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巻頭言:ポストコロナの日本社会―文明の転換点における未来への視座―

国立民族学博物館長 吉田  憲司
私は近年、さまざまな機会に、人類の文明は、今、数百年来の大きな転換点を迎えていると申し上げてきました。これまでの、中心とされる側が周縁と規定される側を一方的に支配し、コントロールするという力関係が変質し、従来、それぞれ中心、周縁とされてきた人間集団の間に、双方向的な接触と交錯・交流が、創造的なものも破壊的なものも含めて、至る所で起こるようになってきている、という意味においてです。そして、今回、新型コロナウイルス感染症が一気に地球全体に広がるという事態に及んで、私たちは、人類がこれまで経験したことのない局面にいやおうなく立ち会うことになりました。
その状況の中で、社会に潜在していた差別意識が浮かび上がるとともに、私たちが現在の生活を送るうえで当たり前と思って来た慣習やルール、とりわけ人類が近代に入って作り上げてきたあらゆる制度や規範の成り立ちやありようが洗い出され、その意義と存在理由が改めて問われることになっています。
人類史上、文明の転換点には、常に感染症の拡大が関わっていたとさえいえるようです。6世紀のコンスタンチノープルでのペストの流行は、東ローマ帝国の衰退と地中海世界でのイスラームの伸長の契機となりました。14世紀のペストのヨーロッパでの流行は、農奴制=封建制の崩壊を招き、ヨーロッパ中世の終焉と国民国家の形成、そして近代世界システムの成立につながっていきます。
これからは、感染症の問題を考えるときも、あるいは社会や文明の問題を議論する際にも、人間の社会や歴史だけでなく、動物、植物、さらには細菌、ウイルスまでも含めた「生命圏」全体を視野に入れた検討が必要なのだと痛感します。
人類というのは、生物種の中でも、極端に遺伝子多様性が乏しい生き物です。遺伝的に均質だということは、それだけ環境の変動や外敵に対して危うい存在だということです。遺伝的にきわめて均質で脆弱でありながら、人類が、今、地球規模で生存している理由は、一つしかありません。それは、人間の作り出した文化のおかげ、つまり文化的多様性のゆえに他なりません。人間は、多様な文化を作り上げることで、多様な環境の中で生き延びてきたのです。文化的多様性を大切にする以外に、人類の生き延びる道はありません。
今回のコロナ禍で、ついに東京の人口が減り始めました。テレワークの有効性が確認されるなかで、東京一極集中から、人や企業の地域への分散が始まったようです。
資源という点で考えると、自然資源にしろ文化資源にしろ、地方のほうが圧倒的に豊富です。オンラインやDXの環境が整うことで、第3次産業だけでなく、むしろ農業や漁業といった自然を相手にする分野が、新たな挑戦の可能な領域として開けてきています。東京一極集中から、人や企業の地域への分散が始まった今こそ、この動きを一過性に終わらせず、後押しする制度を整えることが重要です。若い人びとが、地域に残り、地域に定着して職業に従事できれば、自ずと、家族の支援も受けやすく、少子化の歯止めにもつながるに違いありません。
東京一極集中の下では、日本が世界とつながるには、東京を起点につながるという発想が基本にありました。ただ、地方への分極化が進めば、それぞれの地域の市町村、あるいはコミュニティが、どこかひとつでいい、世界のどこかとつながる。そうすることで、日本全体で世界とつながれる。それによって、もう一度日本全体が生き生きとした社会を作れないでしょうか? 今、改めての日本改造が視野に入ってきています。