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還流する地下資金―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―

4.FATF:実質的強制力とジレンマ

IMF法務局 上級顧問 野田  恒平

図表.本章の範囲

要旨
■地下資金対策に係る国際的枠組は、FATF基準を核としつつもそれに留まるものではなく、関連する条約等が基準の構成要素の一部となると同時に、その基準が更に他の枠組みに取り込まれた、有機的・複合的な総体として理解する必要。
■FATF基準は、従来のハード・ローとソフト・ローの二分論を超克し、非拘束的形態を取りながらも国際金融システムへのアクセスを担保し、また、IMFの融資等をレバレッジとすることで、実質的に大きな強制力を獲得した独自のメカニズム。
■しかし、FATFはメンバー国から遊離した存在ではなく、我が国自身も意思決定に関わる相互的な枠組み。そして、FATFがその構造上抱える様々なジレンマは多くの論点を生み出しており、日本としても、それらに向き合っていくべきである。

国際法の世界において、ハード・ロー(hard law)とソフト・ロー(soft law)を対置して捉える考え方がある。即ち、条約を始めとした法的拘束力を持った法規範である前者に対し、ソフト・ローには、国際会議の宣言、国連総会決議、国際組織の行動綱領・指針等が含まれ、既存の法の改廃を求めて、又は法が未だ整備されていない分野で新たな規範の樹立を求めて行われることが多い、とされる*1。この分類に従えば、FATF基準は、それ自体としては法的拘束力を有するものではなく、ソフト・ローに属すると言える。しかし、現実にはFATF基準は大きな強制力を持ち、主権国家の立法措置までをも強く促すという意味においては、場合によってはハード・ロー以上の拘束力を持つのではないかとすら思われる。このようなFATF基準の在り方は、極めて独自性のあるものであると同時に、従来のハード・ソフトというダイコトミ―(二分論)からの、大胆なパラダイム・シフトであるとすら評される*2。
この章においては、そのようなFATF基準の強い強制力がどのようにして形作られているのか、そして、そのことが持つ意味について、見て行きたい。
写真:ミシェル・カムドシュ
(出典:World Economic Forum, CC BY-SA 2.0)IMFは、カムドシュ専務理事の在任中に地下資金対策への関与を開始した。写真は、FATF設立年に開催されたダボス会議で登壇する同氏。

1.他の国際規範との関係性
二分論からのパラダイム・シフトということの第一の含意は、FATF基準と他の国際規範との関係性である。この点、地下資金対策に係る国際的な規範を、FATF基準だけではなく、それが組み込まれた体系の総体として理解する必要がある。
FATF基準は、他の様々な規範から独立した存在ではなく、実際にはそれらと「入れ子」のような重層構造を成しているとイメージすると、分かり易い(図表1.地下資金対策に関する国際規範の関係性(概念図))。まず、特定の条約について、FATF基準はその締結と「完全な履行」を、明文で求めている(勧告36)。これには具体的には、ウィーン条約(麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約)、テロ資金供与防止条約、パレルモ条約(国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約)、メリダ条約(腐敗の防止に関する国際連合条約)が含まれる。勧告はまた、国際的な刑事共助及び犯罪人引渡を円滑に行うことを求めているが(勧告37~39・有効性指標2)、その実施の技術的容易性が、当該国においての、関連する多国間又は二国間条約の締結・批准の有無に依拠している場合も多く、FATF基準は実質的に、そのような条約を締結・批准することを各国に強く推奨していると言える。更に、FATF基準の重要な構成要素の一つは、テロ資金と拡散金融に係る国連安保理制裁決議の実施である(勧告6・7、有効性指標10・11)。これらの国際規範は拘束力のあるハード・ローであるが、FATF基準はそれらを取り込んで、内在化していると評価することが可能である。
次の段階として、FATF基準自体はそれ以外の国際的枠組により引用され、一層拘束力が強化されている。ここにこそ、そもそも筆者がなぜIMFの立場から地下資金対策について語るのか、という点に対する回答もある。IMF(国際通貨基金)は、国際金融の安定をその主要なミッションとする組織であり、関与する政策分野は、財政規律の確保や経済の構造改革等、基本的にはマクロ経済政策に属するものである。地下資金対策のような刑事政策や外交・安全保障の要素を色濃く持つ政策分野に関わっているということ自体、予想外と受け止められることが多い。実はIMFは、1990年代より地下資金対策の分野での関与を開始している*3。大きなモメンタムを与えたのは、1997年のアジア通貨危機だ。当時のIMF専務理事は、現在に至るまで歴代ナンバー・ワンである、13年間もの在任期間を誇るミシェル・カムドシュ氏(直前までの職責は仏中銀総裁)であるが、第一章において紹介した、世界の対GDP比2~5%がマネロン総額規模の「コンセンサス・レンジ」であるとのIMFの見解は、同氏によって、1998年のFATF全体会合において表明されたものである*4。そして2000年代に入ると、その関与の度合いは累次に亘り強化されて来た*5。その論拠は、地下資金対策がマクロ経済に重大な影響を及ぼし得る要素である、という点である。
これは、IMFにおいてはMacro-CriticalityないしはMacro-Relevancyという造語で表現される。金融システムの廉潔性(financial integrity)は、一国の経済を決める重要な礎である。対策がきちんと取られていない国においては、その前提となる犯罪等自体が社会経済に直接に悪影響を及ぼすことは勿論、そのような廉潔性の毀損により、金融機関の取引にも容易に支障が生じ得るし、投資家の信認も得ることができず、当該国経済の健全な発展にマイナスとなり得る。そのような負の効果は、当該国に留まらず、他国にも及ぶであろう。また、特にマネロンは汚職とも密接に関連している、政府関係者が公金を着服し、それをマネロンすることが簡単にできてしまうような国では、IMFの融資が、借入国の経済支援という本来の目的を果たすことなく、浪費されてしまう。従って、IMFは借入国の状況を見極めた上で、必要とあらば、自身のマンデートに関わる重大な関心事項として、FATF基準の遵守を中心とした当該国の地下資金対策を注視するのだ…。以上のロジックを一言で表現するマジック・ワードが、このMacro-Criticality/Macro-Relevancyである。
IMFにおいて、現在では、金融セクター評価プログラム(FSAP:Financial Sector Assessment Program)や、いわゆる4条協議といったサーベイランスの項目の中に、FATF基準の遵守が含まれている*6。なお、このような活動の一環として、IMFはFATF自身や世銀とも密接に共働している。しかし、何と言っても最も強力な関与と言えるのは、IMFからの様々なファシリティの下での融資に当たり、財政規律の効率化や経済構造の効率化といった、おなじみの融資条件と並び、直截に地下資金対策に関連する項目が盛り込まれる場合である。こうなると、借入国としてはそれまで以上の切迫感を持って条件の達成に取り組まざるを得ない。仮にそれらの条件が満たされず、IMFが融資から手を引くという事態にでもなれば、それだけでも十分なダメージとなるばかりか、事はその範囲だけには留まらず、協調融資をしている他の貸し手(他の国際機関やバイラテラルの融資国)、更には、民間の海外投資家や金融機関の行動にも影響を及ぼす可能性がある。これは、基準遵守を促すレバレッジとしては、これ以上ない程に大きいものである。
なお、その他の国際的組織について見ても、金融安定化理事会(FSB)が主要基準の一つの要素としてFATF勧告を参照している他、バーゼル委員会(BCBS)・保険監督者国際機構(IAIS)・証券監督者国際機構(IOSCO)が、共同でFATF勧告の遵守を促している*7。次項で述べる通り、FATF基準には審査プロセスを通じてそれ自体としての実質的強制力が生み出されているが、その力は、このような「入れ子」構造を通じて一層拡幅されていると理解することが可能である。

2.相互審査と実質的強制力の獲得
FATF基準が、ハード・ローとソフト・ローという二分論を超克していると言った場合の第二の含意は、その審査プロセスから導出される。
FATF基準に従って、各国は審査を受けることになる。具体的には、各国が審査員を拠出し合って審査の都度ごとにチームを結成し、書面審査及びその国に行っての対面審査を経てチームとしての評価を出し、それを各全体会合に順次諮って行く。全体会合では、被審査国も含めた参加国でその評価について議論し、一部の評価についてはアップグレード・ダウングレードの検討がなされた上で、最終的な評価が決せられる。この点が世間一般で曲解されがちなところなのであるが、このように、審査は徹頭徹尾、参加国の間で行われるものであり、それ故にこのプロセスは「相互審査(mutual evaluation)」とか「相互監視(peer pressure)」のメカニズムであると説明される。現に、日本も他国の審査チームに審査員を供出しているし、全体会合で評価を議論する際にも加わっている。また、事務局は審査に関し、技術的サポートの立場から参加するが、その事務局に対しても、現在日本政府から職員をスタッフとして派遣している。FATFを主権国家から遊離した存在のように観念し、それが他人の庭の政策決定に一方的に容喙しているといった理解は、完全に誤りである。
審査プロセスはまず、被審査国がまずそれぞれの項目について、自国の現状をまとめた報告書を提出するところから始まる。審査チームはそれをレビューした上で、不明点に対する質疑応答が、遠隔で何往復か繰り返される。この際、関連する法令等も英訳して提出するため、提出文書の総量は膨大なものとなる。40の勧告部分については、大半がこの書面でのレビューによって決着が付く。他方、11の有効性指標の方は、審査対象が「制度の実施状況」という抽象的な性質のものであるため、実際に関係省庁や民間事業者の話を直接に聞く事で、理解を深める必要がある。従って、被審査国での対面審査では、この部分に多くの時間が割かれる。今回の対日審査においては、2019年の10月から11月にかけての2週間に亘り財務省内の会議室を貸し切り、審査チームは近くのホテルから毎日通い、また、関係省庁やヒアリング対象の民間事業者も財務省に足を運んでもらう形で、連日審査が行われた。なお、民間事業者へのヒアリングの際は、政府に忖度なく話せるよう、官側の人間は同席できない決まりとなっている。被審査国での対面審査が終わった後も、最終的にFATF会合の場に審査結果が持ち込まれるまで、断続的にやり取りが行われる。今回は特に、コロナ禍で日本の審査に係るプロセス全体が延びたことも手伝い、最初のレポート提出から結果公表までが2年以上という、非常な(非情な)マラソン・レースとなった。
各項目についての評価は4段階でなされ、これを踏まえた若干複雑な決まりにより、総合評価が決せられる。その分かれ目は二つあり、(1)監視対象国としてリスト掲載されるか、及び(2)対抗措置*8が取られるか、である。総合評価が特に低い国は、まず1年間の執行猶予期間を与えられるが、この間に状況が改善されない場合、「取組みに不備がある国」としてリスティングされる(図表2.ブラックリスト及びグレイリスト掲載国(2021年10月時点))。これは、「ネイム・アンド・シェイム(name and shame)」と呼ばれる手法で、国名を公表することで恥をかかせ、間接的に遵守を促そうというものであるが、これだけでもかなりの威力があり、実質的には対抗措置の前倒し的な発動とも捉えることができる*9。このようにFATFから要注意と認定されること自体が、他国の金融機関によるリスク管理の厳格化を招き、取引上の不利が生じるからである。そして、ここから更に状況の改善が行われない場合に、いよいよ正真正銘の対抗措置が取られることになるが、その究極のものは、他国への金融コルレス関係遮断の呼掛けである。金融は実体経済の血流であるから、当然これが実現してしまった場合、対外的な経済関係が実質的に途絶されるに等しい状況となり、通常の国であれば、経済そのものが立ち行かなくなる惧れすらある。
従って、そのような岐路に立たされた当事者は、何とかそのような事態に陥ることを避けようと、必死になる。それ自体としてはソフト・ローであるFATF基準の強制力は、ある側面では、ハード・ロー以上にハードである。FATF基準とは、国際金融システムへのアクセスを担保に取った、実質的な強制執行のメカニズムであり、更にその根幹には、世界通貨としてのドルの力がある。このような態様につき、他の国際規範に類似例を求めることは難しい。強いて言えば、スコープはFATF基準より遥かに絞られるが、昨今OECDにおいて採択され、日本も採用している「共通報告基準(CRS:Common Reporting Standard)」*10がこれに近いと言える。また、国際的枠組とは言い難いが、ドルを有する米国が発動する各種金融規制や、イラン等に対するユニラテラルな金融制裁は、それに関与した外国金融機関等に対する米国政府からの制裁が含まれている。これらは、他国からは域外適用との批判を受けることもあるが、特に後者は違反した外国金融機関を実質的にドル決済から締め出すことまでが想定されており、これによって、金融機関としては現実問題としてはその遵守を確保せざるを得ない立場に置かれることとなるという意味で、FATFプロセスとの同質性が認められる。この点は、地下資金対策における国際的枠組とユニラテラリズムの相克という観点からも興味深い事象である。
なお、グレイリスト掲載等の措置を取られる可能性が生じるのは、メンバー国として相互審査を受け、その成績が不芳であった場合だけではない。前章において、FATFが拡大していくプロセスについて解説したが、その中で、FATF(及びその実質的な地域支部であるFSRB)への不参加自体が不利益となり得ることが、拡大の原動力である旨述べた。実際のところ、手続規定上、リスト掲載等の措置を見据えた特別な審査プロセスに引き込まれる第一の要件は、何と、このFATF体制への不参加そのものである*11。このような要件を設けることには、FATFにうるさい事を言われる位なら、初めから参加しない、或いは脱退するといった「逃げ得」を許さないという意味で、合理性は認められる。勿論、FATFは主権国家の自発的な枠組みに過ぎないから、審査プロセスに召喚され、説明を求められたからと言って無視することは理屈の上では可能である。しかしそこに待っているのは、欠席裁判での、国際金融システムへのアクセス制限ないし遮断という、一方的な不利益措置である。国家たるもの、政策に関する外部からの干渉には本能的な拒絶感があるし、後述の通り、そもそもマネロンが政府そのものの汚職と結び付いていたり、国家自身が広域的なテロ組織の資金を裏で提供していたりという、脛に傷を持つ国にとっては猶更である。しかし、金融の血脈という経済の生命線を質に取られてなお、これに抗える国家は多くはない。強権的で苛烈な規範適用のことを、古代アテネの執政官の名を取りdraconianと表現するが、こと国際的枠組に関して、不参加国までを容赦なく巻き込み、峻厳な措置の対象とし得る今のFATF体制以上にこの言葉が似合う存在があるだろうか。
写真:FATF全体会合の議場外にて、財務省から事務局へ派遣された同僚と(向かって左が筆者)(筆者撮影)

3.現在の枠組みへの評価
以上概観して来た通り、地下資金対策に係る国際的枠組は、それ自体としてはソフト・ローに過ぎないFATF基準を中核としつつも、国際金融システムへのアクセスを担保としたその審査プロセスにより生み出される実質的な強制力が、FATF基準が他の国際規範と組み合わさることにより拡幅される過程を通じて、大きな力を有するに至っている。この現状の枠組みに対して下し得る評価は、決して一面的ではない。
まず、この強い強制力を持つ枠組みは、世界政府不在の国際社会が到達したある種の均衡解であり、現実的に優れた共通ルールの形成・実施メカニズムである、として、肯定的な評価を下す見方があり得るだろう。確かに、究極の社会悪である麻薬犯罪への対策を出発点とし、組織犯罪に立ち向かうための叡智として生み出されたマネロン対策が、今や地下資金対策という大きな枠組みとして、実質的な力を伴った形で確立されていることは、歓迎すべきことである。しかも、ここで特に銘記しなければならないのは、国家的アクターが直接に関与する拡散金融は言うに及ばず、マネロンやテロ資金供与においても、規制・対策の真の名宛人は、実は当該国の統治機構を構成する政府関係者であることも少なくないという事実である。
繰返しにはなるが、マネロンの主要な前提犯罪の一つは、汚職である。国によっては、マネロンを行っている一番の張本人は為政者であり、不正にかすめ取った国富を私財として蓄えるため、率先してマネロンを行っているということもある。マネロンを経て海外へ流出した資産を回復するメカニズム(アセット・リカバリー)は、現在、地下資金対策の重要な要素の一つとされているが、これはそもそも汚職を念頭において創出された制度である。更に深刻なのは、テロ資金供与だ。国際的なテロ活動は、中東地域を中心に複数の国家が、広域的に活動するテロ組織を隠密裏に、時には半ば公然と支援することによって成立していると考えられている。いわゆる「テロ支援国家」の存在という問題である。このような国に対して、マネロン・テロ資金対策の実施を要請することは、政府に自分達自身の手足を縛ることを求めているに等しい。当然、それには相当な実質的強制力が必要となって来る。国際金融システムへのアクセスという、国家の経済を左右する程の大きい「質」を取り、指導者達に対策の履行を迫るというFATFの現在の方法は、非軍事的措置を前提にするのであれば、このような困難なミッションを前にしての、最も有効な方途とも言えそうである。
他方で、現行の枠組みには、様々な問題点も垣間見える。それらの内でも主要なものは、枠組みの機能に係る各段階に対応し、「三つのジレンマ」として概括できる。
まず一つ目のジレンマは、対抗措置適用の効果に関する矛盾である。これは、多くの場合において第一義的には過剰化の問題として立ち現れる。即ち、いかに地下資金対策への取組みが不十分な国に対してであっても、対抗措置の適用は、それ自体が国際金融システムへのアクセス制限により、当該国の経済そのものに大きな悪影響を与え、「角を矯めて牛を殺す」結果を招来しかねない。前述の通り、対抗措置に至らないリスト掲載の段階でさえ、想定されるレピュテーション・リスクは既に甚大である。対策の強化を求める他国の大多数にとっても、対象国の経済を崩壊させてしまうことは、反射効としての自らへの負の影響が余りに大きいため、望むところではない。FATFが獲得した実質的強制力は、余りに鋭く鬼をも殺すが故に、安易には抜けない刃になっている。事実、実際の発動に当たっては、メンバー国間でその当否とさじ加減につき、毎回激しい議論が繰り返される。対象国が、イランのような国際経済に大きな影響を持つ資源国である場合は、殊更である。
他方で、例外的なごく一部の国に対しては、対抗措置の効果はかなり実はかなり希釈化されてしまっているという事実がある。つまり、その措置が国際金融システムへのアクセスを担保にしたものである以上、そもそも外部経済との繋がりが希薄であり、措置への「免疫力」を有する国に対しては、その効果は限定的なものとならざるを得ない。実際、現在唯一フルフレッジでの対抗措置を取られている北朝鮮は、それより以前から、実質的には国際的な金融市場からも孤立した存在であり、そこからの遮断という対抗措置は、いわば現状の上書きに過ぎない。通常、FATFから厳しい評価を受けた国は、その後必死になって国内施策に取り組み、また、FATFの場に赴いて状況の改善をアピールし、名誉挽回に躍起になる。一方、北朝鮮はここ数年、FATFのあらゆる会議に、一切顔すら出していない。FATFが最も訴求したい対象の一つに対して、実は最も無力であるという現実は、皮肉と言う他ない。
二つ目のジレンマは、審査における基準適用の在り方が均質的ではなく、ある国・地域に対しては過度に厳格に適用されがちである反面、その他に対しては弛緩された運用がなされる可能性がある、という点である。そしてそれは、極めて逆説的であるが、地下資金に対するリスクがより低い国で厳格に適用されがちな反面、高い国では寛大な評価が下されがちであるという傾向を呈する。即ち、リスクが高い国においては、伝統的に対応する対策が講じられている国が多い。実際、英国やスペイン、イタリア、イスラエルといった国のFATF審査の評価は、総じて高い。イタリアは言うまでもなくマフィアが生まれた地であり、米国と並んで世界の組織犯罪発祥の地とも言い得る国である。英国は、世界の金融センターであることに加え、歴史的に国内の分離独立運動を含むテロ因子を抱えており、これはスペインにおいても同様である。イスラエルに至っては、テロ対策が国の存亡に関わる最重要の政策課題と言って、過言ではないだろう。これらの国においては、リスクは手に取れる具体的なものとして把握されており、従ってそれに対する措置も、捜査・訴追、未然防止措置等に係るケースも、非常に説明し易い形で存在する。
他方、例えば我が国について言えば、典型的には、テロのリスクはそれ程高くない。よって、特にそれへの対抗策について実績を問われた場合、一歩間違えば、不存在を立証せよ、との「悪魔の証明」になりかねない。例えば、これらに係る実際の刑事事案が僅少である理由を質された場合、そもそもの事象自体が存在しないという主張に対して、それは当局が把握できていないに過ぎないからではないか、との審査団からの反論が常に成り立ち得る。誤解のないように付言しておくと、FATF審査の理念は、その国の評価は常に当該国を取り巻くリスクと社会的文脈(risk and context)の中で下されるべき、というものである。従って、低リスク国がそのことを以って、却って不当に悪い評価を受けることがあってはならず、そのことは、審査団も十分に理解している。また、厳密に言えば「テロのリスク」と「テロ資金供与のリスク」は同一ではない。即ち、国内でテロが余り見られない国でも、当該国の金融システムが悪用され、他国でのテロ活動への資金供与に用いられる可能性は存在する。しかし何れにせよ、日本の現状を前提に、今般のFATF相互審査を受けた筆者の実務感覚として、この点について審査団の適正な理解を得る作業は、かなり骨が折れたことの一つである。一般論としても、犯罪発生率が低く、テロも少ない国が、その反対である国より低い評価を受けがちともなりかねない審査の在り方は、違和感を感じる部分があることもまた事実だ。
そして、第三のジレンマはFATF全体の議論の射程に関わるものであり、これが最も根源的な問題である。第二章で触れた通り、米国における犯罪対策としてのマネロン規制の礎石の一つは、金融機関をゲートキーパーとして位置付けた銀行記録・外国取引法である。現在では、ゲートキーパー機能を担う業種は拡大されているが、それでも未だに、予防措置をはじめとした民側の実務負担の多くの部分が金融機関によって担われている。そのようなマネロン規制の出自を投影し、現在でも、FATFでの政策的論議を支える各国代表者の多くが、金融監督及び警察両当局の担当者である。日本も含めたいくつかの国は、経緯上財務省が政府を代表しており、また、どの国でも他の関係省庁の有形・無形の関与はあるものの、全体的観察としては、FATFは依然として金融監督者と警察関係者のフォーラムである。その帰結として、ややもすれば議論はサイロ、日本語で言えば「たこつぼ」に陥りがちとなる。局所的な議論とそこから生み出される基準が、微に入り細を穿つディテールを極める反面、例えば国境・国籍管理等は、地下資金対策の観点からも要諦と言える分野でありながら、これまでのところ余り俎上に上っていない論点が複数存在する。また、実体的なカネの流れを見るに当たり避けては通れないと思われる税務等との関連性も、必ずしも十分に議論が尽くされていないように思われる。
しかも他方においては、これといわば逆向きのベクトルが存在する。それは即ち、FATFが背負うアジェンダが時を追うごとに政治化し、地下資金対策に関わる技術的な行政官の集団としての、元来の本分を凌駕しつつある、という事実である。特に、2001年にテロ資金供与をその射程に含めたことは、ルビコン川を渡る出来事だったと言える。そもそも何を以ってテロと定義し、誰を以ってテロリストとするかは、その性質上、不可避的に政治的な問いである。ある国や民族にとって恐ろしいテロが、他の立場から見れば正義の闘いとなる。実は、国際社会はこれまでのところ、「テロリズム」・「テロリスト」という概念に対する、包括的な合意形成には成功していない。次善の策として、関連条約においては基本的に「テロ『行為』」を客観的な類型列挙の形で定義し、それを規制の対象とするという方法を取っており、それが地下資金対策の枠組みにおいても取り込まれている*12。しかし現実に、世界の複数の国が、民族的大義の実現のためとして、別の立場からはテロ組織とみなされる集団を支援しており、FATFは正に、このような多様な立場を取る国際社会のメンバーを包摂する枠組みである。理念としては、客観的要件の下でのテロ行為を射程にした純技術的な議論を志向するFATFではあるが、実際には、政治的議論との境界は曖昧にならざるを得ない。そして、その後更に拡散金融が追加されたことで、FATFは刑事政策という当初の持ち分を名実ともに超えた、外交・安全保障に係る政策領域を、大規模な「入植地」として抱え込むことになった。これらの柱を射程に加えることは、何れも米国の意向を強く反映したものであるが、当時から慎重論があり、今でもその判断を誤りだったと捉える向きもある。この点に、一意の評価を下すことは本稿の目的ではない。しかし確かなことは、今やFATFは、金融と警察を中心としたテクノクラートのフォーラムには、やや過重とも言える負荷を背負わされている、という事実である。
後続の各章において、地下資金対策の各分野についてより詳細な検討を加えて行くが、そこにおいて提示する問題意識の多くは、この3番目のジレンマに関わるものである。各分野において仔細な論点は数多く存在し、ややもすればその隘路にはまり込みがちになるが、実はそれらにも増して重要なのは、議論の射程自体を所与とせず、批判的に検討の対象とする巨視的観点だ。非常に大きい存在でありながら、それが故にその存在が却って正面から気付かれづらく、又は敢えて気付かないふりをされている問題点のことを、英語で「部屋の中の象(elephant in the room)」と表現する。正にそのような象達がたくさんいるのが、この地下資金対策の世界である。日本も責任あるメンバー国として、自らが現行の基準遵守を目指すのみならず、より根源的な論点に関わる基準自体の批判的検討にも、真摯に向き合って行かなければならない。
図表3.現在の国際的枠組が抱える、「三つのジレンマ」

※本稿に記した見解は筆者個人のものであり、所属する機関(財務省及びIMF)を代表するものではありません。

*1)岩沢雄司『国際法』東京大学出版会、2020年、P.44-45
*2)Navin Beekary, The International Anti-Money Laundering and Combatting the Financing of Terrorism Regulatory Strategy:A Critical Analysis of Compliance Determinants in International Law, Northwestern Journal of International Law & Business, 2011
   Saby Ghoshray, Compliance Convergence in FATF Rulemaking:The Conflict Between Agency Capture and Soft Law, New York Law School Review, 2015
*3)Review of the Fund’s Strategy on Anti-Money Laundering and Combating the Financing of Terrorism, IMF Policy Paper, 2019
*4)Michel Camdessus (former Managing Director of IMF), Money Laundering:the Importance of International Countermeasures, Speech at the Plenary Meeting of FATF, February 10, 1998
*5)Enhancing Contributions to Combating Money Laundering, IMF Policy Paper, 2001
*6)Anti-Money Laundering and Combating the Financing of Terrorism Inclusion in Surveillance and Financial Stability Assessments, IMF Guidance Note, 2012
*7)石井由梨佳『越境犯罪の国際的規制』有斐閣、2017年、P.397-399
   Key Standards for Sound Financial Systems, Financial Stability Board
   Joint Forum, Initiatives by the BCBS, IAIS and IOSCO to Combat Money Laundering and the Financing of Terrorism, 2008
*8)なお、「対抗措置」という用語は、国際法上「他国の違法行為をやめさせ、事後救済の義務の履行を迫るために、自ら国際義務に反する措置を取ること」を意味し、違法性阻却事由を含意するものであるため、この文脈で用いることは厳密には正確でないが、本稿では慣用に従うこととする。(岩沢雄司(2020年)、前掲書、P.601-606、小松一郎『実践国際法』信山社、2011年、P.344-352)
*9)Jae-myong Koh, Suppressing Terrorist Financing and Money Laundering, Springer, 2006, P.188-192
*10)外国の金融機関等を利用した国際的な脱税及び租税回避に対処するため、非居住者に係る金融口座情報を税務当局間で自動的に交換するための国際基準。
*11)この審査プロセスは、FATF内に設けられた、International Co-operation Review Group(ICRG)という(ややオブラートにくるんだ名称の)部会で行われる。そのプロセスに組み入れられるための要件の詳細は、以下を参照。
   https://www.fatf-gafi.org/publications/high-riskandnon-cooperativejurisdictions/more/more-on-high-risk-and-non-cooperative-jurisdictions.html?hf=10&b=0&s=desc(fatf_releasedate)
*12)Koh, op.cit., P.108-110