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巻頭言:近代日本を築いた創造的対応

法政大学大学院教授・一橋大学名誉教授 米倉 誠一郎

時代変化に対応する仕方には、「一般的な順応」と「ええっ!と驚くような創造的対応(creative response)」の二種類があるといったのはヨゼフ・シュムペーターだ。2017年に『イノベーターたちの日本史:近代日本の創造的対応』という本を書いた。学生たちから、「日本人はクリエイティブではない」などという戯言(たわごと)を聞くからだ。「何を言うか、日本人は超が付くほど創造的だった」との思いを込めた歴史書だった。

日本近代史でもっとも創造的対応だと考えられるのは、明治初期に大隈重信たちが断行した秩禄処分だ。

国家の信用と秩禄処分

大隈重信は、維新後外務官僚から財務官僚になり、最終的には政治家になった人物だが、明治初期は横浜で外国商人を相手に通商交渉を行っていた。濫発された太政官札(不換紙幣)や悪鋳小判などへの対応を巡って大隈が一番苦労したのは、彼らが財政基盤の脆弱な明治政府を信用していない事実であった。

列強諸国に万邦対峙たるには、兌換可能な独自通貨と強固な財政基盤が必要であった。しかし、明治政府にはその財政基盤が確立していなかった。廃止したはずの士族に賃金(秩禄)を支払い続け、それが財政支出の三割にも達していたからである。徳川幕府を打倒した主体は下級士族であり、新政府において彼らは封建制の遺物ではなく倒幕の同志であった。彼らを無碍に切り捨てれば士族反乱を惹起し、その内乱に乗じて列強諸国の植民地化を招きかねなかったのである。

大蔵卿に転じていた大隈は内憂外患の中で、穏便に秩禄を処分する方法を考えた。そこで思い至ったのが、士族の身分を買い取る案であった。といっても、新政府に金があるわけではない。6年分の年俸に年利4~7%をつけた金禄公債すなわち紙を発行して身分を買い取ったのである。これが1876(明治9)年に断行された秩禄処分であった。

驚異の補完的政策:身分を資本に、サムライを企業家に

維新政府の創造的対応は「身分の有償撤廃」にとどまらず、発行された金禄公債をさらに銀行資本に転化させるという驚きの展開に至った。伊藤博文は欧米視察の際に、米国では南北戦争によって濫発された不換紙幣整理のために国立銀行(いわゆるナンバー・バンク)が設置されたことを知る。帰国後の伊藤の進言によって、明治政府も全国に153の国立銀行を設立して不換紙幣整理・兌換制度確立を敢行したのである。大隈たちはこの銀行設立に関して秩禄処分で発行された金禄公債で出資することを可とした。今度は、封建身分を買い取った紙をベースに銀行と近代資本を整備するという画期的アイデアを思いついたのである。

同時に、士族の新たな生計を支援する士族授産政策の中で、金禄公債を担保に資金を融資する士族授産金も用意した。志ある士族は授産金を利用して電灯事業、紡績業、窯業など近代産業創出に取り組んだ。サムライたちは紙を通じて新しい産業を創りだす今でいうファースト・ペンギンになったのである。嗚呼、これを創造的といわずして何を創造的というのか!

コロナ禍にあって、マスク配布などは分かり易い政策対応だったが乗数効果は低い。マスクの産業連関は、ガーゼ、ゴムひも、ビニール包装紙など狭く低付加価値だからである。もし、今後の遠隔授業やICT教育普及を考えて、超前倒しで日本の全中学生約322万人に1万円のタブレットを配ったとすると322億円。マスクにかけた費用が466億円だったすれば、残りの144億円をWiFi環境整備にも使えたはずである。タブレットの産業連関は広く、半導体、ディスプレイその他たくさんの電子部品やソフトウェア開発などに及ぶ。

政策立案にあっては、大衆迎合よりも産業連関を考えた上で、未来に向けて創造的であって欲しい。