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新々 私の週末料理日記 その42

11月△日三連休の中日

今日は三連休の中日だが、何の予定もないので、朝起きるととりあえず散歩に出た。歩きながら、先日尊敬する先輩とお話した折に、「インターネット社会は人間を馬鹿にする」とおっしゃっていたことを思い出す。会食の席でもあり、すぐ次の話題に移ったのでその具体的な意味をおたずねする機会がなかった。

あれこれ考えてみると、インターネットの利便性が人間をお手軽志向にしていくということかと思う。何かを知りたいときに、スマートフォンをちょっと触れれば、簡単に検索出来てそれなりのことがすぐにわかる。まことにお手軽であるが、ちらっと見てわかった気になってしまう。その結果、わかりやすさが正確さや意味の深さよりも重視され、「キャッチーなフレーズ」とやらがやたらに評価されるようになる。これがワンフレーズポリティックスやシングルイシューポリティクスと言われる傾向につながっていくのかもしれない。

インターネットの大きな意義は、誰でもが簡単に情報や意見を発信できるということだ。しかし、ネット上に発信される情報には、失礼ながら愚にもつかない内容のものも多い。それどころか、真偽のほどが定かでない情報をリツイートする人もいれば、他者を誹謗中傷したりする人もいる。匿名発信の気楽さが無責任につながるわけだ。

先輩がおっしゃったのは、インターネットの手軽さ、気軽さの問題点だったのか。…生意気なことをぶつぶつ言っているうちに自宅の前に着いた。

インターネットの功罪はともかく、私自身についていえば、近年本を読まなくなった。老眼が進んだからというのもあるが、かつてならハードカバーの本を開いたであろうちょっとまとまった時間にもネット配信の映画を見るようになった。偉そうなことを言っても、手軽さには中々勝てない。

先日図書館で、昔読んだモラヴィアの「1934年」(アルベルト・モラヴィア著、千種堅訳、早川書房、1982年)を借りた。しかし、鞄に入れたまま、1頁も読まないうちに返却期限を迎え、むなしくそのまま返したことであった。

散歩から戻って、こんがり焼いた食パンに分厚くバターとブルーベリージャムを塗って、三連目玉焼きと一緒に食べる。もう一枚バターとパイナップルジャムをのせて食べたら、再度モラヴィアにチャレンジしたくなった。

図書館に出かけてもう一度「1934年」を借りてきて、寝転んで読み始める。読み飛ばす性格の本ではないので、はじめはなかなか読み進められず1頁ごとに休憩していたのだが、いつの間にか熱中して、午後までかけて読み終えた。

若い頃読んだとき、同書の印象は官能的な恋愛小説だった。あるいは、生きるのに絶望しながら死にたくなくて、絶望をいわば「固定的な」ものにしたいと試みるインテリ青年と、絶望の論理的解決として一緒に自殺する道連れを求める女優を描いた小説だった。…カプリ島で、ドイツ文学を専攻するイタリア人青年ルーチョは、若いドイツ人の人妻ベアーテと出会う。ナチスの突撃隊の幹部らしい夫と一緒の彼女の緑色の瞳の中には、ルーチョと同じ絶望があった。二人の意思疎通は、劇作家ハインリヒ・フォン・クライストの書簡集を通じて深まってゆく。34歳のクライストは1811年11月ポツダム近郊の湖畔で、がんを患った人妻ヘンリエッテ・フォーゲルとピストル心中した。(二人の関係は自殺の途連れであって、恋人ではなかったとされる。)ベアーテが届けてきた書簡集には栞が挟んであり、その箇所にはヘンリエッテが友人に自殺を予告した有名な手紙があった。(本書をこれから読もうとする方のために、これ以上筋を辿ることはやめておこう。そもそもこの優れた小説を要領よくまとめることなど私の能力を超えることである。)

今この年齢になって「1934年」を読み返してみると、本書は、出版時74歳のモラヴィアが、若い頃からずっと気になっていた情景や人物や時代の空気といったものを、官能的な恋愛小説という形式を用いてまとめたものなのではないかという気がしてならない。そう考えてみると、劇中劇としては長すぎるように感じられる年配のロシア女ソーニャと警察のスパイであるアゼーフとのロシア革命前夜の異様な恋愛譚や、結末寸前のところで展開される美術蒐集家シャピロとの禅問答も納得がいく。エヴノ・アゼーフは実在の反革命スパイであり、警察に内通しつつ社会革命党内に要人暗殺組織を結成し、内務大臣やモスクワ総督セルゲイ大公の暗殺に関わる一方、当局に情報を流し、同志たちを逮捕させた。やがて内通を疑われるが、査問の寸前逃亡し、その後は株の売買で成功するなど波瀾万丈の数奇な一生を送った人物である。シャピロのモデルは、訳者によれば、イタリアルネサンス研究で著名な美術史家であり、モラヴィアにとってなつかしい人でもあるバーナード・ベレンソンとのことである。

おそらくモラヴィアが本書の中でもっとも描きたかった情景は、ヒトラー総統の緊急放送をラジオで聞くために、宿泊先のカプリ島のペンションのサロンに集まったドイツの大学や中学の教員たちを中心とするドイツ人観光客の一団の「演技」振りであったのではないかと思う。第一次大戦で片腕を失った歴史教師が、別の教師と学生決闘(メンズーア:ドイツの学生たちが行う顔を斬りつけて行う決闘。深刻な怪我や死亡に至らぬよう流血の時点で終了となる)の意義について議論し、これに否定的な見解を述べて中座すると、皆が、彼が「不健全でデカダンなインテリ」であり、「健全で建設的なドイツ文化」と一致しない旨を言い立てる。自分の感情を偽り、自分の抱くのとは遠い意見を口にして、自らに「インテリ」であるとの批判が及ぶのを防ごうとするのだ。ベアーテもまた絶望から逃れるために、演技し創作する。演技しなければ生きられない社会は恐ろしい。21世紀の現代にあって、そういう国は我が国の周辺にもありそうだし、我が国でも、心にもないことを言わないと吊し上げ同様の目に遭う場面も少なくないように思う。

訳者のあとがきによれば、モラヴィアは一時書名として「絶望と演技」を考えていたという。なお、小説中で緊急放送で伝えられる総統への謀反は、「長いナイフの夜事件」であり、ヒトラー、ゲーリングらの指示により、エルンスト・レームら突撃隊幹部、元首相のクルト・フォン・シュライヒャーなど党内外の多くの者が裁判抜きで粛清された。

前述のように私は、モラヴィアの内心における本書の位置づけを、気になっていた情景や人物や時代の空気を恋愛小説というスタイルでまとめたモラヴィア流の覚え書きといったものではないかと、根拠もなく勝手に思い込んでいるのだが、言うまでもなく本書の小説としての芸術的完成度は高い。柄にもなくうっとりした午後を過ごした。

午後遅く読み終えて起き上がると、ビールを飲みたくなった。今夜はビールにあうおかずにしよう。ビールとくれば餃子だが、このところ白ワインにはまっている家人への配慮も重要である。熟慮の上、晩の献立は、前菜としてワインにもあうお洒落系の揚げ餃子を三種用意した上で、鶏ささみの中華スープ、メインは安上がりに麻婆豆腐、最後に五目チャーハンにすることにしよう。

いずれもなかなか美味。本書の中で、美しいヒロインが猛烈な食欲で絶望を抑えこもうとする場面がある。主人公の目の前で、スパゲティとスープを二人前、主菜を二人前、デザートを二人前食べる。私は、何かを抑えこむという目的もなく、ただ純粋な食欲から、揚げ餃子と麻婆豆腐と五目チャーハンを各二人前超食べ、食後に草餅と月餅とアイスクリームを食べた。

揚げ餃子のレシピ(4人分)

〈材料〉餃子の皮30枚ぐらい、揚げ油

具材A:豚挽肉60g、ねぎ5cm(みじん切り)、しょうが2cm(みじん切り)、セロリの葉数枚(みじん切り)、おろしにんにく小さじ1、塩少々、あらびき胡椒少々、花椒少々、一味唐辛子少々、オイスターソース小さじ1/2をよく練り、大匙1ずつ餃子の皮に包む。

具材B:鶏ささみ1本(筋を抜き、1cm大に切る。)、塩少々、柚子胡椒小匙1、酒小匙1を混ぜ、鶏ささみ1片ずつ餃子の皮に包む。

具材C:セロリの茎10センチ(縦に4等分、横に3等分に切る)、ピザ用チーズ、粒マスタード。セロリ2本、チーズ適量、マスタード適量を餃子の皮にのせ、包む。

具材D:バナナ半本(縦に2等分、横に1cm幅に切る)に、きび砂糖大匙2をまぶし、ごま油大匙1を加えて軽く和え、大匙1ぐらいずつ餃子の皮に包む。

(1)160~170度の油で、濃いきつね色になるまで揚げる。(あまり高温にせず中温でじっくり上げる感じ)。

(2)A、Bは、好みで酢、醤油、ラー油をつけて食べる。Cはそのまま食す。Dはそのまま食すか、好みで塩少々を振り、メープルシロップなどをつけてもうまい。

*餃子の包み方:餃子の餡大さじ1ぐらいを餃子の皮の中央にのせる。指に水をつけ、餃子の皮の縁1cm程を濡らす。餃子の皮を二つ折りにし、軽く押さえて隙間なく圧着してから、1cm間隔でひだを作り、密着させる。皮に隙間ができると揚げるときに水分が跳ねるので、餡を入れすぎないように気をつける。慣れるまでは少なめがよい。

**豚挽肉にせよ、鶏ささみにせよ、餃子に使う量はわずかであるので、冷蔵庫の残り物を活用したり、他のおかずに流用することを考えるとよい。今回私の場合、豚挽肉は麻婆豆腐に、鶏ささみは下味をつけて片栗粉をまぶし、中華スープの具に使った。