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新々私の週末料理日記 その46

8月△日夏休み

 新型コロナウィルス蔓延で、夏休みだというのに出かけられない。せめて近所のジムかプールに行きたいと思うが、緊急事態宣言下控えた方がよさそうだ。かといって炎天下の散歩はつらい。屋根があって屋外の場所ということで、近所のゴルフ練習場に出かける。善男善女の考えることは同じようで、朝から結構混んでいる。しばらく待って打席に入り、入念に準備運動してからおもむろに球に向かう。流れるようなバックスイングからクラブ一閃。白球は正面のネット上段に突き刺さるはずが、空振り同然のチョロ。次はマットが飛びそうなダフリ。次は、野球ならゴロでセンター前に抜けようかというトップ。気を落ち着けて素振りを繰り返してから再度アドレスに入るが、今度は痛烈な直角フック…。挙句は痺れるようなシャンクまで器用に打ち分けて、汗びっしょりになって早々に退散する。
 家に戻って風呂場で水を浴びてから、昨晩の残りのカレーにカリカリに焼いた目玉焼きを2個のせて食べる。食後にコーヒーを飲みながら「尾張の宗春」(亀井宏著、東洋経済新報社)を読む。ついでに水羊羹も食べる。
 同書は、不行跡と財政困窮により家中及び領地を誅求した故を以て、将軍から隠居謹慎を申し付けられた尾張徳川家第7代宗春を描いた歴史小説である。宗春は、時の将軍吉宗の享保の改革を、法令が多いのはよくない、倹約はかえって無駄を生ずるなどと批判し、祭りを奨励し、自らも派手な生活をし、遊郭や芝居小屋の設置を認め、商工業を振興した。庶民はこうした宗春の施政を歓迎した。しかし、自身の派手な遊興や自由開放路線、質素倹約の否定は幕府の保守主義・緊縮財政主義に沿わないものであり、幕府からの詰問を受けるに至る。一旦は言いのがれたものの、将軍吉宗の怒りを買う。人間の欲望を自然なものとして肯定する宗春の考えは、それがどこまで深く思索されたものかどうかはともかく、朱子学全盛の当時にあって革新的であったが、徳川幕府体制の維持を最優先する現実主義者吉宗の思想と相容れるものではなかった。宗春にはその点の理解がなかったようだ。
 太平の世で藩士の遊郭通いや芝居見物を公認し、自身も江戸で吉原通いを盛大に行っていれば、家中に身を持ち崩す者も出るし、幕府に目をつけられる。歳入の目処がないまま派手な生活や大掛かりな祭礼など放漫な財政支出を続ければ、巨額の財政赤字に至る。当然と言えば当然である。当然なことを、あらかじめ当然なことと見通せないのが人間の悲しいところだ。
 家中の風紀については、宗春も「遊興徘徊と博奕を特に禁ず」る書きつけや、遊郭・芝居小屋の縮小に関する書きつけを発するなどして匡正を図ったが、本人が派手な生活をしているのだから実効は上がらない。
 財政については、その悪化のため領内から巨額の上納金を徴発するに至り、領民の反発を招いた。幕藩体制下にあって、藩財政逼迫による領民への誅求は、反乱を招きかねないものであり、治世の失敗として重罪にあたるとされていた。
 そういえば、先日寝酒代わりに「君主論」(「マキアヴェッリと君主論」佐々木毅著、講談社)を読んだ。その一節(第16章「気前良さとけちについて」)を思い出した。マキアヴェッリ曰く、「気前が良いとみられることは好ましいであろうが、しかしながら気前の良さが人々の考えられるような仕方で実行に移されると有害である。…人々の前で気前が良いという評判を維持しようとするならば、豪奢に類する行為を避けるわけにはゆかなくなる。…このような君主は、豪奢に類する事柄に常にすべての資産を使い果たすことになる。そして気前が良いという評判を維持しようとするならば最後には民衆をはなはだしく抑圧し、重税を課し、金を得るためにはあらゆることを行うことにならざるを得ない。その結果臣民は彼を憎悪し始め、貧しくなった彼に何人も尊敬を損なわなくなる。…賢明な君主はけちであるという評判を気にすべきではない」。宗春の例にはこの指摘が当てはまる。現代の政治社会にも当てはまるかもしれない。と思ったものの、財政が一定以上の信用力を有する国では、為政者は重税を課さなくても公債の発行によって、気前が良いという評判を維持することができるから、当てはめに無理があるだろう。いやそもそも現代の為政者は、気前が良いという評判を維持しようと豪奢に類する行為を行うために財政支出を行うわけはなく、景気対策その他「真に必要にしてやむをえない施策」を行うために財政支出を行うのであるから、無理なあてはめが頭をよぎった私はかなりひねくれているということだろう。なおマキアヴェッリは、「君主は自己及び自己の臣民の財貨を費やす場合には節約すべきであるが、第三者のそれを費やすものである場合には気前良さを大いに発揮すべきである」という趣旨のことも述べている。この「第三者」を「将来世代」と読み替えようなどとは思わないようにしよう。
 さて話を宗春にもどすと、改易(藩の取り潰し)を怖れる藩の重臣たちの策謀もあって、宗春は43歳で隠居謹慎を命じられ、長い幽閉生活を経て69歳で没した。死してなお幕府から赦されず、墓石には金網がかぶせられていた。ようやく赦され従二位権大納言が追贈されたのは、死後75年目1839年であった。
 宗春については、将軍吉宗と勝手掛老中松平乗邑(のりさと)の質素倹約・規制強化路線に対して、開放政策・規制緩和をして民の楽しみを重視したとか、享保の改革による緊縮政策に自由経済政策理論をもって立ち向かったなどと、持ち上げる向きも多い。その中で本書の著者は、そもそも宗春は遊蕩児の気質が巣喰ったロマンチストで政治家の素質は皆無に近いと評する。そして、宗春は、米経済中心の将軍吉宗には見えなかった「完全なる商品貨幣経済の到来を見通していた」としつつ、それは放蕩者特有の感覚の鋭敏さと直観力の「ほとんど無意識のうちの働き」によるものであって、「彼自身確信を持っていたわけではない」としている。
 小説あるいは評伝としての出来栄えについて論ずる能力はないが、著者の辛口な口調は何とも言えず面白い。例えば宗春の晩年について、「あれだけの長い歳月蟄居生活を送ったにもかかわらず、宗春が万巻の書を読んだという話は伝わっていない。よほど学問が好きでなかったとみえる」とまことに容赦ない。宗春の晩年、宗春つき奥番として自らの藩士としての将来を捨てて主人に尽くした河村秀根(ひでね)に関しては、「相手(秀根)のケタ外れの好意を平然として受ける宗春の図々しさも相当のものだが、自分の人生のほとんどを擲(なげう)ってまで尽くす秀根のやさしさも常人ばなれがしている」としている。秀根は、宗春の死後宿願の日本書紀研究に打ち込み、宗春没後22年目に「書紀集解(しつかい)」30巻をまとめるが、これに関しても著者は、彼の「学問が深部に達せず、かつ未完結のまま終わったことと、彼の壮年期を宗春のために犠牲にしたこととは、直接には関係がないと思われる。それよりも、その程度の人物だったからこそ、自分を捨ててまで他人に尽くすことができたともいえる」と辛口に評している。
 水羊羹では止まらず、さらに餡団子を食べながら、著者の「食えない」筆致にニタニタしているうちに、口の中からガリっと嫌な音。奥歯の金属の詰め物が取れたのだ。ここ数年歯の具合が悪い。以前治療した歯の詰め物が、次々に外れるのだ。中には歯が割れているとかで、無慈悲にも抜かれてしまった奥歯もある。悔しいことが多くて歯噛みばかりしていたからか。
 外れてしまった詰め物を試みに歯の穴にはめてみるが、やけにきつい。歯が縮むわけもないから、元々削った穴よりも大きめだったのだろう。思い出してみると、詰め物を木槌で叩いて歯の穴に詰められたような気がする。きっちり入れたから20年近くもったのか、歯に無理がかかって歯が割れて抜く破目になったのか。さもあればあれ、後輩諸君には、いかに忙しくとも歯医者は慎重に選べ、手近だからとか予約の変更がしやすいからという理由で選ぶなと言いたい。
 残りの団子を食べるのは断念して、昼寝する。目覚めれば夕方。夕食の準備にかかる。歯の詰め物が取れるとは思わなかったので、今晩のメインは煮豚である。ごついロースのかたまり肉を煮て、湯通しして味付けたキャベツの上にのせる。豚肉の繊維が歯に引っ掛かりそうで献立を後悔したが、昨日のうちに献立を決めて買い物したので仕方がない。あとはほうれん草のお浸しと、蛸と豆もやしのキムチ風サラダ。いずれも歯に悪そうだが、当たりが悪い日というのはこんなものである。
 煮豚は我ながら美味かったが、歯の穴が気になるので、早々に念入りに歯を磨く。酒は歯に悪そうなので、冷水に数滴ウィスキーを垂らしたものを飲む。テレビをつけるが、大して面白くもないので消し、昼寝前に読み終えた前掲書をパラパラめくり、ところどころ読み返す。
 ところで先程歯磨きの時に洗面所の鏡で自分の顔を見た。正しく草臥(くたび)れた初老の男の顔であった。因みに「初老」とは本来は「不惑」同様四十歳を指すらしい。「四十にして惑わず」と言うが、筆者はと言えば、還暦を大分過ぎたというのに「惑わず」とは程遠い。それに加えて思うのは、「少年老い易く学成り難し」とは至言であるということだ。若いころもっと勉強すればよかった。学問でなくとも芸事でも道楽でも何事か究めたら素敵だったろうな。来し方に思いを致し、ああすればよかった、こうしておけばよかった、あれはこういうことだったのかと、ため息交じりに愚痴を独り言つ。
 ふと思う。前掲書の主人公宗春公は、隠居謹慎を命じられても、ああすればよかった、こうすればよかったととりとめもない愚痴を漏らすようなことはなかったのではないか。たまには吉原に行きたいとか、芝居を観たいとか思ったろうが。節制勤倹が嫌いなことは筆者も同類であるが、真正放蕩者の宗春公と小心翼々の筆者とではスケールが違うのである。情けないと言えば情けない。
 ところで前掲書の中に、「書物から学んだわけではないし、誰に教えられたというのでもない。…年齢とは不思議なものである。どうやら、年齢を重ねるうちに、しぜんに脳そのものが変化していくらしかった。年をとるにつれて、世の中の仕組みというものの正体が、だんだんわかるようになってきていた」という一節があった。わかるようになるころには、現役を卒業し、気力も体力も知力も下り坂になっているのが、凡人の凡人たる所以である。
 むにゃむにゃ言っているうちに、何やら腹が減ってきた。歯が気になると言いながら、飯に煮豚の残りをのせて掻き込む。再びテレビをつけて、ぼーっと見る。グラスにウィスキーをどぼどぼと注ぎ足し、ポテトチップの袋を開け、完全にカウチポテト態勢に入る。前掲書の著者の筆致を真似れば、「過去の怠惰を後悔したようにみえてすぐまた怠惰に流れる程度の人物だからこそ、60余年も無芸大食の人生を歩むことができているともいえる」。やれやれ。もう寝よう。

煮豚のせ茹でキャベツのレシピ(4人分)
〈材料〉 豚ロースかたまり肉(煮豚用にあらかじめタコ糸のネットに包まれているものがよい)4~500g、キャベツ半玉(食べやすい大きさに切る)、茹で卵4~8個(殻をむいておく)、醤油120cc、酒60cc、味醂(大匙4)、砂糖(大匙4)、生姜1片(薄くスライス)、おろしにんにく(小匙2)、五香粉、練り辛子
(1)豚肉と茹で卵が入る大きさの鍋に水600ccを入れ、沸かす。
(2)フライパンにサラダ油大匙1を引き、五香粉を振った豚肉を入れ、中火で表面に軽く焦げ目がつくまで焼く。
(3)豚肉と茹で卵を鍋に入れ、醤油、酒、味醂、砂糖、生姜、おろしにんにく(小匙1)を加え、落し蓋をして、中火で約30分煮る。途中で肉の上下を返す。煮汁が少なくなってきたら味見して、醤油と砂糖で味を調整する。この間別な鍋にキャベツの湯通し用の湯を沸かしておく。
(4)煮汁が1センチ位になったら火を止める。肉と茹で卵を取り出し、肉は好みの厚さにり、卵は半分に切る。
(5)キャベツを湯通しして、ざるにあけ、よく湯を切ったら、ボウルに入れ、おろしにんにく小匙1と塩小匙1を加え混ぜる。
(6)皿にキャベツを敷き、煮豚と卵をのせ、煮汁をかける。辛子をつけて食べる。