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職員トップセミナー(中山 俊宏氏、令和3年1月22日(金)開催)

講師 中山 俊宏 氏(慶応義塾大学総合政策学部教授)

演題 「バイデン政権発足の歴史的意味~政治的分断を乗り越えられるのか~」

令和3年1月22日(金)開催

1.米国における政治的な二極分化

今年1月6日に、米国で連邦議会占拠という想像を絶するような事件が起こり、トランプ政権の最後、そしてバイデン政権発足の背景が大きく変わりました。今、我々は米国が直面している分断の意味をきちんと踏まえて新政権の発足を理解する必要があると思います。本日は「バイデン政権発足の歴史的意味~政治的分断を乗り越えられるのか~」という演題でお話をします。

おそらくここ30年ぐらいでしょうか、政治的な二極分化ということが米国政治を語る際の一つのキーワードになっています。政治的な二極分化が行き着くところまで行き、中央(センター)が死んでしまっている状況、すなわち「デッドセンター」という状況に、今の米国政治は拘束されているということがよく言われています。

ピュー・リサーチ・センターが行った政治的な二極分化についての調査によると、1994年では、民主党支持層の中にもかなり保守的な人がいる一方で、共和党支持層の中にもかなりリベラルな人がおり、少なくも潜在的には政治的な合意を模索することができました。二大政党制がうまく機能するためには、このような有権者の意識分布になっている必要があると思います。

ところが、2017年は1994年に比べ共和党支持層はより保守的に、民主党支持層はよりリベラルになっています。

1994年当時の有権者の意識分布では、例えば民主党であれば選挙に向けた戦略は、平均的な党の立場よりも政策的な軸を若干右に置いて共和党のリベラルな人も取り込むことによって多数派を形成するものになりますが、2017年のような意識分布では、共和党のリベラルな人を取り込みにいかず、自陣営を徹底して固める戦略がとられるようになります。

自陣営を徹底的に固める戦略を選挙のたびに繰り返していくと、右側と左側の考え方の差が広がり、結局真ん中の活力が失われ、その結果、中央の考え方が死んでいく。今の米国はそういうデッドセンター化の状況であると理解していいだろうと思います。

また、ピュー・リサーチ・センターが行った別の調査によれば、かつて米国では政治的な価値観に影響する最も重要な属性は「人種」でした。ある争点に関して、黒人であるか、白人であるかということを見れば、ある問題に対するその人の態度がほぼ明らかになったわけですが、今は人種や宗教、教育、年齢、ジェンダーよりも、「どの政党に属するか」ということが、あらゆる問題に関する態度を決定してしまっているという結果が示されています。

さらに、案件ごとにどれだけ党派的な違いがあるかという調査では、例えば自由に関わる問題や人種に関わる問題、気候変動に関わる問題は、とにかく「民主党か共和党か」ということで、ほぼ態度の取り方、その問題についてどういうスタンスなのかということが決定されてしまうことが分かっています。

2.90年代以降加速する分断化の背景

(1)冷戦の終焉

メディアではトランプが米国を分断させたとよく言われますが、実は分断のルーツはかなり前に遡ることができます。それはおそらく90年代初め頃だろうと思います。この頃から徐々に、二極分化といわれるような現象が加速していきました。

では、その背景にどういう構造力学があったのかというと、一つは冷戦の終焉です。90年代以前には、国内で様々な意見の相違があっても、外に向き合ったときには米国は一つにならなければいけないという、大きなコンセンサスを生む空気があったと思います。

米国は国の存立を脅かすような崩壊要因をたくさん内部に抱えた国です。人種を巡る対立もそうですし、言語、文化、宗教等々、最近はそこにジェンダーも加わり、国の一体性を脅かすような要素が冷戦後によりはっきりと認識されるようになりました。

(2)多文化主義

おそらくその頃から多文化主義が統治思想として米国の中で影響力を持っていきます。多文化主義は、多様性そのものを礼賛するということです。冷戦が終焉して外に脅威がなくなり、米国が実は非常に分散的な要素を内部に抱え込んでいることがよりはっきり分かるようになり、それをあえて礼賛するような多文化主義が、政治的な力として大きくなっていきました。

それに対する反動として、保守主義が人々の意識の中に浸透していったのだと思います。保守主義とは、簡単に言うと「小さな政府」、「理念×パワーに依拠した国際主義」、「信仰に根差した良き生活」、この三つがおそらく保守主義の軸で、この考え方が人々の間に浸透していきました。

そうして「多文化主義的なる動き」と「保守主義」の対決がより鮮明になっていったのが、この時代なのだろうということです。

(3)ゼロサム状況を加速させるアジェンダ

それと並行して、ゼロサム状況を加速させるような政治的、社会的な争点がこの頃に一気に目立つようになってきました。具体的には、中絶や同性婚、ガンライツ(銃を保有する権利)などです。

こうした問題は妥協点を模索することが難しい争点です。認めるか認めないか、0か100かというゼロサム状況を加速させる検討課題が次々と政治空間に入り込んでいきます。

(4)情報空間の変容

さらに、90年代には情報空間が大きく変容していきます。一般にメディアの「部族化」と呼ばれている現象です。

保守系メディアとしてのラジオが急速に普及し出すのが1990年代前半です。テレビでは、保守派の情報発信の戦略的な拠点だったFOXニュースネットワークがそのビジネスを立ち上げたのが1996年です。2000年代半ば以降、いわゆるゴールデンタイムにおいては、FOXがCNNを上回るようになりました。

CNNは報道にこだわり続けましたが、FOXはオピニオン番組を中心に番組を構成しました。5時台ぐらいから始まるオピニオン番組では、党派的な立場を取ることについて一切躊躇せず、保守主義を明確に軸として掲げたことによって、固定的なファンを囲い込み、FOXを見る人はCNNを見なくなっていきました。その結果、メディア自身が「部族化」していくわけですが、それをさらに加速させたのがSNSなどの情報空間(ソーシャルメディア空間)だろうと思います。そして、そういう空間の中から出てきたのが「トランプ現象」と言えるでしょう。

(5)生活空間の政治化

こうしたことが積み重なっていく中で、生活空間そのものが全面的に政治化していきます。本来、政治は生活空間全域を呑み込むものではなく、政治が対処できる空間があって、合意や譲歩、妥協をしながらある種の結果を出していきましたが、90年代以降の米国は、中絶やガンライツなど、妥協が見いだせない争点に飲み込まれる形で生活空間が全面的に政治化されてしまいました。

2000年代ぐらいまでは、二極分化は典型的にワシントン的な現象として語られていましたが、今や一般社会をも丸ごと飲み込む形で、二極分化が発生しているという状況です。

3.「亀裂克服」の模索

では、このような90年代以来の状況を米国は何もせずに放っておいてきたかというと、決してそういうことはなく、各政権が亀裂の克服を模索してきたと思います。

(1)クリントン政権

クリントン政権は、70年代の民主党がかなり左傾化したので、もう一度リセットして、レーガン以降の保守主義が優勢な時代におけるリベラルな政治の在り方を模索しました。

しかし、共和党が優勢な議会が牙を剥いたということもありますし、本人のスキャンダル等によって大統領という職位を汚したということで、その後の深い分断の予兆となるような深い亀裂を生みだしてしまいました。

(2)ブッシュ政権

次のブッシュ政権で大統領自身が目指していたのは「思いやりのある保守主義(Compassionate Conservatism)」という統治思想の実現でした。

すなわち、米国はニューディール以来のリベラルな政策によって、建国の理念に反するような巨大な連邦政府を作り上げてきましたが、それをリセットするためには「思いやりのある保守主義」しかなく、それは米国社会のグラスルーツにある相互扶助の精神や信仰に基づいて社会的弱者をコミュニティが救い上げる取組みを政府が活性化することであり、それこそが政府の役割なのだ、という考えです。

ブッシュ政権は、「思いやりのある保守主義」を前面に出したものの、イラク戦争、対テロ戦争等々により、結果として政権が発足したときよりも遥かに大きい形で亀裂を作って次の政権に引き渡すことになりました。

(3)オバマ政権

オバマ政権の場合には、亀裂の克服そのものがおそらく最重要アジェンダだったと思います。

2004年のケリーを大統領候補として指名した民主党の党大会で、今では「ザ・スピーチ」と呼ばれるスピーチにおいて、オバマ(当時民主党上院議員)は、「保守の米国もない、リベラルな米国もない、米国は一つなのだ」ということを訴えました。

しかし、オバマ政権では、オバマが象徴していた変化に対する反動を呼び起こして、結果として非常に深い分断、ある意味、純粋な二極分化を完成させてしまったのだと思います。

このように、いずれの政権も、政治的な亀裂の克服を提唱はしても、結果として政権発足時よりも二極分化を加速させて退陣しています。

4.トランプ政権と政治的分断

(1)「オバマ的なるもの」への抵抗

トランプ政権は、それまでの各政権とは違い、亀裂を乗り越えようとする試みをおそらく一切放棄し、むしろ政治的な分断に潜むエネルギーを解き放ち、リベラル派に対する敵意を基盤にして、自らの陣営を固めていったことが特徴だったと思います。

この「トランプ的なるもの」というのは、ある時、トランプと共に突然出現したわけではなくて、「オバマ的なるもの」に対する抵抗として2009年1月、もしくは2008年にまで遡ることができると思っています。それはペイリン現象(2008年の大統領選挙における共和党副大統領候補サラ・ペイリンの言動が注目を集めたこと)であり、それを引き継ぐ形で出てきたティーパーティー運動(オバマケアが必然的にもたらす連邦政府肥大化に対する抵抗運動と一般に理解された)です。振り返ってみると、ペイリン現象と同じで、ティーパーティー運動は、オバマが象徴するような変化に対する違和感により突き動かされていたということが、かなりはっきり見えてくると思います。

(2)ソーシャルメディア空間の発展と政治

こうした敵意や怒り、不満は、どの時代にも人々の間にあったと思いますが、2010年代に入って決定的にそれまでと違うのはソーシャルメディア空間の影響です。

SNSは、地元の政治家や何らかの利益団体、政治団体というフィルターを一切取り払って、むき出しの怒りや不満、衝動が直接ワシントンを直撃し、それに政治家は驚くわけです。

ティーパーティー運動のようなものが出てきたときから、政治家は運動をリードするのではなく、人々の怒りをフォローすることが仕事になり、そういう情報環境がトランプ以前からあって、それが「トランプ現象」という形へ繋がってくるのだと思います。

(3)分断に潜む政治的エネルギーを動員

「トランプ現象」の特徴は、分断に潜む政治的なエネルギーをとにかく動員していくものです。統合のメッセージは放棄する。「何を支持するか」ではなくて、「何を支持しないか」ということで結集していく。そういう情報環境の中で、まさにトランプは水を得た魚のように、跳ねながら政治的な影響力を増大させていったのだと思います。

ですから、この「トランプ的なるもの」は、トランプが生み出したわけではなくて、ある種の情報空間にトランプという人がうまくはまったということだと思います。

5.トランプを超えるもの

(1)保守主義の終焉

2021年1月6日の米連邦議会議事堂乱入事件の発生でトランプレガシーが相当傷付きましたが、おそらくレーガン時代以来の保守主義の否定が、トランプの最大のレガシーの一つなのだと思います。

米国の保守主義は、「小さな政府」、「理念×パワーに依拠した国際主義」、「信仰に根ざした良き生活」という三つの柱のバランスが取れているときにうまくいくと言われてきました。しかし、トランプ主義というのは、この三つの理念をいずれも否定しています。

また、保守主義は本来、変化を許容しつつ、変化の仕方やスピードを変えていくものだと思いますが、トランプは変化そのものを否定する、反動という方向に行ってしまっています。つまり、トランプ主義自体が保守主義の否定になっています。

トランプ主義が共和党を乗っ取ってしまうようになったので、トランプ主義こそ保守主義だという言説になっています。少なくともレーガン以来、米国で保守とされてきたものの全否定の上にトランプ主義は成り立っているということを、わきまえておくことが重要だという気がします。

(2)共和党が取り組もうとした改革に逆行

さらにトランプ主義が行ったことは、共和党が取り組もうとした改革を潰してしまったことです。

共和党は2008年、2012年と2回連続大統領選挙に負けているので、共和党を立て直さなければいけないという動きが特に若い世代の間であり、これを率いていたのがポール・ライアンとエリック・カンターです。二人は変わっていく米国に適応できるような保守主義のあり方を模索しますが、2014年以降、トランプは大統領選挙を目指す動きの中で、そうした共和党内の保守主義再定義の試みをすべて潰していきます。

6.大統領選挙以降

(1)トランプ陣営選挙結果認めず

大統領選挙以降、ソーシャルメディア空間の特性を使って、トランプ陣営は選挙不正があったということを言い続けています。今回トランプ大統領に投票した人は7,400万人に及びましたが、そのうちの8割程度が今回の選挙結果は認めない、不正があったと主張しています。つまり、6,000万人がトランプの嘘を完全に信じているということになります。

大統領選挙以前の「トランプ現象」を私はカルトと呼ぶことには抵抗がありました。しかし、選挙が終わって以降のトランプ大統領とトランプをサポートする人たちのグループは「カルト」と言っていいと思います。6,000万人の中には普通の人もいるでしょうが、ソーシャルメディア空間と背景にある政治的な分断という状況の中では、普通の人でも容易にカルト的な言説もしくは陰謀論を信じてしまうことが今回の状況の怖さだと思います。

(2)論理的帰結としてのMAGA反乱

トランプ支持者たちによる連邦議会議事堂乱入事件は、やはりトランプ現象とは切り離せないので、私はMAGA(Make America Great Again)反乱あるいはトランプ反乱といってもいいと思っています。4年前にトランプ大統領を米国人が選択したことの論理的な帰結として捉えた方がいいのかなという感じがしています。すなわち、「バイデンが8,100万票以上の票を獲得できるわけがない。そいつがトランプから大統領を奪い取ったのならば、当然、自分たちは民主主義の守り手として、今議会で起こることを阻止するのだ。」という主張に繋がっていくのは論理的な帰結だろうと思うのです。

そういう中で、いわば制度の側に立って、正しいことをやろうとしたペンス副大統領、そしてマコーネル上院多数派院内総務は、トランプ支持者から裏切り者として位置付けられました。

(3)持ちこたえた制度

ペンス副大統領はトランプ陣営が企画した大統領退任イベントには一切出席せず、1月20日の大統領就任式に出席しました。1月6日の連邦議会議事堂乱入事件で死者が出てしまい、権力の平和的な移譲には失敗しましたが、最後のギリギリのところ、まさに新しく大統領に就くチームが現職を送り出すという儀式にペンス副大統領が参加したのです。BBCはペンスのことを「トランプ大統領に奴隷的なまでに忠誠なペンス副大統領」と論評してきましたが、最後の最後で制度の側に立って、アメリカンデモクラシーのかたちをどうにか保つ方向で動きました。

共和党院内総務のマコーネルについてもそれは同じだと思います。トランプ大統領の弾劾裁判において共和党上院議員7名が弾劾に賛成する票を投じましたが、弾劾裁判における一票というのは、党派的な一票ではなく、良心に基づいた一票だということを発言しているわけです。

(4)トランプの読み違い

トランプ政権として、もしくはトランプとして読みが外れたのは、1月6日にあそこまでの状況になるとは想像してなかったということでしょう。

自らある種モンスターみたいなものを作り上げてしまい、それを制御できないような状況を突きつけられたわけです。このようなトランプカルトについていけないトランプ支持者が相当数離れたと思います。ですから、2024年のトランプ再出馬というのは、ゼロとは言いませんけども、かなり可能性としては低くなりましたし、「トランプ現象」を引き継ごうとして積極的に手を挙げていた、例えばポンペイオ国務長官、テッド・クルーズ上院議員、ジョシュ・ホーリー上院議員のこれからの設計図は、大分揺らいだのかなという感じがします。

7.バイデン政権発足

(1)就任式から読み取れたもの

今回の大統領就任式を見ていて、我々は演壇の方を見ているのでいつもとはあまり変わらない風景でしたが、カメラを反転させると全くの空っぽの空間で、コロナを巡る状況の難しさと1月6日以降ここに人を入れるというのは危険過ぎるという米国が直面している状況をその場自体が象徴していたと思います。

(2)就任演説の「普通さ」

バイデンの演説は、印象としてはあまりに普通です。大統領として言わなければいけないことを取りあえず全部言った、米国は一つにまとまらなければならない、そして問題を乗り越えていかなければいけない、といった内容的にもあまりにも平凡なスピーチです。

バイデンは、決してオバマのように、もしくはトランプのように、そこにいる人たちの気持ちを演説の最後に向けて煽りながら話すというタイプでは全くありません。彼は若い頃、吃音があったということがよく知られていますが、若干つかえながら平凡なスピーチをしました。

普通の状況ならば、これは即座に忘れ去られるような演説でしたが、米国人はそれに感動したのだと思います。多くの人がバイデンの就任式で泣くということは想定していなかったと思います。今回、米国人が普通であることを熱狂的に支持したわけです。普通であることへの期待は非常に大きかったと思います。オバマ時代とトランプ時代は、共通して劇場型の政治をして、まさにそこに参加する人たちが興奮し、全人格的にそこに没入していました。しかし、バイデンは、オバマやトランプの劇場型政治をリセットして、政治をもう一度退屈なものにしてくれるという空気を、就任演説で国民に伝えることができたのだろうと思います。

(3)譲歩、妥協して合意を取り付ける能力

バイデンはご承知のとおり、1973年から2009年の1月までずっと上院議員を続けて、その間、大統領選に2回出馬し、2009年1月から2017年1月までは8年間、副大統領を務め、今は70代後半です。もういいだろうと皆思っていたのですが、3回目の大統領選に挑戦するわけです。多分ワシントンの空気とか、政治が大好きなのでしょう。

オバマは、遠くにある目標を提示することがとても得意な政治家でした。しかし、そこに至る道を舗装して、その予算を取りつけるという日常的な意味での政治について関心が希薄な政治家でした。トランプは、自分にスポットライトが当たっている限りは政治が大好きでが、いざスポットライトが外れると政策的な関心は全くない。オバマもトランプも劇場空間としての政治は大好きですが、退屈な本当の政治にはほぼ関心を持っていません。

それと全く対照的なのがバイデンです。バイデンは73年に上院議員になりました。その頃の上院議員には、まだマンスフィールドなど上院の巨人たちがいました。そこで民主党員であるよりも共和党員であるよりも先に、上院議員として、譲歩して、妥協して、何らかの合意を取りつけることが上院議員としての能力であり、政治家としての美徳だということが、体質として染み付いています。

オバマとトランプは、ワシントンに対する不信感があり、アンチ・エスタブリッシュメントであって何か全く違うものをワシントンに持ち込み、12年間で結局二人はワシントンを機能不全にしてしまいました。私は、「歴史の女神」なんて信じませんが、「今回はあなたの番ですよ」とばかりにバイデンという「型」の政治家がうまくはまった、というのが今回の出来事だろうと思います。

バイデンが偉大な大統領になるということは考えにくいのですが、彼は能力をフルに生かして上院と直接やり合うでしょう。問題が10あるとすれば10解決できるような法案は決して目指さず、例えば6とか7ぐらいのところを目指す。共和党がこれに乗ることができるならば、おそらくバイデンは、この瞬間、米国がまさに必要としていた大統領だったということになります。米国人がそのことに改めて気付かされた、就任式はそういう瞬間だったのだろうと思います。

バイデン自身は言及していませんが、おそらく2期目はないということを、皆、漠然と感じていると思います。そうであれば、一年目はコロナ対策に掛かりっきりになり、二年目の2022年には中間選挙があります。もし仮に2期目に出馬しないとすると、もうそこで後継を指名しなければいけなくなり、バイデン政権後半はレームダック(死に体)状態ということも十分にあり得ると思います。ですから、バイデンは、非常に制約された時間内で、まさに歴史の神に3回目の挑戦で与えられた使命に応えていかなければならないという状況にあるのだと思います。

バイデンはトランプじゃないということで選ばれただけだという言説が独り歩きしていましたが、そのことは1月6日と就任式の雰囲気でおおよそリセットされました。トランプはアメリカが実験国家であることをある意味放棄しました。しかし、バイデン政権が発足して、まだ米国の実験が続けられるかもしれないと、皆、少なくとも瞬間風速的には思っています。この状況を、国家の機運として読み解いておくことは重要なのではないかという気がします。

8.最後に:いくつかの論点について

(1)新政権の中国への対応

バイデン政権は中国に対して甘くなるのではないかという懸念が日本には非常に強くあります。特に外交安全保障の面で懸念があるわけですが、米国の中国に対する認識がかつてとは全然違うので、そこをあまり心配しなくてもいいのかなと私は考えています。

今、まさに国防長官のロイド・オースティンと国務長官のアントニー・ブリンケンの指名・承認に向けた公聴会が上院で行われています。そこでその両人が証言するに当たって準備された冒頭の演説を見てみますと、両方の演説において、中国がしっかり明記されています。ですから、政権の中で、中国は米国にとって最も重要な戦略的な競争相手だという認識は、かなり強く共有されていると考えていいと思います。

ではトランプ政権と全く同じなのかというと、それは多分そうではありません。トランプ政権は対決的な姿勢一本でした。しかし、おそらくバイデン政権の対中政策というのは、協調と競争と対決が混じり合っている。さらに争点もたくさんあり、そして単に米中という話ではなくて、パートナーと同盟国をも巻き込みながらやっていくということで、変数が非常に多くなると思います。非常に洗練された、望ましい対中政策です。

NSC(国家安全保障会議)には、日本人として馴染み深い人、よく知っている人、それから新しい人が入っています。例えばインド太平洋担当のカート・キャンベルや、気候変動担当特使のジョン・ケリーは、われわれもよく知っています。NSCがどれだけ効率的に動けるのか、しっかり見ていかないと分からないと思いますが、現時点で言えるのは、比較的ホワイトハウスが中心の外交になり、そしてNSCが大きな役割を果たすのだろうと思います。ブリンケン国務長官もバイデンとの距離の近さから、大きな影響力を持つでしょう。オースティン国防長官は若干、未知数です。

バイデンは外交通と言われています。これは政策的な知見がある政治家というよりは、そこにいる人たちを知っていて、人と人を繋いで合意をしていくタイプの政治家だということでしょう。ですから、どれだけ本当に外交に関して知見があるのかということは、かなり大きなクエスチョンマークをつけたほうがいいですし、特にアジア太平洋地域については、あまり目立つ人ではありません。

(2)バイデン政権と日本との関係

アジア政策については、まず間違いなくカート・キャンベルが取り仕切ることになるだろうと思います。少なくとも米国にとってアジアが一番重要な地域であること、アジアというのは一番問題もあるけども可能性も秘めていること、アジアと向き合うときに日本が最も重要なパートナーであるということ、こうしたことを、カート・キャンベルとその周辺は認識していると思います。ですから、何かこの地域で大きなことをやろうとするときに、日本と相談して、日本がどういうふうに考えるか、ということに注意を払う、これはかなりはっきりしています。

ですから、両国首脳間の相性、パーソナルケミストリーに過度に頼る必要はないということは言えるだろうと思います。そこはトランプ時代とは異なります。

(3)共和党の動きと第3政党結成の可能性

共和党は保守というラベルを捨てることはできないと思いますが、共和党に今問われていることは、どういう考えに依拠した保守主義なのかを大きく見直して、新しい保守主義の形を組み立てることができるのか否かだと思います。

ただ、人口構成の観点からみて、当面は共和党を白人政党として構築していけば、選挙に勝てる可能性を示したのが、トランプだったと思います。

白人票を固めて勝つというトランプ的な戦い方は、筋力を高めるためにステロイドを打って選挙に臨むというような状況です。こうしたステロイドを打ち続ける解決策を選ぶのか、それとも共和党が改革に向かうことができるのかはなかなか見えてきません。

第3政党については、あくまで理論的可能性ですが、まさに今お話した、共和党が自らを見直す中で、「トランプ的なるもの」をそぎ落とさなければいけないとなったときに、トランプ派がごっそり抜ける場合です。すなわち、トランプ大統領を支持した7,400万人の8割である6,000万弱、その四分の一に当たる1,500万人が抜けると、1,500万人から支持を受ける巨大第三政党が出来上がります。それが共和党を必ず敗北させる状況に追いやり何らかの地殻変動に至るということはあるかもしれないのですが、具体的な変動の形は、今なかなか見通せないという状況です。

(4)いびつなソーシャルメディア空間が生み出すカルトや陰謀論が日本政治に与える影響

海外の人から「なぜ日本では本格的で反動的なポピュリスト運動がないのか」と問われたときに私が常に言うのは、日本人はまだフィルターが効いたオールドメディアがどうにか生き残っていると答えています。

それから、ソーシャルメディアがまだ政治空間を呑み込んではない。ツイッターの負の空間に貯まったエネルギーを煽って刺激して、嘘と本当をないまぜにして支持者を確立しようとする動きは見られません。日本は小選挙区なので、ソーシャルメディアを使いつつも、実際に人に会って話すことが有効です。それが、ソーシャルメディアが政治を呑み込んでいくことの一つの防波堤になっているのかなと思います。ただ、変な動きは出てきており、注意は必要かなと感じています。

ご清聴ありがとうございました。

(研修主催者の責任において、講演内容の構成を一部変更しています。)

講師略歴

中山 俊宏(なかやま としひろ)

慶応義塾大学総合政策学部教授

青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科卒。青山学院大学大学院国際政治経済学研究科国際政治学専攻博士課程修了。ワシントン・ポスト紙極東総局記者、日本政府国連代表部専門調査員、日本国際問題研究所主任研究員、ブルッキングス研究所招聘客員研究員、津田塾大学国際関係学科准教授、青山学院大学国際政治経済学部教授等を経て、2014年4月より慶応義塾大学総合政策学部教授。

専門はアメリカ政治・外交、国際政治、日米関係。主な著書に、『アメリカン・イデオロギー』(勁草書房)、『介入するアメリカ』(勁草書房)、『アメリカにとって同盟とはなにか』(共著、中央公論)、『オバマ・アメリカ・世界』(共著、NTT 出版)など多数。