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各地の話題/「ファイナンス」令和3年11月号

佐原
お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸優り(まさり)
佐原税務署 総務課長 宮之元  博文

 はじめに
佐原税務署がある香取市は、千葉県北東部に位置し、江戸時代から商家町としてたいへん栄えた街です。
佐原税務署は、全国に税務署が設置された明治29年11月に設置されました。明治35年頃の職員定員数は千葉県内では最多数の税務署だったそうです。
それから現在に至るまで周辺地域の市町村が合併を繰り返し、平成18年には佐原市と香取郡のうち3町(小見川町、山田町、栗源町)が合併して今の香取市となりました。しかしながら、税務署の名称は「佐原」のままとされました。
管轄区域は、香取市と香取郡3町(神崎町、多古町、東庄町)を管轄しており、管内総面積は401.26km2、管内人口は約11万人となっています。

 日本を描いた男 伊能忠敬~ 天を測り 地を量る ~
伊能忠敬は、江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人物です。
1745年に現在の九十九里町で生まれ、17歳で佐原伊能家当主となり、家業のほか村のため名主や村方後見として活躍しました。飢饉や凶作で村が困窮した際、私財を投げ打って人々を救い、利根川の堤防修繕など普請事業にも心血を注いだそうです。
その後、家督を譲り隠居して50歳で江戸に出て学問を修め、55歳から71歳までの足掛け17年にわたり測量を行いました。歩いた距離は地球一周とほぼ同じ約4万km、測量当初は多額の費用も自分で賄っていました。その結果、完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降国内の基本図の一翼を担いました。
伊能家は、代々名主を務める家柄で、佐原で最も有力な商人でもありました。忠敬は、17歳で伊能家10代目当主として婿養子で迎えられます。家業は主に酒造業を営んでおり、当時の屋敷絵図には、酒造がいくつも並び盛んであったことが描かれております。一説には伊能家の資産は3万両(現在の45億円程度)にのぼったと言われています。現在の伊能家旧宅敷地は、店舗・正門・書院・土蔵が国指定史跡に指定されています。
また、旧宅敷地内には、江戸時代に造られた農業用水路の一部が今でも残っています。この水路を通った水は、目の前の小野川に架かる樋橋(とよはし)の大樋を通り、対岸の水田に送られていましたが、水が溢れ落ちた時にジャージャーと音がしたことから、この樋橋は通称「ジャージャー橋」と呼び親しまれていました。現在は、当時の様子を復元し、30分おきに橋の大樋に水が流れるようになっています。
樋橋を渡れば、伊能忠敬記念館があります。忠敬の人生を年代順に追い、測量器具、日記、その業績の結晶である「伊能図」のほか、国宝「伊能忠敬関係資料2,345点」を所蔵しています。
台座の高さ約5.5m、像の高さ約3.3mの忠敬が測量中の姿をした立派な銅像が建つ佐原公園は、佐原地区の市街や利根川を眼下に一望できる高台もあり、春には公園内の桜が満開となり多くの人たちが訪れています。
このように、「名誉に関わらず困窮している人の命は救うべし」という信念をもって、地元のために力を尽くし、日本地図を完成させた忠敬の偉業は、今も語り継がれています。


 日本遺産認定『北総四都市江戸紀行』~ 江戸を感じる北総の街並み ~
佐倉の「城下町」、成田の「門前町」、銚子の「港町」そして佐原の「商家町」。北総地域の四市を舞台としたストーリーが、平成28年4月、日本遺産に認定されました。東京近郊にありながら、四つの町並みや風景が今も残り、江戸情緒を体感することができます。
江戸時代の佐原は、下利根随一の河港商業都市で、江戸時代初めから酒造も始まり、廻米(江戸と諸国・諸藩間のお米の輸送のこと)・酒造・商業の一大拠点でした。海難事故の多い房総沖を避け、銚子から利根川を遡って江戸に向かうルートが主要水運として発達したことで地の利を得た佐原。商家町として、「江戸優り」と例えられる繁栄ぶりでした。
また、香取神宮参道の起点として参拝客でも賑わい、江戸後期には行楽の船旅として、三社詣で(香取神宮・鹿島神宮・息栖神社)が流行し、江戸との密接な関わりが経済だけでなく地域文化も活性させた結果、日本地図を作成した伊能忠敬や、順天堂大学の始まりともいえる順天堂医院を開いた近代医学の中心人物である佐藤尚中などの文化人を多く輩出しました。
ここ佐原では、平成8年に関東で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定された小野川沿い、街道沿いを中心とした商家が軒を連ねる江戸時代の活気ある町並みが残され、江戸情緒を感じながら散策し、往時の商人の暮らしを体感することができます。


 香取神社400社の総本山 香取神宮~ 神武天皇18年創建 屈指の名社 ~
香取神宮は、古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く、特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されています。
香取・鹿島両社は、時の大和朝廷が北方民族「蝦夷」などに対する守りの最前線基地とし、平定神としても重要視しており、その後は時の権力者藤原(中臣)氏の氏神として手厚く崇拝されました。そのような流れから、710年に遷都された奈良平城京の護神として、藤原不比等により創建された春日大社の主祭神として、香取・鹿島の両神が祀られました。このことから、香取神宮などを介して中央との繋がり、交流があったことが伺われます。
奈良の春日大社のほかにも、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大社を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く崇敬を集めており、家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらにその武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通安全、災難除けの神としても有名です。

 ユネスコ無形文化遺産 佐原の山車行事~ 世界に届いた佐原の誇り ~
佐原の大祭は、7月10日以降の金・土・日曜日に行われる八坂神社祇園祭と10月第2土曜日を中日とする3日間に行われる諏訪神社秋祭りの2つのお祭りの総称をいい、川越氷川祭・常陸國總社宮大祭(石岡のお祭り)とともに関東三大祭りの一つです。
二層構造の山車の上部に、歴史上の人物の大人形、周囲に獅子や龍、物語等を題材にした豪華な彫刻が、下段に乗せた下座連が演奏する佐原囃子の音とともに歴史的町並み(国選定 重要伝統的建造物群保存地区)の中を曳き廻されます。
八坂神社の祭礼である夏祭りは、本宿地区を10台、諏訪神社の祭礼である秋祭りは、新宿地区を14台の山車が曳き廻され、身の丈4~5mに及ぶ日本最大級の大人形の勇壮にして華やかな曲曳き「のの字廻し」などが披露されます。
また、佐原囃子は、神田囃子、京都祇園囃子と並ぶ日本三大囃子の一つであり、笛・大皮・小鼓・大太鼓・小太鼓・すり鉢といった楽器により、15人程度で演奏されます。
さらに、山車の前では手古舞の流れをくむ手踊りが披露され祭り気分は一層盛り上がります。
この祭りの起源は資料がなく不明ですが、佐原は江戸中期から利根川舟運により繁栄し、その財力を背景に祭文化が発展し、また江戸との深い経済・文化の交流から江戸の山王祭や神田祭を強く意識し江戸より勝った山車祭りの実現を目標に形成されてきました。
平成16年2月には「佐原の山車行事」として、「佐原囃子」とともに国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年11月30日には、佐原の山車行事を含む「山・鉾・屋台行事」が、「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。
佐原の山車と囃子の形態は、市内の小見川地区、東庄町、多古町など、茨城県の潮来市、鹿嶋市、行方市麻生などに見られ、周辺地域の祭礼に大きな影響を与え、佐原を中心とする山車文化圏が約三百年にわたりその伝統を脈々と今に受け継がれています。

 終わりに
伊能忠敬記念館や香取神宮で歴史を感じたあとには、小野川沿いの飲食店やカフェでのんびりと一息つきましょう。佐原は鰻も有名であり、鰻を食べることができる店舗もたくさんあります。お昼前になると、店前には行列ができ、香ばしい匂いが漂ってきます。ふっくらとした柔らかい身に甘辛いたれがかかった「鰻重」は絶品です。また、古民家を生かしたレストランや、テレビドラマの撮影に使用された古民家カフェなど、小江戸さわらならではの雰囲気の中、食事をすることができます。
都心からも近く、ゆったりとした一日を楽しめる「小江戸さわら」を、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
〔資料・写真提供:香取市〕

品川
昔も今もこれからも交通の拠点 品川
品川税務署 総務課長 川野  禎裕

 はじめに
品川税務署は明治29年11月に当時の荏原郡(現在の品川区、大田区、世田谷区、渋谷区及び目黒区に相当)を管轄地域として設置されました。
その後、昭和10年9月渋谷税務署の新設、昭和12年6月蒲田署の新設、昭和18年8月荏原署の新設(昭和20年8月に再度併合し、昭和40年7月に再分割)による分離を経て、現在では品川区のうち品川地区、大崎地区、大井地区、八潮地区を管轄しています。
また、昭和46年9月、港区高輪にある現在の庁舎に移転したため、品川区を管轄しながら、庁舎が港区にあるという、管轄地域外に庁舎を持つ珍しい税務署となりました。

 管内の名所・話題

〔品川宿〕
江戸時代、品川宿は日本橋を起点とする東海道五十三次の最初の宿場町として栄えていました。
東海道を行き来する参勤交代の諸大名や公家などが宿泊・休憩所として利用するほか、江戸近郊にある大山や鎌倉などの神社仏閣に参拝することを目的とした庶民の「物見遊山」の旅も盛んに行われるようになったため、宿場は大いに賑わいました。
また、品川宿は「北の吉原、南の品川」と称されるほどの一大花街だったという一面もありました。
現在でも旧東海道沿いには多くの神社仏閣があり、伝統と歴史に裏打ちされた地域に人々の暮らしが息づいています。9月には「しながわ宿場まつり」が行われ、江戸の昔を呼び起こす「江戸風俗行列」や「おいらん道中」により、多くの人で賑わいます。

〔大井競馬場〕
昭和61年、大井競馬場では、全ての公営競技を通じて日本初のナイター競走となる「トゥインクルレース」が開催されました。
白熱するレースを観戦しながら食事ができるレストランや多彩なイベントが開催されている広大なイベントスペースなどもあり、競馬初心者やファミリーも1日楽しめるスポットです。
また、2月にはレース場中央にあるエキサイティングビジョンを使用し、確定申告の広報にご協力いただいています。

〔品川神社〕
品川神社は文治3年創建、源頼朝公が安房国の洲崎明神の天比理乃・命(あめのひりのめのみこと)を当地にお迎えし、海上交通安全と祈願成就を祈られたことが始まりといわれています。
東海道北品川宿の鎮守で6月上旬の「北の天王祭」と呼ばれる品川神社の例大祭では、街中が大変な人出で賑わいます。
品川神社の例大祭と新嘗祭に奉納される「太太神楽」は、徳川家康が関ヶ原合戦出陣の折に戦勝祈願として奉納されたもので、東京都の無形民俗文化財に指定されています。

〔しながわ水族館〕
しながわ水族館は、品川が古くから海や川にゆかりがあることから、平成3年に水辺とのふれあいをテーマにオープンしました。
見所は900尾もの魚たちが泳ぎ回る大海原が天井いっぱいに広がる全長22mのトンネル水槽。泳ぐ魚を下から見上げることができ、魚たちと一体となって海の世界にいるような心地になれます。
魚や海獣を身近に接し、観察し、学べる「遊体験」を楽しめる空間です。

〔リニア中央新幹線〕
リニア中央新幹線は、東京(品川)と大阪を結ぶ次世代の交通の大動脈としてJR東海が建設を進めており、品川~名古屋間が先行して開業予定となっています。
開業が実現すると、品川~名古屋間は最速40分、品川~大阪間は最速67分で移動することが可能となります。
今後、品川駅はリニア中央新幹線の始発駅など広域交通の利便性の高さや、国際化が進む羽田空港との近接性から日本各地や世界と人々をつなぐ、国際交流拠点の役割を担うことになります。

 おわりに
近年の再開発により、オフィスビルや複合高層ビルが建設され、近代的な街並みに変わっていく一方で、歴史ある建物や四季を感じる水辺の風景なども多数残っています。そんなアンバランスさも品川の魅力の1つだと思います。
お近くにお越しの際には、かつて東海道を旅した旅人のようにご自身で散策してみてはいかがでしょうか。
(写真提供:品川区)

江東
伝統と未来が交差する水彩都市 江東
江東西税務署 総務課長 川村  聖子

 はじめに
江東西税務署は、昭和22年に区政改革により誕生した江東区を管轄する江東税務署として新設されました。その後、昭和39年に江東東税務署の新設により亀戸地区・砂町地区を分離し、江東区の西側、深川地区や臨海地区を管轄する江東西税務署として今に至ります。
江戸時代から続く深川地区には富岡八幡宮や深川不動堂など下町情緒あふれるスポットが多数あります。また、東京2020オリンピック・パラリンピック競技の競技会場があったことでも注目を集めた臨海地区には東京ゲートブリッジ、豊洲市場やキッザニア東京など全国的にも有名なスポットが多数あります。
江東区は都内でありながら、水と緑豊かな水彩都市であり、伝統と現代、刺激と情緒、都市と自然といった対照的な魅力を併せ持つ個性的な街です。

 管内の名所・話題

〔富岡八幡宮〕
富岡八幡宮は寛永4年、菅原道真公の子孫、京都の長盛法印が、武勇の神である応神天皇を主祭神として創建したと伝えられています。
「深川の八幡様」と親しまれる江戸最大の八幡様です。
また、江戸勧進相撲発祥の神社としても知られていて、歴代横綱の名を刻した横綱力士碑や巨人力士手形足形碑も見どころの一つとなっています。

〔深川八幡祭り(別名:水かけ祭り)〕
深川八幡祭りは、徳川家綱の成長祈願の神事が発端と言われており、毎年8月15日に開催されています。
「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」といわれるように、深川八幡祭りは江戸の三大祭り(諸説あります)の一つで、特に3年に一度行われる本祭りでは50基を超える神輿が連なって8kmのコースを練り歩く様は見ごたえ十分です。
沿道からは神輿や担ぎ手めがけてお清めの水をじゃんじゃんかけることから、別名「水かけ祭り」とも呼ばれています。
令和2年が本祭りの予定でしたが、新型コロナウィルスの影響で延期となり、次回の本祭りは令和5年8月に開催予定です。

〔木場の角乗〕
木場の角乗は、江戸時代に木場の材木業者が水に浮かべた木材を、鳶口一つで乗りこなし、筏を組む仕事の余技から発生し、これに様々な技術が加わって民俗芸能として発達しました。角乗に使われる材木は、角材を使うため丸太乗りより高い技術を必要とされます。
江戸時代に生まれたこの文化は、東京都指定無形文化財にも指定されています。

〔豊洲市場〕
築地市場から移転した「日本の台所 豊洲市場」は、世界中から水産物や野菜が集まる日本最大の卸売市場として、2018年10月に開場しました。
マグロの競りの様子が見学できたり、市場グルメを楽しんだり、新鮮な食材を直接買うこともでき(お土産として買うのは不可)、一般客も十分楽しめるスポットです。

〔江東区の橋〕
河川や運河の多い江東区には、実に130以上もの橋があります。
東京で初めて架けられた鉄橋「八幡橋」や、関東大震災復興事業として架けられた「永代橋」、「清洲橋」など、国の重要文化財に指定されている橋もあり、江東区の観光スポットの一つとなっています。
写真:永代橋
写真:清洲橋とスカイツリー

 管内のグルメ

〔深川丼・深川めし〕
深川丼は農林水産省の「郷土料理100選」に選出された東京都の郷土料理です。
江戸時代に深川の漁師たちが仕事の合間に食べていたいわゆる「漁師飯」が深川丼です。当時は貝のすまし汁をご飯にかけたり、塩ゆでした貝をご飯と一緒に食べていましたが、徐々にみそやしょうゆベースの出汁に貝を入れたうまみたっぷりの汁を白米にぶっかけるスタイルに変化していきました。これが深川丼のルーツといわれています。
歴史ある深川丼ですが、実は2種類の食べ方があります。一つは漁師飯をルーツとする「ぶっかけ」で、いわゆるお茶漬けのようなものです。
もう一つが「炊き込み」です。こちらは、新鮮なアサリとご飯を炊きこんだもので、明治時代に入ってから家庭料理として作られるようになったと言われています。
写真:ぶっかけ
写真:炊き込み

 おわりに
江東西税務署管内には、まだまだ紹介しきれていない魅力的なスポットが、たくさんあります。
また、江東東税務署管内にも「亀戸天神社」や23区初の「川の駅 旧中川」などの観光スポット、「亀戸餃子」や「亀戸ホルモン」など魅力いっぱいのB級グルメなど、見て食べて楽しいスポットがたくさんあります。
魅力いっぱいの「水彩都市 江東」に、是非お越しください。