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ファイナンスライブラリー

法政大学比較経済研究所/小黒  一正 編
法政大学比較経済研究所 研究シリーズ35 人口動態変化と財政・社会保障の制度設計
評者 渡部  晶
日本評論社 2021年3月 定価 本体4,700円+税

本書は、高齢化に伴い政治的意思決定の時間的視野が狭くなり、異時点間の効率的な配分を想定した財政・社会保障改革や世代間格差の是正が進まない、日本の「民主主義の失敗」の是正手段について実証経済学や理論経済学の両面から分析・検討することを目的として、法政大学比較経済研究所で2017年度から2020年度において実施された「人口動態変化と財政・社会保障の制度設計に関する研究」プロジェクトの成果をもとにまとめられたものである。
編者の小黒一正・法政大学教授は、1997年に旧大蔵省に入省、アカデミズムに転じ、2015年から現職についている。最近の単著に「日本経済の再構築」(日本経済新聞出版社 2020年)がある。
本書の構成は、第Ⅰ部民主主義と財政制度(第1章~第3章)、第Ⅱ部社会保障制度改革(第4章~第9章)、第Ⅲ部人口動態と市場(第10章・第11章)となっている。
「はじめに」で、各章の簡潔な紹介がなされる。
第1章民主主義とガバナンス(執筆:田中秀明・明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科教授)は、日本の財政について「この30年間において幾度となく財政再建が試みられたが、それらはことごとく失敗に終わった」と断じる。失敗の理由として、(1)透明性が低く政治的意思決定過程に問題がある予算制度、(2)日本の経済・財政のマクロ的な環境が財政再建を促すインセンティブに乏しいこと、をあげる。この解決のために必要とされるのが、「財政ガバナンス」であり、これを強化する観点から、数値ルール、中期財政フレーム、独立財政機関、意思決定、透明性について考察を深めている。日本は、OECD諸国の中で、財政収支ルール、中期財政フレーム、独立財政機関の権限に関するスコア分析で最低である。
第2章政府支出と財政ルール(執筆:原一樹・株式会社格付投資情報センター格付本部、チーフアナリスト)は、財政ルール制度の強化は、政府支出のプロシクルカル(景気変動増幅的)な傾向を抑制することを確認している。また、支出項目の中でも雇用者報酬と公共投資は強いプロシクルカルな性質を有し、財政ルール制度の強化はその性質を抑制していることが示された。均衡予算ルールは公共投資に対してのみ有意に作用する一方、歳出ルールと債務ルールは雇用者報酬に対して強い効果を、公共投資に対して弱い効果を持つとする。
第3章意思決定集約方法の理論分析(執筆:石田良・財務省財務総合政策研究所客員研究員、経済学Ph.D.(博士))は、経済理論の知見も借りつつ、有権者の意思の集約方法である投票制度についてそれが実際の財政にどのような影響を与えるかを解明している。様々な投票方法のうち、ボルダ投票と、余命投票(若年層の投票権に重みづけをするもの)に焦点をあて、考察を深める。財政赤字問題には、いわゆる「共有資源問題」が生じているとし、票割れに強いボルダ投票の利点や、理論的な研究が少ないものの余命投票の理論がパレート改善となる可能性を示す。
第4章公的年金制度改革を望むのは誰か?(執筆:島澤諭・公益財団法人中部圏社会経済研究所研究部長)は、我が国における財政再建の実現可能性を考えるために、世代会計によるシュミレーションモデルで分析を行う。試算は、(1)人口上振れシナリオ、(2)消費税増税シナリオ、(3)所得税増税シナリオ、(4)高生産性実現シナリオ、(5)ベーシックインカムの導入シナリオ、(6)年金給付削減シナリオ、(7)年金保険料削減シナリオの7つのシナリオに適用される。直感的にも理解できるが、すべての世代の純負担を軽減するのは、人口上振れシナリオと高生産性実現シナリオの2つだけだという。
第5章2019年・財政検証と年金財政に関する一考察~経済前提の1つであるTFP上昇率の評価を巡って(執筆:小黒教授)は、過去30年超のTFP上昇率に関するデータを用い、簡単な確率モデルを構築した上で、モンテカルロ・シュミレーション法により、2019年・財政検証の各ケースが前提とするTFP上昇率の実現確率を推計し、財政検証における経済前提や年金財政の課題を考察している。今回の財政検証では2028年までは内閣府の試算に準拠した上で、それ以降、経済成長と労働参加が進むケースⅠ(TFP上昇率(長期平均)1.3%、以下同じ)、ケースⅡ(1.1%)、ケースⅢ(0.9%)、経済成長を労働参加が一定程度進むケースⅣ(0.8%)、ケースⅤ(0.6%)、経済成長と労働参加が進まないケースⅥ(0.3%)の6つのシナリオを設定している。小黒教授によれば、t年度のTFP上昇率と(t―1)のTFP上昇率の差分を基本統計量として試算した場合、ケースⅠからケースⅣまでの実現確率は5%未満、ケースⅤでも約12%で、ケースⅥだけが約90%となるという。これは「極めて厳しい結果」である。
第6章基礎年金の底上げ方策の政策効果(執筆:稲垣誠一・国際医療福祉大学赤坂心理・医療福祉マネジメント学部教授)は、基礎年金のマクロ経済スライドによる大幅な引き下げが問題とされる中、基礎年金の底上げ措置として提案されている、(1)年金生活者支援給付金、(2)基礎年金の加入期間の延長、(3)厚生年金と国民年金の財政統合について分析・検討を行う。結論として、(3)が、低年金者割合の削減効果が最も大きいが、追加の財政負担も大きくなること、(2)は、追加の保険料負担が必須で、その負担が困難である低年金者の底上げにはほとんど役立たないこと、(1)は効果的な措置であるが、保険原理との整合性の確保が難しいことを指摘する。
第7章人口減少・超高齢化下での介護施設の配置のあり方及びGISの活用に関する一考察~新潟市を事例に(執筆:小黒教授)は、新潟市の認知症対応型共同生活介護施設や高齢者人口分布に関するGIS(地理情報システム)データを用いて、将来の人口動態や施設寿命も考慮しつつ、人口減少・超高齢化下における介護施設の効率的な配置のあり方等の分析や考察を行っている。市街地エリアではますます施設の不足感が高まる一方、郊外の農村エリアにおいては過剰感がむしろ拡大するという結果は重要な知見だ。
第8章「新たな日常」における医療保険制度改革とこれからの薬価制度(執筆:菅原琢磨・法政大学経済学部教授)は、現在喫緊の課題である医療保険制度改革、薬価制度改革について、現状の課題と主要な論点、」あるべき制度の方向性を論じる。後期高齢者の窓口2割負担への引上げ、紹介状なしの大病院受診時の定額自己負担の拡大などに、新型コロナウィルス感染症拡大によって、オンライン診療のあり方など新たな課題も明確化してきた。また、薬価制度については、薬剤費に対するマクロ経済スライド導入とイノベーション対価の一定保障を軸とした新たな薬価制度の枠組みの提案を行っている。
第9章経済社会の持続性とコロナ危機(執筆:小林慶一郎・慶應義塾大学経済学部教授)は、日経新聞経済教室欄に公開した論考(初出:2020年2月13日、4月15日、6月17日、10月13日付日経新聞朝刊)をベースに、政府のバランスシート調整、コロナショックの経済への影響、コロナ感染症対策の選択肢、コロナ対策の課題(接触アプリと債務問題)を論じている。
第10章イールドカーブの決定要因について~日本国債を中心とした学術論文のサーベイ(執筆:服部孝洋・東京大学公共政策大学院特任講師)は、金利の期間構造について、最新の学術的な知見を提供している。学術的には人気のなかった「市場分断仮説」(特定期間選好仮説)が近時活発に分析されているという。そして、その観点から財務省の「流動性供給入札」の有用性を指摘する。
第11章東アジアの高齢化と金融資本市場再考(執筆:木原隆司・獨協大学経済学部・国際環境経済学科長・教授)は、実際の人口動態に加え、金融開放度や今後の高齢化予想等を入れたパネル推定を行って、高齢依存人口の増加が、金利を引き上げ、株価収益率を低下させるという有意な推計結果を示す。ただし、金融開放度が高ければ、その影響は緩和されるとする。また、パネル分析により、高齢化速度の上昇と金融資産需要の増大・実物投資の減少との間の頑健な相関を示しているとし、行動経済学の知見を入れて、「時間不整合性」に伴う「貯蓄の先送り」現象を改善する必要性を説く。
財政問題の広報では、政府を家計に例えて説明するということが長く行われ、いまだにメディアや自治体予算の説明などで見かける。財政の深刻な現状に鑑みれば、本書にあるように、学術的に信頼できる諸外国との比較のほか、シュミレーションやパネル分析などを活用すべきなのだろう。