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路線価でひもとく街の歴史 第18回

60年前の最高路線価に滲み出る街の個性
去る7月1日に路線価が公表された。国税庁からは毎年、都道府県庁所在都市の路線価がプレスリリースされ、その日の夕刊に掲載されるのが恒例だ。
今年はコロナ禍の影響が各地に表れた。インバウンド激減、人流抑制や営業時間の短縮を背景とした宿泊・飲食店の集客減から都市の繁華街を中心に地価が下落したケースが多々みられた。基本的に地価は立地の収益性に連動し、住宅地なら家賃、商業地ならテナント料の水準がその目安となる。地方都市で顕著だが、車社会化に伴って商業集積の郊外分散が進んでおり、商業拠点としての中心地の勢いは、商店街が全盛を誇っていた80年代に比べだいぶ落ち着いた。そのような折、集客の下支えとなったのが観光需要である。
都道府県庁所在都市における最高路線価ランキングを見ると、第1位は東京都中央区銀座5丁目銀座中央通りの鳩居堂前。第2位は大阪市北区角田町御堂筋の阪急うめだ本店前である。もっとも、東京、大阪ともに最高路線価は大きく下落した。上位15都市のうち東京・大阪以外を見ると神戸市の下落率が大きい。一昨年は25%も上昇していた。他に京都、広島が3%台の下落となった。ちなみに最高路線価以外で最も下落率が高かったのは大阪ミナミの心斎橋筋2丁目、戎橋ビル前で、前年比26.4%の減だった。心斎橋筋商店街のアーケードを抜けたところ、道頓堀川を渡す戎橋の北詰の場所だ。川の向こうにグリコの看板が見える。昨年の地価はm2当たり2152万円で、府内最高路線価である阪急うめだ本店前の2160万円を追い越す勢いだった。観光需要の盛り上がりで路線価が急上昇したところほど下落率が大きい。
神戸と広島が下落したことで順位の入れ替わりもあった。一昨年、急上昇した神戸が札幌を抜いたが、今年は抜かれて8位に戻った。また平成26年以来8年連続で上昇した仙台が広島を抜いて10位にランクインした。10位以内かつ広島を上回るのは平成23年(2011)以来10年ぶりである。仙台は筆者の出身地でもあり感慨深い。東北全体では下落傾向に歯止めがかからないが、地方拠点への人口集中を背景に仙台は上昇基調を保っている。仙台の最高路線価の所在地は路線価の発足以来、駅前の青葉通りだ。昭和44年(1969)から所在地名に「丸光デパート前」が付いた。目印となった百貨店は「仙台ビブレ」、「さくら野百貨店」と名称を変え、平成29年(2017)に閉店。一等地にもかかわらず現状は空きビルだが、青葉通りの公園広場化を含めた再開発計画が官民で検討されている。
最高路線価の上位15都市は東京、那覇を除き政令指定都市である。那覇は令和元、2年と連続で都道府県最大の約40%の上昇率を記録。昨年、政令指定都市の層に食い込み14位になった。屈指の観光地でインバウンドの影響が大きく、ホテル新設ラッシュも奏功した。モノレール駅周辺開発の下支えはあるが、今年は平成23年(2011)以来10年ぶりの下落となった。

表1.令和3年(2021)の都道府県庁所在都市の最高路線価(上位15都市)

約60年前の最高路線価
路線価方式が始まったのは昭和30年(1955)である。では都道府県別の最高路線価が報道発表されるようになったのはいつからか。昭和34年(1959)2月5日付の読売新聞で、前日国税庁が全国都道府県の最高路線価を算出した旨の記事があった。今回確認できた最古の形跡だ。ただし上位10都道府県しか載っていない。沖縄除く46都道府県の最高路線価はその翌年、昭和35年2月22日の税務通信特報に同年分が掲載されていた。
一覧表には昭和34年の価格も併記されている。そこで、昭和34年の路線価を基にランキング表を作成した(表2 昭和34年(1959)の都道府県別最高路線価)。同じ価格の場合は昭和35年の価格が高いほうを上位とした。ちなみに当時の単価は1m2ではなく坪当たりである。表2 昭和34年(1959)の都道府県別最高路線価を見ると、最高路線価が最も高い都市は東京で、3大都市の大阪、名古屋と続いた。京都と福岡が同価格の4位。次が神戸、札幌、横浜で、さらに広島、仙台と続いた。ここまでが上位10傑である。昭和34年も令和3年と同じく仙台が10位だった。顔ぶれは現在とさほど変わらないが、横浜が8位なのが意外だ。
11位以下20位以上の層を見ると、11位に静岡、以下岐阜、岡山、新潟、熊本、高松、金沢という具合で地域の拠点都市が続く。岐阜や新潟は今より10ランク以上高いが、順番は当時の商圏人口や経済力を反映していると思われる。昭和35年当時、新潟県の人口は静岡県に次いで9位、同時期の岐阜県の県内総生産は15位と現在より高かった。
この約60年でランクが上昇した都市はどこか。最も上昇幅が大きいのはさいたま市である。6月号で採り上げた元の大宮市だ。昭和34年の27位から18ランク上がった。街の由来をたどれば大宮は元々首都圏の「郊外」で、都心を迂回し横浜港に抜けるバイパス上にできた街、今でいう「ロードサイド」だった。いや、正確にいえば車社会の文脈ではなく鉄道の時代の話なので「レール」ロードサイドだ。人口の都市流入を背景に、首都圏の外縁にできたレールロードサイド集積として発展した。さて、38位の奈良も18ランクの上昇だ。もっとも奈良のランク上昇は2000年前半から、価格の上昇はここ10年の動きである。動きが那覇と似通っており、90年代前半をピークに下落傾向が止まらない他の地方都市に対し、観光需要の高まりが地価を支えたケースと考えられる。那覇も初出の昭和48年(1973)は前橋に次ぐ33位だったが、そこから19ランク上昇している。国際通りから平成11年(1999)に山形屋、平成26年(2014)には三越が撤退するなど商業立地としては苦戦が垣間見られるものの、広域商業拠点から観光拠点にウェイトを移しつつ、路線価は堅調に推移してきた。
ランキングとはいえ、60年前は東京とブロック拠点都市、ブロック拠点都市とその他の県庁所在都市との差が今よりはるかに小さかった点にも留意されたい。現在、1位の東京の最高路線価は10位の仙台の13倍だが、60年前は6倍ほどだった。最下位との差も今でこそ400倍だが、昭和35年当時は24倍だった。60年前、都市と都市の関係は今に比べて並び立つ山の度合いが強かった。
街の中心だった〇〇銀座
最高路線価の所在地の表記は「裏五番町丹六菓子店前青葉通」のように町丁名+建物名+道路名の形式である。平成12年(2000)から建物名がなくなった。昭和34年の最高路線価の所在地の町丁名や道路名から当時繁栄していた場所がうかがえる。和歌山のぶらくり町、新潟の古町、徳島の東新町、佐賀の呉服町、松江の末次本町、そして美川憲一のヒット曲「柳ヶ瀬ブルース」で知られた岐阜の柳ヶ瀬通だ。今はそれぞれ最高路線価地点が駅前に移っている。かつては通りを行き交う人々が互いに肩を擦り合わせながら歩いたという話が各地に残る。
表2 昭和34年(1959)の都道府県別最高路線価の最高路線価一覧表で示される当時の一等地にいくつかの共通点が見受けられる。はじめに浮かんだのは道路名の“〇〇銀座”だ。東京の銀座本家にあやかった道路愛称である。当の一覧表を見ると、広島の銀座側通、大分県別府の銀座街、千葉および山梨県甲府の銀座通、群馬県前橋の中央銀座通があった。先月紹介した福岡県大牟田市の一等地も大牟田銀座通だった。各地で銀座と呼ばれた商店街が当時の街の中心だった。次に目に留まったのは“電車通”である。こちらは大阪、福岡、札幌、熊本、金沢、鹿児島、福井の7都市で最高路線価の道路名になっている。戦前戦後にかけて路面電車のルートに沿うように賑わいの中心ができていった。路面電車の開通前、鹿児島のメインストリートは電車通りの一筋隣の広馬場通りだった(令和2年10月号第8回を参照)。熊本の街の中心が古町界隈から今の下通りに移ったのも路面電車の開通がきっかけだ(同11月号第9回参照)。
次に、最高路線価の道路のうち最も価格が高い点を示す目印となった建物名について考える。当時の一等地にはどのような建物があったのか。まずは百貨店である。一覧表を見ると、名古屋の松坂屋、福岡の岩田屋百貨店。札幌の三越デパート、静岡の内野百貨店そして千葉の奈良屋デパートがある。内野百貨店、奈良屋デパートは現存しない。1ページに挙げた仙台の丸光デパートもそうだが、百貨店が街の中心にあるケースが多い。次は銀行である。最高路線価所在地の建物名が銀行なのは京都の富士銀行河原町支店、奈良の南都銀行本店、福島の常陽銀行福島支店だ。
百貨店の前身業態に多い呉服店が最高路線価地点になっているケースは佐賀と金沢の2つある。当時の金沢の最高路線価の所在地名となった「えり虎呉服店」。再開発ビル「片町きらら」が建ち、今も同じ場所で店を開いている。服飾つながりでみると洋品店も多い。一覧表を見ると長崎、徳島、長野、岩手の4都市で最高路線価の所在地名の一部になっている。
一覧表には菓子店も多かった。広島、仙台、山形、島根、青森、鳥取の6都市で最高路線価地点になっている。昔の仙台を知る筆者の母によれば、仙台の丹六菓子店は量り売りで知られた菓子店だったそうだ。山形の梅月堂菓子店は喫茶店も営業していた。建物は当地に残るモダニズム建築でもあり戦前以来の流行発信地だったとうかがえる。喫茶店が最高路線価地点のケースは2都市ある。神戸のドンク喫茶店と和歌山の不二家喫茶店だ。熊本の新世界グリルもそのうちに入るだろう。菓子店が賑わいの主役だった歴史があるのだろうか。さておき最高路線価の所在地の建物名には何らかの法則性がありそうだ。街の歴史と個性が滲み出ている。とはいえ資料が少なく調べがつかなかったものも多い。一覧表に登場する建物(店)の由来とその後の経緯、思い出のエピソード等、編集部気付あるいは直接お寄せいただければ望外である。

表2.昭和34年(1959)の都道府県別最高路線価

最高路線価が県庁所在地より高い都市
表2.昭和34年(1959)の都道府県別最高路線価から気づくように、報道発表が始まってしばらくは、今のような都道府県庁所在都市ではなく都道府県内の最高路線価を公表していた。例えば昭和34年の一覧表を見ると19位の大分の最高路線価は別府である。他に31位の下関(山口県)、32位の四日市(三重県)、35位の高崎(群馬県)が所在県の最高路線価であり、それぞれ県庁所在都市の大分市、津市、前橋市の路線価よりも高かった。こうしたケースはその後もあって、昭和36年の神奈川県の最高路線価は横浜ではなくが川崎だった。昭和37年には大分県の最高路線価が別府から大分市に移った。今に続く都道府県庁所在都市の最高路線価を公表するようになったのは昭和38年からである。表3 県庁所在都市以外が県内の最高路線価のケースの通り、最高路線価地点が県庁所在都市ではないケースは令和3年にも7つある。群馬県、三重県、山口県については昭和34年と同じ都市だ。
上から説明すると、千葉県の最高路線価が船橋市に移ったのは昭和53年(1978)である。当時の所在地は大丸百貨店前船橋駅前通りだった。現存する大丸百貨店と同じ名前だが別の店である。昭和63年(1988)に千葉市に戻ったが、平成24年(2012)に船橋市が再び県内最高路線価となり現在に至る。次に、滋賀県の最高路線価所在地が大津市から草津市に移ったのは平成5年(1993)である。人口は大津に次ぐ県下2位だが、京阪地区のベッドタウンとして発展した。平成6年(1994)に立命館大学びわこ・くさつキャンパスができてからは研究者や学生も住むようになった。大津市の琵琶湖畔にあった西武百貨店が閉店して以来、滋賀県唯一の百貨店は草津駅前にある。
福島県の最高路線価が何年から郡山市に移ったか定かではないが、手元の資料では遅くとも昭和45年には郡山市が最高路線価地点になっている。会津に通じる交通の要衝で県都の福島市よりも人口が多い。次に、茨城県の最高路線価地点は県庁所在地でも税務署所在地でもないつくば市である。長らく水戸市だったが、つくばエクスプレスの開業年でもある平成17年(2005)、まずは土浦税務署管内の最高路線価が土浦市からつくば市に移った。その10年後の平成27年(2015)、つくば市の最高路線価が水戸市を追い越した。昭和60年(1985)のつくば万博以来、首都圏の近郊都市として発展してきた筑波研究学園都市である。
なお山口県は、昭和34年も現在も最高路線価地点が下関だが、この間の約60年で何度か変遷している。まず昭和43年(1968)に徳山(銀座2丁目大丸パチンコ店前銀座通り)に移った。平成3年(1991)に岩国(麻里布町2丁目とみや薬局前通り)に移るが1年で徳山に戻る。その後、平成11年(1999)に約30年ぶりに下関に戻った。
報道発表されるのは都道府県庁所在都市の最高路線価だが、最高路線価地点と県庁所在都市が異なるケースを調整し、都道府県別の最高路線価に引き直すと印象が少々変わってくる。令和3年のランキングでいうと、千葉は上から15位だったが、千葉市を船橋市に置き換えると岡山を追い越し熊本に次ぐ13位となる。群馬は前橋市が指標となるため45位だが、高崎市に置き換えれば新潟の1つ上の25位となる。同じように福島は40位だが、郡山市でみると宇都宮と並び32位となる。ちなみにその上の31位が草津(滋賀)で、2つ上の30位が四日市(三重)だ。

表3.県庁所在都市以外が県内の最高路線価のケース

プロフィール
大和総研主任研究員
鈴木 文彦
仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年