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各地の話題/「ファイナンス」令和3年5月号

半田市

知多半島の魅力満載!!~ものづくり・歴史文化遺産のまち半田~

半田税務署 総務課長 真野 芳彰

1.はじめに

半田税務署は、明治29年11月に、現在の所在地より約1キロ南に、職員数35名(現在は144名)で誕生しました。

名古屋国税局管内(全48税務署)で開設当初の名称のまま、管轄区域が変更されず設置されている税務署はわずか4署で、半田税務署はその125年の歴史ある税務署の一つです。

写真:明治29年当時の半田税務署

管轄区域は、名古屋市の南部から南に突き出た「知多半島」全域で、半田市、常滑市、東海市、大府市、知多市の5市と知多郡の5町を管轄しており、管内面積は391.32km2、管内人口は約63万人(令和2年7月)です。

2.豊かな自然と知多の産業

知多半島は西に伊勢湾、東は三河湾に囲まれており、半島全体が緩やかな丘陵地帯を形成しています。

名古屋港から続く工業地帯がある西岸北部の東海市や知多市には巨大コンビナートが立ち並び、東岸の武豊町や半田市には臨海工業地帯が発達しています。

また、西岸中部の常滑市は窯業が盛んで、古くから焼き物の産地として知られています。

そして、半島南部は、豊かな自然を生かした農業、漁業、観光業が盛んな地域です。

最南端の南知多町には篠島と日間賀島の二つの離島があり、温暖な気候に恵まれた風光明媚な三河湾国定公園の一部を形成しています。

3.知多半島の「酒」と「酢」

江戸時代から知多半島の地場産業で大きく発展したものに醸造業があります。「酒」に関しては知多半島で原料米が豊富にとれたこと、江戸への船積みが便利な地であることから、半田を中心に急速に発展していきました。

かつては灘に次ぐ酒どころとして全国にその名を馳せており、最盛期には200以上の酒蔵が立ち並んでいたそうですが、現在では伝統を受け継いだ6つの蔵元が知多半島の酒を守っています。

もうひとつ、半田の醸造業といえば「酢」が挙げられます。江戸時代後期に酒造りの過程でできる酒粕を再利用して、酒粕から「粕酢」を作ることに成功しました。

その当時、江戸の庶民に江戸前すしの大ブームが起きており、「鮨」に欠かせない酢として、「半田の酢」が非常に重宝されました。

その他、みそやたまり醤油、地ビール造りも知多半島に欠かせない産業のひとつであり、知多半島のものづくりの精神や技は「醸造の町」として今も引き継がれ、更なる発展を遂げています。

写真:半田運河と醸造蔵

4.常滑焼 重要無形文化財

知多半島での本格的な窯業生産は平安末期から始まり、やがて全国有数の生産地となっていきました。

現在では知多半島の焼き物としては常滑焼が歴史を引き継いでおり、日本六古窯の一つに数えられています。

常滑焼は国の重要無形文化財に指定され、知多半島で採れる鉄分を多く含んだ陶土を使った朱色の焼き上がりが特徴で、滑らかでとても繊細な焼き物として人気があります。

常滑の町を歩くと、いたるところに朱色の土管が埋め込まれた風景を目にし、窯業の町としての歴史を感じます。

昭和初期ごろに栄えた窯業集落の一帯に作られた「やきもの散歩道」にはおしゃれなカフェや雑貨屋も立ち並んでおり、SNS上でもレトロとモダンが融合する「映える」フォトスポットとして若者に大人気です。

写真:やきもの散歩道の土管坂

5.知多四国霊場 知多四国八十八ケ所

知多半島には、「弘法さん参り」と親しまれ、知多半島の寺院を一周する順路を巡る「知多四国八十八ケ所巡り」があります。

弘仁5(814)年に、東国を行脚していた弘法大師が知多半島に上陸した際、風土や地形が四国に似通っていることに驚き、そのことを歌に詠んで残しています。その後、1,000年の時を経て、文化6(1809)年に知多市の妙楽寺(79番札所)の住職(第十三世亮山)の夢の中で弘法大師のお告げがあり、知多四国霊場は始まりました。

霊場には歴史上の人物にゆかりのある寺院も数多くあります。51番札所の野間大坊は源義朝(源頼朝の父)の最期の地である美浜町野間にあり、境内には義朝の墓もあります。NHK大河ドラマ「平清盛」でも描かれた義朝の最期を遂げるシーンは記憶に新しいと思います。他にも15番札所の洞雲院は徳川家康の生母である於大の方の菩提寺であり、53番札所の安養院は豊臣秀吉との跡目争いに敗れた信長の三男、織田信孝が自害した地でも知られています。数々の歴史の舞台となった寺院巡りもロマンを掻き立てられます。

写真:野間大坊

6.知多の祭り

絢爛豪華な「はんだの山車」

知多半島の春はあちらこちらの各地で山車祭りが行われます。週末ともなれば、祭囃子が遠くから聞こえてきて、春の訪れを感じさせます。同じ山車でも半田・常滑・武豊・南知多・内海とその地区によりからくりがあるもの、舟に乗ったものなど様々です。

特に半田の山車祭りは必見で、「半田の春まつり」として毎年、市内10地区において山車祭りが行われます。

なかでも亀崎地区の亀崎潮干祭は300年以上の歴史があり、平成28年にユネスコ無形文化遺産に登録された「山・鉾・屋台行事」の一つに数えられています。

そして、各地区で行われる半田の山車祭りは5年に一度大集結します。市内10地区31輌が集結し、毎回54万人近くの観客が集まる知多半島最大のイベント「はんだ山車まつり」です。

半田の山車は素木彫刻が施された彫刻山車が特徴で、所狭しと施された彫刻はまさに芸術品です。

写真:はんだ山車まつり

7.中部地方の玄関口 セントレア

中部国際空港(通称セントレア)は、常滑市沖合1.5キロにある伊勢湾海上の人工島に位置し、24時間運用可能な海上国際空港として平成17年に開港しました。

空港周辺には大型ショッピングセンターをはじめ、いくつも商業施設が立ち並び、平成29年に空港島内に愛知県国際展示場(AichiSkyExpo)も開館しました。

セントレアは、今後も中部地方と世界を結ぶ空の玄関口としてさらに大きな飛躍が期待されています。

写真:中部国際空港 ~セントレア~

8.知多の文学 ふるさと半田の童話作家

半田が生んだ童話作家「新美南吉」をご存じでしょうか。「ごんぎつね」や「おじいさんのランプ」など世に多くの童話を送り出した童話作家です。

代表作である「ごんぎつね」は60年以上も小学校4年生の教科書に題材として取り上げられています。

南吉は結核により29歳の若さで亡くなりましたが、その短い生涯に数多くの名作を残しています。

半田市内の「ごんぎつね」の舞台とされる場所に、彼の作品を称えた新美南吉記念館があり、平成22年には現在の上皇上皇后両陛下もご来訪されています。

悲しくて美しい、そして心にしみる南吉の世界に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

写真:新美南吉記念館

9.おわりに

半田市をはじめとした知多半島には魅力あるグルメ・自然・文化・歴史が満載です。

新鮮な魚貝類やおいしい地酒に舌鼓を打つのも良し、歴史文化遺産巡りで歴史上の人物や偉人に思いを馳せるのも良し、知多半島なら満足すること間違いなしです。

名古屋にお立ち寄りの際には少し足を延ばして魅力ある知多半島に訪れてみてはいかがでしょうか。

車でも電車でも、もちろん飛行機でもお越しいただけます。お待ちしています。

(写真提供:特定非営利活動法人半田市観光協会、一般社団法人とこなめ観光協会、中部国際空港株式会社)


鈴鹿市

古代の英雄が眠る歴史と伝統が融和するまち~鈴鹿・亀山~

鈴鹿税務署 総務課長 塚元 修

1.はじめに

鈴鹿税務署が所在する鈴鹿市は、三重県中北部に位置し伊勢湾と鈴鹿連峰に接しており、亀山市も含め、東海道の宿場町として、昔から栄えたまちです。

鈴鹿税務署は、全国に税務署が創設された明治29年に白子税務署及び亀山税務署が設置された後、昭和22年に鈴鹿市及び鈴鹿郡を管轄として新たに設置されたのが始まりです。その後、周辺地域の市町村合併等を繰り返し、現在の管轄区域、鈴鹿市及び亀山市となりました。

管内面積は約385.4km2、管内人口は約24.9万人であり、主要な産業は、茶葉生産業、自動車製造業及び液晶製造業のほか、観光業も盛んです。

2.古代史における伝説的英雄が眠る場所

亀山市にある能褒野王塚古墳(全長90m、後円部径54mの前方後円墳)は、「日本武尊」の墓として、現在も宮内庁により管理されています。

日本武尊は「古事記」、「日本書紀」に伝えられる英雄伝説の主人公として登場する武人であり、第12代景行天皇の皇子です。各地を征討し故郷の大和へ帰る途中、伊吹山で山の神に阻まれて病に倒れ、伊勢国能褒野で亡くなり、その魂は白い鳥に姿を変え飛び去ったとされています。

写真:能褒野王塚古墳

3.全国で祀られる猿田彦大神の本宮

鈴鹿市にある「椿大神社」は、鈴鹿山系の中央麓に位置し高山入道ケ嶽・短山椿ケ嶽を天然の社とする全国二千余社の猿田彦大神を祀る本宮であり、「地祇猿田彦大本宮」と称されているほか、伊勢国一の宮でもあります。

境内には猿田彦大神の妻神、天之鈿女之命を主神とした「鈿女本宮椿岸神社」があり、夫婦円満、縁結びの神としても知られています。

写真:椿大神社

4.東海道47番目の宿場町

鈴鹿市及び亀山市には、東海道の旧宿場町が数カ所ありますが、その中でも、東海道47番目の宿場町である「関宿」は古い街並みを残した情緒ある街並みが特に有名です。

江戸時代から明治期にかけての町屋が約1.8kmの区間に約200軒も連なる様子は圧巻で、国の重要伝統的建造物郡保存地区に選定されています。

写真:関宿

また、7月の関宿祇園夏祭りは、江戸元禄時代から続く伝統行事であり、絢爛豪華な4台の山車が町内を練り歩きます。なお、限度いっぱい、精一杯といった意味を持つ「関の山」の語源は、この関の山車にあるとされています。

写真:関の山車

5.県内で唯一現存する城郭建造物

亀山市にある「亀山城跡」は、県内で唯一現存する城郭建造物として県史跡及び県有形文化財に指定されています。天正18(1590)年に岡本宗憲によって築かれた城で、築城時には天守もあげられていたとされています。この天守は、寛永9(1632)年、丹波亀山城(京都府亀岡市)の修築を幕府より命じられた堀尾忠晴が間違えて解体してしまったという伝承があります。

写真:亀山城跡

6.ロシアを見てきた最初の日本人・大黒屋光太夫ゆかりの地

井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」でも描かれた、江戸時代の廻船の船頭「大黒屋光太夫」は、鈴鹿市で生まれ育ちました。天明2(1782)年、神昌丸に乗り江戸に向けて廻船を出向させた光太夫ら17名は、途中で嵐に遭い、ロシアのアリューシャン列島に漂着。その後、シベリア等を横断し、ロシア女帝エカテリーナ2世へ謁見する等して、苦難の末、寛政4(1792)年、3名のみ帰国することができました。当時は鎖国中でしたが、光太夫らは、10年もの歳月を掛け、ロシアの文化に慣れ親しみロシア語を習得した上で、初めて帰ってきた日本人として、当時の幕府の役人や蘭学者に注目され、もたらした西洋に関する情報は蘭学の発展に大きく影響を与えました。

こうした光太夫の軌跡は、映画や歌舞伎又は漫画等でも取り上げられ、たくさんの作品が制作されています。なお、鈴鹿市には、光太夫らを紹介する大黒屋光太夫記念館があり、当人にまつわる、いろいろな資料が展示されています。

写真:大黒屋光太夫記念館

7.匠が生み出す地域の伝統工芸品

鈴鹿市の「伊勢型紙」は、柄や文様を着物の生地に染めるために用いるもので、千年余りの歴史を有しています。柿渋を用いて和紙を貼り合わせた紙に、細かい刃先の彫刻刀で着物の文様等を丹念に彫り抜いたもので、型紙を作るには高度な技術と熟練の技が必要です。その他、「鈴鹿墨」や亀山市の「関の桶」も地域の伝統工芸品に指定されています。

写真:伊勢型紙

8.味(うま)酒(さけ)鈴鹿(すずかの)国(くに)

鈴鹿の酒は歴史が古く、倭姫命が天照大神の命を受け、鎮座場所を現在の伊勢神宮に定めるまでの行幸の様子を書いた「倭姫命世紀」に「味酒鈴鹿国」の記述が見られます。今も鈴鹿川流域の川俣神社では、毎年「味酒祭」が行われております。

これらのことより、「うまさけ」とは鈴鹿に係る枕詞として、現在に伝えられています。これは、都から伊勢神宮への道中にあたる鈴鹿の酒はおいしいということが、当時の都の人々のあいだで広く認知されていたことの証であると考えられます。

三重県全体においても、江戸時代の頃から「お伊勢参り」で伊勢神宮を訪れる多くの参拝客をもてなすため、酒造りが盛んに行われていました。

そうした中、令和2年6月に、国税庁より酒類の地理的表示(GI)に「三重」が指定されました。

伊勢志摩サミットを契機として脚光を浴びた三重のお酒は、「三重」という地域ブランドを冠して、海外にも積極的に情報を発信しています。

鈴鹿市の酒蔵が造る日本酒「作(ざく) 智 純米大吟醸滴取り」は、伊勢志摩サミットの乾杯酒として一躍有名になりました。

その後、国内での人気に留まらず、令和2年11月には、フランスで開催された日本酒コンクール「Kura Master」の最高賞である「プレジデント賞」に輝きました。

写真:GI三重のシンボルマーク
写真:作 智 純米大吟醸滴取り

9.世界に誇る国際レーシングコース

「鈴鹿サーキット」は、わが国で初めての本格的なレーシングコースとして誕生して以来、日本のモータースポーツの中心地であり続けています。

昭和62年から始まった「F1日本グランプリ」や、40回以上の開催を数える「鈴鹿8時間耐久ロードレース」などが有名です。

写真:鈴鹿8耐レース

10.おわりに

鈴鹿市及び亀山市は、日本書紀・古事記で描かれた古代のロマンあふれる名所から、GI三重のブランドを冠した美味しいお酒もあり、世界に名立たるサーキット場を擁するなど、歴史と伝統が融和する魅力たっぷりなまちです。

三重県は、伊勢神宮など、観光名所がたくさんありますので、三重県にお越しの際は、是非、鈴鹿市及び亀山市にもお立ち寄りください。

(写真提供:一般社団法人鈴鹿市観光協会、一般社団法人亀山市観光協会、椿大神社、大黒屋光太夫顕彰会、鈴鹿サーキット、清水清三郎商店株式会社)


下田市

ペリー来航のまち

~海・山に囲まれた自然豊かな地 下田~

下田税務署 総務課長 工藤 智彦

1.はじめに

下田税務署は、伊豆半島南部の1市5町(下田市、賀茂郡(東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町))を管轄しており、管内面積は約586km2、管内人口は約6.1万人です。

伊豆半島の屋根ともいうべき天城山系が半島を二分し、一部の河口や海岸部の平坦地を除いては、急峻で、数多くの山岳が起伏し海岸まで迫った入江の多い地形であり、雄大な海蝕崖や白砂の浜、磯などを形成した自然豊かな地です。

2.了仙寺

ペリーと日本全権が日米和親条約付録下田条約を結んだ寺で、本堂は国指定史跡となっています。

敷地内にある黒船ミュージアムには外国人が書いた日本人の絵などの資料が多数展示されております。

5月に咲き誇るアメリカジャスミンも見ものです。

写真:了仙寺

3.爪木崎

全国でも有数の景勝地として知られ、冬には自然群生の野水仙やアロエの花が海岸の斜面を彩ります。

半島の先端に建つ白亜の灯台は、平成29年に「恋する灯台」に認定されました。

爪木崎のある須崎半島には、昭和46年から「須崎御用邸」が置かれています。

写真:爪木崎

4.龍宮窟

直径50mほどの天窓が広がる自然が作り出した神秘の洞窟です。

上部には洞窟内を見下ろす遊歩道が整備されていて、見下ろすとハート型の地形に見えるため、恋愛のパワースポットとしてカップルを中心に人気があります。

写真:龍宮窟

5.稲取細野高原

稲取の山側標高400m付近から821mの三筋山まで広がる広大なススキの原で、面積は東京ドーム26個分に当たります。

特徴は、海の見える草原で、伊豆大島をはじめとした伊豆七島を望むことができます。

写真:稲取細野高原

6.河津七滝

釜滝、エビ滝、蛇滝、初景滝、カニ滝、出合滝、大滝と、個性豊かな7つの滝がある観光名所です。

新緑が生える季節や紅葉の季節など、年間を通して楽しむことができ、落差30m幅7mと河津七滝で最大を誇る大滝や伊豆の踊り子と学生像がある初景滝は撮影スポットとして人気です。

写真:初景滝前の伊豆の踊り子と学生像

7.石廊崎オーシャンパーク

平成31年4月に開園した伊豆半島最南端の自然公園です。

この場所は、見事な自然美を誇る名勝伊豆西南海岸に指定されており、先端からは見渡すかぎりの青い海と空が広がる絶景をお楽しみいただけます。園内には、レストランやお土産屋のほか、伊豆半島の観光情報等を提供している南伊豆ジオパークビジターセンターが設けられています。

写真:石廊崎

8.雲見海岸

海蝕崖や豪壮な荒磯の続く日本有数の景勝地で、晴れた日には正面に富士山と沖に見える大小2つの島、牛着岩を望む美しい海岸線を有することから、絶好の撮影スポットとして知られています。

また、スキューバダイビングを始めとするマリンスポーツのメッカとしても人気のスポットとなっております。

写真:雲見海岸

9.堂ヶ島のトンボロ

西伊豆の代表的な名勝地「堂ヶ島」には全国的にも珍しい「トンボロ(陸繋砂州)」を見ることができます。

堂ヶ島瀬浜海岸では干潮時になると陸地から対岸の三四郎島へ幅約30mの道ができ、陸から島まで歩いて渡ることができます。

自然の神秘を感じることができ、潮が引いた海の道では磯遊びも楽しめるスポットです。

写真:堂ヶ島のトンボロ

10.おわりに

今回、ご紹介した名所はほんの一部です。

名所・イベント・スポーツ・グルメなど、四季を通じてお楽しみいただけますので、伊豆半島へお越しの際は是非お立ち寄りください。

(写真提供:下田市観光交流課、東伊豆町観光商工課、河津町産業振興課、南伊豆町商工観光課、松崎町企画観光課、西伊豆町まちづくり課)