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パンデミック下の途上国支援―其弐 危機に立つアジア開発銀行―

アジア開発銀行総裁首席補佐官 池田 洋一郎

1.はじめに

本シリーズでは、2020年初に新型コロナウィルス(COVID19)の蔓延が始まって以降、今日までの約1年5カ月の間、筆者が、アジア開発銀行(ADB)の総裁首席補佐官として、あるいは、マニラの一市民として直接関わってきた問題と、その解決のために採られてきた様々な取組みを、ミクロとマクロ、双方の視点をもって振り返りながら、パンデミック危機下の途上国支援について考えていく。第二回となる本稿では、中国武漢で発生したCOVID19の流行が世界的に拡大していった2020年第一四半期に焦点を当て、この間、マニラに本拠を置くアジア開発銀行がそのメンバーであるアジア・太平洋地域の46の開発途上国に対してどのような支援を展開してきたか、そして、当時直面した組織経営上の課題に如何に対処したかを紹介していきたい。

2.初動―危機対応チームの立上げ

2020年1月24日金曜日早朝。私はダボスからチューリッヒへと戻るリムジンで、一週間前に着任したばかりの浅川雅嗣総裁と、その週に開催された「世界経済フォーラム」で交わされた議論や出会った人々との対話を振り返っていた。政治、行政、ビジネス、市民社会等、各分野で影響力のある約3,000人が、雪深いスイスの田舎町-ダボスーの中心に位置するCongress Centerという“三密空間”に集い、約一週間にわたって喧々諤々議論を交わした話題は、気候変動問題やその影響と言われる豪州での巨大な山火事、貿易摩擦からデジタル覇権をめぐる争いへと様相を変えた米中対立等の地政学リスク、そしてデジタル通貨に代表される技術革新など多岐に亘った。しかし、その数か月後に世界を一変せしめた疫病について正面から議論するセッションはただの一つもなかった。だからこそ、鮮明に覚えているのだろう。浅川総裁が車中で補佐官である私に指示したことを。

「帰ったらすぐに、関係部局の幹部を集めて、COVID19への対応策について議論しよう」、「今年5月の韓国での総会は、今のままではできないだろうな。延期も含めてオプションの検討を始めてくれ」。

私は、戸惑いつつ頷いた。その時点*1でCOVID19の感染者数は全世界で846名*2。大半が中国国内で確認されたもので、国外で見つかったケースはいずれも発生源とされる武漢での滞在歴を伴っていた。先見の明のない私は、中国に限定されたローカルな問題に見えるCOVID19の流行が、その数か月後には世界全体を飲み込む巨大な危機へと変貌し、半年先に予定されていたADB年次総会も影響を受けることなろうとは、当時、想像できていなかった。

浅川総裁は、ダボスから戻った直後に関係局幹部を集め、(1)ADBの現地事務所*3、及びWHOや世銀等の関係国際機関との緊密な連携を通じた現状の把握、(2)スタッフ及びその家族との丁寧且つタイムリーな情報共有、(3)危機が拡大した場合のシミュレーションとこれに基づく業務継続プランの策定、(4)SARS*4等、過去の感染症危機時の対応や教訓の再共有、(5)COVID19拡大の影響を踏まえた経済見通し・分析の強化、(6)危機下の途上国支援に必要となるグラント資金の確保、を指示した。このうち、(2)と(3)については、ADBの施設管理等を担う総務部(OAS:Office of Administrative Service)のラクシュミ・メノン主席部長(Principal Director)が議長役を務める「ADBパンデミック危機管理チーム(ADB Pandemic Crisis Management Team)」が中心となって検討、実行することとなった。「危機管理チーム」のメンバー*5は第一回会合を1月27日に開催、当面の対応策を議論し、中国本土と香港等への出張規制、中国本土等から帰国したスタッフ等のADB施設(本部及び現地事務所)への入館規制、本部エントランスでの体温スクリーニングの実施等を決定、直ちに実行した。

なお、上記の通り、スタッフ及びその家族への丁寧なコミュニケーションは、経営上の最重要課題の一つとして認識され、その後ほぼ毎日、「ADB Today*6」を通じて最新の情報が全スタッフに配信がされた。またWHOがCOVID19を「国際的な懸念を要する公衆衛生上の緊急事態」であると宣言した1月30日には「危機管理チーム」による初めてのスタッフ向け説明会が開催され、上記総裁の指示や当面の対応策についてスタッフとの理解共有が図られた。さらに行内イントラネット上には特設ページが設けられ、COVID19の感染状況に係る最新情報、出張や日常業務にあたっての留意点、スタッフやその家族が心身の健康維持のために活用できる各種サービスに関する情報が一覧性をもって掲載され、随時アップデートされるようになった。しかし、危機の勃発に際してADBがとった対応は、総裁を中心とする経営陣によるトップダウンが始まりではなかった。現場第一線では年が明ける前から、既に危機が察知され、対応策が真剣に議論され始めていた。

写真:ADBスタッフ及び理事会メンバー向けにイントラネット上に設けられたCOVID19に関わる特設情報サイト

3.最前線での動き

(1)中国、武漢の医療物資物流企業への緊急融資

2020年1月23日、中国中部、湖北省東部に位置する武漢は、都市封鎖となった。1,100万を超える人々が自宅から一歩も出られない生活が始まった。全ての交通機関が運行停止となるなか、赤十字からの支援物資、様々な医薬品、及びマスク等を配送するために街中に駆け回る地元企業がいた。九州通(英語名:Jointown Pharmaceutical Group)。農村地区で裸足の医者として草の根医療に関わっていた刘兄弟が1999年に創立した会社だ。国有企業が幅をきかせる中国の医療物流業界において、設立当初から小さな医療機関や薬局にも質の高い配達をしてネットワークを拡大し成長してきた民間企業である。

ADBの民間業務局(PSOD:Private Sector Operation Department)のプロジェクトチームが九州通の武漢本部を訪問したのは2019年11月末。この時は、低温保存が必要な医薬品を保存・配達できる、最新の機能を備えた倉庫や輸送用トラック拡充に必要な設備投資資金の融資を検討するための視察だった。しかし、12月に入り状況は急変する。薬品、マクス、防護服の需要が急増。これらを大量に仕入れるための運転資金が急遽必要となったのだ。しかし、年が明け、都市封鎖が始まると、地元の銀行は機能麻痺に陥った。

ADBの民間企業向け投融資は、長期的な開発効果が見込める案件、民間金融機関では対応が難しい案件を対象とすることから、運転資金の融資は対応したことがなかった。しかし感染症の発火点である武漢で、医療機器や薬剤の物流の要である九州通が資金繰りに行き詰まり必要な医薬品を増え続ける患者に届けることができなければ、犠牲者が増えるだけでなく、感染がさらに拡大しかねない。危機感を共有したADBの担当者は2月3日に九州通から正式に緊急融資の要請を受けてから僅か3週間後の2月20日に1億3千元(約1,860万ドル)の融資についてADBの内部手続きを終え、2月25日には融資調印に至った。前代未聞ともいえるそのスピードは、ADB内部や顧客たる九州通からはもちろん、中国の財政部からも高く称賛された。

スピード融資の実現には、現場と本部の密な連携、そして、ADBの民間向け融資手続きFAST(Faster Approach to Small Non-sovereign Transactions)が一役買っている。2015年3月に5年間の試験運用(パイロット)という位置づけで理事会承認を得て導入されたFASTは、融資は2千万ドル以下、出資の場合は1千万ドル以下の案件であれば、理事会承認は不要、総裁決裁で出融資ができる制度だ。時間との戦いとなる危機時には特に有効なFAST融資制度。しかし、理事会からの合意を得た利用可能な総枠が4億ドル*7であるところ、2020年2月当時、残りは約1.5億ドル、九州通への融資と同程度の案件であれば、残り8件で上限いっぱいという状況であった。

(2)メコン地域流域の地域保健プログラムの展開

2020年1月半ば、ADB本部は1月12日に発生したマニラ近郊のタール火山噴火への対応や、1月16日に予定されていた中尾武彦総裁から浅川雅嗣総裁への交代を控え、あわただしい雰囲気にあった。そんな中、東南アジア地域局(SERD:South East Asia Regional Department)の保健セクター担当スタッフは、「メコン川流域地域保健医療強化プロジェクト(Greater Mekong Subregion Health Security Project)」の内容変更と、追加のグラント資金提供のために、行内関係部局や、プロジェクトの実施主体であるカンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマーの医療・保健関係省庁との協議に追われていた。メコン川流域で隣接する上記4か国の間は、国境を越えた人の往来が頻繁である一方、感染症に関わるデータを隣国同士で共有するメカニズムが不在だった。また、国境付近の地区レベルの病院も人材不足、経営面での能力不足、そして機材の不備といった課題を抱えている。総額125億ドルのローンとグラントをメコン川流域の上記4か国を対象に提供するこのプロジェクトは、こうした課題に対応するために、2016年10月に理事会で承認され、2019年末の段階で実行中であった。

2020年に入り中国でのCOVID19流行が深刻化する中、中国南部雲南省や広西チュアン族自治区から東南アジア全域に陸路で感染が拡大する懸念が現実味を帯びていた。拡大する危機に迅速に対応するべく、当座の措置として、実施中のプロジェクト内容を変更し、対象国の国境をまたぐ検疫体制の強化や検査体制の増強を目指すのが、担当者の狙いだった。併せて、上記メコン川流域4か国に中国南部の二州を加え、第一線で働く医療従事者向けの防護服や検査体制の充実をグラントで支援するべく、追加で200万ドルの技術協力を提供した。この技術協力200万ドルはADBのコロナ対策第一弾として2月7日に対外公表された*8。パンデミック発生の3年前から同地域の複数の国を対象とする保険・医療体制強化プロジェクトを走らせていたことが、危機に際して、迅速かつ的を絞った初動実現につながった。

なお、ここで紹介した二件は、現場での初動のほんの一例である。マニラの本部及びアジア・太平洋地域の途上国の現地事務所に展開している数多くのスタッフが、拡大、深化する危機の兆候を感じ、クライアントである途上国の政府や企業との対話を通じて対応策の準備を始めていた。長年の関係に基づくクライアントとの信頼関係、そして情熱と専門性を傾ける現場スタッフによるボトムアップのプロジェクトのデザインは、危機時におけるADBの有効性を決定づける最大の資産だ。

4.パンデミックの経済影響試算の公表

東大経済学部からアジア開発銀行に移籍し、日本人初のADBチーフエコノミストを務めている澤田康幸教授率いる経済調査・地域協力局(ERCD:Economic Research and Regional Corporation Department)の動きも早かった。COVID19の今後の感染拡大の見通しや各国政府が実施する経済・社会活動への規制の動向等、様々な前提条件が不確実な中、他機関に先駆けて、3月6日には、COVID19の経済影響試算*9を公表した。この試算は、SARS発生時の中国経済の消費動向や東アジア、東南アジア地域の観光客の減少等を参照しつつ、(1)中国からの観光客数の減少、(2)中国の消費減少と、他国への波及効果、(3)中国の投資減少と、他国への波及効果、等を指標とし、その深刻度と危機継続の期間に応じて3つのシナリオを示したものだ。この結果、COVID19がグローバル経済全体へ与える負の影響は770億ドル~3,470億ドル(対GDP比0.1%~0.4%)、中国経済への影響は440億ドル~2,370億ドル(対GDP比0.3%~1.7%)、中国を除くアジア・太平洋地域への影響は160億ドル~420億ドル(対GDP比0.2%~0.5%)との試算が出された。今振り返れば非常に控えめな数値ということになるが、この時の試算は、3つのシナリオのうち最も悲観的な「Worse Case」であっても、「中国の旅行規制と消費減退は6か月後(2020年7月末)には解消」され、「中国以外の国ではCOVID19の劇的な国内流行は起こらない」というSARSのケースと似た状況を前提としたものだった。また、ロックダウンによってサプライサイドが受ける制約や、送金減少についても検討項目に含まれてはいなかった。

他方、本試算は、世界及びアジア地域全体だけでなく、各国別、さらには農業、製造業、観光・サービス業、運輸業等、セクター別にそれぞれのシナリオでどの程度の経済的ダメージが想定されるかを示したという意味で、画期的なものであった。ADBが62か国、35の産業部門をカバーする独自の「国際産業連関表データ(MRIOT:Multi-Regional Input-Output Tables)」を以前より構築していたからこそ可能となった分析だった。そして、この影響試算はその後更新が続けられ*10、ADBが加盟国に提供する財政支援のデザインや、各国との政策対話に活かされていく。

5.激変する外部環境への対応:本部閉鎖とテレワークへの移行

2020年3月11日水曜日、前日にインドネシア、シンガポール、そして日本を回る約一週間の出張からマニラに戻った浅川総裁は、ADB本部一階の講堂にて開催された「国際女性デー(International Women’s Day)」を祝うイベントに参加、100名近く集ったスタッフや理事会メンバーを前に開会のメッセージを発信していた。会場には、ジェンダー平等に向けたADBの取組みをさらに前進させようという高揚感と、約一週間前にフィリピンで初のCOVID19国内感染者が確認されたこと、そしてこの日にWHOがCOVID19を「グローバル・パンデミック」と認定したことに伴う不安感が入り混じっていた。そして、これがADBが2020年に対面で行うことができた最後のイベントとなった。翌3月12日、一週間前にADB本部を訪問していたフィリピン政府職員のCOVID19陽性が判明。本部は館内消毒等のために全面閉鎖となった。週明けには元に戻ることが想定されていたが、その週末にフィリピン政府がECQ(Enhanced Community Quarantine)による首都閉鎖―ロックダウンーを発表した。以来、マニラでの仕事、そして生活環境が激変したことは、前回の寄稿*11で詳述した通りだ。

スタッフの間には動揺が広がった。「空港が閉鎖になるのではないか」、「職を失い食うや食わずになる人々が増え治安の悪化や暴動を招くのではないか」といった噂や憶測が飛び交った。実際この時、フィリピン政府は「72時間以内に国内の全空港を閉鎖する。外国人も含めて一切の移動は認めない」との通達を発出、一部スタッフのパニック的なマニラ脱出を招いた。結局、この通達はその後撤回されたが、前例のない感染症危機を前に、フィリピン政府は朝令暮改を繰り返さざるを得ず、混乱に拍車をかけた。この間、タイミング悪く海外出張からマニラに戻る途中であったスタッフは、世界各地の空港やホテルに長期間足止めを余儀なくされた。ローカルスタッフの多くは自宅のネット環境が十分ではなく、突然「ワークアットホーム!」と言われても対応できない者が多くいた。さらに、マニラの主たる病院が次々と医療崩壊を起こし、新規患者の受入れ停止を公表したことで、スタッフの不安と焦燥は高まるばかりだった。

こうした状況で、浅川総裁がまず取り組んだのが、人心の安定だった。週末返上で練り上げたメッセージを自宅でビデオ収録、週明け月曜日(3月16日)に直ちに配信した。総裁が自らの言葉でスタッフの献身・奮闘に感謝し、不安に寄り添ったこと、そのうえで、「今こそADBの真価が試されているときだ」と鼓舞するメッセージを発信したことは、スタッフにとって大きな意味があった。併せてIT担当局がポケット・Wi-Fiを調達、自宅でのネット環境が十分でないローカル・スタッフを対象に、速やかに配布をする体制を整えた。このように、総裁及びパンデミック危機対応チームは、職員との密なコミュニケーション、様々な状況下にある職員の懸念の丁寧な把握、及び、職員の懸念を和らげるための手当の柔軟化・拡充、各種サービスの提供に注力し続けている(詳細は次号を参照されたい)。

写真:2020年3月、スタッフの不安に寄り添い、その奮闘に感謝、激励するメッセージを自宅から発信する浅川総裁。

また、理事会*12もこの時期から完全にオンラインに移行した。本部が閉鎖されたことに加え、特にヨーロッパの理事会メンバーの多くが、本国にいったん帰国したのち、マニラに戻ることが物理的に不可能な状況にあった。ADBの理事会や非公式理事会セミナー(IBS:Informal Board Seminar)等はこれまで、資料は全て紙で配布され、オンラインでの配信はなく、公式理事会の開始と終了にあたっては、理事会議長である総裁が儀礼用の「木槌(gavel)」で木製のパッドを叩くという、やや古風ともいえる形で展開されていた。しかし、2020年3月12日に、ほぼ全面的な在宅勤務が始まって以降、理事会メンバーの柔軟な対応、及び理事会の運営を取り仕切る官房(OSEC:Office of the Secretary)スタッフの努力のおかげでオンライン形式に円滑に移行していった。理事会のオンライン化に際しての大きな問題は時差への対応であった。これまで理事会は午前10時開始、お昼前に終了というスケジュールで行われていたが、協議の末、欧州の朝、アジアの日中、アメリカの深夜である、マニラ時間午後2時から4時を目途に行うことになった。なお、各理事室メンバーが自由に発言、質疑ができるIBSの議論はこれまで長引きがちであったが、オンライン化されて以降、担当スタッフが事前収録したプレゼンテーションの動画を各理事室が見てから参加することになり、議論が効率化された。

6.グラント資金の動員と医療物資の緊急調達支援

ADB開発途上国がCOVID19感染拡大初期に抱えていた死活的なニーズは、医療防護具や人工呼吸器の調達、検査体制の充実、そして集中治療室の拡充等であったことは、メコン川流域の国・地域を対象とするプロジェクトの内容変更等について紹介した際に既にふれた。例えば約1億600万人の人口を擁するフィリピンでは、2020年4月初頭時点で利用可能な人工呼吸器が国中かき集めても1,263個、重症患者向け集中治療用ベッドは4,300床。医療従事者を守る防護服なども圧倒的に不足していたことは前号で紹介した通りだ。

写真:ADBからのグラント支援を活用してフィリピン政府が2020年4月に急ピッチで進めた軽症者向け病棟の整備事業の様子。スポーツ施設を医療施設に衣替えをしている。

ただし、こうしたニーズを満たすうえで、ローンは金額的に大き過ぎ、また準備に時間がかかり過ぎる。少額のグラント資金の迅速な提供を通じて、途上国政府による医療物資の緊急調達を支援することが切実に求められていた。

こうした状況を受けADBは、自らが管理する特別基金、「アジア太平洋災害対応基金(APDRF:Asia Pacific Disaster Response Fund)*13」を活用して、3月13日にフィリピン、そして同月20日にはインドネシアに、一件当たりの上限いっぱいの300万ドルのグラントを提供した。しかし2020年初の時点でAPDRFの利用可能残金は2、100万ドルにすぎなかったので、300万ドルのグラント資金を7か国に提供すれば、基金が枯渇してしまう状況にあった。これまでAPDFRの財源を拡充するために先進国に資金貢献を求めたことがあったものの、「ドナーが資金を拠出する場合は、その使途について、対象国を絞ったり(例えば最貧国や脆弱国に限る等)、対象とする災害を限定する(例えば自然災害、あるいは感染症危機のみ)ことはできない」との規則がネックとなって、追加の資金を得るには至っていなかった。

このように、ADBのグラントのリソースには限りがある。そこで、2020年3月26日、浅川総裁は「戦略・政策・パートナーシップ局(SPD:Strategy Policy and Partnership Department)」を経由して、「各局は、年初に配分された技術協力のためのグラント資金の半分を、一度SPDに返却せよ」、「返却された技術協力向けグラント資金は、コロナ対策に重点特化する形で再配分せよ」という指令を全行に発出した。結果約1億ドルの技術協力向けグラント資金の半分にあたる5,000万ドルをSPDが回収、その大半を「持続可能開発・気候変動対応局(SDCC:Sustainable Development and Climate Change Department)*14」傘下の保健セクターチームが中心となって展開するCOVID19対応の技術協力・グラント提供プログラム*15に重点投下した。4,600万ドルのグラント資金の受け皿となり、行内で「メガTA」と呼ばれたこのプログラムはその後、各国が医療器具等を調達するためにグラントを提供していくうえで要となる役割を果たした。

ただし、制約もあった。まず、当時世界的に供給不足にあった人工呼吸器や検査キットを調達する際に「ADBのプロジェクトに必要な資機材・サービスの調達先はADB加盟国に限る」とのADBの調達ポリシーがネックとなって、UNICEF(国連児童基金)やUNOPS(国連プロジェクトサービス機関)等のグローバルネットワークを活用して「まとめ買い」をすることができない。また、そもそも技術協力(TA:Technical Assistance)とは、ADBが外部専門家をコンサルタントして雇ってプロジェクト準備やノレッジ・ワークを進めるために活用されるものであることから、その全額を途上国が必要としている物品を調達するために活用することはできない、という点も足かせとなっていた。

7.65億ドルの第一弾支援パッケージの発表と顧客との対話強化

各国にグラント中心の支援を展開しつつ、生活面・健康面の不安を抱えながらほぼ100%の在宅勤務体制に適応していくのと同時並行で、ADBは「65億ドル*16の第一弾支援パッケージ」を3月18日に公表した。ただしこの65億ドルは、(1)2020年に理事会承認を得るべく計画中だったプロジェクトのCOVID19対策への変更、(2)技術協力向けグラント財源を各局から回収しCOVID19対策に集中投下*17、(3)進行中のプロジェクトで生じ得る余剰資金等、をかき集めたものであり、ADBとして追加で資金調達し、COVID19対策のためにバランシートを拡大するものではなかった。また初動の段階で必要性が認識されていた制度・手続きの改善や、新しい融資制度の導入についても、この時点では水面下で準備を進めている段階であった。この点、浅川総裁は、ニュースリリース*18で「ADBは、今後の状況に応じて、この65億ドルのパッケージに加えて追加的な資金支援や政策アドバイスを行う用意がある」と強調、4月13日に公表することとなった200億ドルの包括支援パッケージに向けて布石を打っている。

この時期から、浅川総裁と各国の大臣、首脳、あるいは他の国際機関のヘッドとのオンライン対話が頻繁に行われるようになった*19。先進国の大臣や開発機関のヘッドとのやり取りでは、パンデミックにより甚大な経済・社会・公衆衛生上の被害を被っている途上国に対する支援をパートナーシップを強化して臨むことで一致。また、開発金融機関(MDB:Multilateral Development Bank)とIMFとの間の対話も様々なレベルで頻繁に開催されることとなった。毎年2-3回のペースで行われていた「MDBs総裁会合(MDBs Heads Meeting)」や「地域開発金融機関(RDB:Regional Development Bank)総裁会合」は3月と4月だけで計3回開催。これに加え、各機関の地域局同士が本部及び現地事務所間で連携を強化、さらにリスク管理担当、法務担当、施設・内部管理担当の各機関の責任者たちが、組織管理上の様々な課題や取組みを共有するために対話を密にしたのだった。

途上国の大臣や首脳とのやり取りでは、ADBが迅速に提供したグラント資金により、調達が急務だった医療防護服、人工呼吸器、検査キットの確保、及びCOVID19患者受け入れ病棟の拡充等が実現できたことへのお礼が伝えられるとともに、新たなニーズが具体的に寄せられた。それは、「ロックダウンの影響を最も受ける低所得者への現金や食料給付の拡充、各種減税措置の実施、中小零細企業への運転資金の供給等を展開するための経済対策に必要な資金を、可能な限り迅速に提供してもらいたい」との要望である。しかし、当時ADBはこうした要望に手持ちのツールで答えることが難しい状況にあった。

ADBが途上国政府に対して融資をする際のツールには、主として(1)ソフト・ハードのインフラ整備等を対象とする「プロジェクト融資(Investment Loan)」、(2)相手国政府が事前にADBと合意した法改正や制度改革を実行したことを確認したうえで使途を限定せずに融資をする「政策支援型財政融資(Policy Based Loan)」、(3)事前に設定したプロジェクトの成果指標の達成状況に応じて段階的に融資をする「成果連動型融資(Results Based Lending)」がある。しかし、今回のような危機対応に必要な緊急財政支援には、上記3点のスタンダードな融資制度はいずれも十分に対応しきれない。唯一、「政策支援型融資」のオプションの一つとして、グローバル金融危機直後の2009年に導入された「景気対策支援融資(CSF:Countercyclical Support Facility)」は、厳しい不況に陥った国が景気対策を実施するために必要な資金を、制度・政策改革等の条件を付すことなく、迅速に提供できる。しかし、CSFにも難点があった。それは貸付金利が通常の融資よりも高く、また返済期間も短い*20ことだ。また、こうした条件故、CSFを活用できるのは、一定の信用力、あるいは所得水準に達した国々に限られ、債務持続性に懸念のある脆弱な国々*21は対象外とされていた。

写真:2020年3月、スクリーン越しに一堂に会したMDBsの総裁とIMFの副専務理事。開発金融機関、及びIMF間の協議・連携は、危機を受けてより頻繁且つ多様なレベルで行われるようになった。

写真:総裁室に設けられたスクリーンと向き合いながらインドネシアの財務大臣と協議をする浅川総裁。技術的な問題が万が一発生した場合に備えて、ITDのスタッフが必ず付き添っている。

2020年初から3月末までの3か月間に矢継ぎ早に展開した様々な初動対応で得られたこうした問題意識や、顧客やパートナー機関との多様なレベルでの対話で寄せられた要望は、次号で紹介する200億ドルの支援パッケージの内容に結実していくことになる。

「パンデミック下の途上国支援」シリーズ、第三回目となる次回は、「長期化する危機に挑むアジア開発銀行」とのタイトルのもと、ADBが2020年4月13日に公表した200億ドルの支援パッケージの概要とその展開、長期化する危機への組織経営上の対応を紹介していく。

筆者略歴

2001年財務省入省、主計局、広島国税局等を経て、2008年よりハーバード大学院ケネディスクール留学。公共政策修士号取得。以降、国際金融・途上国開発、国際租税分野等の政策立案を担当。2011年夏より3年間、世界銀行に出向、バングラデシュ現地事務所及びワシントン本部にて開発成果の計測・モニタリングの仕組みの立上げと展開に尽力。

2017年7月にアジア開発銀行総裁首席補佐官に就任。中尾武彦前総裁、浅川雅嗣現総裁のトップ外交、組織経営全般を補佐。

著書「ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ~世界を変えてみたくなる留学~」、「バングラデシュ国づくり奮闘記~アジア新・新興国からのメッセージ~」(共に英治出版)

*1)2020年1月24日、中国政府はツアーによる海外旅行の禁止を発表したが、これは年間1億人近い中国人海外旅行客数の55%をカバーするに過ぎなかった(出典:China Daily, 2020年1月25日版)

*2)出典:World Health Organization Novel Coronavirus(2019-nCoV)SITUATION REPORT

*3)ADB現地事務所:ADBは本部以外に合計42の現地事務所を有している((1)Country Directorを擁するRM(Resident Mission):25拠点、(2)太平洋島嶼国の現地事務所(FO:Filed Office):11拠点、(3)複数の国・地域を担当する地域事務所:3拠点(シドニー、スバ、シンガポール)、(4)主要先進国・地域の連絡事務所:3拠点(東京、フランクフルト、ワシントンDC))。

*4)SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群):2002年11月、中国広東省で非定型肺炎の多発が報道され、2003年3月までに約300名の患者と5名の死亡が報告された。3月5日にはベトナムハノイ市、続いて香港からも同症例の院内感染が集団発生、WHOは3月12日に地球規模で警戒すべき呼吸器感染症として「Global Alert」を発令。SARSの総感染者数は全世界で8,098例、死亡者数は774名(死亡率約10%)にのぼったが、初期報告から約7か月後の2003年7月にはWHOが終息を宣言した(出典:US Centers for Disease Control、厚生労働省)

*5)「パンデミック危機対応チーム」:立上げ当初は、職員及びその家族の健康維持及びADBの業務継続を主たる目的としており、メンバーは議長のOAS首席部長、人事・予算システム局(BPMSD:Budget and Personnel Management System Department)局長、広報局(DOC:Department of Communication)局長、中国を担当する東アジア局(East Asia Regional Department)局長であった。その後、COVID19の感染が世界的に拡大していく中、3月16日より全ての地域局(太平洋地域、東南アジア地域、南アジア地域、及び中央・西アジア地域)の局長、民間業務局(PSOD:Private Sector Operations Department)局長、IT局(ITD, Information and Technology Department)局長、法務顧問(General Council)、及び官房長がメンバーとして加わり、危機下での組織管理と業務展開を綜合的に議論、検討する場となった。

*6)ADB Today:全職員及び理事会メンバーに向けて毎朝メールで発信される行内情報ソース。幹部や理事会の最近の動き、イベントやセミナーに関する情報、人事異動に関する告知や、職員全般へのお知らせが掲載される。

*7)2015年の導入当初2億ドルとされていたFASTの総枠は、理事会の承認を経て、2018年に3億ドル、2020年の1月に4億ドルに引き上げられていた。

*8)出典:ADB Initiates Coronavirus Response, News Release | 7 February 2020

*9)ADB Brief No.128, March 6 “The Economic Impact of the COVID-19 Outbreak on Developing Asia”

*10)2020年5月15日に更新・公表した試算では、COVID19が世界経済に与える経済損失は5.8兆ドル~8.8兆ドル(対GDP比6.4%~9.7%)、アジア・太平洋地域の途上国については1.7兆ドル~3.5兆ドル(対GDP比6.2%~9.3%)とされており、3月初旬時点の試算から大幅に増額修正された。2020年12月に再度更新・公表した試算では、以下の通り、上述の見通しが若干下方修正された。

・世界経済の損失見込み額:4.8兆ドル~7.4兆ドル(5.5%~8.7%)(2020年)、3.1兆ドル~6.3兆ドル(3.6%~6.3%)(2021年)

・アジア・太平洋地域の損失見込み額:1.4兆ドル~2.2兆ドル(6.0%~9.5%)(2020年)、0.8兆ドル~1.5兆ドル(3.6%~6.3%)(2021年)、3.1兆ドル~6.3兆ドル(3.6%~6.3%)(2021年)

・アジア・太平洋地域の損失見込み額:1.4兆ドル~2.2兆ドル(6.0%~9.5%)(2020年)、0.8兆ドル~1.5兆ドル(3.6%~6.3%)(2021年)

*11)詳細は「パンデミック下の途上国支援~其壱:マニラの最貧地区でコロナ禍を生きる人々の苦悩と挑戦~」(ファイナンス2021年4月号)を参照されたい。

*12)理事会:ADB加盟各国の代表(総務:通常は財務大臣あるいは中央銀行総裁)の代理として、ADB本部に常駐し、ADBの投融資や政策の承認等を担う意思決定機関。理事会では12名の理事が、理事代理及び理事補のサポートを受けつつ、単独、あるいは共同でそれぞれの議案への意見と賛否を発信する。なお、国連機関と異なり、ADBの意思決定は、一国一票ではなく、出資比率に応じて各国に配分される投票権をベースに行われる。

*13)APDRF(Asia Pacific Disaster Relief Fund):激震災害に見舞われたADB加盟途上国を対象に、グラントを迅速に提供するために2009年に立ち上げられた特別基金。所得水準に関わらず全ての途上国が対象となる。一か国への支給額の上限は300万ドル。支援を受けるには(1)当該国による国家非常事態宣言等発令、(2)自らの力だけでは対応できない緊急事態に見舞われていることの内外への表明、及び(3)国連による緊急事態の発生の認定、の3点を満たす必要がある。

*14)SDCC(Sustainable Development and Climate Change Department):JICAの課題部、世界銀行のGlobal Practiceに相当する部局であり、ADBのオペレーション担当部門、途上国政府、及び世界全体に対して、各分野ごとの最新の知見を提供する役割を担っている。SDCCの傘下には7つのセクター・グループ(教育、エネルギー、金融、保健・医療、運輸・交通、都市、水)、9つの横断的なテーマ・グループ(気候変動・災害リスク管理、環境、ジェンダー、ガバナンス、官民連携、地域統合・協力、農村開発・食料安全保障、社会開発、デジタル技術)がある。

*15)正式名称はTA-9950 Regional Support to Address the outbreak of Coronavirus Disease 2019 and Potential Outbreaks of Other Communicable Disease.

*16)65億ドルの内訳は、政府向け(Sovereign Operation)46億ドル、中小零細企業支援を中心とする民間企業向け(Non-Sovereign Operation)16億ドル、そして医療機器等の購入のための技術協力やグラント資金の提供4,000万ドルとなっている。

*17)上記2-(4)で触れた通り、回収した技術協力グラントは、SDCCが管理する4,600万ドルのメガTAが受け皿となった。

*18)出典:ADB News Release | 18 March 2020, “Announces .5 Billion Initial Response to COVID-19 Pandemic”

*19)浅川総裁が2020年3月半ばからの約一か月でオンライン面会を行った大臣、首脳等は以下の通り。ヴェトナム財務大臣(3/20)、インドネシア財務大臣(3/24)ヴェトナム中銀総裁(3/24)、カザフスタン経済大臣(3/25)、ジョージア財務大臣(3/25)、英国DFID担当大臣(3/26)、フィリピン財務大臣(3/27)、ウズベキスタン財務大臣(4/1)、フィジー経済大臣(4/2)、キルギスタン大統領(4/3)、ジョージア首相(4/8)、インド財務大臣(4/9)、タイ財務大臣(4/17)、中国財務次官(4/21)、パキスタン経済大臣(4/24)、フランス開発庁長官(4/28)、ネパール財務大臣(4/29)

*20)ADBの通常資本財源(Ordinary Capital Resources)を原資とする一般条件のPBLの金利は6か月Libor+50basis point、金利・元本の返済猶予期間は3年、ローンの返済期間が15年である一方、CSFの金利はLibor+200 basis point、金利・元本の返済猶予期間は3年、ローンの返済期間は5-8年とされている。

*21)ADBは(1)債務持続可能性を含む信用力(Creditworthiness)がLack, Limited, Adequateのいずれの程度か、(2)一人当たりのGNI(Gross National Income)が1,185ドルを超えているか、(3)国連のLDC(Least Developing Country)のカテゴリーに当てはまるか、の3つを基準に、途上国をGroup A, B, Cの三種類に分類している。信用力に欠ける、あるいは一人当たりの国民所得が低い国や脆弱国等(Group-Aの18か国:アフガニスタン、モルジブ、タジキスタン、太平洋島嶼国等)はCSFにアクセスができない。