を乗り越え、組織も幾多の変遷を重ねてきたが、平成15年4月に独立行政法人国立印刷局となり、現在に至っている。
この間、一貫して、経済情勢をはじめとする諸般の社会情勢に左右されてきた紙幣需要へ的確に対応し、いつの時代でも変わらずに、国民から信認される高品質で均質な日本銀行券を安定的に供給してきた。これに加え、明治11年からは海外において日本国民としての身分を保証する公的な証明書である旅券の製造、明治16年からは法律や条約の公布などの国の公報のための出版物である官報の編集・印刷を行っている。さらに、国の歳入金の納付手段である収入印紙、地方公共団体に対する手数料の納付手段である収入証紙や郵便切手など、国民生活に密着した公共性の高い製品や情報サービスを提供してきた。
このように長きにわたり、その役割を果たすことができたのは、伝統と高い技術に裏打ちされた製品や情報サービスを提供してきたことに対し、国民の皆様から厚い信頼を寄せていただいたお蔭である。令和の時代においても、先人たちが築いてきた歴史や伝統を守りつつ、時代の要請に応え、その役割を果たしていくことが求められる。
国立印刷局は、これまで長年にわたって「ものづくり」を中心に活動してきており、これは今後においても重要な業務である。同時に、デジタル社会にふさわしい新たな価値の創出に取り組んでいくため、創立150年という節目を迎えて、経営理念の見直しを行った。
新しい経営理念では、国立印刷局の使命として、「製品」に加えて「情報サービスの提供」を明記した。また、職員の行動規範として、「未来創造」、「持続的研鑽」、「良識ある行動」の三つを掲げた。
今後とも、時代の要請に応じた優れた製品や情報サービスを社会に提供できるよう、役職員一同、たゆむことなく研鑽に努めるとともに、一丸となって業務に取り組んでいく所存である。
写真:(創業当時の印刷工場(朝陽閣))
(2)記念式典
11月1日、東京都北区の東京工場において、関係省庁、関係団体からの御来賓の御列席の下、国立印刷局創立150年記念式典が挙行された。この11月1日は、明治31年に、当時の印刷局と官報局が統合され、現在の原型が形づくられたことから、創立記念日とした日である。
この記念すべき日に挙行された記念式典では、秋篠宮皇嗣同妃両殿下にウェブ配信による御視聴を賜るとともに、秋篠宮皇嗣殿下からビデオ・メッセージで「おことば」を賜った。その中で、国立印刷局が、「我が国の経済の発展と国民生活の安定に貢献されてきたことに対して、深く敬意を表します」と仰っていただくとともに、職員に対しては、「皆様が日々士気高く丁寧な仕事をされていることが、人びとが安心して暮らせる社会を築く礎の一つになっているものと申せましょう」との労いのお言葉をいただいた。このことは、我々国立印刷局の事業に携わる者にとってこの上ない光栄であり、明日への活力の礎として役職員一人一人の胸に刻まれたところである。
また、記念式典終了後、両殿下には、オンライン・ビジットの形式による東京工場の御視察をいただく光栄に浴した。新しい一万円券の最新の偽造防止技術やユニバーサルデザイン等を御覧いただくとともに、長年にわたり日本銀行券等の彫刻作業に携わり、類まれな技術を持つ工芸官の伝統的な職人技を御覧いただいた。さらには、新しい日本銀行券の製造実験の様子も御覧いただいた。
両殿下にとってはじめての国立印刷局の御視察であったが、工芸官をはじめとした高い技術に御関心を示され、職員に直接お声掛けをされて熱心に質問を重ねられるなど、両殿下に国立印刷局の事業への御理解を深めていただく得難い機会となった。また、国立印刷局にとって、約20年振りの新しい日本銀行券の製造の達成に向けて、決意を新たにする機会を賜るとともに、長年技術・技能の向上に勤しんできた職員にとって、両殿下からお声掛けを賜ったことは、その職員のみならず同僚一同にとっても大きな誉であった。
国立印刷局創立150年記念式典を挙行し、職員が秋篠宮皇嗣同妃両殿下から「おことば」やお声掛けを賜る栄誉をいただけたのは、関係官署の皆様はもとより、工場を受け入れていただいている東京、神奈川、静岡、滋賀、岡山の各都県の皆様をはじめ、多くの関係各位のこれまでの御支援の賜物である。
本稿をお借りし、国立印刷局を代表して深く感謝申し上げる次第である。
写真:(秋篠宮皇嗣殿下の「おことば」の模様)
写真:(オンライン・ビジットの撮影模様)

4.おわりに
造幣局、国立印刷局の150年記念式典において、秋篠宮皇嗣殿下から「おことば」を賜り、また、秋篠宮皇嗣同妃両殿下に御高覧いただきながら式典を挙行できたことにつき、両法人を所管する理財局国庫課としても大変栄誉なことであり、謹んでお礼申し上げるとともに、改めて両局職員の皆様にお祝い申し上げる。
造幣局及び国立印刷局が150年の節目を迎えることができたのは、造幣局が純正画一な貨幣を、国立印刷局が高品質で均質な日本銀行券を、明治、大正、昭和、平成、令和と時代が移ろう中でも変わらずに製造し続けてきたことに他ならない。そして、それをなし得たのは、業務に携わる役職員の方々が強い使命感をもって職務を全うされてきたことによるものであり、心より敬意を表したい。
また、両法人が与えられた使命を着実に果たし続けることができたのは、地元の方々を含めた関係各位の多大な御協力によるものであり、深く感謝申し上げたい。
150年の歴史の中で引き継がれてきた良き伝統を後世に伝えていくことで、造幣局、国立印刷局がこれからも通貨に対する信頼の維持に寄与し続けていくことを祈念し、本稿を結ぶこととしたい*5。

*1)大蔵省造幣局編『造幣局125年史』に同様の記載がある。
*2)大蔵省造幣局編『造幣局百年史』に「敷地は(中略)5万6千坪、現在のちょうど倍にあたり、その広大な敷地は世界最大のものであった」との記載がある。
*3)大阪歴史博物館編『大阪歴史博物館常設展示案内(第2版)』、日刊産業新聞「造幣局150年 近代銅産業の系譜(1)」(令和3年4月9日記事)などを参照いただきたい。
*4)造幣局の創業記念日は4月4日であるが、新型コロナウイルス感染症の状況を踏まえ、ちょうど半年後の10月4日に式典を開催することとなった。
*5)独立行政法人造幣局、独立行政法人国立印刷局それぞれの150年のあゆみ等については、次のサイトでも紹介されているので参照いただきたい。
  ・造幣局150周年特設サイト:https://www.mint.go.jp/150th/
  ・国立印刷局創立150年記念サイト:https://www.npb.go.jp/ja/sesquicentennial/index.php