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令和3年度職員トップセミナー

講師 山中  伸弥 氏(京都大学iPS細胞研究所所長/教授、公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団理事長)
演題「iPS細胞 進捗と今後の展望」
令和3年6月1日(火)開催

1.研究の力で病気を克服
(1)父の死をきっかけとして医学研究者の道へ
 私が医学に進むきっかけはいくつかありましたが、最大の影響は父親でした。
 私が中学生の時、父は仕事で怪我をして、その際の輸血が原因で肝炎を患いました。当時の病名は「非A非B型肝炎」というもので、要は原因がわからない肝炎でした。原因がわからないので治療方法もなく、その後、肝炎から肝硬変になってしまい、健康がどんどん損なわれてしまいました。その姿を見ているうちに私は医学への興味を強く持つようになりました。
 そして父親も、自分の病気のこともあったのか「もう工場を継がなくていいから医学部に行ったらどうだ」と勧めてくれましたので、私は医学部に入り、1987年に医学部を卒業しました。その頃には父の病気もかなり進行して、入退院を繰り返し、かなりしんどかったと思います。
 医師になった私ができることと言えば、対処療法の点滴ぐらいでしたが、実の息子から点滴をしてもらうことは苦しい中でもなんだか嬉しそうにしていたのを覚えています。
 しかし、残念ながら私が医師になった翌年の1988年に58歳で父親は亡くなりました。私が今ちょうど58歳ですが、この年齢で人生を終えるということは悔しかっただろうなと改めて思います。
 父の死がきっかけとなり、父のように当時の医学では治療方法がない患者さんにどうすれば貢献できるか、ということを考えるようになりました。その結果、臨床医から医学研究者へと自分の進む道を変えました。
 父親が亡くなった翌年の1989年に、父親が患った病気の原因がアメリカで判明しました。それは、今ではC型肝炎ウイルスとして知られているウイルスです。直径50から60ナノメーターくらいの非常に小さな小さなウイルスですが、これに父親は命を奪われました。
 原因が分かりましたので、世界中の研究者や製薬会社が治療薬開発に乗り出し、画期的な薬が作り出されました。日本で2014年に販売された「ハーボニー」と呼ばれる抗ウイルス薬で、C型肝炎に対する特効薬です。一日一回の内服を3か月続けると、感染後初期の患者さんであればほぼ全員が治る、ウイルスが消失する、という画期的な薬です。この薬があったら父親は今でも生きていたかもしれません。今生きていたら91歳になりますので、十分あり得る話かなと思っています。
 このC型肝炎の歴史は研究の力で病気を克服した成功例です。私たち医学者はこのようなことを目指して日々活動しています。昨年のノーベル医学生理学賞の受賞者はこのC型肝炎ウイルスを発見した3名の研究者でしたので、私にとっては非常に感慨深いものがありました。
(2)医学研究者が抱えている2つの課題
 C型肝炎の歴史は研究の力で病気を克服した成功例ですが、同時にこのC型肝炎のストーリーは私たち医学研究者が抱えている2つの大きな課題を典型的に物語る事例でもあります。
 まず、ウイルスが発見されたのは1989年、薬が日本で販売されたのが2014年ですので、その間実に25年かかりました。これは決して特殊な例ではありません。医学研究の成果から実際に患者さんに届くまで20年、30年かかることはよくあります。医学研究の成果が薬となって実用化されるまでとても長い時間がかかること、これが1つ目の課題です。
 2つ目の課題は、せっかくできた治療薬の価格が高騰していることです。この飲み薬は、恐らくこれは化合物ですので、純粋な原材料費は1錠当たり本当に微々たるものだと思います。
 ところが、この薬1錠の薬価は日本で5万5千円です。これでも以前よりは安くなりました。これを90錠服用する必要があるので、一人の患者さんの治療に五百万円近い医療費がかかることになります。
 さらに高額の治療薬がどんどん登場しています。癌関係の新しい画期的な治療薬がいくつも登場していますが、一人の患者さん当たり数千万円の費用がかかるものが複数登場しています。昨年、小児の全身の筋肉が麻痺してしまう先天性の病気(SMA:脊髄性筋萎縮症)に対する画期的な治療薬がアメリカで開発されましたが、一回の静脈注射で2億3千万円という薬価がつきました。このように医学研究の成果がどんどん高額になっています。

2.30代で研究リーダーとして独立
 私は1987年に医学部を卒業して、その後大学院に入り直して研究者への道を歩みました。1993年にアメリカのサンフランシスコに留学して3年強、滞在しました。このサンフランシスコでのトレーニングが今の私の研究者としての、本当の意味での基礎になっています。
 1997年に帰国して、1999年に奈良にある奈良先端科学技術大学院大学に採用されました。私は37歳で自分の研究室をリーダーとして持たせてもらう、独立させてもらうという非常にありがたい機会に恵まれました。最近では30代で独立することは、それほど珍しいことではなくなってきましたが、1990年、2000年頃、30代で独立できるということは非常に幸運であったと思います
 奈良先端科学技術大学院大学は素晴らしいキャンパスもありますし、京都大学や大阪大学、東京大学から若手の研究者を教員として採用するという活気ある大学です。

3.魅力的なビジョンを掲げて学生を勧誘
 着任して最初に直面した問題は、私の弱小研究室にどうしたら大学院生が入ってくれるのか、ということでした。人気のある教室にはたくさん優秀な大学院生が集まる一方、人気のないところには全然入ってこないという厳しい状況で、選ぶ権利は学生たちにあるというシステムでした。私は若く、無名で、大した業績もない、研究費もそれほどない。これは困ったな、と頭を抱えました。すぐには有名になれませんし、業績も上がらない、研究費も増えないのですが、すぐにできることが一つありました。それは魅力的なビジョンを掲げるということでした。
 研究室の明快な目標を掲げることができたら、それに魅力を感じて学生たちが入ってくるかもしれないと思い、ビジョンを一生懸命に考えました。その時に考えたビジョンが今の研究であるiPS細胞につながるビジョンです。当時アメリカでES細胞という万能細胞が開発され注目を浴びていました。最初はネズミでしたが、1998年には人間でもES細胞が開発されました。ES細胞は受精卵から作る万能細胞です。受精卵は私たちの体のすべての細胞を作り出す能力がありますが、ES細胞も同じように、ES細胞という1種類の細胞から体中のありとあらゆる細胞に変わる万能性があるため万能細胞といわれるわけです。
 ただ、人間のES細胞を作るためには、人間の受精卵を使う必要があるため、倫理的な観点から反対する立場の方も多く、日本でもなかなか使えないという状況が今も基本的には続いています。
 そこで私たちの研究室のビジョンとして「ES細胞と同じような万能細胞を受精卵からではなく、大人の皮膚の細胞から作ることができないか」ということを掲げることにしました。普通は受精卵やES細胞から皮膚の細胞ができ、心臓の細胞ができ、血液の細胞ができ、となるのですが、皮膚の細胞をタイムマシンのような感じで逆戻しをして、皮膚だった細胞を受精卵に近い状態に戻すことができないか、ES細胞と同じような万能細胞を皮膚や血液や体の細胞から作ることができないか、というかなり大胆なビジョンを掲げました。
 2000年4月に120名の学生たちが入学し、彼らの前で自分の研究室の宣伝をする機会がありました。スライドを用いて、一生懸命、学生に話しかけたことを覚えています。ただ、基礎研究を始めて10年以上経っていましたので、これは確かにできるなら素晴らしいけれど、非常に難しい。何年かかるか分からないし、10年、20年、30年、もしかしたら一生かかってもできない可能性が高いこともよく分かっていました。しかし、そういうことについては一切話をせずに、これができたらどんなに素晴らしいか、医学にどんなに役に立つか、ということを30分間、学生に滔々と説明し続けました。
 そうしますと、3名の学生が、騙されたといいますか、見事に大学院生として入ってきてくれました。実は20名ぐらい希望してくれたのですが、私の研究室の定員が3名と決まっていました。彼らは一生懸命、実験をしてくれました。海保さん、徳澤さん、高橋君、私にとっては一生忘れることのできない初めての大学院生です。

4.「植物は万能細胞だらけ」と教えられる
 彼らとともに、掲げたビジョンに向かって研究を進めていきました。奈良先端科学技術大学院大学には医学だけでなく、植物の研究者や微生物の研究者やビッグデータの研究者などが同じ建物内で活動していて、異分野の研究者と意見の交流する機会が非常に多い素晴らしい大学でした。
 私も着任早々、いろいろな分野の先生方の前で自分の研究室のビジョンについて話す機会がありました。学生ではなくて研究者が相手ですので、そこでは「この研究はなかなか難しいと思っています」ということを率直に話したところ、セミナーの後、一人の教授が私のところに来られました。その先生は植物の研究で非常に有名な島本功先生で、「山中さん、万能細胞を作ることは難しい、と言っておられましたが、実は植物の世界では非常に簡単ですよ。」とおっしゃったのです。植物は茎をスパッと切ると、そこから、もこもこと細胞が出てきて、その細胞から新しい茎だけではなく、芽や植物のすべての細胞ができるのだと。これが挿し木の原理であるわけですが、これを聞いた時に、それまでの「万能細胞は難しくてなかなかできない」という自分のマインドセットがガラッと変わったことを覚えています。植物で簡単にできるのなら、動物でもできるのではないか、と思うようになりました。島本先生のおかげで、自分で勝手にかけていたブレーキが外れ、そこから一気に研究が進展しました。

5.iPS細胞ができた!
 島本先生のおかげと学生の頑張りによって、何十年かかるか分からないと思っていた研究が6、7年でできました。2006年にはネズミで、翌2007年には人間で報告することができました。4つの遺伝子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c‐Myc)の組み合わせを見つけ、これを同時にマウスやヒトの皮膚細胞に外から遺伝子導入すると、数週間かかりますが皮膚だった細胞が万能細胞に運命が変わる、リセットされることを見出しました。この細胞に「induced Pluripotent Stem cell」、Pluripotentは科学用語で多能性、これを人工的に誘導した幹細胞という意味で、この頭文字をとってiPS細胞と名付けました。
 私が代表して紹介させていただく場合が多いのですが、実際にこのiPS細胞を作ってくれたのは私ではなく、私の研究室の若いメンバーです。私の研究室の最初の学生である徳澤さんと高橋君、そして最初の技術員である一阪さんの3名が立役者です。みんな20代半ばで、こうした若い力でできたのがiPS細胞です。

6.京都大学iPS細胞研究所
 iPS細胞ができる頃には私はちょうど京都大学に移っていましたが、ヒトのiPS細胞ができたということで、当時の京都大学総長である松本紘先生のリーダーシップの下、新しい研究所を作っていただきました。それが京都大学iPS細胞研究所です。英語名がCenter for iPS Cell Research and Application、頭文字をとってCiRA(サイラ)が略称です。
 英語名にはApplicationという言葉が入っていますが、まさにこれが私たちの使命、ビジョンで、iPS細胞の医療応用を目指して600名近い人間が活動しています。
 iPS細胞には2つの大きな医療応用があります。「再生医療」と「薬の開発」です。iPS細胞は最初は皮膚から作っていましたが、今は専ら末梢血、採血した試験管一本程度の血液からiPS細胞を作ることができます。iPS細胞は受精卵と同じようにどんどん増えますし、増やした後で、神経、心臓、筋肉、肝臓など、ありとあらゆる人間の細胞を大量に作り出すことができます。これを再生医療と薬の開発に用いようと一生懸命活動を続けています。

7.再生医療
(1)患者自身の細胞を使う再生医療
 まず、再生医療について現状を簡単にご紹介します。iPS細胞の理想的な使い方は、患者さんご本人からiPS細胞を作り、そのiPS細胞から移植する細胞、神経の細胞や心臓の細胞を作り出して、これを移植するのが理想です。
 しかしながら、現実問題として、患者さん自身のiPS細胞を使うのは、現状では時間とお金が非常にかかってしまいます。この一連の流れに最低でも半年の時間がかかりますが、患者さんによっては半年も待てない、半年の間に亡くなってしまう方、手術適応がなくなってしまう方、そういう病気の患者さんはたくさんおられます。また、この一連のプロセスで、現状では数千万円から一億円くらいのお金がかかってしまいます。ですから、患者さん一人一人に適したいわゆるオーダーメイドの再生医療は、現段階では難しいというのが現状です。
(2)再生医療用iPS細胞ストック
 そこで私たちは国の支援を受けて、再生医療用の「iPS細胞ストック」という事業を行っています。
 iPS細胞はドナーの方の細胞を移植するので、拒絶反応が起こってしまいます。ところがHLAホモドナーという特殊な免疫型をお持ちの方が他の多くの方に細胞を提供しても拒絶反応があまり起こらないということが分かっています。ただ数百人から数千人に一人しかいませんので、一から探すのは本当に大変ですが、幸い、私たちは日本赤十字社から多大な協力をいただいています。
 日本赤十字社は血小板輸血、骨髄ドナー、臍帯血バンクといった事業を通じて何十万人という日本人の免疫のタイプ、HLA型をすでにデータベースとして持っています。その協力を得ることによってHLAホモドナーを効率よく見つけることができています。
 このドナーに説明して同意を得ることができたら、私たちの研究所にある臨床グレードの細胞製造施設に血液を持ち込み、iPS細胞をあらかじめ作っておいて、徹底的に品質評価をして合格したものだけをストックして提供する。こういうことを2015年から開始しています。
 これまでに日本人の免疫型、HLA型の頻度として最も頻度の高い一位から四位までの免疫型をホモでお持ちの方のiPS細胞を作製して提供しています。この四種類だけで日本人の40%をカバーできるというストックです。
(3)iPS細胞ストックの臨床への適応
 私たちが提供しているiPS細胞ストックは、臨床試験で実際に患者さんに移植されています。臨床試験には臨床研究と治験の2つがあります。加齢黄斑変性、角膜の病気、網膜色素変性といった眼科疾患、膝の軟骨損傷などが臨床研究として行われております。また治験としては、パーキンソン病、心臓の心不全といった病気に対して行われており、私たちのiPS細胞ストックを用いた再生医療が既に実施されています。
 それ以外にも、血液疾患の方に対してiPS細胞から作った血小板を輸血するとか、頭頸部がんに対してiPS細胞から作った免疫細胞を移植してがんの治療を行うとか、こういった臨床研究や治験がすでに実施されています。大部分はiPS細胞ストックを使っていますが、一部は患者さんご自身の細胞を使っている場合もあります。
 さらに計画が進行中のものとして、様々な癌、肝不全、糖尿病、腎不全などに対する再生医療が近い将来、臨床試験として始まる予定です。これらのうちの多くが5年後、10年後くらいには承認を受けて一般的な治療になっていくことを期待しています。
(4)最適のiPS細胞を使い分ける
 私たちが行うiPS細胞ストックの提供は国の事業として国の支援を受けて実施していますので、大学には無償で提供していますし、企業に対しても一株当たり十万円という非常に低価格で提供しています。なんとか日本で最初に臨床応用を果たして、日本で薬価を取っていただきたい、という応援の気持ちで、できるだけ良心的な価格で提供しています。これで日本人の40%をカバーできますが、残りの60%についてはこの方法でカバーするのがなかなか大変であることも分かっています。
 そこで、私たちは、これまでに作ったHLAホモドナー由来のiPS細胞に、最近登場したゲノム編集という遺伝子を書き換える技術を使い、日本人の残り60%のみならず世界の大半の患者さんをカバーできる「ゲノム編集iPS細胞」の作製を始めています。研究用のものはすでに国内で提供していますし、臨床用のものも来年には提供できるように準備を進めています。
 さらには、iPS細胞の本来の利点である、患者さん自身のiPS細胞を作る、これを「my iPS」と呼んでいます。これについては、現状では時間と価格の面で実用的ではありませんが、いろいろな企業と協力して技術開発を進め、時間と費用を抑えることを進めています。今は数千万円かかりますが、2025年ごろには百万円ぐらいで提供したいと考えています。また現状では作製に半年から1年かかりますが、これを1か月程度の短期間で提供できるようにしたいと考えています。
(5)my iPSプロジェクト
 現状では一人のドナーの方からiPS細胞を作るために3人の作業員が役割分担をしてすべてのステップについて厳密に管理しながら行っています。これは大変時間がかかる作業で、年間で3製造が限度です。1製造に4か月程度かかっています。さらに1ドナーにつき四千万円かかります。作業員3名の人件費も、施設全体の管理費もかかりますし、試薬も非常に高いのです。そこで技術開発を進めてコストダウンをしていきたい。作業の自動化、低容量化です。大きな部屋で作業するのではなく、手のひらサイズの密閉装置の中で自動的に作製する技術開発を進めております。これができたら、年間1000製造くらい作れると思いますし、1ドナーにつき百万円程度でできるようになると考えています。
 やはりiPS細胞の利点を最大限に生かすためには、何としても「my iPS」を良心的な価格で迅速に届けることを実現させたいと考えています。
(6)iPS細胞を使ったこれからの再生医療
 再生医療は随分進んでいますが、これまでのところはiPS細胞から一種類の細胞を作る、神経の細胞や心臓の細胞というように細胞を作って移植することが中心です。
 ただ、研究は次の世代にどんどん進んでいっています。今までは二次元の「細胞」でしたが今は三次元の「組織」を作る。例えば、血液から尿を作り出す尿管芽オルガノイドと呼ばれる小さな組織の塊をiPS細胞から作り出すことができるようになっています。これを近い将来、腎不全に医療応用して、今は透析が必要な患者さんが、透析をしなくても社会復帰できる、そういうことを実現させたいと思っています。
 さらにはこういう組織にとどまらず、「臓器」そのものを作る、例えば、ブタなど大型動物の体内でヒトのiPS細胞由来の膵臓を作る、こういうことに、東京大学からスタンフォード大に移られた中内啓光教授たちのグループが成功しつつあります。
 今はiPS細胞から臓器を作ることが現実的なオプションになりつつあります。やはり臓器移植に関してはドナー不足が最大の課題ですので、こうしたことが福音になるかもしれません。もちろん様々な倫理的問題についても慎重に議論していく必要があります。
 外から細胞や臓器を作って移植するのではなく、私たちがもともと体内に持っている「自己再生力」を誘導できるのではないか、という研究も行われています。トカゲは尻尾を切ってもまた生えてくるわけです。人間は事故などで足が切断されると残念ながら再生しませんが、進化の過程で、昔は自己再生力を持っていたわけです。そういう自己再生能力を、iPS細胞を作るのと同じような方法で再生できるのではないか、若返りという言葉が適切かどうかわかりませんが、急速にこうした実験や研究が世界で進行しています。
(7)実用化をはばむ「死の谷」
 こうしたことはまだまだ基礎研究が中心ですが、これを実用化していくためには、大学、アカデミアから製薬企業等の大手の企業にしっかり橋渡しをしていくことが極めて重要です。
 ところが、大学と企業の間には大きな「死の谷」があるということが以前から言われています。アカデミアが革新的なアイディアを出して製薬企業が興味を持っても、拾いに行く体力が製薬企業になく止まってしまう。これが20年、30年と時間がかかる原因、費用が非常に高額になる原因の一つです。
 アメリカではこの「死の谷」をベンチャーが見事に埋めています。日本や他の国に比べて、ベンチャーに対する投資額や人材も遥かに豊富です。私はアメリカでも研究活動をして身を持って体験、痛感していますが、アメリカはベンチャーによってこの橋渡しがうまくいっている国です。
 しかし、ベンチャーは投資家から膨大な投資を受けて橋渡しをしますので、副作用として、治療費の高額化につながってしまうこともあります。
(8)橋渡しとしてのiPS細胞研究所(CiRA)
 そこで私たちは、iPS細胞という日本発の技術においてはベンチャー中心ではなく、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)という国立大学の研究機関である私たちがこの橋渡しをしっかり行うということで、これまで一生懸命活動してきました。
 具体的には、ストックをはじめとするiPS細胞を製造して提供するのみならず、iPS細胞から心臓や神経の細胞を作るという分化細胞の製造も、品質評価も、技術トレーニングも行っています。
 製造ノウハウや文書提供、知財アドバイス、こういったことも企業をはじめとするユーザーに、アカデミアに対しては無償で、企業に対しても低価格で提供してきました。
 一方で、ユーザー企業からはできるだけいろいろな情報をリターンとしてもらい、これをユーザー間で共有することによって、国際競争に打ち勝つ、という活動をずっと続けてきました。2年前のラグビーワールドカップではありませんが、日本国内をワンチーム体制にしてアメリカ型の強力な研究開発に対抗していこう、というのが私たちがいつも考えていることです。
 この橋渡しを国立大学で続けていくには利点も数多くあります。公共性が非常に高いということで、日本赤十字社や骨髄バンクから最大限の支援を受けることができていましたし、情報共有も企業からしてもらいやすい。また利益を追求しませんので、細胞の提供も非常に低価格で行うことができます。また国からの支援に加えて、ありがたいことに多くの方からご寄付による支援もいただきました。
 このように利点も多いのですが、CiRAは国立大学の組織ですので、有期雇用職員を無期雇用にするのが難しいです。先ほどの橋渡しの仕事に百名近い人間が頑張っていてくれるのですが、ほぼ全員が競争的資金等による有期雇用ということで大変厳しい状況がありました。また国立大学で製造した細胞が商用細胞として使えるかどうかについてはいろいろな懸念があります。使えないリスクが高いと言われる中で、より安定した、別の方法を考える必要もありました。
(9)CiRAから公益財団法人へ
 そこで、国立大学であるが故の課題を克服して、かつ利点である公共性や公平性を維持する、研究活動も維持する、という道を慎重に探った結果、橋渡しの機能の部分を公益財団として独立させて、それによって公的な役割を維持しつつ、職員の正規雇用を実現させ、また商用細胞の製造も実施できるようにしよう、と決断しました。
 そこで2019年9月に一般財団法人の「京都大学iPS細胞研究財団」を発足させて、2020年4月に公益財団法人の認定を受け、活動を開始しました。財団の使命は「社会の先を歩く。患者さんと共に歩く。」ということでありまして、具体的には、最適なiPS細胞技術を良心的な価格で届けるということを理念として活動しています。

8.薬の開発:iPS細胞で難病の原因を調べる
 様々な難病の患者さんの血液からiPS細胞を作り、そのiPS細胞から患部の細胞を大量に作り出して、実験室で病気の原因を解明したり、さらには病気の進行を抑える薬の探索(スクリーニング)を行う、これがiPS細胞の二つ目の使い方です。これによっていくつかの病気に対する薬の候補が見つかり、アルツハイマー型の認知症やPendred症候群という遺伝性の難聴やALS(筋萎縮性側索硬化症)あるいはFOP(進行性骨化性線維異形成症)という全身の筋肉に骨ができてしまう病気に対する治験が進行しています。

9.iPS細胞と新型コロナウイルス
(1)iPS細胞を使った新型コロナウイルス研究
 多くの病気がある中で、世界中で一番大変な病気の1つが、新型コロナウイルス感染症です。
 日本も大変な状況にありますが、私たちは新型コロナウイルスに対する研究にiPS細胞を少しでも活用したいと考えて、研究を行っています。
 色々な人からiPS細胞を作っています。そのiPS細胞から肺の組織、オルガノイドと呼ばれる小さな立体構造を作り出したり、心臓の細胞を作り出すことができます。こうした人間のiPS細胞から作った細胞に新型コロナウイルスが非常に効率よく感染するということが分かり、これまでにない新しいウイルスの研究材料がiPS細胞によって提供できます。また、iPS細胞の良いところは、患者さん一人一人から作ることができるので、患者さんの病歴とリンクさせることができる点です。細胞ですが、あたかも患者さんの一部のような研究を実施することができます。
(2)新型コロナ回復者からのiPS細胞樹立
 大阪の病院と京都大学医学部附属病院の協力を得て、実際に新型コロナウイルスに感染して回復された方、軽症であったり、中等症であったり、重症であったり、同じウイルスなのに人によって全然臨床症状が違いますが、それぞれの臨床症状の方から回復後に血液を提供いただいて6人分のiPS細胞を作りました。これまでに3人分のiPS細胞を無償で国内外に提供しています。(2021年8月から6人分を提供開始。)これによって少しでも新型コロナウイルスの研究に貢献したいと考えています。
(3)新型コロナ:各国の現状・対策の強弱
 現在、二百か国以上が同じウイルスに多大な影響を受けています。ほぼ同じウイルスですが、国によって、対策や政策が大きく異なりますし、また被害の程度も大きく異なっています。
 イギリスのオックスフォード大学が、各国のコロナウイルスに対する対策をその厳しさに応じて点数化しています。学校閉鎖や移動制限、ロックダウンを含めて、最も厳しいのが100、何もしていないとゼロです。昨年1月時点ではすべての国がゼロでしたが、昨年4月頃は、欧米ではロックダウン等で100点に近い厳しい対策をとった国もありました。現状でも60点とか70点という対策をとっている国もあります。
 日本はこうした国々に比べると常に穏やかな対策をとり40点から50点くらいの対策をずっと続けてきています。
 一方で、新型コロナウイルスによる累積死者数を見ますと、欧米諸国では甚大な被害が出ています。欧米では人口百万人当たり二千人から千数百人くらいが亡くなっています。日本は人口百万人当たり百人くらいの死者数です。
(4)ファクターX
 日本の現状というのは比較的緩い対策そして限られた検査にもかかわらず、死者数は非常に少ないということで、この食い違いを説明するために何らかのファクターがあると考えています。ファクターXと仮に名付けていますが、これは日本人の高い社会規範であったり、厚生労働省や保健所が中心となって行っている効果的な対策であったり、もしくは何らかの遺伝的背景があるのかもしれません。
 両側に「感染収束」と「感染拡大」とがあるシーソーに例えるなら、去年の従来型のウイルスに対してはファクターXや日本の比較的緩い対策で何とか「感染収束」の方に傾けることができていました。今年に入ってイギリス由来の変異型ウイルスが蔓延したことによってこの力関係が完全に崩れて、これまでの対策では太刀打ちできない大変な状況になっています。
 しかし、非常に効率・効果の高いワクチンが登場しましたので、このワクチンによって、変異型ウイルスが相手でも、シーソーの「感染収束」の方に何とか傾けることができるのではないかと期待しています。
(5)mRNAワクチン
 mRNAワクチンはiPS細胞とつながりがあります。mRNAワクチンの最初の原理を発見したのはカタリン・カリコ博士で、2008年にmRNA修飾の方法を開発しましたが、全く評価されませんでした。ところが、カタリン・カリコ博士の技術を見たハーバード大学のデリック・ロッシ博士がこれを使って効率よくiPS細胞を作ることに成功し、2010年に報告されました。
 彼らはiPS細胞にとどまらずに、その後BioNTech社とModerna社という会社を作って、その2社が現在日本で使われているワクチン開発につながりました。
 この二人の話は、研究の醍醐味と言いますか、そのままiPS細胞の研究をやっていたらワクチンにはつながらなかった。こういう自由な発想を私たちも見習っていきたいと考えています。
(6)おわりに
 私は、5年前に亡くなってしまったラグビーの平尾誠二さんと非常に仲が良く、最後に、彼に「人を叱る時の4つの秘訣」というものを教えてもらいました。「プレーは叱っても人格は責めない」「後で必ずフォローする」「他人と比較しない」「長時間叱らない」というもので、未だに毎日見返しています。皆様にも少しでも参考になればと思います。
 今、コロナ禍でみんなが集まって写真を撮れないためZoomでの写真で私たちの同僚を紹介しますが、ワクチンの成果で早く、皆がまた集まって集合写真が撮れる日が一日も早く来ることを祈っています。

講師略歴
山中  伸弥(やまなか  しんや)
京都大学iPS細胞研究所所長/教授
公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団理事長
1962年生まれ、東大阪市出身。1987年に神戸大学医学部を卒業後、臨床研修医を経て1993年に大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了(大阪市立大学博士(医学))。その後、米国グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学教授、京都大学再生医科学研究所教授などを歴任し、2010年から現職。2006年にマウスの皮膚細胞から、2007年にはヒトの皮膚細胞から人工多能性幹(iPS)細胞の作製に成功し、新しい研究領域を拓く。
これらの功績により、2010年に文化功労者として顕彰されたことに続き、2012年には文化勲章を受章。2012年にノーベル生理学・医学賞受賞。