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職員トップセミナー(小林 喜光氏、令和2年10月21日開催)

講師 小林 喜光氏(株式会社三菱ケミカルホールディングス取締役会長)

演題 地球と共存する経営

令和2年10月21日(水)開催

1.はじめに

みなさんこんにちは。小林です。

私は2007年に社長を拝命し8年ほど務め、現在、会長として6年目になります。この十数年の経験を踏まえて、日頃考えてきたこと、日本の民間企業のマネジメントが考えていること、その一部を少しでも知っていただければという思いでお話しします。

本日の講演は「地球と共存する経営」という大きなテーマを掲げていますが、これは2011年の暮れに出版した本のタイトルです。企業価値を考える場合、時価総額とROE(自己資本利益率)で表現される資本効率だけ見ていればよいとは思いません。ESG(Environment、Social、Governance)あるいはSDGs(Sustainable Development Goals)なども重要です。また、企業の利害関係者は、必ずしも株主だけではなくて最終的には地球です。地球が滅んでしまったら、国家も産業も成り立たないわけであって、人類はそのぎりぎりのところまで来ているのではないか。これは100年も前からヨーロッパを中心に言われ続けてきたことです。我々三菱ケミカルホールディングスとしても、現在、盛んに言われている二酸化炭素の問題、海洋プラスチック問題、食糧問題、水の問題などに直接関わっています。

かつて1950年代には、化学は公害の別名とされ、化学会社は学生に人気がありませんでした。しかし、現在ではそういう産業だからこそ今やソリューションを提供する「Solution Provider」たり得るだろう、そういう思いで「地球と共存する経営」という本を出版したわけです。

本日は、大きく4つの項目に分けてお話いたします。

1つ目は「不確実な世界にどう向き合うのか」ということです。

この新型コロナウイルスの感染拡大がはじまる前から、不確実な時代に我々は生きているのだと言われておりましたが、時代はまさに革命期にあるというお話をします。また、今年、世界に猛威を振るっているパンデミックによって、デジタル化やバーチャルな部分の拡大が加速して何をもたらしたのか、さらに、最大のキーワードである「サステイナビリティ(持続可能性)」についてお話しします。

2つ目は「企業価値の創造に向けた実践」です。この時代に民間企業はどういう価値をつくっていくべきなのか。時価総額が一番わかりやすい企業価値なのかもしれませんが、それだけでよいのか。我々企業が企業価値をどう考えるのかについてお話しします。

ところで、自動車会社ならひとつのエンジンと4つの車輪を持つ乗り物、ビール会社なら約5%のアルコール水溶液など、何を作る会社なのか明快ですが、化学会社は何をしている会社なのかわかりにくい。真っ黒になってコークスを作っている社員もいれば、クリーンルームの中で真っ白な薬を作っている社員もいる。このような企業をまとめるコンセプトとして、私は「快適を社会にサプライする企業体」と整理して「KAITEKI経営」という言葉を使っています。アルファベットを使っているのは、「KAITEKI」を世界語にしたいという思いからです。

3つ目は「企業価値の新しい潮流」です。今、ESG投資が2割から3割という時代になっています。企業価値はどういう方向に進んでいくのかということについてお話しします。

4つ目は「日本の国家価値と日本企業の進路」です。新しい企業価値を敷衍した国家価値とは何なのか。これについて4年にわたり経済同友会で代表幹事を務めた時に議論したことや、今後の日本企業はどのような進路をとるべきなのかについてお話しします。

2.「不確実な世界にどう向き合うのか」

1.革命期にある現在

(1)今の時代をどう見るか

私は、現代がおそらく人類が今まで経験したことのない大革命期に入ったと思っています。「サピエンス全史」の著者として有名なイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは2018年のダボス会議で「デモクラシー(民主主義)は大変な危機に瀕している。中国を代表とするデジタル・ディクテータシップ(独裁)にどう対峙していくのか。キャピタリズムはデータを握る一握りの人間に支配されるデータイズムに代わり、富はGAFA(米国の主要IT企業4社)のようなプラットフォームを支配する一握りの人間に集中して、ミドル・クラスのほとんどは『ユースレス・クラス』という無能な集団に位置付けられる」ということを言っています。そして、今でこそインクルーシブ(包括的)と言われているが、これからは分断されてエクスクルーシブ(排他的、独占的)な社会になり、グローバルなマルチラテラリズム(多国間主義)がユニラテラリズム(一国主義)になるといった現象を例示して、「このままにしておくと、世界はディストピア(反理想郷、暗黒社会)になってしまう」と警告しました。ではどうしたらいいのでしょう。「AIが生み出すこうした状況は『ユースレス・クラス』を生み、経済的にはベーシックインカムに象徴される分配が重要だろう」ということを彼は言いたかったのかもしれません。

ハラリは2020年のダボス会議で「B*C*D=AHH!」(生物学の知識×演算能力×データを=人間ハック能力)、すなわち「コンピューターとバイオサイエンス、それにプラスしてデータを集積していくと、人間自体がハックされてしまう。アルゴリズムとデータがすべてを制する」と極端なことを言って議論を呼んでいます。

これに対抗するようにドイツの哲学者である新実存主義のマルクス・ガブリエルは「基本的にそういったものは人間そのものとは別だ」と主張しています。

また「The Second Machine Age」(2014年)等の著作があるマサチューセッツ工科大学のアンドリュー・マカフィーは「More from Less」(2019年)という著作において「これまで人類は化石燃料をひたすら燃やし、いろいろなものをひたすら生産、消費し続けてきた、いわばMore from Moreだった。しかし、今やネットとテクノロジーによって、たくさんのエネルギーを使わなくても多くのWell-being(幸福、満足)を得ることができる」と言っている学者もいます。そのほか、ジャック・アタリのように利他主義を唱える学者もいます。

面白いなと思うのはダニ・ロドリックという政治経済学者が、「グローバリズム」、「国家主権」、「デモクラシー」という3つの同時追求は不可能であり、この3つのうち2つしか実現できないと主張していることです。例えばEUの統合プロセスでは「国家主権」は一部収縮しますし、中国やシンガポールは民主主義を犠牲にして「グローバリズム」、「国家主権」を前面に出してきます。イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ大統領によるアメリカオンリーの政策は「グローバリズム」を犠牲にします。

こういう議論の中で、日本は「グローバリズム」、「国家主権」、「デモクラシー」の3つを中途半端ながらうまくバランスを取っているのではないかと思います。

(2)「グレート・リセット」

AIとバイオと量子コンピューターテクノロジーが進歩する中で、どういう方向性を目指すべきなのか、ダボス会議の主催者であるクラウス・シュワブが最近一つのヒントを提示しています。シュワブは、この「グレート・リセット」の時代に、特にパンデミックという危機から見えたことをベースにして考えるべきは公平性だろう、だからこそ第4次産業革命(日本ではソサエティ5.0)を加速しなければいけないだろう、米中対立がある中で国際協力をどこまで推し進めることができるかが課題となると提言しています。

2.パンデミックがもたらしたもの

(1)茹で蛙に蛇を

このパンデミックによって日本はどうなったのでしょうか。私は4、5年前から日本は「茹で蛙」の状況を呈していると考えています。GDPもこの10年間フラットな状態であり、新しい産業も出てこない、このままでは茹で上がって死んでしまうという危機感をずっと発信してきました。

蛙の天敵である「蛇」はなんでしょうか。ひとつは、私が東芝の社外取締役で取締役会議長を務めた経験からすると、アメリカやヨーロッパの一部の機関投資家やアクティビストだと思います。日本の生ぬるい資本効率、黒字でさえあればよいだろうという程度の意識でいる日本の経営者を目覚めさせることが必要だと思います。もうひとつは、「ファースト・ペンギン」たりうる若者、あるいは社内でも若くて元気な人間です。AIや機械学習、ベンチャーを興そうという若者が東大を中心に相当数出てきています。

私は「蛇」になれるのはこの2者しかいないと思っていたのですが、気が付いたら「蛇」は新型コロナウイルスだったというわけです。

(2)デジタル化加速とサプライチェーン改革

新型コロナウイルスでデジタルトランスフォーメーションが一気に加速しました。オンライン診療や遠隔教育、WEB会議といったものです。今後、全部がそのままではなくハイブリッド化していくとしても、新型コロナウイルスのインパクトとして、日本が他の国よりもデジタル化が遅れていたことに気付かせてくれました。

ヨーロッパでは14世紀にペストが流行し、半分近くの死者が出た結果、15~16世紀にルネッサンスが花開いたように、日本は新型コロナウイルスをきっかけに「デジタル・ルネッサンス」を目指すくらいの気概が必要だと思います。

パンデミックによって加速されたものがデジタル化だとすれば、変革が求められるようになったものはサプライチェーンです。米中の対立などもあって、サプライチェーンを相当変えていかなければならなくなりました。新型コロナウイルスはデジタル化の加速とサプライチェーンの変革、この2つにとっての「黒船」になったのだと思います。

(3)新型コロナウイルス発生前後における時価総額の動き

この30年間の株式時価総額世界上位10社の変化を見てみると、30年前は上位10社のうち7社が日本企業でしたが30年経って気が付いたらGAFAとマイクロソフトだけで東証一部上場の全企業を合わせた時価総額(約630兆円)を超えてしまっていることです。個別にみてみますと、新型コロナウイルスの発生によって東証一部上場企業の時価総額は1割以上下がった後若干戻してきてはいますが、GAFAやマイクロソフトといった分野の時価総額は、コロナ禍で明らかに伸びています。そして、テスラがトヨタの、ZoomがIBMの時価総額を抜くなど、バーチャル系のビジネスがこの半年で大幅に伸びてきています。

(4)モノからコトへ(リアルとバーチャル)

明治以来の殖産興業、富国強兵を支えてきた「重さのある」経済から、医薬品のようなマイクログラム(㎍)単位の経済になり、いずれバーチャル、サービス業に代表される「重さのない」経済へと移っていく、これは我々が日々実感しているところです。

この「重さのある」経済から「重さのない」経済への変化をわかりやすく示すため、高校で習う複素数「a+bi」に例えて考えるとわかりやすいと思います。ここでは、aは「モノ、物質」(atom)、biは「コト、情報」(b:bit、i:internet/ intangible)を表すこととしましょう。例えば、トヨタはこれまでの「モノ」の分野から、サンフランシスコに人工知能の研究所を作ったように「情報」のAI分野へ進んでいく、グーグルは逆に「情報」から「モノ」である自動車産業へ、というように相互乗り入れの時代が来たというものです。

日本は、サイバーフィジカルシステムという形で、こうした相互乗り入れには強いと思います。GAFAなどのプラットフォーマーはインターネットの世界単独で勝負してきたのですが、それに対して日本は「モノ」の情報、正確なデータがたくさんあるので、「モノ、物質」(a)と「コト、情報」(bi)をうまく組み合わせるサイバーフィジカルシステムで今後リカバリーショットを打つべきと言われています。有形資産を中心とした「モノ」の時代の時代から無形資産を中心とした「コト」の時代へ、その先は人々のWell-beingである「ココロ」にまで入っていく、そういう時代が来ているのではないでしょうか。

(5)GDPの限界

GDPという計測の尺度は20世紀の大発明であることは間違いないのですが、私は、GDPは本当の経済活動を正しく表しているのだろうかという問題意識を持っています。GDPはバーチャルな部分を完全にはカウントできていないのではないかという疑問です。かつて数千万円、あるいは1億円もするようなコンピューターが、今や人々のポケットの中に10万円以下のスマホとして入っています。人々が得ている基本的な価値、ユーティリティー、効用がとても上がっていることをどう捉えるのかは我々にとっては大変な関心事です。GDPに消費者余剰もカウントすることが本当のメトリックだと思います。

日本では、1990年から2020年までGDPはほとんど飽和していますが、本当に人々のWell-beingは飽和してしまったのでしょうか。本当にローレンス・サマーズのいう「長期停滞(Secular Stagnation)」の時代に入っているのでしょうか。リアルの部分はもう飽和しているけれども、バーチャルな経済はどんどん進化していて、それをカウントできていないだけなのではないかという気がします。

発展途上のアジアの一部の国では、GDPが上がれば人々のWell-beingも上がっていくわけですが、ある地点を超えるとGDPがいかに上がろうともWell-beingは横ばいとなります。私は、GDPの計測の尺度についてもう少し議論が必要だという問題意識を持っています。

3.持続可能性をめぐる現状

(1)二酸化炭素排出量の推移

世界の二酸化炭素の排出量は、今や毎年300億トンという事態になっています。

世界銀行やIMFは、新型コロナウイルスの影響で2020年はGDPが前年比4%~6%減少すると予測していますが、大変な経済的ダメージを受ける割には、2020年の世界の二酸化炭素の排出量は前年比8%しか減少しないとIEA(国際エネルギー機関)が予測しています。これほどのリセッションに近い経済状況になっても二酸化炭素排出量は思うようには減りません。温暖化対策の新しい枠組みであるパリ協定(2016年11月発効)をベースに議論すると、2030年時点において、世界の平均気温上昇幅を産業革命以前に比べ2度に保つためには、毎年7.6%ずつ二酸化炭素排出量を減らしていかなければならないのですから「2050年に 温室効果ガス80%削減」という日本の目標実現とか「ビヨンド・ゼロ(フローの排出量をゼロにするだけでなく、過去に排出されたストックとしての二酸化炭素についても削減)」というのは大変なことなのだという実感を持たなくてはなりません。

今や財政がこれだけひっ迫している中で、この20年~30年間に発生が懸念されている首都直下型地震や激甚化する他の災害に対して、次から次にお金が必要となるという意味においては、かつてのEvidence-based Policy Making(証拠に裏付けられた政策形成)もよいけれども、同時にForecast-based Policy Makingも必要なのではないでしょうか。

(2)革新的環境イノベーション戦略

二酸化炭素というのは石炭や石油を燃やすことで発生するだけではなくて、農業由来のものもあるので、単純に二酸化炭素を減らすだけで本当によいのかということも考えるべきだと思います。

そうであれば、脱炭素とか、低炭素という発想では足りないのであって、人間の文明によって作り出された二酸化炭素をもう一度カーボン源に戻す「カーボンリサイクル」というコンセプトが注目されてきています。2020年に国の方でも革新的環境イノベーション戦略がまとめられました。

「カーボンリサイクル」は日本が技術的にも進んでいます。具体的にはCCUSという、二酸化炭素(Carbon)を回収する(Capture)、それを利用する(Utilization)、あるいは貯留する(Storage)、ということを推進していく技術です。さらに極端なことを言えば、DAC(Direct Air Capture)という、空気中に出た二酸化炭素を何らかの技術で圧縮して地中に埋め込むか、水素を使って二酸化炭素を還元して炭化水素にする。このようなことをやっていかないと、地球はもたないことを真面目に考える必要があると思います。

3.企業価値の創造に向けた実践

1.「KAITEKI」経営

2つ目の項目「企業価値の創造に向けた実践」についてお話しします。

私が十数年経営を預かって、ずっと考えてきたのが三次元経営というものです。普通の人間でも、アスリートでも、強い者は心も強く、体も大きく、技術もある「心・技・体」が基本です。そういう意味では経営と国家運営は似たようなところがあると思うのですが、特に経営ですと、「体」の部分に当たるのがManagement of Economics(MOE)です。すなわちROEに象徴される資本効率でして、どれだけ稼ぎ、稼いで税金を払うかが経営のX軸です。

儲けること、そして株主に報いることが企業の基本かもしれませんが、これだけではないだろうと思います。やはり、あるイノベーションを創出して価値を生みだす必要があります。そういうManagement of Technology(MOT)が経営のY軸です。この部分もしっかり考えていかなければいけません。

X軸の部分である利益や資本効率といったものは、四半期あるいは月ベースで明確に数字として出てきます。これが基本となって株主価値・時価総額というものが決まるわけですが、本当にそうなのでしょうか。

GAFAなど期待値ビジネスとかプラットフォーマーについて、経常利益と時価総額との関係をプロットしてみると、全く相関がないのです。例えばアマゾンは4、5年前まで赤字でしたが、それでも時価総額は高く、テスラもここ数年でようやく黒字化し、それほど高くはない利益しか生んでいませんが、将来価値が評価されて時価総額がとても高くなっています。

Z軸は、二酸化炭素の問題や海洋プラスチック問題、食糧の問題、水の問題を含めて、企業活動そのものが社会に役立つようにしていく、すなわち、Management of Sustainability(MOS)です。

資本の効率化を重視する経営(X軸)、イノベーション創出を追求する経営(Y軸)、そしてサステイナビリティの向上をめざす経営(Z軸)の三次元で織りなすベクトル、これこそが企業価値であると思って経営をするべきではないかと思います。2011年からスタートさせています。

日本の化学産業は1950年代、60年代に環境を著しく汚したpollution sourceでした。そういう時代から、真摯な反省の下、solution providerとして環境の改善に取り組んでいます。例えば、福岡県北九州市の洞海湾は、1960年代には硫黄や硫酸で海の色が黄色でしたが、今はきれいなブルーです。四日市も、かつては化学工業などの産業が空を汚したことが原因で四日市ぜんそくが惹起されましたが、今は蛍が一部舞っているというくらい空気がきれいになっています。あるいはこの分野のキャパシティ・ビルディング(能力構築)のため、化学工業界全体が中国も含めたアジア諸国に技術協力を行っています。

二酸化炭素の排出を減らすだけではどう見ても計算が合わないのであれば、植物の光合成のまねごととか、あるいはいろいろな触媒を使うとか、出してしまった二酸化炭素を戻す、そういう作業も重要だと思います。

2.企業活動の判断基準

私は、13年前社長になった2007年に、企業活動の判断基準を作りました。従来の生産部門については儲けを重視して考えるけれども、新たに進める研究開発の事業化については「Sustainability(環境・資源)」「Health(健康)」「Comfort(快適)」の3つのどれかに貢献するものにしていこうという基準です。この3つをメインに、8つのテーマで事業開発を進めてきました。

例えば軽量化部材です。自動車や飛行機を軽くすることでガソリンの使用量が減りますので、炭素繊維やコンポジット材料の開発に取り組んでいます。開発研究に着手してから40年経っていますが、いまだに赤字と黒字を繰り返しています。この8つのテーマの中で唯一儲かっているのは、リチウムイオンバッテリーの電解液や負極材です。

Sustainabilityをベースとした8つのテーマは、13年経ってもほとんどが赤字で苦しんでいる、そういう類のものだということを理解していただければと思います。

LEDにも使われているガリウムナイトライドは、5Gや6Gの新しい通信の素材、半導体ですが、これも毎月2億円の赤字で十数年間やっています。それから、現在、海洋プラスチックごみが問題になっていますが、植物由来ポリマー、生分解性ポリマーという海水の中で1、2年したら消えてなくなる樹脂がありまして、これも30年間研究開発をして2万トンのプラントがずっとアイドリングして3,000トンしか売れなかったのですが、ここへ来て急に海洋プラスチックごみで脚光を浴びたら、もう2万トンでも足りないぐらい急激に売れ出しました。研究開発とかイノベーションというものは、バーチャル系は短い時間でものになりますが、素材や製造業は最低10年間かかります。ですから、儲かればいいということでしたら、こういう研究開発はやらないのにこしたことはないのですが、将来を考えると、こういうところにどういう配分をしてお金を使うかが非常に重要です。これは、国も全く同じだと思います。

案外知られていませんが、プラスチックごみ問題に対応するため、世界の代表的な化学会社とプラスチックを使う側の会社とが、「Alliance to End Plastic Waste」というアライアンスを組んでいます。そのアライアンスのExecutive Committee Member企業は5.5億円×5年の会費と5年間で40億円の開発投資という多額の資金を使ってプラスチックごみ問題に取り組んでいます。三菱ケミカルホールディングスもExecutive Committee Memberとなっています。

3.The Global KAITEKI Centerの設立

「地球快適化インスティテュート」という新たな組織を2009年に立ち上げ、サステイナビリティの分野で先進的なアリゾナ州立大学と連携して、2019年4月に同大学内に「The Global KAITEKI Center」を設立いたしました。先程、「KAITEKI」というスローガンをアルファベットにした意味をお話ししましたが、ようやく「KAITEKI」を世界語にすることへのスタートを切ることができました。「The Global KAITEKI Center」では、「未来社会における事業の価値の可視化」「化学産業へのCircular Economy概念の導入」「食品廃棄物の削減」「都市の熱マネジメントと材料開発」といった議論をしています。

また、当社では、2050年の目指すべき社会を念頭に、MOS視点で社会課題・環境課題解決のために取り組むべき事業領域を抽出し、今年と来年、しっかりした地域経営計画を作るための作業をしています。いわばSustainability and Health for Human Well-beingというコンセプトを基に、グリーンハウスガスの低減、そしてカーボンリサイクル、水の純化、ヘルスケア、デジタルの基盤を中心に議論しています。

4.ポートフォリオトランスフォーメーション

ここまでManagement of Sustainabilityに関するお話をいろいろしてきましたが、ではManagement of Technologyの部分についてはどう考えていけばよいのでしょうか。石油化学や石炭化学、鉄鋼の会社も、アフターコロナの時代においては、明らかにデジタルトランスフォーメーションをベースにしてポートフォリオトランスフォーメーションをしなければいけないのであり、最近ようやく尻に火が付いた状態になってきています。

経営というのは新陳代謝、ポートフォリオトランスフォーメーションそのものであるというのが私の実感です。「新しく生む部分(次世代事業)」「とても成長していてそこに投資する部分(成長事業)」「儲けてはくれるが、明日がない部分(キャッシュカウ事業)」「全くの赤字が何年も続いて、いかにEXITしていくかという部分(撤退)」という4象限をしっかり管理して、それを回していくことが必要です。石炭化学や石油化学は非常に重要な産業でしたが、こうした二酸化炭素を大量に排出する事業からいかに果敢に撤退するかということと同時に、一方でサイバーフィジカルシステムをどう取り込んでいくか、このダイナミズム、新陳代謝がやはり経営の最も重要な部分だと思います。

4.企業価値の新しい潮流

企業価値の源泉が、有形資産(工場設備等)から無形資産(人材、技術、ノウハウ、ブランド等)に変わってきていますが、日本はまだ遅れていると思います。アメリカでは1990年代から無形資産と有形資産への投資が並行的に行われ、現在は無形資産への投資が中心です。ESG投資については、マーケットに9,800兆円のお金があるとしたら、株としてのESG投資は日本の場合2,000兆円ぐらい、すなわち20%~30%くらいのマーケットバリューを占めています。

企業の価値というものは、ROE、無形資産、そしてESG、この3つのファクターの重み付けをしたもののベクトル、集合体ではないかと考えています。GAFAの高い時価総額の背景には無形資産に対する期待があるわけです。無形資産やESGをどう具体的な価値にするかという問題については、ヨーロッパの総合化学メーカーや自動車部品メーカーなどで組織する「Value Balancing Alliance」に当社も参画し、非財務の部分を数値化し、新たな企業価値算出方法を確立するための作業に取り組んでいます。

5.日本の国家価値と日本企業の進路

1.三次元で国家価値を測る

国家価値も企業と同じような解析ができないでしょうか。GDP、共有経済、循環経済その他の諸々のファクターを取り込んだ人々のWell-beingとお金の関係をX軸、テクノロジーをY軸に、サステイナビリティ、すなわち財政あるいは社会保障、教育、人口問題、エネルギー問題等々をZ軸として、三次元で国家価値を測ることができると思います。

2.令和日本の針路

この30年間、日本のGDPはほとんどフラットになってしまいましたが、内閣府の調査によると国民の大多数が現在の生活に満足してしまっています。現在の生活にどうして満足なのでしょうか。そうした中で世界の競争力ランキングを見ると、日本はどんどん下がってきています。本当にこれでいいのでしょうか。

Data Free Flow with Trust(信頼性のある自由なデータ流通)やTPP、RCEPといった経済連携分野において、日本は今非常に良いポジションを獲得しているわけですから「Global Agendaの深刻化(気候変動とかエネルギー・水・食糧・感染症等)」、「対立や障壁の拡大」、「理念の乱立」が進む中で、日本は世界の調整役を目指すべきではないでしょうか。令和の英訳は「Beautiful Harmony」であると言われていますが、私はむしろ「令」を律令の令、つまりコードと捉え、世界のコードをハーモナイズ(調和)する、そういう調整役を目指してほしいと思います。

日本は極めて俊敏さに欠け、総花主義、自前主義、横並び主義、似非(えせ)グローバル主義、事なかれ主義、妬み嫉みの社会です。こういう社会から脱却しない限りは世界の中では勝てません。そのための最後の原動力は国民の「ガッツ」であり、「知的ハングリー精神」です。これをどうやって取り戻していくのかが課題だと思います。

不条理なパンデミックが引き起こした大きな行動変容を引き金にして、コロナ以前に立ち戻るのではなく、「不条理」から「『非』条理」へ、単なる演繹的な条理という時代ではなくて、少し飛び越えた不連続な対応ができるような、そういう風土をどうやって作っていくかということが今の日本には求められている気がします。

講師略歴

小林 喜光(こばやし よしみつ)

株式会社三菱ケミカルホールディングス取締役会長

東京大学大学院 相関理化学修士課程修了。ヘブライ大学(イスラエル)物理化学科、ピサ大学(イタリア)化学科留学。1974年三菱化成工業株式会社入社。2007年株式会社三菱ケミカルホールディングス代表取締役社長。2015年、同社取締役会長に就任(現職)。2015年4月から2019年4月まで経済同友会代表幹事。総合科学技術・イノベーション会議議員、規制改革推進会議議長などを歴任。

著書に「地球と共存する経営―MOS改革宣言」(日本経済新聞出版)、「KAITEKI化学 サステイナブルな社会への挑戦」(CCCメディアハウス)など多数。